18 死神
「セイラ…。」
サリバスの宮殿の中の神殿で、父、ファサリスはリリアを後ろに庇いながら剣をルナティスに構え言った。
「バルト、この神殿の再奥部に神皇一家がいるはずだ。こんな人たちは私と少しでどうにかするから後の隊員は先に進みなさい。」
「ルッティさま。あの…。いいんですか。」
バルトが口ごもる。この男のこうゆうところがイライラする。
「きちんと根絶やしにしなくてはならない。自分で手を下すのが嫌なら、捕まえときなさい。」
ルナティスが叫ぶと、父の後ろのリリアが息をのんだ。
「君は、遊撃隊なんて言うけれど、ルナティスなんだろう?」父は自身の紫水晶の瞳を指さした。
「リリアの代わりとして、取り沙汰されたルナティスが自ら潜入なんて命知らずだな。瞳の色はどうやって変えているんだ。昔は青紫だったろうに。どちらの瞳が正しいのだ。」
父は青の法衣を着たリリアを祭壇の後ろに押し込んだ。
「私の瞳の色は残念ながらこのとおり、紫水晶です。今も、昔も。そんな事より、お覚悟はいいですか?」
ルナティスはひどく冷静な自分に戸惑っていた。
「父を殺すか?リリアはそなたの姉だぞ。短い期間とは言え、同じ王宮で暮らした私たちを。ロゼリアに何を吹き込まれたか知らないが、アウル神皇国に刃向けるは、神殺しだぞ。」
神殺し…。そう言われてもルナティスはピンと来なかった。
「なぜ王太子軍が来ていながら、おまえ達を先にいれさせたか。神殺しの後ろ指をさされるのが怖いからだ。そんなこともわからないのか。」
そうかもしれない。レイラはそこまで考えてルナティスに先をいかせたのかもしれないな…。
ルナティスも嘲るように笑って納得していると、ファサリスが話しかけた。
「わたしのセイラに対する仕打ちでこんなことをしているのか?」
ファサリスは諭すような口調だ。
仕打ち…。仕打ちとは何のことだろうか。そんなことに憤りを覚える時はもう過ぎてしまった。
「いえ、違います。あなたの顔も今やっと思い出したくらいですから。」
ルナティスは、首を振った。もっと言いたいこともあったような気もしたが、こうなると何も浮かばなかった。
ルナティスは剣を構えるとファサリスの手を目掛けて一気に剣を振り上げた。ファサリスは剣を受けるも、その剣は下から舞い上がり、大理石の床にそのまま落ちた。そのままルナティスは剣を持ち直し、無表情にファサリスを肩から斜めに切りつけた。後ろの祭壇からリリアが悲鳴をあげた。
「お父様。お父様!!」
リリアは年より幼く見えたが、大きく可愛い瞳いっぱいに涙を溜めて父にすがりついた。そして、ルナティスを見上げた。
この人、本当に可愛い人だ…。ルナティスは思った。
リリアの紋章のクレマチスと同じ青に染めあげた法衣をきていた。頭上には青い宝石が散りばめられたサークレットが光っている。その姿は純粋で清らかで、まるで妖精のようだ。
「早く逃げなさい。リリア。」
ファサリスはリリアを突き飛ばした。リリアは尻餅をつきながら、ルナティスから少しでも離れようと踵で床を擦るように足を縺れさせた。
「私に構わず、早く逃げなさい!早く神皇のところにいくんだ。神皇には覇王の石がある。早く!」
ファサリスはリリアを強く押した。リリアはようやく立ち上がり、父を見るも、その父の形相をみて走っていく。まるで助けをよびにいくように。
覇王の石?
確かに、この先は覇王の石が祀られている大広間だ。
ルナティスはぼんやりと思った。神皇家と大神官しか触れない石…。神事にしか使われないはずだが…。それもいつも黒い敷布にくるまれていたように思う。
ルナティスも追わなかった。追わずともこの先は、大広間だ。死角もない。それにバルト達がいる。そこに神皇もいるはずだからめんどうがない。女ひとりくらい訳もないはずだ。
ルナティスは立ち上がるファサリスに背中から冷静にもう一太刀浴びせた。
ファサリスは呻きながら、そのまま前に倒れこんだ。
その崩れる後ろ姿をルナティスは見ていた。ファサリスの髪の色はルナティスと同じ琥珀色だ。
「復讐が…。果たせて満足か…。」
呻きながらファサリスが呟いた。ルナティスはそれでも何も感じず、戸惑った。その辺の男を切ったことと全く変わりなかったからだ。
「復讐されるようなこと、母と私にしたんですか?」
ルナティスはファサリスの顔が向いているほうに歩み寄って顔を覗きこんで聞いた。ファサリスは呻きながら、ルナティスを見た。
「おまえの母を愛さなかった報いとでも言いたいのか?」
ファサリスの言葉はルナティスにとって見当外れだった。
愛さなかった報い?そんなことを確認して、懺悔して、ルナティスに何をしてほしいのか。
ルナティスは自然と口から言葉が流れた。
「戯れに愛して、私を設けたことの報いはあるかもしれませんね。」
ルナティスの言葉に、ファサリスは目を見開いた。ルナティスは言葉を続ける。
「私は愛するとか愛さないとかよくわからないので。的外れかもしれません。でも先の大神官さまのような崇高な人から、愛することについて問われても、私には難しくて、うまく答えられません。」
ファサリスはそれを聞くと涙を一筋流した。そして手をルナティスに伸ばした。ルナティスは手を取らなかった。ファサリスの瞳はだんだん光を失っていく。ルナティスは、ファサリスの絶命が近いことを知った。
「すまなかった。セイラ。だから…、リリアを殺さないでくれ。いくらでも謝るから…。」
手がゆっくり降りていく。
ルナティスは聞いてられずに、その場から立ち上がった。
「だれか、先の大神官が絶命するのを見届けなさい。引退した身なので、首はとらなくていい。あとは何人かはついてきなさい。」
ルナティスはそのまま祭壇を横切り、リリアの後を追った。
早く大神官リリアを殺さなくては。
ルナティスの心はすこし昂っていた。
廊下を走り、そのまま奥の大広間の扉を開ける。そこでは、な中央で神皇の近衛兵とバルト達の乱戦になっていた。思ったより近衛兵が残っていたか…。
ルナティスは唇をかんだ。
後からきた兵士達が、ルナティスの指示を仰ぐ。乱戦に入るか。どうするか…。
ルナティスは視線を感じて顔をしかめた。
乱戦の先の一段高いところに、短い琥珀色の髪に紫水晶の瞳をした神皇…。皇帝ロータスとリリアがいた。乱戦であることがリリアには功を奏した。乱戦が壁になり、なかなかロータスに近づけない。ロータスを見るのはルナティスは初めてだったが、白のマントと金糸で刺繍された美しい軍服に身を包んでいるロータスは一目で神皇とわかった。皇帝の威厳と現人神の神々しさ両方を兼ね備えていた。
ロータスはその鋭い視線を乱戦ごしにルナティスに向けていた。
ルナティスは目があったが、あっさり視線を外す。そんなのにつきあっていられない。
ロータスの傍らには覇王の石が祀られていた。ルナティスはそちらを見た。
いつもの黒い布が外れている…。黒い布は石の下に敷かれてはいるが…。覇王の石が紫水晶だというのは本当だったか…。
ルナティスは睨み付けてくるロータスを無視して、覇王の石についてのヒルカとの会話を必死に、思い出していた。あれが奥の手で何かあったら堪らない。戦神からは、もしあったら宗教の象徴だから壊せとは言われている。
覇王の石がただの神器じゃないとしたら…。なにか思い出さなきゃ。きちんと対処しなきゃ…。
ルナティスは目を閉じた。
大昔にヒルカが教えてくれた。神はアウル神皇国に覇王の石を授けたという一説。
ヒルカは覇王の石のことをこう言った。夏の夜だった。ふたりで勉強していたときに、ヒルカが怖い話をしようと言っていたときだ。
「あんまり大きな力を使いこなすことは人間にはできないんだよ。そして、その力の誘惑に勝てる人がいないから覇王の石は今も存在し続けているんだよ。ただ…。」
「ただ?」
ヒルカはの傍らに座りながら、ルナティスはクッションを持ちながら聞いた。
「覇王の石は夜空の瞳の色の人間にはただの石ころなんだよ。
黒の色素が苦手なんだ。この世界の半分の人にとったらただの石なんだよ。」
「夜空の瞳?」
「黒のような藍色のような人のこと。ここから東の国クラレスあたりから先の貴族以下の人たちに多い色だね。こうゆう人は髪の毛も黒いんだ。」
「へぇ…。ルティは黒い髪の毛をみたことありません。」
「まあ、このさきルティが見ることは少ないかもね。」
ヒルカはルナティスの琥珀色の髪をくしゃくしゃと撫でた。
「覇王の石ってどんなふうなことをするんですか?」
ヒルカは、覇王の石の伝記の本を持ってきた。
「火を吹いたり、夜空から流星を呼んだり、砂嵐を作ったり、嵐を…。とか言われているが、誰にもわからないんだよ。」
ヒルカはお手上げといったように手をあげた。
「なんか、天気に関わることが多くて迷惑な石ですね。なくてもいいような気がします。」
雨の日を晴れにしてくれるのはいいけどとルナティスは笑った。
「言ったろう。人は強い石に恐怖しながらも、強い石を捨てることはできないんだよ。ただ、覇王の石はきちんと封印方法は存在するんだよ。まあ、元あった場所に戻すだけなんだけどね。」
「元あった場所?」
「キリルの山の神殿の前の湖だよ。」
ヒルカは山の方向を指差した。
「ルッティ様…。どうしますか。乱戦に入りますか。」
ルナティスは目を開いた。そして天井を見上げた。
けっこう高い。三階分くらい余裕がある。
バルト達と親衛隊で数は同じ40人くらいだ。互角に剣を切り結んでいる。
この勝負は神皇の負けだ。ここにいるのも神皇の味方はせいぜい20人。
絶対絶命なのは神皇たちのはずなのに、あんな鋭い視線をルナティスに送るのは豪胆なのか、それとも、やはり覇王の石なのか。
ルナティスの兵も20名程度だ。いまここの乱戦に入ってもせっかくの数の利は生かせない。
ルナティスは手で合図すると、
「いや…。ここから乱戦を飛び越えるように弓の雨をふらせて、ここから神皇達を殺す。」
「本気ですか?」
「普通に射って、バルト達にあてるなというほうが無理があるでしょ。みんな、できるでしょ。矢の雨。神皇を狙えじゃないんだから。」
ルナティスは兵士達に言うと、兵士達は頷く
「大量の弓の雨だからを降らすだけだから、みんなも神殺しにならないから安心して。」
ルナティスは笛をふくと、兵士達はアーチを描くように弓矢を一斉に射た。乱戦の壁の上を易々と乗り越えた、覇王の石のある神皇のところに落ちていく。
しかし、何故か神皇にもリリアにも当たらない。やっぱり何かある。狙ってはないにしろ、大量に降らせているのだ。あたらないのはおかしい。
ルナティスは厳しい視線を向けるロータスを見た。なぜルナティスだけそんなに睨まれるのか。
ただ、矢の乱戦になっていた近衛兵が弓に気づいた。神皇を守るべくバルト達に背を向けた神皇のところに戻ろうとするものが出始めた。
「バルト!そのまま背を討て、ただ壇の上にはあがるな!」
ルナティスは叫んだ。
「みんな、今度は、壇の手前に矢を落とせ。」
バルト達は乱戦の中、背を向けて神皇に近寄ろうとするものを中心に追いたてる。
「放て!!」
ルナティスは号令した。
そしてルナティス達の矢の雨は、神皇には近づけないが、近づく近衛兵達に今度は降り注ぐ。これだけでもだいぶ近衛兵を減らせる。
「リリア倪下。おまえの妹は、強いな。姫でありながら、立派な将ではないか。」
ロータスはリリアに一瞥もくれず、言う。リリアは震えながら、ルナティスを見つめて言った。
「陛下、あの人は私の妹ではありません。」
「じゃあ何だと言うんだ。」
リリアは唇を噛み締めて言った。
「ロゼリアの戦神の娘です。そしてただの死神です。」




