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戦神の娘  作者: 高宮 まどか
第一章
15/66

15 水面

扉を開けると、50に手が届くか否かの長い琥珀色の髪で青紫の瞳の男が立っていた。

「遅刻ですね。ルティ。」

「遅くなりました。ヒルカ先生。」

ヒルカはアデルにも早く中に入るよう言って鍵を閉めた。そして、頑丈な閂を三ヶ所入れた。


入った部屋は想像以上広く、まるで石をくりぬいてできたようだった。灯りもまぶしいくらい壁に火が灯っている。

左は小さな泉があり、その奥には地上に続く階段があった。中央は石造りの神殿になっていた。右には小さい扉があり、扉の先には書斎が見えた。微かだが紅茶の匂いがする。右はヒルカの生活スペースだろうか。


「ルティ様。手紙以外で、言葉を交わすのは10年振りですね。」

ヒルカは笑ってルティの頭を撫でた。

「よく見かけておりましたが、お互い話せませんからね。」

ルティは頭の置かれた手をのけた。

「ヒルカ…。いえ、ヒルカ先生。止めてください。」

ヒルカは笑って手を戻すと、アデルに目を向ける。

「ここのところ、上がうるさいから、どこかで殺されていたかと疑っておりましたが、殺してきましたか…。」

ヒルカは右の部屋にいき、着替えを渡した。

「ずいぶんと血を浴びている。着替えてくるがよい。そなたは…。」

ヒルカはじっとアデルを見ると、

「黒髪で黒い瞳、その豪奢なクラレスの刺繍の服…。星読みの道具屋だな。」

アデルはぎくりと、振り返えるとヒルカは笑った。

()()()ではないか。というよりこのあたりでそんな刺繍の服を着ている黒髪の金持ちは道具屋以外いないよ。」

アデルは顔を覆った。そしてさっさと服を脱ぐと上半身の刺繍の上着をヒルカにわたし、もらった紺色のチュニックを着こんだ。

「手堅くて有名な道具屋をよくもこんなことに引っ張りこんだな。ルティは。」

ヒルカは笑った。ルティは笑わず、ヒルカを急かした。

「たまたまです。先生、早く。上はベルクートとシエルに割り込んで神殿に無理やり入ったの。ベルクートは本棚を知らないと思うけど、なんでも力づくだから。」

「上のおとなしいやつらはクレマチス隊だったか…。」

ヒルカは、悲しそうな顔をした。

「ルティ…、わたしは宮殿が落ちたのをこの神殿から見ていた。こんなことになったのは本当につらいな。お互い。」ヒルカはルティの頭を撫でた。

「お説教はききませんよ。」

「ちがうよ。おまえのせいではない。私達は確かに今回の戦いの絵を描いた。おまえは最後に仕上げをしたが…。()()も何度も筆を取ることを選べたはずだ。1つの要因で戦いが起こることはないのだ。さあ、本当の仕上げをしよう。」


ヒルカはアデルのことを見た。

「君は確かに、たまたまここに来たんだろうけど、私達にとったら、君ほど心強いことはない。道具屋。石を離すなよ。」

アデルはよく分からない顔をするとヒルカはルティを振り返った。

「ルティ、話してないのか?」

「黒の瞳は無効なんだから、必要ないかと。」

ヒルカは、はあっとため息をついた。

「そういうところは母親ゆずりだな。」

ヒルカはルティとアデルを手招きすると、奥の階段を登っていく。


階段を登っていくと、案外長い階段だ。そしてようやく天井につく。天井の扉を横に開ける。そこから這いあがると、三人は山頂にでた。下には湖が広がっている。アデルは違和感を感じた。上から見ると湖は思ったより、すり鉢状なのだ。湖畔にいるときはそう考えたことはなかった。

「始めるか。覇王の石を封印する日を願ってはいたが、実際に封印する当事者の聖職者になるとは思わなかったな…。」

ヒルカは自嘲した。

「ヒルカ先生…。」

ルティも湖をじっと見つめる。

「これはそんなに危険なものなんですか」

アデルは首から覇王の石を外し、握りしめた。

「道具屋…。その話は…。まあ、見てたらわかるよ。」

ヒルカは崖の先の祠に近寄ると自らの手を小刀で傷つけ血を祠の石の上に垂らした。石はなんの変哲もない石だ。次にルティが同じく左手の手のひらに傷つけて血を落とす。

「道具屋…。石をこの石の上に置くんだ。」

ヒルカはそうアデルに告げる。アデルは恐る恐る巾着から覇王の石をだし、ルティの血がついた石の上に置いた。


ヒルカはなにか念術のようなものを唱え始めた。ルティは湖に石を捨てると言っていた。これでは、山に捨てにいくではないか?とアデルはじっと覇王の石を眺めた。ちらりとルティを見ると、真剣な表情で石を見つめている。

アデルは夜空を見上げた。思わず目を見開いた。


星が…。異様に瞬いているように見え、いくつも流星が流れ始めた。


もう一度石を見ると覇王の石が光始めた。


松明もないのに、辺りがだんだん明るく…。

アデルは信じられない光景に目を見張った。こんなことあっていいのか。


「何をやっているんだ。おまえ達。」

背後から低い声がした。アデルが振り返るより早く、

ルティがヒルカの前に立ち、弓を構えた。ヒルカは相変わらず念術を唱えている。


背後には、ベルクートとシエルが立っていた。アデルはここにきてベルクートの精悍な顔立ちをはっきりと見た。20台後半ほどで、金色の髪、光の加減でよく見えないが、多分青紫の瞳のやや野性的な顔立ちの男だ。反対にシエルは銀髪で短い髪でなければ女と間違うほど柔和な顔立ちをしていた。瞳の色はやはり同じくだろう。

二人とも、アデル達を見つめた。シエルは、祠の横で念術を唱えているヒルカを見た。そして、その光と空の流星を仰いだ。

「ヒルカ様…。これは…。」


ベルクートも一瞬困惑し、

「おまえ達、本当になにをしているんだ。」

「枢機卿なのに、知らなかったなんて、もぐりですね。あなたも、()()()

ルティはベルクートに嘲るように言うと、アデルに視線を寄越し、ヒルカのほうを見た。ヒルカは念術を唱えている。


「道具屋は下がって。強いて言うなら、ヒルカを守って。最後まで唱えさせて。」

ルティはアデルの耳元でそう言うと前にでた。ヒルカの念術が深まる度に、あたりの明るさが増していく。

「ベルクート。動いたら、射つわ。」

ベルクートは、笑うと言った。

「やってみよ。わたしは撃たれても、その前にシエルがおまえを殺す。」

シエルは小刀を構えた。アデルはクレマチス軍の槍を構えた。


「私を、殺したいなら、やってみなさい。シエル。」

ルティはシエルを叫ぶように言った。

アデルはルティの挑発に舌打ちして、シエルに飛びかかる。シエルの槍とアデルの槍が激突した。シエルも眉をひそめて受け流すと小さいナイフをアデルではなく、ルティに投げつけた。

アデルが体で止めようとするも、ナイフがアデルの肩を切り裂き、ルティに向かって夜空を切った。


ルティは瞬間体を左に倒すと、ナイフをよけ、そのままベルクートに向けて不安定なまま矢を射た。


ベルクートは、自らの槍で矢を弾き返した。ルティは瞬間、矢を担ぐと自らの剣を抜き、ベルクートの槍めがけ飛びかかった。


金属音が響きわたる。

ベルクートが力で押し返すもルティは受け流し、もう一度、刃を交えた。

アデルはシエルと槍を交えるも、力で押し返し、ヒルカの前に立ちはだかり、もう一度槍を構えた。


空気はひりつき、ヒルカの念術だけが響いていく。


いつまで持たせたらいいのか。アデルはルティを見た。ルティはアデルを無視して、ベルクートを見て問う。

「戦いが終わったのにもかかわらず、わたしのことを殺すのは私怨ですか?それとも忠誠心からですか?」


この馬鹿…。アデルは心の中で叫んだ。相手を刺激しないでくれ。どうしてそんなに戦いたいんだよ。


ベルクートは案の定、気色ばんで答えた。

「どちらもだ。おまえは裏切り者だ。アウル神皇国の新兵軍に在籍しながら、裏切り、神皇や大神官を手にかけた。前大神官もだ。立派な反逆罪だ。神殺しだ。」

ルティは、ベルクートの顔の近くまで刃を押し込み、怒ったように切り返した。

「神殺しだと。何を持って…。一体誰が神なのです。神皇ですか?それともあの、信仰という玉座にいたあなたの妻ですか?」

ベルクートの瞳に怒りが宿り、ルティの瞳を睨み付けた。


そして、次の瞬間驚いたように目を見開いた。ベルクートは力いっぱいルティを押し退けた。その上でベルクートはルティは胴をめがけ槍の下を叩き込んだ。ルティはアデルの足元に弾き飛ばされた。覇王の石の光はまるで昼間のようにあたりを照らしている。

アデルは槍をもち、ルティの前に立つと、ベルクートが驚いたように呟いた。シエルも同様だ。

「ルティ…。おまえのその瞳…。どうしておまえが紫水晶の瞳なんだ。おまえは青紫のはずだ。」

ベルクートは、ルティの顔を光のもとまじまじとみつめた。ルティは肩で息をして、アデルが上体を起こすと口から血が溢れている。

ただ…。ベルクートはその槍で切りつけ、ルティを殺さなかった。

「ルティさんもういい。交代しましょう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


アデルは、ルティを抱き抱え、後ろに庇った。ベルクートが、ルティの瞳の色で動揺している。シエルも、ベルクートの話を聞いて、動揺し、つかの間ルティへの殺意が消えている。


「おまえは本当に、我らと同じ神学校に通った…。ヒルカの元で学んだ…おまえなのか?」

「そうよ。」

ルティはめんどうくさいように言い捨てた。シエルが言葉をつなぐ。

「セイラ妃つきの見習いで…。ルナティス姫に付き従ってロゼリアに降った…。」

「何度も言わせないで。」

ベルクートの手は震えていた。

「なぜ紫水晶の瞳なんだ。青紫だったではないか。幼きころも、おまえがアウル神皇国にロゼリア侵攻の情報を手土産に帰還したときも…。」


ルティはベルクートを見つめた。ルティがなにかを言いかけたとき、アデルはルティの口を押さえた。わざわざ、殺気が消えているにも関わらず、刺激することはない。


ルティはアデルにつかまり、立ち上がった。

「目の薬で変えていました。幼いころも。この間までも。」

ふらつきながら、咳こんで口から血が溢れるのも構わず、続ける。

「さすがのあなた達もここまで言えばわかるでしょう。あなたが神殺しという神が、アウル神皇国紫水晶の瞳と言うなら、私を殺す理由はないはずよ。」

なんのことだ。アデルは頭を捻るより先にルティはアデルをどんと後ろに押した。

「ただ、ベルクート…。あなたが、私怨で私を殺したいなら、妻を殺した相手としてなら、受けてたちます。受けない権利はない。」

ルティは剣を構えた。ベルクートは虚をつかれたようにルティを見た。

「ここにある刺し傷はあなたの妻が私につけたものです。わたしは泣いて懇願するあなたの妻を殺しました。」

ベルクートは、槍を持った。

「リリアは…。」

ルティは無表情にベルクートに言った。

「殺さないでと。たくさんの神兵が大神官のため命を散らしているのに、あなたを殺さないでくれと騒いで。みんなに迷惑をかけてましたよ。」

ベルクートは、槍をもちかえた。

「そうゆう女なのだ…。あれは…。戦いなんて知らない優しい女なのだ。」

「私に復讐しますか。ベルクート。あなたも妻と同じように、たくさんの命を奪っておきながら、私の命だけを特別扱いして、復讐しますか?」


ルティの最後の声は涙声だった。ルティをアデルは後ろから引っ張って無理やり自分の後ろに立たせた。


「もういいです。」アデルはルティに言った。それはもう聞いてられなかったからで、ヒルカの念術が終わっていたからではない。

ヒルカの念術は終わっていたのだ。祠近くから4人のとこまでやってくると静かに手をかざし、

「ベルクート…。止めよ。」

とベルクートとシエルを制した。

「もう戦いは終わったのだ。そして、おまえ達は負けたのだ。」

ベルクートは、ヒルカをじっと見た。

「そして、今は、本当のアウル神皇国の最後だ。枢機卿のおまえ、元枢機卿のわたしが、ここに立ち会うことになるのも因果な話だが。」

ヒルカは祠に近いアデルとルティに叫んだ。

「道具屋、ルティ…来るぞ。もっと祠から離れろ。」と


離れろ?

どこからか水音がする。

水音?

アデルはルティと後ろの祠を振り返った。あり得ない光景に二人は息を飲んだ。

水が……。水面が上がってきている…。

まるで生き物のように煌めきながら、揺れながら手を伸ばすように…。祠の石に手を伸ばそうとしている。



二人が振り返り、見入った一瞬をベルクートは見逃さなかった。

槍を持つと、アデルに向かって槍を振り下ろそうと飛びかかった。

ルティはアデルを押し退けて、突き飛ばし、槍を自らの剣で受けた。


「道具屋は関係ない。」ルティは、受け流した上で、もう一度剣を振り上げた。ベルクートは槍でまたルティを振り飛ばした。ルティは祠に音を立ててぶつかった。


ヒルカが大声で

「まずい!!」と叫んだ。

水は渦のような形になりながら、よろめきながら立ち上がったルティも抱き込んでいく。覇王の石とともに。


「きゃ…。」

水にのまれる瞬間ルティは小さい声を漏らした。水に取り込まれながら、ルティはアデルと目があった。


ルティはアデルに手を伸ばした。


アデルが起き上がり、ルティに祠まで走るのと、崖の下にルティが引き込まれていくのは同時だった。

「道具屋…。助けて。」

アデルにルティは手を伸ばして言った。

ルティは光を纏いながら、ぼちゃんと音がして水の中に引き込まれていった。


覇王の石とともに。



アデルは、崖の下を見た。水面が崖の下ギリギリまで柱のようにあがってきていた。だがそれも、光を抱き込んで、徐々に下がっていく。


水面にルティは見えない。

星空に流星が流れ続ける

こぽこぽと水音が静かに、下がる水面は渦をまきはじめた。

光を巻き込んでいくので、だんだんあたりの光も弱くなり暗くなっていく。


アデルは渦を凝視した。あの下にルティは…。


アデルは息を殺しながら、左胸を押さえた。

どうしたら…。

ヒルカに助けを乞おうとふりむくと

ベルクートが槍を持ち、肩で息をし、アデルに近づいてきた。アデルに向けて槍を振りかざそうとしている。


つきあってられるか。


アデルは弓を構えた。ルティほど上手くないが、なぜだか剣ではなく弓を使わなくてはと思ったのだ。ルティにアデルが納品したこの弓。


アデルは弓を引いた。夜を切り裂く、よい音がする。ベルクート喉の横に弓矢がかすった。

アデルの弓などあたらないとたかをくくったのか、はたまたほかに理由があるのかベルクートは槍ではじかなかった。


いずれにしても、アデルはその結果を見なかった。


弓を放ったと同時に、崖下を振り返り、水面がどんどんさがっていくことに舌打ちした。



ヒルカの顔を一瞬確認すると、ヒルカが真剣な瞳でアデルを見た。

アデルは頷くと、小さくなって、下がっていく水面を追いかけるように頭から飛び込んだのだ。


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