その2ー3
気がつくと、俺は元の道に立っていた。
なんども通った道だった。
さっきのような横道など、今日初めて知った。
なんとも奇妙な、不思議な体験だった。
疲れすぎて、立ったまま寝てしまっていたのかとも思ったが、先程のことはすべて鮮明に覚えていて、夢のような話だが、とうてい夢だったとは思えなかった。
あれから一週間が経った。
あの出来事が嘘だったかのように、平穏な日常が続いている。
あの夜のことは、まだ忘れていない。
あの妖艶な笑み、人の死体、二人の少女。
俺は、また出会えるだろうか、あの二人に。
出会ってもいいのだろうか、この平穏から、日常から、逸脱してしまってもいいのだろうか。
未だに、その答えも、出会うきっかけも、訪れずにいた。
今日は珍しく早めに帰ることができた。
定時退社というやつだ。
最近は、定時退社を当たり前にしろという動きが大きいが、世間からすれば、中小企業にあたるうちでは、無理な相談だった。
今日は雨が降っていた。
俺は、傘をさして久々の早帰りに気持ち軽やかに帰路についていた。
いつもの道だったが、今日は少し違っていた。
俺の目の前を、駆け抜けていく人影があった。
あの子だった。
忘れもしない、一週間前の夜に見た、背の高い方の少女だ。
気がついたときには、足がひとりでに駆け出していた。
見失わないように、仕事終わりの重い足に鞭をいれて走った。
右に曲がったり、左に曲がったり、くねくねと走っていく。
しかし、いつもデスクワークばかりの俺でも見失わないくらいには足が遅い。
最近の若者は、体力が落ちているのだろうか。
それとも、雨のせいで多少泥濘んでいる地面のせいだろうか。
まあ、俺はすでに息があがっているわけではあるが。
「ふふふ。」
行き止まりまでたどり着いた少女は、可憐に笑っていた。
やっと少女に追いついた俺は、息も絶え絶えといった程に疲れていた。
それはそうだ。
こんなに走ったのは、学生時代の体育の授業以来じゃないだろうか。
「か・・・傘を・・・」
自分が濡れるのも厭わず、傘を少女に向かって突き出して言った。
情けないことに、この一言を絞り出すだけで精一杯だった。
今は少し、休憩が必要だ。
「ボクに貸してくれるの?ありがとう!」
彼女は、傘を受け取ると、傘をさしながら軽やかに一回転した。
「あなたのおかげでボクも風邪ひかなくて済むかも♪」
いや、もう遅いだろ。
その言葉は俺の口からは出てこなかった。
「あなた良い人なんだね。お姉ちゃんが見込んだだけあるよ。
あ、自己紹介してなかったよね?
ボクの名前は朱音。朱色のしゅに、音色のねで、朱音。よろしくね♪」
朱音と名乗った少女は、中腰で息を整えようとしている俺の顔を、可愛く純粋、だが、光の無い瞳で覗き込んだ。