終わらない同人誌即売会
これは、同人誌即売会にやってきた、ある若い男の話。
真夏の東京お台場。
大きなイベント会場があるこの場所は、
今日も同人誌即売会が開催されて混雑していた。
「並ぶのに時間がかかったけど、このサークルの新刊が買えてよかった。
次の買い物はどのサークルだったっけ・・。」
その若い男は、今買ったばかりの本をバッグに仕舞い、
汗を拭きながら、握りしめている会場の地図を見た。
その地図には、買い物をする予定の場所や本の書き込みがたくさんあった。
バッグの中には、今日買った本がたくさん入っていた。
「次のサークルは向こう側か。この通路を抜けていこう。」
その若い男は、次の買い物の場所を確認して移動を始めた。
同人誌即売会の会場内はどこも人でいっぱいで、
通路までたくさんの人で混雑していた。
通路の両側には長テーブルが連なっていて、
出展しているサークルが各々の本を売っている。
目的のサークルを探す人や、
買い物をするためにサークルの前に並んでいる行列、
挨拶をしている人や通り抜けていく人など、
通路はまるで流れるプールの様だった。
その若い男は大きなバッグを抱えて、人混みの中をすり抜けていった。
すると人混みが急に開けて、空いている空間に押し出された。
そこは、あるサークルスペースの前だった。
そのサークルスペースは、装飾から本まで全てが黒だった。
売り子なのか作者なのか、椅子に座っている人物も黒いローブを被っている。
「うわー、このサークル主の服装、暑そうだなー。
このサークルは買い物の予定には入ってないけど、
せっかくだからチェックしていくか。」
その若い男は、その黒いサークルスペースに近付いていった。
その黒いサークルスペースには、黒い布が敷かれ本や小物が並べられていた。
ネックレスやブレスレットのようなもの、
小瓶や袋詰された何か、積まれた本も全てが黒い外見をしている。
「この本、読ませてもらっていいですか?」
その若い男は、黒いローブを被った人物に話しかけた。
黒いローブの人物が微かに頷いたように見えたので、
その若い男は黒い本を手にとって開いた。
黒い本を手にとってパラパラとめくると、ページは全て空欄だった。
「あれっ、これは本じゃなくてメモ帳か。」
黒い本を戻そうとすると、黒いローブの人物が口を開いた。
「・・それは本だよ。これから書かれる本だよ。」
擦れた小声で、年齢も性別も分からない。
「これから書かれる本?」
「・・もう始まってるよ。見てご覧。」
言われた通りに黒い本をもう一度見直すと、
冒頭のページに、「若い男が本を開いた。」と書いてあった。
「あれ?こんなページあったかな。」
「その本は無料配布だよ。持っていっていいよ。」
「じゃあ貰っていきます。急いで次の買い物を済ませないと。」
その若い男は黒い本を受け取ってバッグに入れた。
買い物の予定が書き込んである地図を確認すると、
次の買い物をするサークルスペースへと急いだ。
その後もその若い男は買い物を続けた。
そしてしばらく時間が経って、違和感に気がついた。
「・・・荷物が軽くなった気がする。」
驚いてバッグの中を確認すると、
中に入れてあった本がほとんど無くなっていた。
「本が無くなってる!盗難か?なんてこった!
届け出ても、この人混みじゃもう戻ってこないだろうなぁ。」
その若い男がバッグの中をよく確認してみると、
どうやら無くなったのは今日買った本だけのようで、
予定が書き込まれた地図や財布などはそのまま残されていた。
そして、バッグに一冊だけ本が残っているのに気がついた。
バッグの中に残っていたのは、あの黒い本だった。
中を開くと、空欄だったはずのページはほとんど埋まっていた。
「若い男がまた本を買った。そして移動を開始した。
今度は本を2冊買った。だが、それらは全て失われた。」
その内容は、その若い男の今日の行動と似ていた。
「なんだこれ。まるで僕の行動そのままじゃないか。」
その若い男は気味が悪くなったが、黒い本の最後のページを開いた。
最後のページには、
「全ての本を失った若い男。しかしその男は・・・」と書かれていた。
そこから先はインクが滲んだように黒く広がって読めなかった。
その若い男は途方に暮れて立ち尽くした。
しばらくして、気分が落ち着いてから、
その若い男は、あの黒いサークルスペースに行ってみた。
しかしあの黒いサークルは、
最初から存在しなかったかのように消えてしまっていた。
机には未使用の椅子が置かれていて、使われていないスペースのようだった。
黒いサークルスペースがあった周辺では、人々が騒がしく話し合っていた。
「本当です!買った本が無くなったんです!」
「落とし物にも届けられてないのか?そんなぁ・・・。」
「これから同じ本をもう一度買いに行っても、もう売り切れてるだろうな。」
「このスペースに黒いサークルがいたはずなんだ。」
「しかしここは今日欠席しているのを確認済みで・・」
どうやら他にも同じような目に遭っている人たちがいるらしい。
やがて本を失った人たちは、会場から去っていった。
その若い男も会場から出ていこうとした。
しかし、そこで会場内を見て気がついた。
自分が買い物する予定だった本は売り切れてしまったようだが、
同人誌即売会の会場では、まだたくさんのサークルが本を売っていた。
「有名なサークルの本は売り切れてるだろうけど、
会場内の全ての本を見たわけじゃないし、
自分が知らない本がまだたくさんあるかもしれない。」
時計を見ると、閉場するまではまだ時間があった。
その若い男は、予定が書き込まれた地図をバッグにしまった。
そして、会場内に向かって引き返すと、
まだ見ぬ本を求めて、同人誌即売会の人混みの中に消えていった。
終わり。
同人誌即売会をテーマに、
カタログチェック無しで当日ためし読みをして本を探すのも楽しい、
という内容を短編ホラーで書いたつもりです。
いつの間にか本が無くなっているというところが、自分にとってのホラーです。
私は同人誌即売会ではカタログチェックをせず、
閉場までずっとためし読みをして過ごしています。
それが出来るのは、閉場まで残ってくれているサークルさんのおかげなので、
出展しているサークルさんへの感謝だけでなく、より一層感謝します。
見本誌だけでも見られたら楽しいものです。
お読み頂きありがとうございました。