後編
「……ったく何だよ全く!お前ら、心配かけやがって!!」
森の中に響くアライグマくんの怒鳴り声――逆さ虹の森の中の日常光景でしたが、今回は普段と少し違いました。その声には、どこか安心した、嬉しい気持ちが込められていたのです。当然でしょう、リスくんもクマさんも恐竜に食べられず無事こちらに戻ってきたどころか、恐竜も決して彼らを食べるなんて思っていないと言う事がはっきりと分かったのですから。
「ごめんなさい……ご迷惑をおかけして……」
「ま、いいって事よ、なぁ!」
「そうでゲスよ!」
鋭い爪や歯、大きな尻尾や体、そしてぎろりとにらむ目つきとは裏腹に、恐竜は優しく穏やかな声で動物たちに恐怖を味あわせてしまった事を謝りました。最初の目撃者であるリスくんを含め、この場に集まった動物たちは全員とも許さないと言う事を一切思っていませんでした。この恐竜がとても優しい性格である事に加え、非常に困っていると言う事情を把握したからです。
「つまり、ある日突然この森に迷い込んで……」
「帰り道が分からなくなった、って事なのね?」
「その通りです……」
ごく普通に故郷の森を歩いていたら突然の嵐に巻き込まれ、洞窟の中で雨を凌いだ後外に出たら、全く見知らぬ森=リスくんを始めとする様々な動物たちが暮らす『逆さ虹の森』にやって来てしまった――それが、恐竜が突然この森の中に現れた理由でした。確かに少し前、この森にも嵐が訪れ、雷が鳴り風が吹き荒れるほど酷い天気に見舞われていました。もしかしたら、それが恐竜が暮らす故郷の森とこの森を繋いでしまったのかもしれない、と言うコマドリ姉さんやキツネさんの推理に、皆は首を縦に振りました。理屈は分かりませんが、恐竜がこの場にいるというのがこの推理を実証する何よりの証拠なのですから。
「それで迷子になってあちこちを彷徨っていたら……」
「ボクが偶然恐竜さんを見ちゃったって事かな?」
「恥ずかしながら、全く気がつきませんでした……」
こいつはチビだから仕方ない、とからかうアライグマくんにふて腐れながらも、リスくんは恐竜の置かれた状況に同情しました。突然見知らぬ場所に迷い込み、友達も家族も誰もいない森の中でひとりぼっちでいるなんて、どれほど怖く恐ろしかった事か、と。あの怖がりのクマさんが、一見して怖そうな外見の恐竜と仲良くしていたのも同じ理由でした。
出来れば元の森に帰りたいけれど、どこを探しても帰り方が分からない。あの洞窟に戻って一夜を過ごしても、結局この森の中で目覚めるだけ。一体どうすれば良いのだろうか――助けを求める恐竜の訴えに動物たちが頭を振り絞ろうとした直後、コマドリ姉さんにとびきりのアイデアが思い浮かびました。確かあの時、恐竜がひとり寂しく水面に浮かぶ自分の顔を見つめていた場所、そしてリスくんたちがその身の内を聞いた場所は『ドングリ池』。ですが、この池は単なる綺麗な水たまりだけではありません。周りに生い茂るドングリにいつも実る木の実を投げ、真剣に願いを唱えれば、どんな願いでも叶えてくれるという不思議な力があるのです。
「……本当ですか!?そんな凄い池だったのですか!?」
「うおっ……!?お前本当に声でけーな……」
「あ、すいません……」
「アライグマくんったら……でも、それならいけるんじゃない?」
この迷子の恐竜が元の場所に帰れますように、と皆で祈れば、きっとその願いは叶えられるはずだ――コマドリ姉さんの意見に、動物たちは皆賛成しました。全員ともほんの些細な願いですが、それなりにあの池で願いを叶えて貰った過去があるのですから。
「私もあの池のおかげで、新しい歌のレパートリーを思いつけたんだ♪」
「あっしもお腹いっぱいのご飯を手に入れたでゲスよ~」
「へぇ……効果てきめんですね……!」
「でも食べ過ぎて次の日動けなくて……」
「シーッ!リスくん、それは言っちゃだめでゲス!」
「……ふふっ」
そして、動物たちはそのやり取りの中で、恐竜の笑顔と笑い声を始めて経験しました。
確かに顔こそとても怖いものでしたが、その笑みには自分たちと同じ明るさや愉快さがしっかりと含まれ、笑い声はどこか可愛らしいものでした。
それから少し経った後、この森で一番澄んだ水が溜まるドングリ池の水面に、7頭の動物たちの顔が映し出されました。圧倒的に大きな存在も含め、全員の手元には1粒のドングリが握られていました。皆はそっと顔を見つめあい、笑顔を作りました。勿論作り笑いではない心からの笑みでしたが、そこには若干の寂しさが混ざっていました。これでようやく元の森に帰れる、嬉しい事だ、と語り合う皆の前向きな言葉の中にも、ほんの僅かだけそれとは逆の心が垣間見えるようでした。
「それじゃ、皆投げるぜ……」
「了解デス……」
「皆さん、ありがとうございました……」
「ど、どういたしまして……」
そして、皆は一斉に手に持ったドングリの実を池の中に投げ入れ、7つの波紋が広がっていく様子をまざまざと見つめました。やがて誰とも言わず、皆は目を瞑りながらそっと願いを唱えました。迷子の恐竜が、無事に元の森へ帰れるように、と。
ですが、ゆっくりと瞼を開き、そっと後ろを向いた6頭の動物、そしてその場にいた巨体の動物は、揃って顔を見合わせて驚きました。この場からいなくなっているはずの『恐竜』が、何故かドングリ池の傍に佇んでいたのですから。ちゃんと皆で揃って願い事をしたのに一体どういうことなのか、と提案者のコマドリ姉さんが愕然とし、他の動物たちもこのような事は初めてだと慌て始める中、目を細めながら恐竜はそっと皆に謝りました。確かに自分が元の森に帰れるようにと言葉にこそ祈ったけれど、本当は心からは祈っていなかった、と。
「「「「「「えっ……?」」」」」」
「先程コマドリさんはおっしゃられてましたよね……この池は、願い事を真剣に唱えないと叶えてくれないって……」
「う、うん……確かにそう言ったよ……」
そして、恐竜はどこか恥ずかしそうに、その理由を口にしました。もう少し、もう1日だけ、動物たちと一緒の時間を過ごしたい。元の森に帰る願いを叶えて貰うのはその後でも良いと考えてしまった――しばらくの沈黙の後、恐竜の周りに響いたのは、心の底からの笑い声でした。当然でしょう、ただ言わなかっただけで、実は全員とも同じ事を考えていたのですから。
「良かった……ボクだけじゃなかったんだ……」
「ごめんごめん……実は私も……ふふ」
「恐竜サンと一緒の時間なんて、滅多に味わえませんカラね~」
「その通りでゲス!」
「皆さん……!」
少しづつ嬉しそうな顔を見せ始めた恐竜に、それだけの理由ではない、とリスくんは付け加えました。どんな姿であれどんな形であれ、もう恐竜は自分たちの立派な『友達』、友達と一緒に遊びたいと思うのは当然のことだ、と。コマドリ姉さんもクマさんもその言葉に頷いたのは言うまでもありません。
もう彼らにとって、『恐竜』は怖い存在では無くなりました。体が大きくても顔が怖くても、自分たちと同じ1頭の動物、遠く離れた別の世界で生まれ育つ『友達』である――動物たちの知識は、良い方向へと書き換えられたのです。
「よーし、そうと決まりゃ遊ぼうぜ!面白い場所知ってるんだ俺!」
「本当ですか?ぜひいきたいです!」
「おう、そうとなりゃ早速出発だ!」
「じゃあ皆で行くでゲスね!」
「勿論!」
「ぼ、ボクも一緒でいいかな……?」
こうして、再度動物たちはアライグマくんを先頭に道を進み始めました。行きの恐怖を秘めたおっかなびっくりの足取りではなく、嬉しさと楽しみに満ちた軽やかな足取りで。ただし、恐竜の歩幅が予想以上に大きく――。
「お、おーい待ってくれー!俺を置いてくなー!」
「あ、ごめんなさい」
「ふふ、アライグマくんも恐竜さんに比べると、まだまだ小さいね」
「リスくんの言うとおりだね♪」
「お前らうるせーよ!!」
――リスくんたちが逆にアライグマくんをからかい返すなんて事も起きましたが。
ともかくその日、逆さ森の動物たちは日が暮れた後も疲れるまで思いっきり楽しく仲良く遊びました。
この楽しい嬉しい時間を、新しい友達――大きな体や顔、強くて逞しい手足や爪、そして穏やかで優しい性格の『恐竜』と過ごしたという思い出を、ずっと覚え続けるために……。
<おわり>