中編
遥か昔、空に輝く逆さまの虹がかかっていなかった頃、森の中で暮らしていた大きく怖い動物、『恐竜』。それが突然、今の逆さ虹の森の中に現れ、地面を踏みしめながらどこかへと向かっていった――元気いっぱいなリスくんの言葉がきっかけとなり、本物の恐竜に会いに行こうと勇気を振り絞った動物たちは、恐る恐る森の中を進んでいきました。気絶する直前に目撃したリスくんの情報を基に進み続けていた動物たち――いつも乱暴なアライグマくんも臆病なクマさんも含めて、誰もがきっと長い旅になるだろう、と確信していました。誰も見たことがない謎の動物なのだから、きっと森の奥深く、誰も知らない場所で息を潜めて自分たちを狙っているかもしれない、と。
ところが、動物たちを待っていたのは予想外の現実でした。
森の中ほどにある、ドングリの木々に囲まれた美しい池にして動物たちの憩いの場、『ドングリ池』。毎日のように彼らが訪れる場所に――。
「……いた……」
「いたでゲス……」
「しっ、静かニ……」
――大きな大きな動物が一頭、静かに佇んでいたのです。
その姿は、リスくんが悩んだとおり、確かにどの動物たちも一度も目にした事がないものでした。クマさんを丸呑みしてしまいそうな大きな口、リスくんが吸い込まれてしまいそうな巨大な鼻やぎろりとした目、コマドリ姉さんと似ていながらも遥かに巨大な体格、アライグマくんでも負けること必至な鋭い爪、そしてヘビくんよりも長く頑丈な尻尾――まさに動物たちが思い描く『恐怖』が、そのまま形になって現れたと呼んでも良いほどだったのです。
ですが、物陰から『恐竜』を眺める動物たちは、その場から逃げる事をしませんでした。あまりに怖くて身動きが出来ない者、あまりに非現実な存在から目を離せなくなった者まで様々でしたが、アライグマくんとリスくんは恐怖よりもむしろ興奮の思いのほうが強くなっていました。自分たちの想像を超えるこんな動物が、逆さ虹の中にいる――その事実に、ドキドキがとまらなくなっていたのです。
彼らがじっと見つめる一方、恐竜もまた静かに池の中を見つめていました。何を考えているのか、リスくんを始めとする動物たちは考えもつきませんでしたが、一瞬恐竜がその表情を変えた事を見逃しはしませんでした。まるで何かを悩んでいるようなさびしがっているような、どこかネガティブな感情を、口元に曝け出していたのです。どうしたのだろうか、一瞬動物たちの警戒心が緩んだその時、彼らはとんでもない事に気がつきました。恐竜がゆっくりと向きを変え、自分たちの方向を見つめ始めていた事を!
まずい、このままでは自分たちに恐竜たちが駆けてくる、そして大きな口と鋭い爪で食べられてしまう!声にならない恐怖と混乱に包み込まれたせいで、動物たちの状況はよりまずい事になってしまいました。近くの落ち葉を誰かが盛大に踏み、近くのドングリの木に誰かの体が当たり、静かな一帯に物音が響いてしまったのです。そして、その方向めがけ、恐竜はゆっくりと歩み寄り始めました。
「「「「……う……うわあああああ!!!!」」」」
ぎょろりとした目と自分たちの瞳が合ってしまった瞬間、動物たちは大声を上げてその場から一目散に逃げ出しました。当然でしょう、自分たちの命がなくなってしまうかもしれないのですから。
無我夢中で走り続け、ドングリ池が遠くなったところで、ようやく彼らは立ち止まり、息も絶え絶えになりながら、一斉にアライグマめがけて文句を言い始めました。あんな怖い目に遭わせてどうするつもりだったのか、と。流石の彼もこのような事態になることは想像できず、ひたすら言い訳や謝罪をするしかありませんでした。
「あんな怖い奴だったなんて知らなかったんだ……知らなかったんだもん……」
「流石のワタシでもあんな怖いモノは耐えられないデスよ!」
「アライグマく~ん……あれは勇気じゃなくてただの無謀でゲス……」
「うぅ……否定出来ねえ……」
「……ねえ、待って!」
その時、コマドリ姉さんは大変な事に気がつきました。恐竜を見に行くために集まった森の動物たちは計6頭――コマドリ姉さん、ヘビくん、アライグマくん、キツネさん、そしてリスくんとクマさん。ところが、この場にいるのはそのうち4頭だけ。残りの2名、リスくんとクマさんが、恐竜が占拠していたドングリ池に取り残されたままだったのです。
大変な事に気づいた動物たちは顔を青ざめました。食べられるかもしれない、切り裂かれるかもしれない、と言う予想が、現実になってしまっている可能性が高くなってしまったからです。非常にまずい、助けに行かないと、と口だけは動くのですが、あの時見た恐竜の恐ろしい姿に怖気づいた動物たちの体は一切動くことを許してくれませんでした。そして、一番後悔の念を顔に出していたのは他でもない、暴れん坊のアライグマくんでした。自分の無謀な行いのせいで、大事な友達が恐竜に食べられてしまったという事実と向かい合わなければならないのですから。
「……俺のせいで……俺のせいで……!!」
「ま、待つでゲスよ……まだ食べられちゃったって訳じゃ……」
「うるせえ!!ヘビだって見ただろあの怖い姿!!!間違いねえ、きっと食われちまったんだ……うわあああああん!!」
いつも乱暴、でも勇敢なアライグマくんが人前で涙を流すのを、その場にいた動物たちは初めて目撃しました。それほどまでに彼が自分の過ちを悔やんでいる、と言う事実も。ですが、もはやどうにもならないであろう、と言う諦めの心が、彼らの中に次第に現れ始めました。恐竜が現れた以上、もう自分たちにはどうすることも出来ない、この現実を受け入れるしかないのだ、と。
「あぁ……この森も暮らしづらくなるでゲスねぇ……」
「食べ物も恐竜に取られそうだし……」
「歌を歌ってたら食べられちゃったり……」
「それによぉ……リスもクマもいねえんだし……」
「おーい、みんなー!」
「そんな風な声ももう聞けねぇ……えっ!?」
ただの聞き違いか、自分たちが感じた声の方向に顔を移動させた動物たちが見たのは、様々な意味で信じられない光景でした。そこにいたのは、確かにもう会えないとばかり思っていた小さな体のリスくんと、大きな体のクマさんの2頭でした。その顔は、最後に見たときと打って変わって穏やかで元気な笑顔でした。ですが、問題は彼らと一緒にもう1頭。とんでもない存在がこちらに向かっていると言う事でした。
「「「「ぎゃああああああ!!!!」」」」
喉が張り裂けそうなほど、アライグマくんたちが叫んだのも無理はないでしょう。リスくんやクマさんと歩みを合わせながら、あの恐ろしく獰猛で怖いはずの恐竜が、ゆっくりとこちらに向かってきていたのですから。何をやってるんだ、そこにいちゃ危ない、食べられちまう、と慌てて忠告し、今度こそ2頭を助けようとした動物たちに向けて、リスくんが発したのは意外な言葉でした。この恐竜はそんな事はしない、自分たちを食べようなんてこれっぽっちも考えていない、と。当然最初は誰も信じる気持ちになれませんでしたが、直後にそれが事実である事を彼らは納得する事となりました。あの怖がりで臆病、すぐに物陰に隠れるはずのクマさんがリスくんの言葉に頷き、首を下げた恐竜の顔をそっと撫でたのですから。
「だ……大丈夫なの……クマさん?」
「う、うん……大丈夫、怖くないよ……」
「な、何がどうなってるんでゲスか……?」
「と言うか、なんでお前ら仲良しになってるんだよ……」
状況を教えてくれないか、と丁寧に皆の意見を纏めたキツネさんの質問に返ってきたのは、聞きなれない大きな、そして悲しそうな声でした。あの大きな体を持つ恐竜が、クマさんよりも怯えた声で、動物たちに向けて静かに語り始めたのです……。
「わたくしを……助けてくださいませんか……?」