前編
昔々、森の奥の森に、逆さまの虹が空にかかる不思議な場所――「逆さ虹の森」がありました。
たくさんの動物たちが時に喧嘩し、時に慰めあい、のんびりゆったりと暮らすこの森の一角に、動物たちが『根っこ広場』と呼ぶ、草木の緑が木漏れ日に輝く憩いの場が広がっていました。そして、この広場でもし誰かを騙したり嘘をついたり悪いことをすると、反省するまで木々の根っこに絡まってしまうと言う噂が、動物たちの間に伝わっていました。
ですがその日、森の動物たちはその言い伝えを疑うような事態を味わう事になりました。
「ね、ね!ボクの言った事、ウソじゃないでしょ!」
「ほんとデスね……木の根っこ、ウンともスンとも言わない……」
「おいおい、マジかよ……」
「こ、こわいよ~……」
当然でしょう、ずっと昔にいなくなったはずの『恐竜』をこの森で見た、と言う話が、真実である可能性が出てきたのですから。
事の発端は、森の中にある一番大きな木の上から、明るくお調子者なリスくんでした。いつもすばしっこく動き回り、木から落ちたことなんて一度もないはずの彼が、太い木の枝から地面に向かって真っ逆さまに落ち、そのまま気を失っていたのです。当然、それを目撃した森の動物たちは大慌てで彼の元に駆けつけ、傷に効く薬草や泉に沸く美味しい水を用意し、リスくんのために奮闘しました。ですが幸いにもそれらのものは必要なく、気がついたリスくんは傷もケガもなく元気を取り戻しました。ところが、どうしてリスくんが転げ落ちたのかと言う理由を聞いたとき、動物たちは耳を疑ったのです。
恐竜――森の動物たちが生まれるずっとずっと昔、いつも空に輝く逆さ虹すらかかっていなかった頃に、鬱蒼と茂る森の中に住んでいたという、大きく逞しく、そしてとても怖い動物たち。どんなヘビより食いしん坊、どんなクマよりも大きく、どんなアライグマよりも暴れん坊な、それはそれは恐ろしい存在たち――それをリスくんは、その目ではっきり見たというのです。ですが、動物たちは最初誰もその話を信じていませんでした。彼らの知識には、恐竜と言う存在はもうこの森にはいない、遥か昔にどこかへいなくなってしまった、と言う情報がはっきりと刻まれていたのですから。
「物知りのフクロウさんはそう言ってたわね?」
「そうでゲスよ~、恐竜がいなくなった後に、オイラたちが暮らすようになったんでゲスから~」
コマドリ姉さんの言葉に、ヘビくんも賛同しました。この森で一番の知恵袋であるフクロウさんが言っている事なら間違いはない、と。ですが、リスくんもそれはよく分かっているし、フクロウさんを嘘つきだって思った事はない、と言いながらも、それでも本当に恐竜を見た、と必死に訴え続けたのです。
本当に見たんだ、信じてくれ――そう叫ぶリスくんでしたが、どうしても動物たちは完全に信じ切ることは出来ませんでした。恐竜がいる、と言うあまりにもムチャクチャな話だからと言う理由に加え、リスくんがいつもイタズラばかり、食べ物を隠されたり歌に変なコーラスを合わされたり苦い草をプレゼントされたり、動物たちは頻繁に困らされていた事も大きかったのです。それでも必死に訴えるリスくんに対し、とうとう暴れん坊のアライグマが怒ってしまいました。
「やいこら!!俺様たちが折角看病してやったのにくだらねえ事言いやがって!」
「だ、だって本当の……!!」
「うるせえ!!気絶したときの夢と現実をごっちゃにするんじゃねーぞ全く!」
正直な話、アライグマくんのみならずこの場にいる動物たちは皆、リスくんが見たという恐竜は木から落ちて気絶している間に見た夢か何かじゃないか、と思っていました。ですが、流石にそれをこんな乱暴な形で伝えられてしまってはたまりません。慌てて2頭を抑え、何とか落ち着かせていた時、ずっとその場を眺め続けていたクマさんが恐る恐る皆に声をかけました。本当にリスくんが嘘をついているのかいないのか、『根っこ広場』を囲む木々なら分かるんじゃないか、と。
「ぼ、ぼ、僕は分からないけど……ど、どうかな……?」
「うーん……それしかナイですネ……」
「そうだよね、私たちだけで判断してもしょうがないし……」
キツネさんの言葉をきっかけに、リスくんを含めた動物たちは全員クマさんの意見に賛成しました。
もし嘘だったら承知しないぞ、とまだ怒りが収まらないアライグマくんを宥めつつ、こうして皆は真偽を確かめるべく『根っこ広場』へと向かい、そしてリスくんは一切嘘を言っていないという事実を目の当たりにした、と言う訳です。
「……ったく、信じるしかねーか……」
「リスくん、その『恐竜』ってどんな姿だったの?」
納得せざるを得ないと考え、改めてその時の情報を尋ねた動物たちへ、リスくんは克明に自分が見聞きした状況を説明しました。
この森の中で一番大きな木を登り、そこに茂る葉っぱを数枚ほど頂戴してふかふかのベッドにしようとしていた時、突然いびきとも地響きともつかない奇妙な音が響いてきました。次第に大きくなる音に興味を持ち、その主をこの目で見てみようと太い木の枝を伝い一番見晴らしがよい場所に移動した直後、リスくんの目の前に現れたのは、鳥ともトカゲともつかない姿をした、見た事もない巨大な動物でした。その大きな目で見つめられた瞬間、リスくんはあまりの事に体が強張ってしまい、大きな何かがその場から去るまで身動きが出来ず固まってしまいました。そして気づいた時、彼の体は地面の下に落ちていたのです。
「それで、その大きな動物サンはどんな姿だったんデスか?」
「えーと……クマさんとも違うし、コマドリさんにも似てるけどぜんぜん違うし……難しいなー……」
「よく分からないでゲスね~……」
ただ、少なくともリスくんが見た動物が、あの『恐竜』である事は間違いないのは確かです。これから一体どうすれば良いのか、リスくんも含めた皆が悩み、クマさんが不安そうな顔を見せていたその時でした。大声で叫びながらアライグマくんはとんでもない提案をしました。そんなにここでうじうじ悩んでいても仕方がない、こうなったらいっそその『恐竜』って言う奴をこの目で見ればいいんじゃないか、と。
「「「「え~~!!??」」」」
「え~~、じゃねーよ!さっきもコマドリが言ったじゃねーか、俺たちだけで悩んでも解決しねーって!」
「そ、そりゃ言ったけど……でも相手は恐竜だよ!?私たち、食べられちゃうかも……」
「ひいっ!!こ、怖いよ~!!」
恐竜がとても恐ろしい動物たちである、とずっと聞き続けていた動物たちは揃って怖気づき、アライグマくんの提案に反対しました。自分よりも食いしん坊の動物なんて恐ろしくて想像も苦手だ、とヘビくんも不安そうな顔です。ですがそんな中で、アライグマくんの無謀な意見に賛成する声が挙がりました。小さい腕を懸命に上げ、きりっとした顔で見つめる、『恐竜』を目撃したリスくん本人(?)です。
「ほ、本気でゲスか~!?」
「リスさん、大丈夫なんでスか……?」
「ぼ、ボクだって怖いけどさ……でもやっぱり気になるよ!それに……」
あの時恐竜を目撃してから、あまり太陽は傾いていない。つまりそんなに時間は経っていない。それならば、もしかしたらここで行かないという選択肢をとったとしても、いつか森のどこかで恐竜と会う可能性は高いんじゃないか――リスくんの言葉を聴いているうち、動物たちの考えも少し変わり始めました。自分だけでいたときに恐竜と会ってしまうよりも、皆で一斉に会いに行った方が怖さは薄れるかもしれない、と。若干消極的な考えでしたが、それでも動物たちは怖く恐ろしく大きな、逆さ虹の森の来訪者に会いに行く覚悟を決めました。
「よーし、これで決まったな!リス、お前もたまにはまともな事言うじゃねーか!」
「たまにはって失礼だなー……でもこれで決まりだね、アライグマくん!」
そして、目撃者であるリスくんを先頭に、動物たちは早速恐竜に会いに行くべく動き出しました。明日にしても怖い気持ちを先延ばしするだけ、だったら今のうちに事を済ませたほうが良い、と言う考えの元に。
「で、でもやっぱり怖い……や、やめようかな……」
「クマくーん、先に行くでゲスよ~?」
「え!?ま、待ってよー!」
こうして、逆さ虹の森に暮らす動物たちは一世一代の決意の元、歩き出したのでした……。