第六十八話 「蛍の島で、今も」
◇
よく晴れた空が島の内部からでもよく見える。
火螢の御島は今夜もにぎやかな目覚めを迎える時間だ。
早くも酔いどれの男がふらふらと倒れこみ、その先にいた狐耳の集団がなぎ倒される。
「くっそが! 酔っ払うのは勝手だが、アタシらに迷惑かけんじゃないよ!」
「そうやそうや」「酒くさあい」「いややね」「あねさま、お洋服がすすけて」
「だあ、うるせえなあ! 女狐どもめ、おまえらも酔ってしまえよ!」
「冗談じゃないよ! なにが悲しくておまえみたいな狸親父と呑まなきゃいけないのかね!」
「そうやそうや」「呑むならいけめんや」「狸親父は出直して」「あねさま、いきましょう」
あねさまと呼ばれる背の高い狐女に四人の狐耳の童女が纏わりつき、あねさまに合わせて狸親父へ各々暴言を投げ捨てる。口の数が圧倒的に足りないので、狸親父のほうは黙るほかなくなってくる。
「そおんなにいけめんがいいのかよ、おれもいけてるとは思うんだがな?」
「冗談はやめてくれないかい」
「そうやそうや」「あっ」「あねさま、あねさま!」「螢守や、螢守がおる」
きゃあきゃあと色めきだす童女たちが指差すほうを見れば、背筋をぴんと伸ばした美青年がいる。鮮やかな緑髪は確かに螢守だ。
屋台の前でなにやら真剣に眺めているから、どうも今晩の夕飯を見繕っているらしい。
「おや、本当だ。相変わらずきれいな顔をしてるねえ、どうせ呑むならああいう男がいいねえ」
「けっ、ババアが若い男望むんじゃねえよって」
「なんだって? もう一度言ってみな」
「いって!」
ぼそりと言った言葉を大きな狐耳はきっちり拾い、狸親父のでっぷりした腹に鋭い拳が叩き込まれた。悶絶しながらその場へ倒れこむ。
と同時くらいに、広間の奥のほうで絹を裂く悲鳴が上がる。民衆の視線がそちらに集まり、螢守は駆け出した。
基本的には平和な島の中だが、わりと頻繁に喧嘩だのなんだのといった問題は起こる。それを解決しに行っているのは螢守なのだ。
「はあ、螢守も大変だねえ。アタシらは最近きたからよく知らないけど、ひとりであんなことしてるんだろう?」
「そうだなあ、ずいぶん昔はちいせえ金髪のやつもいたらしいが、今はあいつとあいつの精霊器がやってるなあ」
「へえ」
◇
「もう、人が嫌がることはしちゃだめなんだからね」
「あい、サーセン……」
聖竜の目の前で正座させられる、一つ目の少年。聖竜の後ろでは同い年くらいの角のある少女が隠れている。涙目であるところを見る限り、悪ふざけが過ぎて相手の子に悲鳴をあげさせてしまっただけのようだ。
「あの、螢守さん、もうへいきです。心配かけて、ごめんなさい」
「ううん、いいんだよ。きみも、仲良くしたいのはいいけど、ちゃんとお話をすることからはじめてね」
「あい……」
ずずずと鼻をすする少年の手を引いて、少女が広場のほうへ歩いていく。
ふたりともこの島へ来て長い子たちだ。戯れが過ぎただけで、大事はなにもなくてよかった、と聖竜が胸をなでおろす。
「あ、いた。だいじょうぶだったか?」
「彩歌。……なにそれ、そんなに食べるの?」
遅れて現れた彩歌は両手に屋台飯を大量に抱え、片手で串焼きをもりもりと食べている。口元にタレが付いていて美形が台無しである。
「いや、おまえに半分あげようと思って。おれ優しいからな!」
「ほんとうは」
「食べたいものに迷いすぎて買いすぎた」
「正直でよろしい」
こんなにあっては今夜はこれだけでおなかがいっぱいになってしまうだろう。先ほど食べるか悩んでいた丼は諦めることにする。
隅の段差に腰を下ろし、並んで屋台飯をつつき始める。
「彩歌はどれ食べるの? オレはなんでもいいんだけど」
「ぜんぶ」
「は?」
「ぜんぶ一口ずつ食べたい。ここに来て選べるなら店の前で選んでるっての」
「はあ……」
彩歌の希望でひととおり半分ずつ食べるということにする。彩歌はいつもこんなかんじで、自分の好きなようにすることをひととおり聖竜を巻き込んでくる。食べ物はたいていいつもそうで、気づけば食事は毎食ともに摂ることになっている。
それが日常になっているから、先の丼も彩歌の口に合うかを悩んでいたのだ。
「しかしおまえも螢守が板に付いたなあ。べつにそんなんやらなくてももういいだろうによ」
「そうはいかないよ。いくら自立して歩いていける世界を作ってるからって、そう簡単にいかないし。せめて街との和解が済むくらいまではやろうと思ってるって言ったでしょ」
もぐもぐと咀嚼しながらの会話。
この島にきているものはたいていみんなこの外では生きていけないほどの偏見にさらされたものたちだ。だからこの島の外以外では生きていけないし、出て行くこともほとんどない。
そのため、聖竜はすこしずつ街のカラスたちと交渉を続けている。
カラスたちは街のほうへ島の住民がいくことにあまりいい顔をしないが、彼らとて羽を隠して生活しているのだ。それを隠さずにすむ世界になるのなら、それも一考の価値ありとしてくれている。
「ほら、あのときに約束したの覚えてる? さつきとさ」
「ああ、忘れるわけねえわな」
さつき、と呼ばれる太陽の魔眼はなんだかんだと未だに代替わりを続けている。その交代の期間が長くなったので、今の彼女は妙齢の落ち着いた女性である。彼らふたりが約束を交わしたのは、彼女よりも数代前の少女だ。




