第六十六話 「秋の友人」
◇
――時は、少し遡る。
太陽色の髪をくるくると指先で玩ぶ少年。珍しく開け放った窓の奥に見えるのは、崩れかけていく赤い結晶体だ。
「終わりが近いね、三つ目の世界がついに終わりを告げるか。六百年――思いのほか、短かったな」
以前の二つの世界は総じて何千年と続いた。それに比べて今回は一千年すらももたずに終わりの日を迎えてしまった。しかし、それも致し方あるまい。
壊れるのは仕方なかった。
この世界は秋――アキ・シュラインリヴァの後悔、想念によってつくられた世界。アキの尋常ならざる後悔と、ある少女への執着が彼の心底に眠る彼の育った場所を模した、世界。
アキが凍結させた心が砕かれ、逃げた現実へ忌避戻された時にその世界が解れ消えるのは当然だ。
「けれど、それもアキだけの話ならば、だがね」
アキを死なせることはしない。死ぬことくらいは別に構いはしないけれど、重ねて言うようにここはアキの心によって成り立つ世界だ。アキが死んでからその世界を新たに引き継ぐ候補が未だにいない。それではここで、この世界はほんとうに終わってしまう。
精霊器たちはだめだ。彼らはヒトなしに発展できる存在ではない。どこまで行っても彼らはただの道具でしかない。
獣人たちでは足り得ない。圧倒的に、その力のひとつもがない。
聖竜たちも――だめだ。あれは根本的に善だ。己が認めた主の幸せを願う本能を有しているから、とてもじゃないけれど、この願いを叶えはしないだろう。
太陽の魔眼――記録者は、ただ記録することを望む。
その結果がどうであれ、世界に望むのは存在し続けることだ。
「さて、アキ」
少年は唇を撫で、その口角はゆるくつりあがる。
「そろそろ僕が助けてあげよう。この岐路を通り過ぎさえすれば、おまえはあと千年くらいは世界を生かすだろうよ。少女という救いを失くし、約束の期限を失くし、すべてを失くしてようやくおまえは世界を維持するだけの機械になろう。自分一人が救われることをよしとしないおまえだ、きっとできる」
くつくつと喉を鳴らし、彼は笑う。記録すべき世界、それがせめて彼にとって面白いものであることを祈るように。
「――けれど、そうだな。その前に、聞いてやろう。今まで顔を見せなかったのになぜ今更僕の前へ立つ?」
沙月は問う。沙月の間の、その隅。陰に紛れて立つその男に。
「――なあ、恵よ」
「…………」
男――恵は武装している。黒い騎士を思わせる衣装は畳の部屋にはひどく似つかわしくなく、手に持つのは刀。そして身に着けるすべてが精霊器。静かだが、確かに彼は殺気を持ちここへ立っていた。
「サザユキにイトエか。どうした、僕を殺しにでも来たようだな」
「……」
「無言か。しかし、たったふたつの精霊器でどうしようというのだ。精霊器などすべて記録済み、唯一なにも知らなかった弦楽器も十年前にここへ来てからおよそすべてを把握した。その能力もなにもかも――それで、ころせると思うのか?」
「――――――ああ、思う。そして俺は、ずっとこの時を待っていたよ」
言うが早いか、恵は地を蹴った。走り、部屋の隅から沙月のいるところまで距離を詰める。そうしていつのまにか抜いた刀の切っ先を沙月の目の前に突き付けた。
あと数ミリで刀が突き刺さるというのに沙月は驚かない。表情は笑みを引いたまま、避ける素振りも見せなかった。
「ほう、待っていた。今この瞬間にもおまえの思惑は見えて透けるというのに? ああ、サザユキでは殺せない。イトエではおまえの心を守れない。どうするつもりなのか、わからないが――」
「ああ、そんなことはもうわかっている。だから、黙ってくれ」
刀を引き、振り下ろす。しかし沙月はそれを事もなげに指先で止めて見せ、恵は舌打ちをする。止められることはわかっていた。太陽の魔眼はありとあらゆる能力をすべて持っているといわれる。見抜き、合わせてとめることなど造作もないのだろう。
「だが、そうだな。ひとつ教えてやってもいい」
「うん? いったい、なにをだい? 精霊器で僕を殺せると思ったことか? それとも今の今まで顔を見せなかったことか。そういえばおまえは出生すらも怪しいのだったな。気づけば僕の島へ来ていて、気付けば僕の屋敷に居座っていた。別段力のある子にも思えなかったから放っておいたけれど、それの答えかい?」
「俺がおまえを殺す理由だ」
いくつも言葉を重ね、ひとり楽しそうに話す沙月に対し、恵はごく端的に伝えた。沙月はそれを聞いても、対して驚く素振りもない。
「ほう、では聞かせてもらおう。そのあとで、僕を殺せる算段をゆっくり、みせてもら、お――――ゥ、ぇえ?」
しゃきんと音がした。何か大事なものとのつながりがきれる音が、した。
それから数秒遅れて、何もかもが見えなくなった。
未来もこれまでの記録も、目の前の精霊器使いの心も、姿さえも。
「ぁ、あ、何をした!? 僕に、何をしたァ―――――――ッ!!」
叫ぶ。これまでの幾星霜とのつながりが一瞬で切断された。それは――太陽の魔眼を持つサツキにとって開闢以来初めての暗闇だったのだ。
「なにを、なにをしたッ! 僕はすべてが見えていた、わかっていた! おまえが僕を殺せないと思っていることも殺したいと思っていることもすべて、見えていた!! だというのに今のこれはなんだ、なぜ何も見えない!!」
「――それは、俺が切ったからさ、沙月さまよう」
背後から突然現れた存在の声に、沙月は驚愕を隠さないままぎぎぎと振り返る。見えない目では誰がいるのかもわからない。いつのまに背後に回られたのか、なにをされたのか。それだってわからない。
だって、初めてきいた声。初めて出会うモノ。そんなもの、あるはずがなかったのに!
「俺はイノリ、ただの薬箱の鋏だよ。はじめまして、だな」
「いの、り……? 恵の隠し玉か、一体どうやって、存在を隠した……ッ! 恵との契約を交わしてさえいるのなら、僕が知らないはずはない!」
「そうだな、それも答えてやるか。初めて知らないモノができた記録者への手向けでな」
恵の声に引きずられるようにもう一度振り返る。その顔には汗がだらだらと流れ、いつもの余裕は微塵も感じられない。
その沙月を見下ろし、恵は言い放つ。
「その精霊器と俺は仮契約のままでな。俺とのつながりはほかよりもずっと希薄なんだよ」
「か、仮契約……? なんで、そんなわりに合わないことを……っ」
恵がぐいと騎士服を捲り上げ体を反転させると、腰の裏あたりに蟷螂を模した痣が刻まれている。
精霊器との契約印には二種類ある。正規の契約であればその印は主を模して精霊器の体へ、仮契約であれば主のほうへ精霊を模した印が刻まれる。仮契約はほとんど主からの魔力供給以外の意味を成さず、正契約を交わした精霊器が器と体の境界がなくなるのに対し、境界がはっきりしているために器と一体化してしまうことができない。
キリギリスがそうであったように、イノリもまた、一度たりとも己が器に心を宿して誰かに使われたことはない。
「それに仮契約だとはいえ、この僕がまったく知らずにこんなところまで来てしまうことなんてありえない……その精霊器とておまえから魔力供給を受けているのなら、ツバメが連れて行っていたわけではないんだろう!?」
「うん、イノリはずっと最初から俺のところにいたよ。なんでおまえが知らねえかっていうと――おまえにみつからねえためにイノリの存在をおまえの認識から切り離したんだよ」
イノリという精霊器は、本人が言うようにまさしく切るしか能のない精霊器であった。
器が薬箱に入るほどの小さな鋏であり、模した姿も蟷螂の雄であったために切れるものの大きさには物理的に限界がある。故の出来損ないと彼自身が認識していたわけだが、事実彼の切れるものは言葉通りのありとあらゆるもの、だった。
たとえば、痛み。
たとえば、感情。
たとえば、繋がり。
たとえば、記憶。
たとえば――その、存在すべてだって、世界から切り離すことすら可能とする精霊器だ。
うそだろう、なんて沙月がこぼす。そんなすさまじい精霊器がいてもいいのか、と。そんなはじまりにすら匹敵しかねない能力が許されてもいいのか、と。
「けどイノリの真価はこんなものじゃあないと思うね。俺では残念ながら、そこまでを引き出せそうになかったけれど」
「俺は買いかぶりだと思うんだが、主が言うのならきっとそうなのだろうな」
イノリはいつものように眉根を下げて笑う。
この計画はイノリが恵に拾われたときにすでに聞かされていた。自分にそんな才があるとは思えなかったし、できるとも思えなかったが、今、できてしまっている。それだけで、ひとり仮契約という扱いを受け入れた甲斐があったというものだ。
「さて。イノリの存在はひた隠しにされ、おまえは最後まで気づくことができずついには魔眼すらも失った。あとは首をおとすだけだ、忌々しい盗人」
ひたりと冷たい刀の表面が沙月の首へ当てられる。その温度は、紛れもなく死の温度だ。命の鼓動をとめ、ぬくもりを一瞬で奪い去る死の温度。
「な、んで――」
「ああ、いってなかったな。俺がおまえを殺す理由」
がくがくと顎を震わせながらも必死に問う沙月に恵はさらりと答える。
「それは単純さ。俺が秋の友人だからだよ」
「え、――――」
「当然だろう? 友人を苦しめる害悪をなぜ許せる? それも秋の落ち度はないに等しく、あったとしても六百年は贖罪にしては長すぎる。十分許されてもいいはずの秋を延々と苦しめ続けたんだ、死ぬより苦しい思いをして死ねよ」
そうして美しい刀身が沙月の身体目掛けて、振り下ろされた。




