第六十五話 「盗人は裁かれる」
「私もアキとリーゼをきちんと導きに行くことにしよう」
くゆりは一筋零れた涙をぐいとぬぐい、立ち上がる。
秋とリーゼロッテの魂は本来、もうとっくに行くべきところへ行っているはずのものだった。けれど、おかしなことになっていたために死ねずにいた。その魂をきちんと帰るべきところへ導くことができるとすれば、それは彼の聖竜であったくゆりだけなのだろう。
くゆりは涙で晴らした目を、眼楽器を携える聖竜へと向ける。
「ほんとうに、それでよかったのだな。世界を語り、世界を騙ることを選んだ終末の聖竜よ」
「――はい」
迷うことなく返事をした聖竜に、くゆりはふっと目を伏せる。決めてしまったのなら仕方がない。もう選択は為されてしまったから、あとは彼の思うがままにするしかない。
世界を語る竜は、秋の代わりに世界を騙り存続させることにした。
「アキのようにひとりで苦しむことになることはないんだな。精霊器――サヤカがいるとしても、ひとり支え続けることは簡単に為せることではない」
「はい、わかっています。だから、ある程度の時間が経ったら、オレも世界から手を引こうと思います。語らずとも紡がれる歴史がきっと正しい世界だから」
聖竜の言葉を聞き、くゆりは頷く。秋を悲しませるようなことだけはしないと思っていてくれるのならそれでいい。この結末以外を選ぶ権利はくゆりにはない。
「ただひとつ、懸念がある」
「懸念……?」
「そう。沙月が顔を見せないことだ。沙月は秋を手放すつもりが無いようだったのに、秋を失うことが見えていただろうに現れない。――なにか企んでないのであればいいが、なにせ読めない奴だ。気を付けろ」
聖竜はこくんと頷く。くゆりを見送ったなら、まず沙月の屋敷へ行くことにしよう。
「わかりました。……あとのことは、ぜんぶ任せてください。オレがんばるので、くゆりさんは今度こそ、秋をよろしくお願いします」
「はは、言うようになったなあ、あの真っ白助だった小さい聖竜が。わかったよ、今度こそな」
深く深く頭を下げ、聖竜は最期に「ありがとうございました」と礼を言う。くゆりはそれを受け取り、聖竜の頭を二、三なでて――そうして、旅立った。
◇
「おい、だいじょうぶか」
人型を取ったサヤカが三人の旅立った方を眺めるばかりの聖竜へ声を掛ける。
サヤカも聖竜もかなり消耗しており、その場に二人そろって座り込んでしまった。特に聖竜は慣れない精霊器の扱いで心を込めすぎたきらいがある。
今は別れの涙すら出ないが、落ち着けばわからないだろう。
ひとりきりにしないと言った手前、それを慰めてやるのはサヤカだ。
「――これで秋はつらく、ないかな」
ぽつりと、聖竜が呟く。秋にそうしてほしいと頼まれたわけではないのに、こんな結末を選んでしまった。秋が少しでもこれでよかったと言ってくれていたのなら悩まずに済んだが――しかし。
「知らねえよ、そんなこと」
サヤカは迷う聖竜の言葉を一刀両断する。
「ただ、あの先代が言っていたみたいにおまえがそうしなければ秋はこれから先も苦しみ続けるかもしれなかった。それだけだろ」
「そうかな……」
「そうだよ。それよかおまえはこれからを心配しておけよ、上手くやんなきゃおまえがそういう苦しい思いすることになるんだからな?」
「それは……サヤカも一緒に考えてくれると思うし、へいき」
「はー、おまえそういうとこあるよな! なんでもっと最初から素直に頼れないんだかな!」
そんなことを言うわりに、サヤカは満更ではなさそうだ。たぶん、もともと面倒見がよい性分なのだと思う。
それよりも。
こんなことをしている場合ではない。まだ問題はもうひとつ残っている――
「サヤカ、沙月様の屋敷を見に行こう。くゆりさんが言ってたこと、気になる」
沙月の怖さを聖竜もサヤカもよく知らないが、少なくとも聖竜が得た知識の中には『サツキ』と名の付く少年のことはあった。
曰く、サツキは代替わりをする。記憶と魔眼の力を代々七つの子に引継ぎ、その精神性自体は永遠を生きているようなものであるということ。七つの子の性別などはとくに関係なく、満七つであるということが重要らしい。
サツキを引き継いだ子はそれ以前の記憶と自我を失くし、サヤカや聖竜も会ったことのある何でも見透かしたような性格を得る。魔眼の力はその一族といえど体にあまり優しくないものであるようで、サツキとなった子は三十を数える前に亡くなる。そうして次へと引き継がれるのだ。
そのスパンの短さから、サツキの代替わりはかなり激しく、サツキのそばにはいつでも幼い子がいる。絶やさないように毎年毎年新たな『候補』が生まれるのだという。
正直、秋が沙月を好まなかった理由が聖竜にもわかったような気がした。
サツキに成れるのは満七つの子のみ。つまり、それ以上になってしまった子はみな総じて命を落としている。例外はサツキを引き継ぐほど優秀ではなかった数名だ。そういう子は何年かに一度きちんと成長を遂げ、次を生む。そうしてサツキはの一族は回っている。
たぶん、秋はその犠牲になっていると思しき子たちを思って心を痛めた。聖竜も正直同じだ。
「その、何千年と生きてそうな魔眼がなんのために秋を生かしたかったのか、虐げたかったのかわからないから、怖いね。サヤカも気を引き締めて」
「そうだな、さっさと様子見にいくか――」
と、たちあがると同時に――
「―――――――――――――――――ッッ!」
それは咆哮。
振り返ると、そこには美しい太陽色の髪を振り乱して一糸纏わずにふらりと立つ少年がいた。白く玉のようなきずしらずだった肌には泥が飛び。
心臓のあたりから、大量の血液が噴き出していた。
「さ、沙月様……っ!?」
「下がれ! 早くおれの名を呼べ!」
「ぁ、サヤカ……っ!」
サヤカの名を呼び、サヤカは弦楽器へ姿を変える。相手は魔眼だ、見られれば一発退場も考えられる圧倒的不利の状況。サヤカに促されるまま、いくつか音をかき鳴らす。これはおそらく障壁みたいなものだ。いつか秋が、月の魔眼にやって見せたのと同じ。しかし、今回は月の魔眼よりもずっと強力な太陽の魔眼。どこまで効果を発揮するかわからない。
「くそ、あの男……僕をコケにしやがって! 僕がいなければこの世界なんて長らくも生きられなかったというのに――!おまえたちもおまえたちだ! 秋を殺すなんてよくもそんなことを……!!」
しかし、沙月はどこかおかしい。いつも余裕たっぷりに秋をおちょくっているという印象だったのだが、言葉にも落ち着きがない。それどころかいくらか幼くなっているようにさえ見える。
「ああ、もう、なんでこんなことに! あれもこれもあいつが……あの男が僕に隠し事なんてするからいけない! この! 太陽の魔眼の僕に!」
『……なんかおかしいな、あいつ』
「そうだね、でも……」
あの錯乱ようでは何をするのかもわからない。せっかく秋にちゃんとつなげると誓ってここまで来たのに、水の泡にされてはたまらない。
ひたすら叫び続ける沙月はしかし、恨み言ばかり発し肝心の魔眼を使ってくる様子がない。この距離、かつ遮蔽物が木しかないこの場所では隠れきることのほうが不可能そうなのだが、おかしい。
「ああ、くそ、ほんとうに――ほんとうにほんとうにほんとうに腹立たしい!! これじゃあ記録が途絶える! 記録できない! そうなったら世界はもう終わりだよ! 聖竜なんて偏りのある語り部なんてなんの役にも立ちはしない! 終わる! 終わりだ、何もかも! わかっているのか、おまえたち――っ!」
なんだかよくわからないがとてつもなく怒っている。じりじりと距離を置き、言葉を交わすほうが危なそうなので口を閉ざす。
するとそれがまた癪に障ったのか、沙月はその筋肉のほとんどない手足でこちらへ駆け出してきた。
「きいているのか、この蜥蜴風情が――――――ッ!」
「……ッ!?」
筋肉がないからそう早く走れない。しかし気迫が激しい。鬼気迫る勢いで、すさまじい形相でその少年――バケモノは聖竜めがけて走ってくる。
あまりの凄絶さに一瞬怯み、サヤカを奏でるのに一歩遅れた。大きく振りかぶったバケモノの鋭い爪が聖竜へと降ろされる――!
「――――そこまで、もう、醜いところを晒さないで。我が同胞」
「ぁ――――――――ぐ、ぅ」
しかし、その手が聖竜を傷つけることはなかった。
ぎゅうと瞑った眼をそうっと開けると、バケモノが白目を剥いて崩れ落ちるところが飛び込んできた。そしてその後ろに、同じく太陽色の髪をした幼い少女。彼女は髪と同様に美しい空を映した色の違う瞳を物憂げに伏せている。
それではたと気づく。あのバケモノになり果てた沙月の眼の色は、両方ともひどく濁っていたのではないか。
「ごめんなさい、新たな聖竜。それにサヤカ。この人はもう死に絶えるはずだった先代の『沙月』です」
「せ、んだい……? じゃあ、君が新しい――」
「ええ、そうなります」
七つの娘には似つかわしくないほど淡々と答える少女。その様子に彼女が『サツキ』を継いだことを思い知らされる。同時に奥歯を噛み締めた。
この少女も秋を欲しがった沙月を継いだというのなら、また聖竜たちに襲い掛かってくる可能性がある。この、少し前まで何も知らなかった少女と争わなくてはならない可能性に苦しくなる。
けれども、それは杞憂に終わった。
「そんなに警戒しないで、わたしは確かに『沙月』だけれど、今までの性格とは完全に切り離されました。これ以後『沙月』は記録者としての役目を放棄します」
と、彼女は無表情のまま、聖竜たちに告げた。




