第六十三話 「世界をかたる竜」
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サヤカに引っ張られるようにして奏でられる音は優しい音色だった。
聖竜からあたたかな思いがサヤカへ流れるのと同じように、サヤカからもこの曲に込められた思い出が聖竜へ流れ込んでくる。
サヤカをつくった少女にして聖竜の母と呼ぶべき存在との輝かしい日々の記憶だ。それは眩しくて秋の記憶に負けないくらいにあたたかい。
それでいて、サヤカからはそれを惜しむ想いが伝わってこなかった。彼はきちんと記憶に別れを告げ、その上でこの曲を奏でている。
なぜだか涙が出た。サヤカにとって大切なのはエマだ。そのエマにもう二度と会えないことをきちんと乗り越えていても、二度と会えないのは、やっぱりかなしいことだ。サヤカが平気だって思っていても、涙が出る。
『……おい、泣き虫は治せよ? おれは終末の魔術師ほど優しかないんだから』
「わ、わかって、るよ」
弦楽器の音色は少女の活動をゆるやかに停止へと誘う。もとより借り物の身体に消耗しきった心。ふたりぶんのあたたかい音は想像以上に乾いた彼女へ浸透し、彼女は抵抗することもできずに意識を手放すことになった。
あっけないといえばあっけない。けれど、そんなものだ。彼女もまた六百年以上を懸命に生き抜き、その間に擦り切れてしまったのだから。
『おまえも、これからそういう別れをするんだからな。ちゃんと笑って別れられるようにしとけよ』
サヤカの呆れ混じりな声を聞きつつ、聖竜は少女を抱える。秋のもとに彼女を連れて行って、そこで、この話はおわりだ。
秋は未だ水槽の中で頭を抱えて丸くなっていた。
傍に座ってその姿を眺めるくゆりも、ひどく悲しげな顔をしていた。
「くゆりさん」
そっと声を掛ける。楽器と気を失った少女を携えて現れた聖竜にくゆりは「来たか」と力なく発した。
「私の語る秋の話はもうすぐ終いなんだが、それを幸せな終わりにするための力は私にない。聖竜としてこれ以上のバカな話はない。私はアキの聖竜失格さ」
くゆりの語る言葉は掠れていて、ほんとうに彼の語りたい秋の話ではないことが伺える。しかし、彼の言う通り、彼がきちんと聖竜であれたのは洪水の前までだ。今の彼は新しい聖竜に役目を引き継ぐためだけの存在に成り下がってしまったのだから。
「ここまでがんばって、ようやく世界の支柱なんてものから解放される。けれどこれでは一筋の救いもない――だから私はここで見守ることを選んだよ。この機を逃せば秋はほんとうに忌々しい魔眼の玩具になってしまうからな」
「――――」
「さて、その少女も一緒に終わらせよう。私が最後に二人ともを黄泉へ導いて、それでおしまいだ。……おまえも、はやく主に出会えるといい。そうしたら私のようになるなよ、当代の聖竜よ。尤も、秋を失くした世界がどうなるかはわからないから、先に謝るがね」
くゆりはよいしょと立ち上がると、そんなふうに謝った。
秋の想像力によって世界は存在しているのだから、秋がいなくなればどうなるかわからない。くゆりが悲しそうな顔をしているのはそれも一因だろう。秋がここまで維持させ続けた世界が壊れてしまうことが、秋の本意であるはずがないのだ。
だがそれしかないのなら、秋が休まる方を選ぼうというのは聖竜として当然の習性だろう。聖竜にとって歴史を語ることよりも自身の生存よりも主が一番大切なのだ。
「ほら、離れていろ。あまり、見たくないだろ」
「――――いいえ。いいえ、くゆりさん」
けれど、くゆりも秋もそんなふうに悲しむことはないのだと。
そうさせないために、自分がいるのだと、聖竜は知っていた。
「大丈夫、くゆりさん。秋の残す世界はオレがちゃんとつなげます。秋の想像力に頼らないで、ちゃんと進んでいけるようにオレが引き継ぎます。秋が悲しい思いをしなくて済むように、くゆりさんだってもう苦しい思いはしなくていいんだ」
「な、にを――?」
困惑するくゆりの手を一度ぎゅうっと握り、聖竜の先輩たる彼への感謝と尊敬をこめた。少女は水槽の傍へ寝かせて、それから秋の水槽の前に立つ。
「サヤカ」
『おう、まかせろ』
そうしてサヤカを構える。まだ聖竜だけで先程のような曲は弾けないから助けてもらう前提ではあるが、秋にも聞かせたい曲だ。聖竜になって消えた幼い白が、秋に貰った全てを詰め込んだ曲。
「ねえ、くゆりさん。オレの主はまだ現れてないんじゃないんです」
「――?」
「もちろん秋でもない。でも、秋はオレの主にすごく近かったんだ。勘違いするのも無理ないくらいに」
そう、そして終末の聖竜の主はいつもそうだ。名前をくれないし、会話もできないけれどただそこに在る。何か間違えたらちゃんと次へつなげられるように終末の聖竜が存在しているのなら、その聖竜はほかよりも魔力も知識も蓄えていなければいない。それが可能だというのなら、答えはひとつだ。
「まさ、か……っ!」
「はい、くゆりさん。オレが秋の世界を繋ぐって言った理由、わかったでしょ?」
「いや、でもそんなこと――そんなことしたら今度はおまえが同じ道をたどるだろう! 名も知らない誰かのために六百年も耐えた秋のことだ、それ以上に親しいおまえがそれをするなら、それこそ秋は救われない――!」
くゆりが心配することもわかるし、自分でも考えた。でも自分が為すべきことがそれだというのなら、迷うことはない。くゆりが秋に対してそうであるように、聖竜も自分と役目に素直なだけだ。
「そんな、世界を語り、世界を騙る竜になるなんて、ばかな真似――ッ!」
『わめくなよ、前の聖竜さんよ。だいじょうぶだ、おれがついてるし、ひとりにはさせねえよ。おれは終末の聖竜につくられた精霊器だぜ?』
「そ、れでも、そんなのは……」
サヤカにそう言われても納得がいかないと表情を歪めるくゆり。ただ、聖竜も待ってはいられない。赤い髪の少女がいつ目を覚ますともしれないのだ。
秋もくゆりも彼女も誰も不幸せになんてするつもりはない。だから大丈夫だ。
「だから――きいていて、くゆりさん」
くゆりさんと秋が続けてきた世界に贈る、精一杯の演奏を。




