第六十二話 「黒漆の弦楽器」
やり方は知っていた。
いつかのどこかで生まれたその契約の仕方は、かつての世界においても幾度となく行われ、多くの契約が人と精霊との間に結ばれた。その記録は聖竜の中にも確かに存在し、しようと思えばそれだけでやり方は自然に浮かんでくる。
聖竜は真黒の精霊へと指を向け、言葉に合わせて空へ文字を描く。
「世界の欠片、キリギリスを模した精霊。汝に名を与え、形を与え、居場所を与えよう。――汝の名は」
――精霊器とは。
本来人と契約し、人の力となるべく生まれた存在である。多くが終末にて主を失い、彷徨う羽目になったとはいえ、それが本来あるべき姿だ。
そして精霊器が道具であるから、あらゆる性能を引き出すには使い手の存在が不可欠である。とりわけ運命の主とでも言うべき存在を手に入れることの精霊器は、道具の姿を大きく変え、能力はぐんと跳ね上がるのだという――
「―――――――――――彩歌」
宙に描いた名を呼び、精霊器がその手を取った瞬間、光が弾けた。
まばゆい光に包まれて精霊器は姿を変える。真に名を得た精霊器に器と体とを分ける概念は要らない。それは仮契約故のやりにくさに他ならない。
メグムとのつながりが上書きされて消えるのが分かる。新たに繋がった回路から流れる魔力はどこか懐かしく、ひどく馴染む。
光が消える頃、聖竜の手には美しい弦楽器が収まっていた。
大きさこそ以前と変わらないが、意匠が細かくなり表面には竜を模した柄が描かれている。なめらかに黒い面に描かれる白い竜はあえてもうここにはいない幼い白を思い出させ、――あるいはあとすこしで訪れる世界の終焉を示しているかのようだった。
溶ける。魔力が体に滲み、境界が溶けていく。それは聖竜にとっては当然初めての感覚であり、――精霊器にとっても、はじめてのものだった。
楽器は重さがほとんどない。軽いが、ちゃんと持っていられる。
「…………サヤカ?」
恐る恐る、手中の楽器に声を掛ける。精霊器の力を彼自身が使うのは見たことがあるが、現状聖竜の手中の収まる弦楽器となってしまった。意志の疎通はできるのだろうかと心配したが、
『あァ、なんだ』
「あ、会話できる……」
会話といえど、脳に直接入るような精霊器の言葉。どうやら魔力で繋がっている回路によって会話が可能になっているらしい。違和感はないが、不思議な感じだ。
「え、っと。オレ、楽器、弾いたことないんだけど、大丈夫かな」
『だいじょうぶだろ、おれ精霊器だし。おまえがしたいことを思って弓を弾いてくれさえすればおれがどうにかしてやる』
したいこと、と言われて聖竜は考える。その答えを出す前に――、
「――どこ? 聖竜、ねえ、聖竜。わたしのアキをたすけたいのでしょう? ならほら、わたしを倒さなきゃ! あははははははははっ、はやく出てきて? 出てきて、ワタ、わたしをコロさなくっちゃ、ぁッ!」
「……ッ!」
少女が近付いてきている。先の熱線のような魔術を走らせながら、ふらふらと覚束ない足取りだ。足を引きずっていて、うまく走れないようだ。
だが逃げるのは違うだろう。ここから遠ざかったとしても、それは最適解ではない。
聖竜が目指すこと、それは秋を救うことだ。そのためには秋が愛した少女が傍にいなくてはならない。その中身がどうも違うのは問題なので、それをどうにかしたいのだ。
しかし彼女の視界に入ると熱線が容赦なく打ち出される。近寄る暇もない。
彼女の身体から意識を剥さないことにはどうしようもないが、そもその剥し方がまずわからない。
「サヤカ、なんかこう、あの子眠らせたりとか、できないかな?」
『眠らす、か……やってみっか。弓を構えろ、あの女の視界には入んないように気を付けろよ』
それ以上の具体的な指示はない。些かの迷いと不安こそあったが、それでもサヤカが言うのなら信じよう。そうっと弓を弦に当て、擦るように僅かに滑らせる。初めてにしては思いの外きれいな音が滑り落ちる。よし、ひける。
眠らせるための歌と言えば、なにがあるだろう。膨大な知識の中には子守唄というのがあるけれど、聖竜は歌ってもらった記憶がない。秋も歌を歌うことはなかったし、そもそも聖竜は音楽に触れる機会がこのサヤカとの接点だけなのだ。
眠らせる、眠らせる。安らかな音楽。思ったよりも想像ができないけれど、少女はほんの数歩先まで迫ってきている。木の裏に隠れる聖竜には未だ気付いていないようだが、身動きひとつで発見されるだろう。大切なのは、最初。
「――――ふ、ぅ」
呼吸を整える。聖竜は精一杯の優しさと安らぎが滲むように心を整えて、優しく弾くだけだ。もとより音楽の経験がないことはサヤカも知っている。
なによりサヤカは精霊器であり、ただの楽器ではないのだ。聖竜が至らない分を補填してくれることだろう。
「ねえ、どこぉ? この近くにいるのでしょう? 遠く遠く離れたらアキが心配ですものね! あは、はははっ! あはははははははっ!」
狂ったように笑う少女が聖竜の隠れる木の横を通る。それを合図に、すうっと弓を構え――一気に弓を弾く!
いくつかの音が掻き鳴らされ、それは子守唄となり少女の耳へ届く、ことはなく。
とても子守唄とは思えない音が出た。弾いた本人もつんのめるほどの。
『っおい、弾いたことがないにしてもひどすぎるぞコラァ!』
「うわごめん、ごめんオレもびっくりした!」
「……ひどいおと。そこにいるのね? 聖竜、かわいい聖竜、どんな無駄なあがきをしようと――したのかしら?」
熱線が放たれ、間一髪聖竜は回避する。一歩回避が遅れれば、首が焼けていたかもしれない。現に木は轟音を立てて倒れ、にこやかにほほ笑む少女と向き合う形になった。
「精霊器と契約、したの? でもお歌の才能はないみたい。だめよ、もっと練習しないと――そんなもの、させないけれど」
『そんな言葉きいてんな、それよりもっと静かで安らぐ記憶を思い浮かべてろ! あとは優しく扱え! 想像以上にへたっぴだったからおれが多く負担してやる!』
「わ、わかった」
安らかな記憶ときいて、まず思いついたことはこの島へ初めて来た頃の記憶。狭い部屋で一枚しかない布団に寝かせてくれた秋に申し訳なくて、部屋の隅に寝ようとしたとき、すこし揉めた後に同じ布団に寝てくれた時のこと。
そのときは秋よりも小さかったから、秋にすっぽり包まれて眠ることができて安心した。
だって、ひとりきりは怖かった。心臓の奥から湧き上がる焦燥感が怖くて、心細くてひとりで眠るのが怖かった。眠ってしまえば平気でも、眠るまでが嫌で仕方なかった。
熱線を容赦なく放ってくる少女から再び距離を取り、木の上へ逃げる。そこからいくつか渡り、隠れる。少しばかりの時間稼ぎだ。少女は木々をなぎ倒しながら聖竜のいる場所を当てるだろう。
聖竜は目を閉じる。もう十年も前の、あたたかいあの記憶を思い出す。
秋はよく抱きしめてくれた。布団の上から背中をとんとんと撫でて、その掌から穏やかな波の音を感じて、心地よかったことが思い出される。
それだけではない。秋の掌に触れて感じる波の音は、幾度となく白刃の制御ができない聖竜をおちつかせてくれたではないか。
引いては打ち寄せる、荒ぶることの無い波の音。
――――――嗚呼。
オレにとっての、子守唄はあの波の音だった。
◇
一方、サヤカは聖竜から流れ込む水に似た形を取る魔力を感じていた。
――なるほど、当然といえば当然。
波の音から伝わってくるのはただただ穏やかで安堵を覚える感情。サヤカがかつて殺したいほどに憎んでいた存在は、自分の心をすり減らしてなお自分を頼る幼子にこうまで優しくすることのできる性根だった。
それがいかに歪なことか、おそらく本人は気付いていないのだ。すでに絆されたサヤカにその様相はあまりに痛々しく見える。
だが、それよりも今は。
――どう、音楽に乗せてやるか、が考え物だな。
精霊器を扱う担い手の心はもう受け取った。熟練の精霊器使いであれば乗せて奏でるところまでをやるのだろうが、音楽のセンスの欠片もないのはさきほどを見ての通りだ。今回はサヤカのほうで調節してやらねばなるまい。
弓が弦に触れてさえいればどうとでもなるし、あとはどんな曲にこの波の音を乗せてやるか、なのだが――
壊れている女相手となると生半可な曲では届くまい。彼の心だけでなく、サヤカ自身の想いをこめて底上げできるようなものでないと難しい。
記憶をたどる。短いフレーズならばこの十年でも何度か弾いたが、きちんと弾ききったことはない。精霊器である以上弾けばそれなりに魔力を食う。メグムとは仮契約であったし、魔力を吸い過ぎないという約束の元その関係を許されていたからあまり無茶はできなかった。
けれど今の主は世界をかたる聖なる竜だ。魔力の量は人の子と比べるべくもないし、他に契約している精霊器もいない。
――なら、やっぱり、あの曲か。
『おい、やるぞ! いいか?』
「うん、いいよ! いつでも! なんとなくこう、優しく弾けばいいんだよね!?」
『おぉ、そうだ!』
多少ぎこちないが大丈夫だ。サヤカは譜面をひとつ、頭に浮かべてそれを回路を通して主へ伝える。
サヤカにとっては弾き慣れた曲。散々エマに弾いて聞かせたのに、結局エマに弾いてもらうことは叶わなかった曲だ。それがこうして、彼女の仔によって弾かれる日を得た。
かくして、その曲は響くことになる。




