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Re:you  作者: 日櫃 類
第五章 最期の魔法と世界竜
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第五十七話 「ページの最後にオシマイを書くために」



 はっと意識が浮上する。真っ先に視界に入ったのは天井だ。



「おう、起きたか」

「……い、のり?」

「ん、そうだぜ」



 キリギリスの枕元でごりごりと何かを潰していたらしい白衣の少年が鉢抱えたまま、片手をあげて挨拶する。なんだか久しぶりに見るような気がする顔だ。



「体調はどうだい? 夢見はそんなにわるくなさそうだったが」



 体調は問題ない。体のだるさはあるが、寝ていたあとにおこるものだろう。体を起こすと、頬が濡れていることに気付く。袖口で拭い、ずると鼻をすする。

 イノリに淹れたてのお茶を渡され、その熱さに指がしびれる。

 特に変わりないイノリに、むしろ違和感を覚えた。その違和感の理由を探り、はたと思い当る。メグムのところへ来る前、沙月の間から帰る途中のことだ。

 なぜ迎えがイノリではないのか、ときいたキリギリスにトモリは、



 ――「イノリは、だめだから」



 とそれだけを端的にひそやかに言ったのだ。だめというからには調子でも悪いのかと思ったが、いつも通り元気だ。



「イノリこそ、体調とか悪くないのか」

「俺か? 俺はいたって元気だな。どうした?」

「いや……」



 きょとんとするイノリにトモリが言っていたことを話す。抜けた顔でふんふん頷いていたイノリだったが、聞き終えるとふうむと少しばかり真面目な顔をした。



「あー、そりゃあれだな。おまえさんには言ってなかったかもしれんが、俺は沙月様の部屋に行けねえんだ。理由はちょっと内緒だけどな」

「いけない?」

「そう、行っちゃいけねえって言い含められててな。悪いがこの話は主に許可貰わねえとできない。おまえさんも起きたことだし、主を呼ぶぞ?」



 そう言われてしまっては出られない。黙るキリギリスを肯定と見なしたのか、イノリは奥の襖を開ける。ごろりと後ろに倒れて「主、起きたぞ」と呼ぶという横着をメグムに怒られるが、気にしない。



「大丈夫か、キリギリス。ぜんぜん目を覚まさんからさすがの俺もびびったぞ」

「ん……そんなにか」



 体感的には二つの場面を見せられ、エマとの別れを終えたせいで一時間やそこらじゃすまない感じはある。そうはいっても現実問題それほど経っていないだろうとも思った。外は月が隠れているものの、夜のままだ。



「そんなにだよ、なんなら六日目だ」

「――――は?」

「だから、六日目。夜が明ければ終末の七日目を迎える」




   ◇





 水の音がする。

 体の内側で遠退くような、近づくような、漣の音。

 穏やかな波の音。荒ぶることはない。

 ただ、静謐(せいひつ)に。

 皮膚の下を、筋肉の表面を、骨の間を、――血管の傍を。

 柔らかく、包み込むように、流れる水の感触が在る。

 その感触はずっと。前の世界が滅び、新たな世界となった後から――ずっと。

 彼の身の内にあり、それは彼が彼である限りずうっとあるはずのものだった。


 世界を創りなおしたのは彼の中にあった魔力の残滓。

 世界を構成したのは彼が生まれ育った異界の小さな島国の知識。

 世界を維持し続けるのは彼の罪の意識と彼女への後悔。

 すなわち世界の心臓は彼であり、彼の身体は世界であった。彼の心ひとつで滅びることが可能、かの翼人がいつだか言ったようにこの世界はひどく歪であった。彼はそれをしないために懸命に心を殺し、懸命に彼女のことだけを思い続けた。つまるところこれはそれだけの話であり――




 ――世界(かれのからだ)は、(みず)で出来ていた。





 どこで間違えたのだろう。何が違ったのだろう。

 それは今になっても結局分からず仕舞いで、記憶も気持ちもどんどん消えていくのが分かる。

 あの緑髪の男は誰だっけ。

 どうしてあんなによく気にかけてくれるんだっけ。

 あの男の本当の名前を知っている気がするのに、思い出せない。

 ただ、『くゆり』という名が偽物だということだけ。



 あの子はどんな顔だったっけ。

 大好きだったのに名前も顔もぜんぜん思い出せない。

 鮮やかな赤い髪だったことと、最後の言葉だけが脳裏に焼き付いている。



 誰だっけ。何だっけ。なんでこんな苦しい思いを続けているんだっけ。

 もう嫌だ。もう苦しい。もうやめてしまいたいと思うのに、他でもないこの心臓がそれを許さない。

 もう忘れて遠い記憶にどうにか縋りついて六百年。もうそんなにも経ってしまって、それで――



 ――「魔法の名は、『Liselotte(リーゼロッテ)』」



 その言葉と、赤い結晶体の中の赤い髪。

 それが愛しい少女だったことだけが稲妻のように意識を貫き、苦しくなる。

 ああ、どうして。

 どうして、そんなところに。

 どうして――そんな、姿で。

 ずっと。

 ずっと。

 六百年間ずうっと、ひとりでそこにいたのだろうか。

 自分が呆けて六百年を無駄に過ごす間に彼女はずうっとそこにいたのなら。

 挙句の果てに憎きエルフに体を蝕まれてしまう事態を招いてしまったのなら。



「――俺は、なんて、ばかなんだろう」



 頬を伝って落ちる水を拭われる感触があった。腫れぼったくて大きく開かない目をなんとかこじ開け、その手の主を辿る。

 くすんだ緑髪と見慣れた顔――くゆりだ。確かにくゆりだと思うのに、その名に疑問が湧き上がる。くゆり、と口の中に転がしてみるが、おかしな感じだけが残る。



「やあ、秋。ずいぶん泣いていたね、目が赤いよ」

「おま、えは……くゆり、じゃあないのか……?」

「いや? 今はくゆりさ。できれば秋に付けてもらった唯一の名で呼んでほしいが、それはもう叶わんだろうよ」



 秋を見下ろすくゆりの顔は陰になってよく見えない。声音を伺うと、いつもの軽薄そうで何を考えているのか分からないくゆりの声だ。



「叶わなくてもいい。オレのその名は、おまえを救いきれなかった時点でもう呼んでもらう資格は失くした。あとは――おまえがきちんと向き合って、清算してくれさえすれば、それでいいんだ」

「せ、いさん」

「そう、清算だ。もう夜が明ける。明ければあの赤髪の少女が目を覚ます。中にいるのはおまえが好いた娘ではないかもしれないけれど、それならばまたきちんと眠らせてあげるのが、おまえの役目だろう」



 終わらせ損ねた秋が、今度こそちゃんと終わらせるために。

 けれど秋は立てない。腕にも足にも力が入らないし、息をするのすらうまくできない。なぜ立てないのだろう。立てない、立てない、立つ気力がない。

 涙だけが落ちるだけで、もう動く気力すら持てなかった。

 六百年。結局何も実を結ばなかった。どころかこぼすばかりだ。すべてを救いたくて、やり直したくてこの世界をぎりぎりのところで維持してきたのに。

 くゆり、と震える声で呼ぶ。くゆりはなんだ、と優しく答える。



「俺、間違ってたのかな。リーゼを、待つしかできなかった」

「いいや、おまえは間違っていないよ。おまえはできることを精一杯にやってきた」

「でも、俺は結局リーゼに気づけなかった。六百年も、あんな冷たい土の中に眠らせたままだった」

「いいや、気づかなかったんじゃない。気づくことをさせてもらえなかったんだよ。お前は悪くない」

「…………もう、疲れた」

「ああ、そうだろう。だからリーゼを連れて、終わりにしよう。秋がここまで、痛くてもつらくてもそのこころを壊さずに来られた意味を、なかったことにしたらいけない」

「…………」

「さあ、秋。これで終いだ。立てないのなら私が連れて行ってあげよう、ここでいけなければ秋はもう二度と終わりを迎えることができなくなってしまう」



 くゆりは呆然と視点の定まらない秋を抱きかかえ、立ち上がる。秋は特に抵抗しない。ゆるやかにくゆりを見上げて繰り返す。



「終われない」

「そう、終われない。終わらせてもらえなくなる。秋、私はおまえがこのさきずうっと世界に縛られ続ける姿を、おまえの幸せとして語りたくはないよ」

「しあわせ……」



 くゆりの言葉を、秋は半分も理解できない。今このときも、秋は意味のわからないことを言う、と怪訝に思っていることだろう。だが、それでも。



「秋」

「……うん」

「どうか、せめて柔らかで安らかな終わりを、秋に望むよ」



 望む。秋を、解放することを望む。世界に縛り付けられたまま永遠に存在し続けなくてはいけないなんてこと、ないのだ。

 秋がするべきは、ただひとつだとくゆりは知っていた。

 そのただひとつは、彼女の前にさえ立てば、秋はできると確信も。

 それで終わりだ。それで終い、それが世界の終焉だ。

 秋が嫌がっても、秋が悲しんでも、そこを終わりとする。



「さあ、秋。行こう」



 




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