第五十四話 「□□□はいなくなる」
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夜風は緩やかにアキラとくゆりの身体を撫ぜる。体を芯から冷やすような風だけれど、それを気にする間もない。
「秋の中には呪いがあった。世界を水に沈め、肥大化したそれをもとあったように――はじまりへ帰すための呪い」
しかし、それは秋にも秋の傍の誰にも悟らせず、大きく育ってしまった。秋の中で育ちに育った水の呪いは、あとはもう秋の手におえるものではなく、呪いをかけた本人でさえ、もうどうにもならないくらいに。
秋は、幼い少年だった。世界を滅ぼすほどの呪いを抱え、どこにも逃げることが許されない状況で、心がついていかないのも、立てなくなってしまったことも仕方がないだろう。
勇気はある種才能であり、恐怖を押し殺して立つことができない人がいたとしても、なにも不思議はない。
――結果、彼と世界を救ったのは、いつか彼が救った少女なのだ。
「それで……秋は、どうなったの?」
「それだけさ。どこで間違ったのか、ずっと考えていてもわからない。そのときに最善を尽くしてきたはずだったのに、気付けば秋は世界を水没させる爆弾にされていて、その爆弾を完全に爆発させなかったのはその少女だ。オレは語るしか能がなく、英雄も世界もなくなったあと――この話を次の聖竜へ語るためだけに、無様に生き延びてしまった」
くゆりは遠い空を仰ぎ、彼のくすんだ緑髪が風に靡く。
その呪いの引き金は、秋がきちんと呪いを発動させた場合、すべてが終わった後で、呪いのかけ主に戻るはずだった。だが少女がそれを邪魔したせいで引き金の大部分は秋の中に戻ってしまった。
つまり、あの聳える赤い結晶の中にいるのは、残りの引き金を宿した少女の身体を手に入れた何者か――おそらく、呪いを失敗した最初の術師だろう。
「聖竜の髪は最初まっしろだ。それは知識と歴史と、そういう大切な物を得るごとに美しい緑髪へと染まる。私が秋の聖竜である限り君が秋を主とすることはない。――もう、分かっただろう」
茜色の瞳をすうと細め、くゆりはアキラを見る。秋は未だ深く眠り、冷たい風に少し身を捩る。秋の金髪を指に通し、髪はさらさら指の隙から落ちる。
アキラはその秋の姿を見て、目を閉じる。
アキラの中にずっとあった違和感、秋の傍にいると落ち着くのに秋には自分が合わないと感じ続けた日々。
じっとしていることを許さない苛烈なまでの好奇心や、圧倒的な吸収力。
それらの答えを今得た上で、アキラは、一つ答えを得た。
「――することは、もう、わかった」
ありがとう、くゆりさん、話してくれて。
ありがとう、秋。ひとりきり、迷子のオレを助けてくれて。
眠る秋にこの十年の日々を見て、アキラはうっすらと微笑む。その笑みはすでに迷うばかりの少年のものではなく、覚悟を決めたそれであった。
うっすら顔を出した月が照らす、その、鮮やかな緑髪――
その日――白は、いなくなった。




