第五十二話 「アキ・シュラインリヴァの聖竜」
目を覚ましたのは、空が最も近い場所だった。
満点の星空がまず目に入る。雲の一つもなく、風もあまりない。冬の夜故の刺すような痛い冷気が肺に入って、体の芯が心底冷えていく。
「起きたか、アキラ」
「くゆ、りさ……ん?」
その横で胡坐をかき、月を見上げていたのはくゆりだ。煙をくゆらせ、ふうと白い息をふく。くすんだ緑髪が月明かりを受けて煌めいている。
「ど、して……」
「おまえに話をするためだ。本来であるのならおまえが自力で気付くことを望んだけれど、あの女が現れた時点でお前の本物の主が現れないとなれば待つ時間は終わった」
冷えた風と体で意識は急速に冴える。体を起こし、くゆりに向き直って姿勢を正す。くゆりの奥には、険しい顔をして眠る秋がいた。
「あ、あき……? くゆりさん、本物の主って、なに……?」
「言葉のままだ、そしてこれから私は、私の知るアキという男の話をする。――それで、無様にも生き残ってしまった私の役目を終えることになろう」
なんの、話をしているのだろう。
眠る秋の金髪に指を通し、緩やかに撫でてやりながら、くゆりはその茜色の目をアキラへと向ける。その様子に、六年前の夜のことを思い出す。
――「私は秋の味方だ」
ただ、衒いなく言い放ってみせたそのしゃんとした姿。アキラがどうあがいてもああは在れないと、思ってしまった姿。
今のくゆりはそんな姿だった。
星空を背負い、秋の頭を撫でて、冷たい夜風に姿を縁取られてアキラを見据える。自然と伸ばした背筋がさらに伸びた。
「そうだ、先に自己紹介をしておこうか。私の名しか、おまえには言っていないからな。秋も忘れているし、おまえは知らないだろう」
そう言って、くゆりは。
「私は聖竜。世界を形作る英雄譚を語る語り部であり、私はアキ・シュラインリヴァの聖竜。――これから私が語るのは、私の英雄アキの物語」
と。
ひどく悲しげな面持ちで言葉を紡ぐのだった。
◇
宮川秋という男はそもこの世界の人間ではない。
隣り合った平行世界のどこかから、翼人の創った世界をよからず思う長耳族の少女によって、連れてこられたただの十五の少年だ。こちらで生きていくにあたり、名をアキ・シュラインリヴァと変える。
こまっている人を見捨てられず、助けを求められたら震える足のまま駆けつけてしまうような優しい心根の持ち主だった。彼の生まれ、十五年生きた世界では命の危機にさらされるような場所ではなく、最後の最後まで、彼は人を傷つけることを好めなかった。
私がアキに出会ったのは、アキが友を探していたときだった。アキ自身が何度も元の世界とこちらの世界とを行き来させられていたときのことだから、そのはずみではぐれてしまったのだろう。
アキをこちらに連れて来た長耳族の少女は未熟だったし、試行錯誤をしている際に繋げた二つの世界の因果を少しおかしくしてしまった。だからアキも二度三度行ったり来たりをさせられて、私も皆も探し回ったよ。同じ世界に居ないのだから、探しても無駄なんだけどもね。
私は聖竜だから、当時里を出て自分の主を探していた。自分が守るに値し、世界を変えるだろう英雄を探して、人の世をうろうろしていたんだ。ただいささか問題があった。
私は今でこそ二本脚だが、まあ、私も出来損ないでね。下肢が竜のままだった。足の鱗はその名残さ。
本来聖竜は竜の幼体として生まれ、自我の目覚めとともに人の姿へと移行する。私はそれが上手くいかなかったんだね。下肢を竜のまま人の世に行けば目立つし、面白半分に見世物小屋にでも連れていかれてしまえば私の英雄を探せなくなる。それで私の母上はなんとか、足を隠す魔法をひとつ教えてくれた。
それも長時間は持たないから、こそこそと行動することは必要だったけどね。
そんな私がアキに出会った。
年の割に小さくて細腕で、頭もずば抜けていいわけでもないただの少年。そのころは今ほどの魔術も修めていなかったから、まさしくただの少年だ。
聖竜の主は出会えば分かる。私には、それがアキだったのだ。
しかし聖竜にも選ぶ自由はある。いくら本能に言われようと契約してしまう前ならいくらでもほかの候補者を当たれる。結果世界に認知される『英雄候補』の数だけ聖竜が生まれるのであって、その英雄候補のさらに候補はまたたくさんいるのだからね。
ひとまず、私はアキと行動を共にする。
脚を隠さねばならないから適度に距離をおき、今にして思えばなかなか怪しい男だったと思うよ、我ながら。
アキが探していたのは赤髪の少女だった。どうも元いた国から追い出されてしまったらしい。その少女を探すためにあらゆる手段を講じては失敗し、けれども怪我すら厭わなくなったアキに私は少しばかり引いた。
だってそうだろう。自分すら守れない男が世界など変えられるものか。
目当ての少女にたどり着いたとき、自分が見るも無残な姿であれば意味などない。けれど、アキは実際、そうではなかった。
痛いことも嫌いだし、傷をつけるのもつけられるのも嫌いだった。
でも、もしも彼女が痛い思いをしているのなら、自分だけはのうのうと安全な場所で息をしていることを許せないやつだった。できないことをできないというのは悪ではないし、できるひとに任せてしまう判断ができることだってある種の才だ。だから、秋はそのあたり欠如していたのか――あるいは、持ちすぎていたのか。
そうして私は秋の救いたがる少女を見て、息を呑む。
それはいてはならないもの。在ってはいけないもの。だから創世者が二つ目の世界へ持ち出さなかったはずの存在だった。
ことそこに至るまで秋はその正体に気付いてはいなかったが、その場で知らされても秋は顔色のひとつも変えなかった。
――「そんなの知ったこっちゃない、俺は俺の大事なその子が泣くところが一番見たくない」
と。
迷いなく、ただその子の涙が見たくないという理由だけで禁忌の存在を救い上げてしまった。そんな秋だ。やさしくて、自分の大切なものが傷つくのをひどく嫌がる、ちっぽけだけれど強い男。
だから私も、私という聖竜が語る物語として秋が相応しいと思った。いや、私が、彼という物語を語りたかった。
彼は快く受け入れてくれた。秋に名前をもらい、私は完全に秋の聖竜となった。
――しかし、ことは、うまくいかない。
どこで間違えたのか、何を拾い損ねたのか、今となってはもうわからない。
ただはっきりしているのは、私は秋を語り損ねたし、秋はあと一歩、勇気の一歩が足りなかったこと。




