接続章 「夜明けの一幕」
◇
「――っげほ、は、ぁ」
島の外。内部から打ち上げられた蓮月は水面に落ち、なんとか岸まで泳いできたところだった。
てっきり街のほうへ飛ばされることかと思ったが、よくよく考えてみればそれは有り得ない。もうすぐ夜明けで、島が眠りに付く代わりに街が起き出す時間だ。あきらかに島側の人間である蓮月が街にいることはどう考えても問題だし、空から降ってくるなんて論外だ。
団長が追い出されたとなれば雑技団も今夜あたり発つだろう。彼らはきっと蓮月を心配してくれるだろうから、帰りに拾ってもらおう。
格好悪いところを見せるが、仕方ない。疑念を抱くやつがいるならまた書き換えればいいだけだ。
ともかく、大量の水を髪や服が吸って動きづらい。岸に上がってまずは服と髪を絞ることにする。
と、その時。背後にひそやかな気配があった。
「…………」
慌てて後ろを振り向けば、首に鋭い切っ先が突きつけられる。片刃の美しい武器――いわゆる刀、というやつだ。
「……アナタは」
「あんたに名乗る名はない。ただ、ここで死んでもらうだけだ」
「な……精霊器のアナタがワタシになんの恨みが……」
黒いマントを深くかぶり、長い前髪と鋭い眼光がその下から蓮月を睨む。名は知らない。正体も知らない。気配が精霊器であることがわかるきりだ。
精霊器であるのなら主がどこかに居るはず。それ以前に精霊器くらい、月の魔眼、で――
「悪いなあ、団長さん。その魔眼の力、切り離させてもらった。もう使い物になんねえと思うぜ」
黒マントの男の後ろから現れたのは年端もいかない少年だ。白衣に袖を通し、銀鋏をしゃきんと鳴らしている。茶目っ気というか、悪戯っぽく言う少年の言葉はいったい何だった?
思わず両目を開く。左右違う種類の魔眼だから両目を同時に開けば脳が耐えきれないがそんな心配をしていられなかった。そしてその心配は無用であった。
「な、なんで……さ、沙月さまから授かった、ワタシの魔眼……ッ!」
「だから切り離したんだって。その眼にゃもうなんの力もないぜ、俺は切るしか能のない鋏なんでね。それすら失敗したとあっちゃあ主に顔向けできねえや」
「あ、あるじ……?」
この島にいて、精霊器を扱う者といえばひとりしかいない。生まれて数百年と経つだろうが、ただの一度も蓮月に顔を見せたことのない男がひとり。
男は頑なに蓮月に会おうとしなかった。沙月の屋敷の中にいるのは知っていたが、沙月の間から遠く離れた部屋に籠もって出てこない。別段興味もなかったから放っておいたが――そいつの精霊器がなぜ、蓮月を手に掛ける?
「なんで、と。まあわかんないと思うよ、蓮月」
ふたつの精霊器の背後。黒い騎士服に身を包んだ年若い青年が歩んでくる。ずっとそこにいたのか、なんて聞くまでもない。明らかな重装備だ。ふたつの精霊器、着ている服だって精霊器だ。魔眼を無効化する手立ても用意してあり、これは狙われたとの答え以外がない。
こんなにも若いのか。数百年隠れ続けた精霊器使いは。
見た目はさしたる意味を持たないけれど、それにしても。
「そう、俺は待っていたよ。数百年、あんたがこういう不祥事を起こすのをさ」
「なんで、そんなことを……ワタシは沙月さまの思うままに……」
「あー、いい。知ってるから。沙月さまは優しいんだもんな、この島も雑技団もよしとしないやつには優しく言い聞かせてやる。そのための魔眼だったんだろ?」
そうだ。沙月さまは優しい。どこにも行き場のない因子を持つ者を集めて、楽しく暮らせる場所を作ってくれている。外は危ないから、島に来た方が良いから――だから連れてきやすいように魔眼をくれた。
「うん、それをあんたが信じてるならそれでいいさ。俺も俺の信じる道を行くだけだからな。――小雪」
黒マントの名前と思しきそれが呼ばれ、黒マントは無抵抗を示すように目を瞑る。同時に淡い光とともに彼の姿は先程持っていた刀へ吸い込まれていき、刀は青年の手の内に収まった。
「さ、て。サザは切れ味がいいからね、祈る時間も懺悔の時間もないと思うが――まあ、こんな事態を放っておいた自分と沙月を恨みな」
そうして、刀が振り下ろされた。ざ、しゅと血が舞うのが見えて、長きに渡る蓮月の命は幕を下ろした。
ああ、沙月さま。さつきさま。さつきさま! あなたの、お役に立ちた、かった――
刀身に付着した血を布で拭い取ってからサザユキを人の姿へと戻す。
「大丈夫か、主。怪我は……ねえな」
「する要素なかっただろ、イノリ。大丈夫だ」
イノリがそりゃよかった、と笑う。
サザは今命を落とした大男の目玉を抉り取り、死体を水へ突き落す。この中で一番ガタイがいいのがサザだ。イトエを着ているメグムでもそれはできるだろうが、まあ、サザはわりと汚れ仕事を進んでやる傾向にある。
太陽の魔眼から直々に与えられた魔眼は蓮月で最後だ。レイロットは別のどこかで拾って来たのだろうし、これでこの世界に沙月の指先となる月はもういないことになる。
精霊器を集めて旅をしていた頃からして、よくもここまで魔眼を殺し尽せたものだ。抉った魔眼は美しい夜の色をしており、サザはそれを布にくるんだ。
これはあとで、雑技団の倉庫にでも放り込んでおく。
「ああ、ありがとう、サザ」
「別に。このくらい当然だろう。……それより」
サザの切れ長の目が前髪の隙から真摯にメグムを見遣る。言葉の少ないサザは、存外目で語る。その様子には思わずイノリも真面目な顔をした。
「もう、これで引き返せないぞ。ほんとうにこんな修羅の道を往くんだな」
「…………」
今回、蓮月と接触しないと設けていた制約はキリギリスによって破られてしまった。行って聞くようなたまでないことは分かっていたし、なによりどうも秋のところの少年を妙に気にかけている節があった。なので、結果としては動く準備をしておいてよかった、とそんなところだ。
メグムも良い機会だったと思う。キリギリスが動かなければ少年はレイロットを刺せなかっただろう。秋がレイロットの止めを刺すことになっていたらそれはそれで事態は収束しただろうが――
まあ、そんなことにならなくてほんとうによかった。そうなっていたらメグムはまだ隠れ続けていなければならなかったのだし。
仏頂面ではあるもののメグムの行く末を憂いてくれているらしい愛刀には、
「ああ、もう引き返さない。最後まで――終わりに向けて走るだけだ」
とそれだけの言葉を答えとした。
サザもそれ以上問うことはせず、「そうか」と呟くとフードを深く被りなおした。これは言わずとも、「オレはあんたについていくから文句などあるものか」とかそんなそんな感じの意図が込められている。
イノリも「ここまでいやに長かったように思えるねえ」とからから笑う。
そう、長かった。長かったけれど――それももう終わる。
あとは最後の一歩に失敗しないよう刃を研ぐするのみだ。




