第四十話 「いびつな世界とやさしいアナタ」
思えば、ずっとそうだ。秋を殺すと言うわりに殺意の乗った言葉をあまり吐かない。秋が憎いのは確かかもしれないけれど、それにしたって言動が穏やか過ぎる。
秋を憎いと、世界を壊すというのなら邪魔をするアキラに殺されたがるようなことは、ないはずではないか。
「おい、アキラ。変に言葉を交わすな、止めを刺す時にしんどくなるだけだぞ」
「で、でも、話してわかるならその方が……」
「わからねえよ。わからねえって、さっきからずっと言ってただろ」
演奏を止めないキリギリスが迷うアキラを制す。
彼はずっと言っている。秋を助けたければ、秋の世界を守りたければレイロットを倒すほかないと。
それが今でも分からないのは、アキラがその手で意志を以て誰かを傷つけることが怖いからだろうか。
「アキラがオレの喉を突けないなら、アキラとキリギリスは連れて帰るだけだけどね。ほら、ゆっくりしている暇はもうないよ?」
言われてはっとする。期限は夜明け――太陽が顔を出せばこの茶番も終わる。
島の丸い空もわずかに明るくなり始めていて、時間のなさを思い知った。手の中に残る白刃を強く意識し、それをレイロットへ向ける。秋を脳裏に思い描き、それ以外を消す。
もう何度目になるかわからないこの相対。レイロットも細剣を構え、キリギリスの演奏が佳境を迎える――
「――――――――」
後押しされて、間合いを詰める。
まっすぐ狙ってだめだった。無尽蔵に出せるなんて、嘘だ。二つをどうにかするのに必死でそれ以上まで意識が回らない。でもここで、ここでどうにかしないといけない――!
「……ッあ」
「ぁ、なんで」
細剣を払おうと右の白刃を振い、逆にそれを返されると同時に手の甲から数本白刃が飛び出でてレイロットの首を掠る。驚いた顔をしてアキラを見るも、それはアキラとて同じ。
立役者は別にいる。アキラの後方、ずっとアキラに合わせて支援を続ける――キリギリス。
「っしゃ、よおしわかった! こんな感じで上手く刃出せんな!」
とガッツポーズでもしかねない勢いのキリギリスに、両者の視線が集まる。一時的らしいそれはすぐに体内へ引っ込み、しかしレイロットの首筋にはきれいに傷跡を残している。
「え、え、どうやったの、キリギリス?」
「知らん! なんかできた!」
臆することなくわははと笑いながらキリギリスは胸を張る。どうやるかわからないというわりに、「ほれ、こうしたら――」といくつか音を奏でれば斬り結ぶ白刃と細剣の間にもう数本の刃が介入する。
完全に意思の疎通など皆無。しかし、キリギリスの勘は確実にアキラの手数を増やした。首以外は狙わないアキラの意志を、キリギリスが汲んでくれているからできることではあるが、最初ほどあっさり交わされることのない――ただしい『あと一歩』。
「んん、なるほど親和性は高いか――いいね、ふたりで強くなる」
細剣に払われるのと同時に姿勢を落とす。首筋からまっすぐに出た白刃がレイロットに威嚇をし、その隙に足を振り上げる。手首を叩き、細剣を弾き飛ばす。先程見た、レイロットの回し蹴りの再現にしてはそれなりに成功と言えた。
手元になんの武器もなくなったところで――アキラの右の刃がレイロットの首に突き立てられる。ずぶりと肉を分け、血が噴き出すのをその目で見た。
「ぁ――ふ」
溶ける。ことばが溶ける。
喉から溢れる言葉が、歌が、空気に溶けていく。
色で例えるのなら白。禍々しい呪いの籠ったはずの魔力は、どうしようもなく純粋な白色をしていた。
「は――ぅ、ありがと、う。アキラ」
「……お礼、なんて」
その場に膝を落としたレイロットは満足した顔でアキラを見上げる。口の端に血泡が浮き、鮮烈な赤が褐色の肌を伝う。いつの間にか――というよりは、秋に使った時点でその魔眼は効力を失くした。ゆえに今は元の赤色の瞳と月の魔眼の残滓が混ざって濁った紫色になっている右目は、焦点が合っていない。ずっと見えていなかったのだろう。
「い、いや。お礼だ、お礼は、いるよ」
――すべて終わらせてくれた。もう止まれないくらいに重ねた後悔を、ほかでもないアキラが止めてくれたと、レイロットは言う。
「ほんと、は。もうずっと……ねえさんも、オレも壊れて、た。オレがこん、な……ものに頼った時点で――あるいは、義兄さんが、しんだときから」
喉を突いたのだ。発声なんて満足にできるはずもないけれど、レイロットは続ける。止めようとしらアキラを震える手で制す。
「それでも、大事だった友人の、ために……なに、か、したくて」
こんな結末を迎えたことで壊れた長耳の友人を寂しく思って。
こんな結末を許して体を貸した竜の聖女を、かなしく思って。
こんな世界を創る羽目になった終末の魔術師を哀れに思って。
そう、もう世界を創ったものの責任なんてない。感じたまま、ただすべていびつで悲しいものに思えたから――ただ、秋には自分の悲しさを知っていてほしくて。
それが果たされた今は、もう誰を殺めるつもりもない。最初からそんなつもりはひとつだってなかった。
「終わらせるな、ら……アキラが良かっ、たんだ。あの子の仔だから、きっと優しい子で、悲しい思いを……させると、わかっていた、けれど」
「…………」
「秋の世界が……ひどくかなしく、て。ただの一人が抱えるには、あまりにも重くて……それを、壊して救われるなら――」
「――でも、そうだとしても、それは、大きなお世話だ。レイロット」
静かに遮ったのは、金髪の終末の魔術師――秋だった。
秋は広場へ降り、ゆるやかな足取りでレイロットのもとへ来る。通りすがりにアキラを一瞥して、レイロットの前へ片膝をつく。ずたずたになった衣装の、赤黒く変色を始める血の跡を見て。
「俺の後悔はそんなふうにされて救われるモノじゃない。いくら死なないといえ、島の住民にひどいことをした、その一点で俺は貴方を許さない」
「――――」
「かつてあなたとあなたのお姉さんに苦しい思いをさせたことは謝ろう。でも、それと差し引きゼロにするには多くの命が掛かりすぎている。多くを造った翼人族のあなたならば、きっとわかるはずだ」
「ああ、そう……だろうな」
引き攣る頬をむりに動かして、レイロットは自嘲気味に笑う。
ただ、と秋は続ける。その声にレイロットが少しばかり視線をあげる。
「俺はもう誰も殺さないと誓った。だから、この島を出て行ってくれるならそれがいい」
レイロットの考える終わりが、死であった場合。
それを与えるのは秋であると、アキラはなんとなく思っていた。けれどそれは叶わない。秋が人を積極的に傷つけることは今までだってない。
レイロットは「そう、か」と再び目を伏せる。薄く開いた唇からごふ、と咳き込み血塊を吐き出した。
「……なら、姉さん、だけでも――」
「れ、いろ、っと」
その声に、レイロットがばっと振り返る。喉の傷がひらき、血が溢れるのも気にせずに振り向いたその先にいたのは彼の姉だ。昨夜の舞台で着たふんわりしたドレスを纏って、ユフィーナはふらふらとレイロットのところへ歩いてくる。ヒールの音がしない――ということは、裸足か。
「姉さん! なんで、どうして……」
「れいろ、と。れ、いろっと」
細腕をレイロットに向かって伸ばし、レイロットはそれを引いて自らの腕の中に引き入れる。レイロットの血液がユフィーナの髪と肌を汚し、慌ててそれを自身の袖で拭ってやる。きりがないが、彼はユフィーナを汚さないようにしてはどうした、と声を掛け続ける。
「姉さんに心配かけさすくらいならやるなって話だよなあ」
「キリギリス」
「そうだろ、だって。あいつ、そんな大切なものがあるんなら悲しませるようなことしちゃだめだろうよ」
エマという大切な誰かと別れたことのある彼だから言えることだろう。それには同意だ。アキラはこの一か月余り、ユフィーナとレイロットの仲の良さを間近で見てきた。だから知っていた。レイロットがとても姉を敬愛していること、ユフィーナがレイロットを可愛がって、いる――こと?
「……いや、様子がおかしい。あれは生きていない」
口を挟んだのは秋だった。レイロットに抱かれるユフィーナを見て、痛々しげに言う。
生きていない、というのが何を指すのか、まず分からなかった。けれど、ユフィーナの様子がおかしいのは確かだ。背へ回した手が力なくレイロットを引っ掻き、まるで抱きしめようとして力が入らないかのようだ。レイロットの呼びかけにも彼を呼ぶだけで明確な返事をしない。
「生きてないってどういうことだよ」
「おかしな魔力を感じる……いや、はじまりの種族の波長なんて知らないが、明らかにレイロットと違いすぎる」
すでに失われた魔力。それをはかる術はアキラにもキリギリスにもなく、その言葉の真意を確かめることはできないが――
レイロットの焦りよう、電池の切れた人形のような動きを繰り返すユフィーナの姿に疑うことのほうがばからしく思えた。今のユフィーナはまさしく人形のようだ。同じ言葉、同じ仕草ばかりを繰り返して、それ以外を知らない。
「姉さん、ねえさん、どうしたの? なんで、こんなところに……っ」
「ぁ、れいろと、れいろっ、とぉ」
「ねえさん……、ユフィーナ……っ!」
呼びかけに応じないユフィーナをかき抱く。漏れる声は悲痛で、零れる血がユフィーナの髪を赤く染めていく。レイロットの腕がかぼそいユフィーナの腰を抱き、後頭部を支えていっそうつよく抱きしめた――そこで。
「――――にげ、てぇ、れいろっ、と」
「――――――――――――――え?」
ずぐりと二つの心臓が貫かれる。前髪と顔が赤いユフィーナは唯一白かった頭頂部すら赤く染め、レイロットの縫ったレースとフリルの繊細な衣装は自分と姉の血液で見る影もない。
レイロットはユフィーナを抱きすくめたまま、そこに倒れた。見開く目、起きた事実をわからないまま――彼の意識は途絶える。
「あ、れ、れい、レイロットさ、ぁ―――!!」
弾かれたように駆け寄る、アキラ。
抱き起そうにも二人を貫く長い針のような槍が邪魔だった。しかし抜いてしまえば今よりも血が溢れる。死を早めるだけだとわかっていても、その槍は抜いてしまいたかった。
だって、この一月。
このふたりにはさんざん世話になったのだ。急に家出同然に転がり込んだアキラを歓迎して、自分が一番嫌だった白刃の話も笑わず怖がらず傍に置いてくれた。特にレイロットは、アキラにいろいろを教えてくれた。
服の縫い方。料理の仕方。――剣の扱い方。
その裏にどんな意図があったとしても、秋の世界を壊そうとした憎むべき人だとしても、その一ヶ月の生活が変わるわけじゃあない。
秋が親のようなものだとすれば、レイロットは歳の離れた兄のような存在だったのだ。
「あああああああああああああああああああああああああああっ!!」
絶叫。
息を確認しようと顔を動かせば、力の無い――すでに魂のいない彼はただごとんと音を立てて転がった。見開いた目は右目だけではなく、きれいだった赤目すら濁って今はなにも映さない。アキラも、愛しい姉でさえも。
アキラの突いた喉よりも胸の傷の方が大きく、深く、赤をばらまいている。二人分の命の色があたりに水たまりのように広がり、ぜんぶが赤く見える。白いレイロットの髪も翼も、白いユフィーナの髪も片翼も、白いアキラの全身も。
こういうときに、涙は溢れないものらしい。
さっきまで元気に、といかずとも今すぐ死んでしまうことを認識させないように話していたからか。いざこの、ただの抜け殻と化した身体がひどくひどく現実味を感じない。なのに、とろりとした血だけはいやに生暖かいのだ。
「――、キリギリス、アキラを頼む」
「……は? おれ?」
声にならない声での絶叫を続けるしかないアキラと、翼人族の姉弟の亡骸を庇うように秋が前へ出る。その横で何とも言えない顔で傍観を決め込むキリギリスの腕をぐいと掴み、アキラのほうへ行くようにと訴える。訳の分からないままキリギリスが血溜まりを踏み、滴が跳ね――
「――誰の命でこんなことをした、蓮月」




