第三十九話 「迷うのはどっち」
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「やあ、来たね。もう来なかったらどうしようかと、思ったよ」
糸の切れた人形のように眠る血だらけの住民たちのその中央、白翼の創造主は変わらずそこで座っていた。友人か家族にでも会ったように気安い笑みで、軽く手を振る。
ここに来るまで、島は嘘のように静かだった。いたるところで住民は倒れていて、その介抱に急ぐ犲衆や鴻衆がいたくらいだ。住民たちの眠りは無理に体を使われた反動か、ひどく深いもののようだったものの命に別状はないそうだ。
――「もとより並みより頑丈なやつら、自己治癒もそろそろ発動するだろう」
とは鴻衆頭領の言葉だ。あまり仕事をしているところを見かけない犲衆の筆頭もしっかり働いていたから、あちらの心配はいらない。
「もうすぐ夜が明ける。明けたらオレは終末の魔術師の様子を見に行くから――それまでに戻ってきた答えを、聞かせてくれるか?」
組んでいた足を左右組み換え、レイロットはにこにこと促す。
並び立つキリギリスがレイロットを見据えたまま、アキラに耳打ちした。
「いいな、おれがおまえを守ってやるから、ちゃんとその刃、喉を突けよ」
「わ、わかっ、た……」
レイロットは翼があるし、上からの不意打ちは意味ないだろう。背後には大きな雑技団のテント。彼一人でこれを計画したのならばテントへの侵入も試みたが、現状つながりが分からない。事実ことこんな事態に陥っても、団員どころかユフィーナも蓮月も顔を見せない。故の正面突破だが――はたして。
「正面突破する度胸は認めよう、アキラ? それに弦楽器。オレの喉はここだ、ちゃあんと、狙えよ?」
「――――ッ、でも、島のみんなは、もう傷つけあってない……なら、あなたの喉を突く意味はないんじゃ、ないの?」
「いいや? それは甘いというものだよ、アキラ。眠っているのはオレがそう命じたから、オレが起きろと命じるか喉を壊すほかないんだ」
アキラの、わずかばかりの希望はそんな言葉であっさり突き崩される。できれば掌に隠した白刃――人に向けたくはなかったけれど、もう押し殺す。
アキラが一歩踏み出せば、レイロットは「ん?」と首を傾げて見せる。アキラの背後、キリギリスは楽器を既に構えている。弓をそっと当て――弾く。
指向性を持つ音。それを合図として、アキラは走った。
距離はおよそ三十メートル程度。直線的に走ればさした距離ではなく、まして今のアキラはキリギリスに文字通り後押しされている状態だ。この程度の距離、あってないようなもの。
右の掌の中に隠した白刃に意識を流し、それが長く伸びていくのを感じる。そのまま後ろへ引き、一瞬で詰まった間合いに目を見開くレイロット目掛けて繰り出す――ッ!
「――まあ、まだまだ甘いね。アキラも弦楽器も」
キン、と澄んだ音が響いて、白刃がレイロットの細剣に防がれたことを知る。いつ抜いたのかも見えなかった、見えなかった見えなかった!
そしてこの奇襲もどきが一番最善だったのに、防がれた!
「アキラァ! 一旦離れろ!」
「うん、賢いね。賢いし、冷静だ。粗野な言動と裏腹に奏でる音楽は繊細で上品――エマも面白い精霊器を造ったものだ」
「エマの名前を、軽率に呼ぶんじゃねえ!」
「あ、待って、まってキリギリス! 落ち着いて!」
一定にアキラの動きを補助してくれていた音に乱れが生じ、途端体勢を崩す。
ここに来ながら、キリギリスは教えてくれた。
――「精霊器ってのはいくらかできることがあんだよ。おまえ知ってるか知らんけど、薬箱の鋏なら『あらゆるものを切り離す』とかな」
――「で、おれだ。おれは楽器だから斬った張ったの荒事はできねえ、期待するな」
――「おれにできるのは後押しだけ。おまえの動きを補助したり、まあ感情を安定させたり、そんなものだ」
――「だから、おまえはおれを信じて走れ。無理な動きだろうと合わせてやる。合わせて、戦闘経験ないおまえでも喉元に行けるようにしてやる」
勢い余って頷いてしまった故に迷わないことを繰り返し心の中で唱えて飛び掛かったわけだが、エマの名前を呼ばれたことでキリギリスの方が先に乱れた。
キリギリスは謀ったわけではないものの、その事実はアキラにわずかなりと余裕をもたらした。自分の失敗が先であったなら動けなくなっていたかもしれないが、キリギリスの演奏がなくても受け身がとれた。
キリギリスも呼び掛けに応えて、舌打ちはかましたもののすぐに演奏は戻った。キリギリスが応えてくれることがはっきりしたために信じるという行為から迷いが消える。
「――うん、いいね。そうだ、アキラ。迷いは傷を増やすだけ、相手にも自分にもな。人に刃物を向けるときは迷わない方が良い」
対して、レイロット。アキラが白刃を振り抜き、それを細剣で払う。そのたびに金属が擦りあう音が周囲に響く中、笑みを絶やさない。アキラの白刃は防ぐが、そこから斬り込んではこない。
「っ、く、ぅ……!」
「そう、アキラ。喉を狙うのなら一点集中は正しい、けれど弾かれてしまうね? それならどうすればいいと思う?」
たしかに、喉以外を傷つけるつもりの無いアキラは喉元一点集中でそこばかりを狙っている。狙いがわかっているのだ、防ぐ方も容易だろう。相手は剣一本、アキラも一本。突いて防がれて、一歩引いてまた突いて防がれる。これではいたちごっこもいいところだ。
また弾かれた。一対一ではどうしても相手に分がある。
「――――あ」
そうだ、一対一だからうまくいかない。技量も技術も追いつかないからだめなのだというなら?
二歩引いたところで、叫ぶ。レイロットではなく、キリギリスに向けて。
「キリギリス! お願いがある!」
「あァ!? なんだ、おれの演奏が不服か!?」
「いや、あの、そんなことはなくて! さっきしてくれた、あの嫌な音を最大音量で、ほしい!」
「はァ? ――チッ、これで、いいのかよッ」
意図を訊ききるよりも要望をいち早く叶えることを選んだキリギリスは弓を力の限り、ひどく雑に弾いてみせた。ぎゃりィん、というおよそ弦楽器らしからぬ騒音は全身を総毛だたさせ、心臓をひどく震え上がらせた。血が巡り、肌が粟立ち、ひやりとした感触が生える。
「……なるほど、自分でコントロールできないなら強制的に出すというわけか」
感嘆するレイロット。アキラは右の掌から生えた白刃と同じように左手にもそれを持つ。他はそうそうに体内へ引っ込んでしまったが、そうだ。両手に剣があれば、まだ、狙える。
意図をようやく理解したらしいキリギリスは「やるなあ」と口笛を吹いた。だが、アキラにそれは聞こえていない。荒くなった呼吸を音色に合わせて整え、両掌の刃が消えてしまわないように神経を巡らせる。
演奏はちゃんと聞こえている。キリギリスは合わせてくれるから、ただ信じて――地を蹴った。
走る、右の白刃を振る。レイロットの細剣がそれを振り払い、弾かれると同時に左で喉の一点を――狙う。
「っは、うまいなあ、アキラ! そう、オレはこの剣しか持っていない! アキラの白刃はそれこそ無尽蔵だ、使え!」
「ぅ、く、簡単に言わないで、ください……ッ」
「簡単な話だよ! だってそれはアキラ自身を守るためのものだ、自分の出したいところに出るはずのものだ!」
そう簡単に言わないでほしい。二振りをどうにか操るのに精いっぱいだというのに、一本生やすにもキリギリスに物理的かつ強制的に驚かせてもらわなくてはいけないというのに、使えるものか!
左は身体を沈ませて避けられ、再び右を突きだせば今度は蹴りで払われた。剣を持っていない方の手を軸に足を振り上げて二本ともを回し蹴りで寄せ付けない。レイロットは体を起こすと同時に後ろへ引き、間合いは再び取られてしまう。
「ふふ、アキラ、秋を――秋の世界を守りたいんだろう? なら、もっと強く、容赦なく、優しさのかけらなんて見せたらだめだ」
「は、ぁは、レイロットさ、何を……」
「オレは秋の世界を壊さずにはいられない、分かりあう道なんてない。だから成長しろ、学べ、吸収しろ。自分はそういうものだって自覚をしろよ、白」
なにを、と繰り返そうとしたところで、レイロットは細剣をアキラの首筋目掛けて突き出す。あまりの速さに目で追えず、意図的な反応は何一つできなかった。それこそ、悲鳴を上げることでさえ。
けれど、アキラの白刃は彼の意志に関係なく、彼の身を守ろうとその身から展開した。レイロットに向けて数十の刃が閃き、その肌や衣服を掠め、わずかに血が地面へと滴る。
「ふふっ、さあどうする、アキラ? あともう一歩でオレのこの喉元に届こう」
「っは、レイロットさん、なんで、攻撃……して、こないんです、か」
高らかに笑い、両手を広げてアキラを迎え入れるように。
秋のためにレイロットを止めに来ているアキラと向き合うのにどうも似つかわしくない。どうしようもなく、アキラは手加減されているのにレイロットは進んでそれをしているようにも見える。
本来、アキラが剣で叶う相手ではない。体から生える白刃でさえ上手く扱えていないのに、創世より生きる翼人相手にどうこうなると思う方がおかしい。今のカウンターだってレイロットが読めていなかったはずがない。
「――さ、あ。なんでだろうね、アキラ」
そう、レイロットは肩を竦める。




