第三十六話 「ユメに見たコト」
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ずっと、ふたりきりだった。
かつて一緒にいた仲間たちも世界に散らばってから随分長く経った。
もとより子孫をむやみやたらと増やす考えがなかったから、急速に増えていくヒトの中に、仲間たちは多く、紛れ込んでいた。
その中で、オレも姉と二人、森の奥で静かに暮らしていた。
近隣には何もなく、ただ花の咲き乱れる森の中。つくりだすことは得意だったし、姉さんがいれば特に欲しいものもなかったから、それなりに穏やかな生活を送った日々。
新しいヒトの世界には、極力介入しないと決めている。それはもうじぶんたちの手ですべて壊してしまったあの悪夢のような結末をどうか迎えないために決めたことだから、仲間のそれぞれも皆同じような生活をしているのだろう。
「姉さん、今日はチゴイのジャムがあるよ。この数年で作ったやつで、一番うまくできたと思う」
「あら、うれしい。わたし、ジャム好きなの。レイロットがつくってくれるのはいつもおいしいから、楽しみだわ」
「うん、紅茶も淹れよう。待ってね」
小屋の外に設置した木造の椅子に腰掛けて、風を浴びている。ふわりと靡く白い髪を手で押さえ、柔らかく笑う。
一度小屋の中に戻り、ティーセットを用意する。白磁に花の柄を描いた、姉さんの好きな器だ。それと、瓶詰したばかりのジャムと焼きたてのスコーンを皿に乗せる。
紅茶が色付いたことを確認して、外へ運ぶ。
姉さんは、翼人族の中でも、つくることがあまり上手くなかった。
手先が器用ではなくて、裁縫も料理も、お世辞にも褒められたものではない。料理すれば黒焦げになるし、見た目がよくても今度は味に問題がある。食べ物から練炭を練成する技術は一周回って尊敬に値するが、まあ役に立つ機会はあまりない。
裁縫も、釦ひとつつけるだけのはずが裏地まで縫い付けたり、その糸を切ってしまおうとして布ごと切ってしまうことだってある。みんなで一緒にいた頃はそれを気にしていたけれど、今は弟とふたりきり。だからか、すこしだけ雰囲気が柔らかくなった気がする。
前もよく笑うひとだったけれど、どこか自嘲と自信のなさがあった。
その点、今の姉さんの顔は好きだ。森の動物たちと戯れて、心無いことも言われない生活を、ふたりともが気に入っていた。
オレも、この森に来てからは、姉さんのためのものばかりつくっている。
衣装に靴、料理にこの家まで。
すべて姉さんのためにつくったものだ。
世界を新しくしてから、あの楽器以外はすべて姉さんのためにつくった。姉さんも嬉しそうに使ってるから、それが幸せだ。
「姉さん」
「なあに?」
「ううん、なんでも」
おかしな子ね、と姉さんは笑う。
――けれど。
このふたりきりの世界が、姉さんにとって、幸せかどうか、わからない。
姉さんは不器用で、それを笑われることも多かった。けれど、それを上回って人に愛された。人に囲まれていることが幸せだっただろうし、であれば、この退屈な生活は――好きではないかもしれない。
そういう疑念を抱えて、二千余年。
ある日、その森にある男が、現れた。
特筆すべきことのない、薄茶色の髪に同色の目の男。魔力の扱いもへたくそで、剣も満足に扱えない。その日も猟をしながら迷い込んでしまっただけの、何の変哲もないただの男。
男は、褐色の肌に大きな白翼を持つ姉弟を見て、一瞬の怯えを見せた。悲鳴と、すぐに「――ほんものの、翼人族?」と目を輝かせた。
姉さんは久しぶりに人と会えて楽しそうだった。
男は当然ながらかつて翼人族のつくったヒトの子孫である。長らくヒトの成長を見守ることから離れていたが、案外翼人族の創世の話はどうやら根強いらしい。男は特にこの話が好きらしく、それから何度もこの場所へ足を運ぶようになる。
姉さんは歌が好きだった。
男もその歌を好いて、笛を吹いた。
ふたりはそうして、毎日音楽に明け暮れた。
最初こそ翼人族への興味だったのが、徐々にお互いに惹かれ合うのが目に見えた。姉さんの楽しい姿を久々に見られたのは嬉しいことだ。花が咲き誇る笑みを浮かべて、外の世界についての話を聞く。
お礼に姉さんが歌を歌う。それも久しく聴いていなかった歌。
オレは、その歌を小屋の中で聴く日々。
その男が来るようになって二十年が過ぎる頃、男は姉さんの前に傅いて、
「どうか、僕と一緒に生きてくれませんか」
と、手の甲に唇を落とした。
姉さんは翼人族だ。寿命を持っていないから、寿命を与えてつくったヒトである彼と同じ時を歩んでいくのは土台無理な話だった。現に二十年、まだ幼さの残っていた男はすっかり大人の男へとなっている。姉さんは出会った当時から変わらず美しいまま。――いつか、別れが来る。
残される姉さんが、悲しい思いをする。
「――はい、喜んで」
けれど、姉さんはその告白を受け入れたのだ。
今にして思えば、姉さんはきっと、翼人であることを捨てるつもりだったのかもしれない。妖精族も巨人族も、あとは長耳族もある程度その力を捨ててヒトになることを決断したやつらもいるだろう。遠い話だ、知らないけれどできないことではない。
なにしろ、つくったのは翼人族だ。姉さんでもそれは簡単な話だろうから。
事実、姉さんは片翼を落とした。
オレも呼ばれて、男の小さな村で小さな教会で、小さな挙式をあげることになる。
その前日、姉さんはいつものように外の椅子で座り、夜風に当たっていた。
「姉さん」
「なあに?」
「ほんとうに、結婚するの?」
「ええ、するわ。初めてかもしれないの、あんなにも私を愛おしく思ってくれるひと」
「そうかな。――オレも、姉さんのこと大切に想っているけど」
背後から姉さんの長い髪を掬い、手櫛を通す。白い髪は月明かりを受けて、きらきらと輝いている。
「私もレイロットのことは好きよ。とても大事。――だから、ここにもなるべく来るようにするわ」
「……そうか」
この小屋も、明日には姉さんが出て行く。姉さんのためにつくったものだから、姉さんが帰ってくる場所として取っておこうとは思う。明日からはひとりだと思えば、寂しい気持ちだ。
けれど。
ユフィーナが幸せならばその寂しさ、取るに足りないものだった。
「姉さん、幸せに、なってね」
白い髪に静かに口づけて、姉さんの門出を、祈った。
翌日、片翼の姉さんは、翼と髪と同じ純白のドレスを着て、純白の教会で結ばれる。桃色や黄色の花でヴェールを飾り、丁寧に編み込んだ髪を光沢のあるリボンで結い上げた。ドレスの裾には花のレースをあしらっている。ヒールを高めにした靴には踵に大きなリボンを飾り、表面にもレースを巡らせた。
――それが、オレが姉さんに贈った最後のものになるはず、だった。




