第三十五話 「ぼくがきみの自信になろう」
◇
「――っと。こんなところでいいか」
秋を抱えて広場を離脱したくゆりが来たのは、島の頂上も頂上。風の吹き抜ける、秋の好きな場所だった。
比較的落ちない程度に広い場所へ秋を寝かせ、その枕元にあぐらをかく。
手すりや壁が無い場所なので、風が心地いい。夏のじっとりと暑い風ももうすぐなくなり、この子の名に冠した秋の季節が来る。
秋は未だ魘されている。子供のように泣きじゃくり、身体を丸めて耐えるように嗚咽を漏らす。瞼くらいは閉じさせてやったのだが、あまりいいことではなかったかもしれない。
瞼を閉じればあるのは闇だけだ。秋はそこに、自分の罪の夢を見る。
この呪いは、詳細はわからないけれど、あの翼人族の言動を見る限り記憶の追体験をさせられる類のものと思われる。瞼があいていたところで見るのは記憶だから、そんな心配はいらないけれど。
「ばかだなあ、秋。秋の罪なんて、そんなにも重たくないというのに」
血が乾燥してばりばりになった髪をそっと撫でる。早く目を覚ませ、と願いを込めて。どれほど他人が不安を煽ろうと、くゆりは知っている。秋がこの程度の呪いに負けてしまえるほど、弱くないことを。
「だからそんな夢、さっさと覚めてしまいな、秋」
囁くように、もう秋が覚えていない信頼を乗せて、秋を呼んだ。
◇
逃げて逃げて、辿り着いたのは島の裏側――ひっそりと、黒の男が弦楽器を弾いていたあの場所である。
アキラの中で人の寄り付かない場所と言えば、ここくらいのものだ。来てみれば歌声も遠く人影一つない。水面には波一つなく、ここだけ事件とは関係のない世界のようだ。
「おい、離せって! ひとりで歩けるわ!」
「あ、ごめんなさい……!」
アキラよりも二回りほど大きい男を抱えて走ったのだ。男は上半身をアキラの小脇に挟まれ、膝をすらないようになんともえらい体勢で走らされていた。アキラにとっても秋を抱える方が楽だったに違いない。
慌てて彼を離し、頭を下げる。男の方も中途半端な体勢で離されたせいで膝を折りかけるが留まり、身体を起こす。
「どういうつもりだよ、ったく……逃げるならひとりで逃げたらよかっただろ」
「でも、あの、おにいさんだって……残したら、危ないかもしれなかった」
「ねえわ、って言いたいところだけど。つーかおにいさんてなんだ」
がしがしと髪を掻き混ぜ、大きく溜め息を吐く。そうは言われても、アキラは彼の名を知らないのだ。
「あー、おまえアキラだっけ? おれ今名前ねえから、キリギリスとでも呼べ」
「キリギリス……?」
ん、と雑に頷く黒い男――キリギリス。
というか、名前以前にこの男が何者なのかも知らないのだ。ただ奏でる音楽がアキラにとってよく落ち着けるということしかわからない。精霊器がどうの、と言っていたから彼の本体がその弦楽器であることは察しが付くのだが。
「あー、くっそ……まさか作り主とは思わねえよ、創造主なんて最強だろ……」
どか、と地面に腰を下ろし、左手で額を抑える。声や表情に隠しきれない動揺が覗く。
彼はどうしたいのだろう。勢い余って連れて来たけれど、言う通り、一人で逃げるほうが現実的だったような気がしてきた。秋を殺すことには異論ないようだったし。
「あの、キリギリスさん」
「あ? さんもいらねえよ、変に気遣われても気持ち悪いだけだ」
「じゃあ、あの、キリギリス。……あの、なんで、秋を殺すの?」
これは聞いておかなければいけなかった。終末の魔術師のしたことはそんなにも、悪いことをしたのだろうか。
「そりゃあ決まってるだろ、あの野郎のせいでエマが死んだからだわ。エマはなにも悪いことしていないのに、理不尽に命を取られた。おまえ、これ許せるのか?」
キリギリスはさも当然のように言う。しかし、アキラはさらに分からなくなる。だって、アキラにそんなに想える人がいない。そのたとえ話は、自分に置き換えて見られない。
「はあ? おまえ、あんなに終末の魔術師に肩入れしてんのにそんなこと言ってんのか」
「で、でも、秋は……秋はぼくがなんにもわからないから、一緒にいてくれただけかも、しれなくて」
秋にとって特別ではなかったかもしれない。特別ではないのに、そんなふうに思ってしまうことは迷惑でいらない想いなのではないだろうか。
秋は多くの人の幸せを願っている。それは紛れもなくほんとうで、でも、秋はその感謝を受け取らない。誰にお礼を言われても、誰に話しかけられても悲しそうに笑うだけなのを、アキラは知っている。
それはつまり、秋を想うことを、秋が嫌がっているのではないか、と思ってしまったのだ。レイロットが「おまえを助けたのはおまえが因子を持つ者で、おまえだからではない」という意味のことを言った時点で、なぜだかそんな予感が過ぎってしまった。
アキラが秋の特別であるのなら、そうやって想うことが許されたかもしれない。――かもしれない、のだ。
「ばっかだなあ、おまえ」
「え……」
ぼそぼそと自信なさげに吐く言葉を半ばまで聞いたところで、キリギリスは遮る。呆れかえったとばかりにもう一度「ばかだな、おまえ」と。
「人を想うのに相手の許可がいるもんかよ。おれが想いたいから想う、おれはエマを殺した奴が許せない。それにエマの許可なんているか」
「で、でも、めいわくかも……」
「でもが多いな、おまえ。でもじゃねえよ、そりゃエマが望まないことはしたかないさ。たぶん、エマのことだから終末の魔術師のことも笑って許すだろうな。だからおれがあの魔術師を殺すのはおれの気持ちがおさまらないからだ」
ずいぶん勝手な言い分だ。エマというひとが大切なら、エマという人が望まないことはどれもしない、できないのが大切ということではないのか。
この騒動の最初にくゆりが住民を叩き落とした時のことを思い出す。
私は秋の嫌がることはしないよ、と彼も言っていた。だから住民を殺さない、死なせない程度の手加減はできていた。
「ばーか、大切に想う相手のすべてと同調したら自分がいなくなるだろ。そんなもの意味ないんだよ、それじゃあおれはエマをを大切にするけどエマが大切にできるおれがいなくなる、わかるか?」
相手に合わせて、相手の嫌がることをすべてしないという選択は一見美しいように見えて、結局自己犠牲の要る手段だ。そうして自分を殺してしまえば相手はそれほど自分を想ってくれる相手を自分が想い返すことができなくなる。
それは対等じゃない、独り相撲だ、とキリギリスは言う。
「だから終末の魔術師が憎いのおれの気持ちだ。エマを理由にはしない」
「じゃあ……エマさんのため、とかでは、なく……秋を殺したいの?」
「そうだって言ってんだろ」
それでも、とキリギリスが続ける。
「おまえは、おまえを助けてくれたやつを助けようとすることが本当に迷惑だと思うのか?」
その問いの答えとして、アキラは自分の掌をきゅっと握りしめてみた。キリギリスは、秋を殺したいと思っているのになぜアキラにそんな話をしてくれたのだろう。アキラが迷いを失くせば、秋を助けるのに。
キリギリスは黙りこくるアキラを余所に、舌打ちをする。
「それよりも、――おれじゃあ、あいつを倒せないのが問題だ。終末の魔術師を殺すのはおれであるべきだってのに……」
ぶつぶつと呟きながら足を揺らし、苛立ちを隠さない。表情は険しく、歯軋りの音がはっきりと聞こえる。
なぜ、とアキラが問うた。レイロットを止めなくてはいけないのは、理由は違えど同じだ。だからそこを疑うことはないが、倒せない、とはなんだろう。
「あいつがおれの造り主だからだよ。おれの身体を造った奴だから、道具は主には逆らえない。創造主相手だからな」
普通の人が造った道具であればそんなこともないだろう。それは創造主の前では等しく彼らの子どもたちであるからだ。創造主は文字通りすべてつくった存在であるがゆえに。
親殺しを禁忌とするように、育ててくれた存在を敬愛するのが当然のように。
レイロットに器を造られたキリギリスは直接彼に殺意を向けられない。そういうふうに造られている、とその言葉通りに。
それは、アキラが秋を憎く思わないことと似ている。育ててくれた秋を殺せと言われたとしても強い拒否反応を以て実行には叶わないだろう。キリギリスが倒せないと考えているのはそんな拒否反応ではないかもしれないが――
おそらく、何も知らずにいたとしても敵対の意志はレイロットを傷つける形では成功しなかっただろう。
「せ、精霊器……って、親がふたりいるみたい、だね」
「は?」
「あ、いや……だって、器のつくりぬしと、あなたを呼んだ、エマというひと」
精霊器の成り立ちや詳しい事情は知らないけれど、ひとと違って両親が揃って生み出されるものではない。違う親が、別々にいる感じだ。そして、この場合――体があったとしても、心が与えられなければ彼は今ここにいない。
それでも体の造り主に逆らえないというのなら、難儀だろう。
けれど、キリギリスはたっぷり三秒かけてアキラの顔を見たのち、その指摘に翳った顔が一気に晴れる。
「ああ、そうだな! 体はそうだろうと、心はエマが必要として呼んだ。そう考えればなんにも迷うこたないな!」
「え、あの、急に元気になった……」
怖い。キリギリスはすっきりした表情で豪快に笑う。
なにか迷いが吹っ切れたらしいが、これほど簡単――でいいのだろうか。
「いいに決まってる。つーか、何もおれが倒すこたないわな、おれ楽器だし? もっと適した奴がやればいいだろ、なあ?」
びっと指を向け、人の悪そうな笑みへ変わる。
「おまえの白刃、あれなら喉を突くくらい安いだろ?」
「え……いや、ぼくなの!? あれ、だめ、自分じゃあ出せない……!」
「出せない、だあ?」
そうだ、だから当てにされてもなにもできない。
キリギリスも、くゆりもなぜ、アキラに期待するのだろうか。アキラは戦う訓練なんてしていないのに、なんでそのアキラが喉を突けるだなんて簡単に思ってくれるのだろうか。
「おまえなあ、自信なさすぎるだろ。おまえの剣だろう、なんかこう、どうにかできないの?」
「そ、そんなこと言ったって……」
「ああ、あれか。おまえ、驚くと出るんだったか」
なら、と言ったかと思うとすっと弓を逆手に持ち、前に突き出す。それを勢いよく、いつの間にか脇腹に弦が現れていて、それを弾き抜いた。
「び……っ」
ぎゃらんッと聞くに堪えない音が至近距離で放たれる。アキラの全身を刺したような錯覚を起こし、反射的に体を抱えたアキラから白刃が生えた。総勢六本、ハリネズミと言ってしまうにはいささか少ないか。
心臓がばっくんばっくんと跳ねるのに合わせて、白刃がわずかに出たり引っ込んだりする。目を白黒させて、口をパクパクさせてキリギリスに言葉無い文句を訴える。
「ほら見ろ、簡単に出るじゃねえか。それ出したままにするのはまあまま出来るだろ、あるんだから意識しろよ」
「そ、んな、びっくり、した……心臓に、わるい」
「はやくやってみろって」
主張の激しい心臓が血を送り出し、体温がいくつか上昇する。その痛いくらい熱を持った皮膚の、数か所。ひやりと冷えるところがあり――それが、白刃が生えている場所だ。
右手に近い部位に生えた白刃に意識を走らせる。意図的に扱うのは初めてで、上手く移動してくれない。す、ぅと皮膚を裂くように刃が移動していき、すべて体の中へ引っ込んでしまいそうになるのを抑える。内心引っ込むなと連呼すればするほど冷静になってしまっていき、刃も集中する右手以外はすべて引っ込んでしまった。
「…………お」
キリギリスの感嘆の息が零れ、手のひらに冷たさを感じる。
目を開けると、手のひらからすらりとまっすぐ生えた――白い刃。
「いいね、それ、ちゃんと維持しろよ?」
「ま、まって、むり、むりだよ!」
「はあ? がんばれよ、終末の魔術師にゃ世話になってんだろ!」
むりと真っ青な顔で両手を振るアキラと、今度も脇腹の弦を雑に掻き鳴らすキリギリスとの攻防はしばし続いた。




