第三十三話 「命めぐらす音色」
「さて。あのくすんだ緑髪、ほんとうに秋を連れて行ってしまったけど、いいのか、アキラ」
秋を抱え、場を離脱するくゆりを見逃したレイロットはいつの間にやら細剣を鞘へ納め、客へ向けるそれと同じ笑い方をしている。
この広場へ来てからずっとその笑い方だ。客とは彼にとって仕事相手で、彼の思うところに触れさせない明確な線引きがあった。彼の姉に向ける笑顔とは圧倒的に違っていて、白々しいというほかない。
それよりもアキラの白い刃だ。無意識に出ることはあっても押さえつけることしかしなかった力だ。意図的に出そうと思ったこともないから、どうしたらいいのかまったくわからない。
ひとまず考える時間が欲しい。
「……レイロットさんこそ、秋を、おいかけなくていいの?」
「ああ、構わない。あの竜もどきがどうしようと、あとは呪いと終末の魔術師本人との戦いだからな。秋の息の音が止まるもよし、生き延びるなら改めて手を下そう」
だから追いかける気はないよ、とレイロットは肩を竦める。
とりあえず、アキラが死に物狂いで相手をしなくてはいけない相手ではないらしい。この問答がただの時間稼ぎではなく、彼が自分で改心するものとなることを願うばかりだが。
「どちらかといえばオレは、アキラと話がしたいところだな。終末の魔術師への呪いはそう簡単には効果を出さないだろうし、歌はアキラに効かない。アキラはオレを攻撃する手段も理由がない」
「理由が、ない……?」
レイロットはアキラの白刃を見たことがない。幸い雑技団での生活の中で刃を出すほど驚く事態がなく、蓮月から説明を受けそうならないようにと団員が気を遣ってくれた結果だ。……その、気を遣ってくれた中に、レイロットもいるわけなのだが。
「ないだろう、実際。オレも噂程度にしか知らないけど、終末の魔術師はどんなやつだろうと自分が沈めた世界の因子を持っていればこの島で匿う。アキラが助けられたのも彼にとっては同じくくりだ。住民たちは意志も娯楽もなく飼い慣らされている――アキラ、オレは大事な友人の仔にそんな他人の自己満足に生かされる人形じみた生を送って欲しくないよ」
レイロットは極めて真摯に言葉を紡ぐ。歌のように思えた語り口ではなく、ごく自然な話し方。客に向ける笑顔もなりを潜め、すっと向けられる視線はどうにも真面目そうなのが、不可解だった。
意志も娯楽もない、この島にいる住民が? それは嘘だ。この島の外では生きられないから、生きられる場所をここにつくった。ここへ来るのも、ここを出て行くのも本人の自由のはずだ。だから数年に一度訪れる雑技団がいるのではないか。
実際、秋を慕うのだ。この島の多くの人たちは。
こうして生きる場所を作り、排そうとする人々から守る秋のことを慕うのだ。
「それは違う。そもそも苦しむ原因を作ったのは終末の魔術師だ。彼が世界を滅ぼさなければこんな島が出来ることもなかった。こんな不自由に追い込む原因が守ってくれている? 笑わせるね、そんなものは守っていると言わない」
あはは、と乾いた笑いを零すレイロットは地面に胡坐をかき、膝に肘をつく。まさしく戦う気も理由もない、手段もないアキラを警戒する理由もないと言わんばかりの態度だ。
「まだわからないバカではないだろ、アキラ。助けたのはそれが贖罪になると思っているからで、長らく手元に置き続けるのはアキラが終末の魔術師を慕うからだ。ほかの誰よりも純粋に、健気に、まっすぐに。あの手の罪を抱えた奴はそういう救いを要らないと言いながらいざ手の届く範囲にあれば、それを手放せない」
違うかなんて、言われても分からない。
なぜ秋がアキラを傍におくのか。能力の出自が分からない、危ないから手元に置いておく。大方思いつくのはその程度で、それなら鴻衆でも犲衆でもよそへ預けてしまえばよかった。
沙月の屋敷に放り投げてもいいし、メグムの精霊器と同じように扱うことも可能だった。
秋がアキラの面倒を四年も見てくれた理由なんて、アキラが知りたい。
「ほら、わからないだろう。ならその程度なんだ」
「そ、んな、こと」
「あるよ。だからオレの喉を突いて呪いを止める必要も理由もない」
レイロットはその場から一歩も動かない。これは、誘いなのだろうか。
秋を確実に仕留める為に秋を思って動くものは邪魔だから懐柔しようとか、そういうことなのだろうか。ならば成功、時間稼ぎでも十二分の効果を発揮している。
アキラは自分が何か知らない。
自分の力がなぜ他人を傷つけるものなのか、知らない。
こんな危ない自分を、秋が見守ってくれる理由が分からない。
秋を信じたい。秋の守りたいものを一緒に守りたい。秋の、力になりたい。
相反する感情がアキラの中に渦を巻き、膝が折れる。
「うん、それでいい。そうして、秋が壊れるのを待っていてくれ。ひどい言い方をしたね、アキラがそういうものだと知っていて。それは謝ろう」
秋が壊れる。秋。秋。秋。ほんとうにそれでいいと思うのか。思わない。思わないのに、足が動かない。足が――動かない。
迷ったら答えが出るまで動けないのがアキラの悪いところだ。くゆりとレイロットの戦いを途中で止めたように少しでも天秤が傾けばなんとかなるが、これはだめだ。秋が分からなくなって、自分も分からない。アキラ一人で答えが出ない。
秋、秋、秋はどうして、ぼくをたすけたの。
「……ん?」
褐色の顔にあった余裕の表情が一瞬曇る。アキラを眺めていたのを島の奥へ注意を向け、背筋を正した。白い大翼が警戒するように飛び立つ準備をする。
一拍遅れて、アキラもその異変に気付いた。
音楽だ。歌ではない。よくよくアキラの心に馴染む、ささくれ立った心に安寧をもたらす――弦楽器の音色。
「ああ、なんだ、来たのか。迎えに行く手間が省けた」
レイロットが口角をあげ、歓迎するように両手を広げる。音色は近い――
「ああくそ、なんだこいつら、変な歌歌いやがって! おれの演奏に合わせていい歌はエマの歌だけだっつーの!」
血が巡る。分かる。答えの出ない問いが出口を探すように脳内を這いずりまわっていた不快感が消えていくのが。
艶のある黒一色の弦楽器を奏でながら、その男は現れた。




