第三十二話 「すべてを信じて賭けられる唯一」
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広場の中央付近に、白翼を拡げて佇むのはレイロット。
その眼前で倒れ伏すのはアキラにとって大切な、秋の姿だった。
「秋!」
「ああもう、こんな操り人形吹っ飛ばしてやるのがせめてもの優しさだというのに!」
これまでもそうしてきたように、駆け寄って秋を取り押さえる住民を薙ぎ払うくゆり。秋から剥された住民たちは互いを傷つける凶行に戻ることなく、秋を呼びながら這いずり寄ってくる。
涙を厚く湛えたアキラが血に塗れた秋を抱え起こす。黒い外套をぐっしょりと重たくするほどの血が染み込んでいるが、どうやら秋のものではないらしい。ひとまずの安堵を得て、目を見開いたまま涙をぼろぼろ零す尋常ではない姿についにアキラの涙腺も決壊する。
「秋、あき、起きて、どうしたの!?」
「無駄だよ、アキラ。オレの呪いはもう、終末の魔術師のなかに入った」
肩を揺さぶるアキラの頭に手を置き、裁縫のやり方を教えたときのような声音でレイロットが告げる。軋む首をむりにレイロットの方へ向ければ、濃紺の瞳から血涙を流して微笑むレイロットがいた。
「れ、いろっとさん……? その目、眼帯……呪い? 呪いって、なに……?」
「そのままだ、アキラ。秋は目を覚まさないし、この島はこれでおしまいだ」
あまりにも穏やかに言うものだから、認識が遅れる。その口ぶり、さんざん聞いた歌。疑う余地もなく、すべて彼が仕組んだことだ。
脳裏に、この一ヶ月の生活が蘇る。レイロットを師事し、秋の役に立つようにと料理に裁縫となんでも教わった日々。
それらがすべて、秋を呪うために近付いた嘘だというのか。
「レイロットさん、なんで……?」
「アキラはなんで、と訊いてくれるのか。ああ、いや、そういう性質だからな、当たり前か。でもアキラ、なんでもなにもないんだ。これはぜんぶオレが仕組んだことで、これから秋には死ぬよりもつらい思いをしてもらったあとで止めを刺す」
あ、と声が漏れた。
レイロットの言に嘘はない。穏やかに、優しく言うのにそれがどうしてもアキラに秋を諦めろ、と言っているようにしか聞こえなかった。
「アキラ、アキラとあの弦楽器。オレと姉さんとこの島を出よう。秋が死ねばこの世界は終わる、終わるけれど――オレならまた新しく作れるから」
「な、にを、?」
「この世界はもうだめだ。成り立ちから在り方までぜんぶが歪で、いつ壊れてもおかしくないのになんでこんなにも長持ちしたか分からない。太陽の魔眼がばかみたいに壊れたのもあるだろうけど、ともかくこの世界はだめだ」
何を言っているのか、アキラには分からなかった。
レイロットが秋を憎み、世界を壊そうというのは分かった。理由はともかく、やりたいことは分かったけれど、それにアキラを誘う意味が分からない。
アキラの腕の中で、秋は大きな目を見開いて今なお嗚咽を漏らしているのに。
アキラがこんな秋を見過ごすはずはないというのに。
なんで、と無意識に零れる。それが性質だと言っていたけれど、関係ない。だってわからない。
「うん、まだ知らないんだろう、自分の出自を。だってまだ真っ白だ。……アキラ、おまえが姉さんとオレの大事な友人の仔だからだよ」
「ゆ、うじん」
「そう、何しろアキラ、おまえははじまりの――」
「――そこまでにしろよ、翼人族」
レイロットを鋭く遮ったのは冷ややかな目をしたくゆりだった。秋へ群がろうとする彼らの意識をあらかた飛ばし終え、息一つ乱さないまま視線だけをこちらへ寄越している。
着物には飛んだ血がまだら模様となって、くすんだ緑髪も赤黒くなっている。
「え、るらーす……?」
「その男の正体だ。はじまりの世界にいた七種族のひとつにして二つ目の世界を創った種族。その生き残り――まあ、七種族は大抵みんなどこかしらで生きてるがな」
はじまりの世界。アキラにとっては馴染なく、記録や人づてでしか知らない世界の話だ。七種族の話はその存在自体を知ってこそいてもどういうものなのかは知らずにいた。
くゆりは顔についた血を無造作に拭い、鱗の足を踏み出す。
「その足……なるほど。おまえもそのひとつか」
「だとしても、言うな。私のことも、その少年のことも、おまえが暴いていいものじゃない」
「それはなぜ? 唯一の主すら幸せに導けず、王にもできず、名も存在意義すらなくした哀れな子」
「言うなと言っている。私たちには私たちのルールがある。はじまりの世界にいた私たちの原型とはもう似て非なるものだ」
左右色の違う目を細め、レイロットは「そうか」と頷く。その表情は嘲る色はない。どちらかといえば慈しむ、ような。
「けどこの子は別だ、アキラだけは。そうじゃないのか?」
「どうあれ、その子ははじまりの世界に生まれていないだろ」
「ふむ……まあいい。それで? おまえは何をしに来たんだ、くすんだ緑髪が見ていて痛々しい、できればあまり見ていたくないな」
肩を竦めるレイロットに、くゆりはふんと鼻を鳴らす。しゃらんと音を立て、杖がレイロットに向けられる。
「私のすることなど決まっている。――秋の味方だ、私は秋の味方をしに来た」
言うが早いか、くゆりはアキラの横を抜けレイロットの腹に一閃する。華奢なつくりだというのにくゆりの容赦のない扱いに耐え、杖は見事レイロットを吹っ飛ばす。
けれど意志のない住民たちのように一筋縄ではいかない。白翼を拡げ、空中で制止する。大きく羽ばたくと、白い羽根が舞い落ちる。それが季節外れの雪のようで、思わず見惚れる。
「いいね、オレはずっと姉さんの味方だ。相容れない、そういうことなら仕方がない。魔眼は一度きりだし、同族相手となれば歌も利かないだろうが――相手をしてやろう」
「ああ、そうだな。秋は殺させないし、秋の世界も壊させてたまるか」
――ああ、違う、と思った。
ふたりとも、迷わず味方だと言ってしまえる相手がいる。大切に想う相手だから譲らないし、譲られて終わる話でないことを知っている。くゆりが様子のおかしい秋をアキラに任せきりなのはアキラを信用しているのか、秋を信頼しているのかわからない。ただ、後者な気がした。
秋は呪い一つに負けはしないと、信じているかのような。
レイロットは腰に携えた細剣を、くゆりは水晶体の付いた杖を振う。
アキラにとって、秋は大切だ。けれど、その理由がはっきりしない。
たぶん、秋は拠り所なのだ。秋の役に立ちたい、秋の力になりたい。それは秋を信じた上ではなく――アキラには秋しかいなかったから。
だから、違うと思った。秋を預けるべきはアキラではない。
だから、言ってしまった。
「――くゆりさん、秋を、連れて行って……!」
このぼろぼろ泣いて、怖いものでも見ているように泣いて、悪夢にうなされる小さな子どものように怯えて泣く秋を、アキラは救えない。
地上からレイロットを投擲でもするつもりだったのか、杖を投げる体勢でいたくゆりが「はァ!?」と振り返る。レイロットは「なんだ、どんな意図?」とくすくす笑って視線を寄越した。
「少年、私が秋を連れて行けば少年がこの翼人族を相手にすることになるぞ? この男引く気はない!」
分かっている。具体案は未だ何一つないけど、アキラが悩むよりはずっと秋のためになるはずだ。秋の意識は今ここにない。目を見開きこそしているが、見ているものはここじゃない。
それにアキラは秋より少しばかり小さい。体格的にも運ぶのに適しているとはとてもじゃないが言えない。……かといって、レイロットの足止めのほうが楽かと言えば、そんなこともない。
「ぼくじゃ秋を助けられない、ぼくじゃだめだ、だから……っ!」
「……そうか、自覚はなくとも気付いたか。承った。秋は私に任せろ、少年」
とんと跳ねたかと思うとくゆりは即座にレイロットから距離を取り、アキラの隣へと舞い戻る。傷一つも負わない辺りに、実力の均衡を見た。
体に力の入っていない秋の涙を軽く拭い、くゆりは軽々抱える。一度拭った程度では大差ないくらいだ。顔はぐしゃぐしゃで、アキラが助けられた秋の面影はあまりにない。
「いいか、少年。翼人族に魔眼も呪いの歌の権能もない。あれは後付けだ」
レイロットは距離を詰めてくることはなく、地面に降り立ったものの、その場で様子を伺っている。それに甘えてか、くゆりはアキラの耳元に口を寄せ話す。
「だから潰せば一瞬だ、魔眼は一度きりだと言ったことに嘘はない。狙うなら喉だ。いいな、喉だ」
「でも、それをしたら死んじゃ……」
「その程度ではじまりの七種族が死ぬものか。呪いの歌を剥さんことには秋の守りたい住民たちの洗脳は解けないことを忘れるな」
「わ、かったけど、どうやって?」
まさか杖を貸してくれるわけでもないだろう。借りたところで使ったこともないのだ、喉笛一つ狙い撃ちなんてとてもできない。血の気が引いたまま、尋ねればくゆりは半ば呆れたように言う。
「まだ真っ白だからな、使えるものなんてひとつしかないだろ」
――即ち、アキラの体内から生える白刃を使え、と。




