第二十六話 「知らずにはいられず、ひとりではいられず」
「ここが食堂、あそこが公演テント、風呂とか洗面は……君には関係ないか」
裏方テントをひとつずつ回って、レイロットは丁寧に教えてくれた。
歩き回るうちにわかったのは、団員に慕われているらしいことだ。蓮月の言うように、実力があることが皆分かっているのだろう。行く先々で声を掛けられては助言をしていた。ついでに秋と一緒にいた白い子だとアキラも囲まれてえらい目にあった。
それと、話し方が上手い。耳によく浸透するし、理解しやすい。
「秋は君とどんな関係なの?」
よく浸透する声は、反応にわずかばかりでも後れを取らせる。雑技団の説明をしていた名残で「そうなんですか」と言ってしまってから質問であることに気付く。
「……秋は、ぼくを拾ってくれて」
「ひろう」
「ぼくは、おかあさんをしろい刃でころして、この島に来たのに……秋は優しくしてくれる、一緒に住まわせてくれてる……なんていう関係なのかは、よく、わからないけれど」
そう、それで島で自活できるようになるまでは、と秋が引き取ってくれたのだ。そして手伝うからには白い刃のことを伝えておかなくてはいけないことも思い出して、無意識に両手をきつく、胸の前で握ってしまう。
レイロットはふうんとそれ以上追及することもなく話題を変えた。
「オレは歌を歌うんだけど、そんなに長く歌えるわけじゃないから夜はほとんど姉さんの横笛が主なんだ」
「あ、見ました。歌、最初の日に聞いて……」
白刃のことは、あまり考えないようにしている。話題が変わったのを機に、思考の隅へ追いやることにする。
初日の夜に聴いた、冷たい歌。最後までは聴けなかったが、ひどく意識に残ったのを鮮明に覚えている。
「だから夜に手伝いをしてほしいと、考えてるよ」
「はい、あの、がんばります」
気負うことはないよ、と微笑んで、レイロットは髪を指先で遊びながら考え込む。
初日以外はテントの見学やら他の公演やらで聴けなかった歌は、今夜もしかするともう一度聴けるかもしれない。どんな歌だったのか、歌詞なんかほとんど覚えていないのに歌が浸透した、という感覚だけはこうして強く在る。
レイロットの言葉が耳触りがいいことを思うと、彼はそういう力を持つのかもしれない。
「アキラ? とりあえず、今夜は衣装の繕いや賄の仕方からやろうか。終ま……あー、秋は生活能力低いって、蓮月さん言ってたし」
「いえ、そんなことは……」
秋は食べなくてもいいらしいのに、なんだかんだと家で一緒に食べてくれる。服も穴が開いたら塞いでくれるし、鼻緒が抜けたらつけてくれる。そもそもこの数年、生活できていたのだから、生活能力が低いということはない。
外は慌ただしいので、レイロットに与えられたテントで作業することにする。
テントはたぶん、実力や地位によって与えられるものが若干なりと異なるようだ。レイロットのテントは周囲を見ても一回りくらい大きい。
二つ並んで吊り下がったランタンに火を付け、照らされた室内は雑多な印象だった。衣装や靴がそれこそ数えきれないくらいに鎮座している。男性ものよりも女性ものが圧倒的に多く、この部屋は彼の相方だろうあの女性との相部屋なのだと推測された。
「はい、とりあえず、裁縫箱。オレのお古でごめんね、道具の質は良いと自負してるから。ナイフもあげたいけど、それはあとでいいな」
渡されたのは両手にすっぽり収まる程度の濃紺の四角い箱だ。編み込んだ光沢のある平たい紐が蓋を繋ぐ役割をしていて、解くと太さと長さの違う針が十本程度、糸が十四色、糸通しと糸切鋏だけが入っただけの裁縫箱。これを出した数倍の箱こそ彼がよく使う裁縫箱なのだろうと思う。
「今夜は秋の手伝いはしないの?」
「秋は、その、ぼくに……仕事の手伝いは、させないから、ないです」
「ふうん」
手渡されたのは薄青の燕尾服。レイロットの本番用に衣装だ。
燕尾の部分の縫い目が解れている。まず解れた糸を取ってしまい、新しい糸で縫合していく。レイロットの手慣れた針捌きを間近で観察し、手渡された続きを拙い手付きで針を刺す。
「ないなら、帰す時間はまだ先でよさそうだ。昨日の公演で姉さんが転んでね、ドレスも直さないといけないから手が足りなくて困ってたんだ」
「えっ、でも、服の手直しなんて初めてで、うまくできないです!」
「あー、いいよ。オレのだったらいくらでも失敗して。けど、君、たぶん物覚え良いでしょ、心配することないと思うよ」
「え?」
レイロットは奥の麻籠から同色のドレスを引っ張り出して膝に抱え、座る。ヒールでも引っかけたのか、重厚なフリルも裾の繊細なレースも見事に裂けている。ひどいところではそれが美しいかたちをしていたことも窺い知れない。あれでは付け替えなければいけなそうだ。
この島ではあまり見ることのない形状の衣装。アキラはつい手を止めて観察しては、ハッと我に返って自分の手を動かしていく。
「あの、それ……直るんですか?」
と、湧きあがる疑問を口にしてから後悔した。要らない質問だ。
レイロットはちらと視線だけをアキラに寄越し、すぐに手元に戻す。答えるつもりがないと感じたアキラが小声で謝る。
「アキラ、謝らなくていい。君は訊かずには、知らずにはいられないはずだ。疑問は貯め込むものじゃあないよ」
破れたフリルを豪快に切り離し、そのぼろ布と化したフリルは後ろに放る。隣の籠から新しく布を取り出したかと思うと、すでにふくらみを持たされたふわふわのフリルだった。
「姉さんはすぐドレスをだめにするから、予備にいくつか作ってあるんだ。付け替えるだけだから、すぐ直る」
「その、なら、衣装を作ってるのは、レイロットさんなんですか……?」
「そうなる。衣装師もいるけど……姉さんが身に纏うものはオレ以外に任せたくない」
どおりで裁ち鋏を持つ手に迷いがない。あのぼろぼろになってしまったほうを直すのではなく、それごと取り換える。合理的で、早い。
フリルをつけ、外から見ても継ぎ目が分からないように隠した後、深縹色のリボンを二、三蝶々結びにして裾に縫い付ける。最後にちらりと見える程度にレースを挟みこんで完成だ。直る余地のなさそうなみすぼらしいドレスを元に戻すだけでなく、おそらく元の形よりも進化を遂げさせている。
「す、ごい、ですね。なんだか、まほうみたい」
「これに魔法ってことはないな、長年の慣れだ。姉さん、ほんとうにすぐ破くからさ」
ドレスの糸くずを払い、衣装掛けに吊るす。伸ばしてみるとなおきれいだ。たぶん、褐色の肌に良く映えるドレス。
「オレはこういう、つくることが好きだからずっとやってる。姉さん飾る衣装も、靴も、手袋や首飾りに至るまで、全部オレがつくった」
「え、ぜんぶ」
驚いた。つまり、この部屋にある女性ものの衣装はすべて、彼がつくったと見て違いあるまい。見よう見まねで縫い合わせ終えた衣装をレイロットに渡すと、見たいなら見てもいいと言ってくれた。お言葉に甘え、衣装に近寄る。掛けてあるのを触るのはだめだと釘を刺された。
衣装の形はすべて異なっている。裾が膝上くらいになりそうな短いものもあればおそらく後ろに引きずることを想定した長さのもの。同じ色と思ってよく見ると布の質が違っていたり、光の加減で藍と思えたものが紫に変わったりする。
一口に靴といっても、それも数ある。それこそ衣装に合わせた数……いや、靴のほうが多いくらいかもしれない。高さも様々、色も様々、装飾も様々。似たような形があっても細部が明らかに異なり、同じ靴は一つとしてない。
「す、ごい……」
「半分仕事、もう半分はオレの趣味。ほら、縫製甘いところ教えるからおいで」
手招きで呼び戻され、縫ったばかりの裾を眺めるレイロットに「へったくそだなあ」と笑われた。
公演が始めるまでの数時間、三度ほどのやり直しを食らった。最初にやり直したときはそんなに早くできるようにならない、と引け腰だったアキラだったが、「できるできる」と軽く言ってのけるレイロットに促されるまま続けた。
助言を受けては直し、結局彼の言う通り、三度目には作業の速度も正確さも完璧に直すことができた。
「うん、思ったより早くできるようになったね。この調子で他の衣装の手直しもしていこう」
「あ、はい、わかりました」
最初よりはずっと早くなった。いっそ自分の手で解れた箇所がきれいになっていくのを見るのは楽しくなってきたくらいだ。基礎が分かった今ならどうしたらよりきれいに、見栄えよくあるいは糸を隠すことができるか、なんてことにも意識が行くようになっている。
そうして十三着ほどの手直しを終えたあたりで、レイロットが準備しなくてはならない時間になった。
「あ、あ、レイロットさん! 秋に、秋に何も言わないで出てきたから探してるかもしれない……」
「そうなの? じゃあ一回抜けて行っておいで。そろそろ姉さんも着替えに来るだろうし」
少し手伝いをしたら秋に報告に行こうと思っていたのにすっかり忘れてしまっていた! その後戻って来るにしても、秋に心配をかけたくないといつも思っていたのに、縫製がなんだかすごく楽しくなってしまった。
日は落ちてだいぶ経っている。テントの中にいると分からなくていけない。
最初の演者はすでに出番を終えているのを見ると、日を跨ぐ直前くらいか。
この時間だと、秋は公演テントの周辺か、広場の見世辺りで間食をしているだろう。レイロットのテントから出て遠目に鴻衆が二人ばかり飛んでいるのが見えたから、公演テントのところにはいない。まっすぐに雑技団周辺を抜ける。
広場の屋台は縮小しているが、縦に連なる建物の一階部分は通常営業だ。大体呑み屋だが、屋台がない分軽食の提供も増えている。そのうちのひとつに、秋のお気に入りの見世がある。そこにいる、と思う。
「――、あ、あき! 秋……!」
人込みの中に、一際小さな、でも見慣れた背中。いた。やはり手に丼を持っているから、これからあれを食べる場所を探しているのだろう。
人込みに流されないように踏ん張って歩き、秋を呼ぶ。
「アキラ?」
「秋、あき、まって!」
ひゅーひゅーと鳴る喉を抑え、立ち止まった秋に駆け寄る。秋は「どうした?」と背中をとんとん叩いて呼吸を整えてくれる。
「あの、ね、今日、秋おこしちゃいけないと思って、昨日みたいに手伝いに行ってた。ほんとうはもっと早く、秋が起きた頃に、言いに来る、つもりだったんだけど……ッ!」
「手伝いって、雑技団か?」
「うん、あのね、蓮月さんのところに行って、レイロットさんを紹介されて、あの……ふく、服の手直しをね、教わって!」
「アキラ、落ち着け。わかった、わかった」
捲し立てるように一方的に話してしまった。秋はほんの少し笑って見せ、アキラの頭を撫でた。白い髪を混ぜる撫で方に、アキラは喋る口を一旦閉じる。
「蓮月には言ってあるから、おまえが満足するまで行っていていいよ。何か困ったことがあれば蓮月は助けてくれる」
「うん、あのね、でも、今日は何も言わずに出てきてごめんなさい」
謝ると、秋は一瞬面食らったような顔をした。けれど、すぐに「いいよ」と笑い、袖に付いていた糸くずを払ってくれる。
「ほら、手伝いの途中で出てきたんだろう? 行っておいで、アキラ」
「うん!」
よかった、秋は怒っていなかった。秋に手を振り、公演テントを目指す。
公演テントに併設されたテントにいるはずだ。
テントの周りは人に溢れている。その足元を縫うように進み、入口で蓮月に渡された首飾りを見せる。最初こそ見張りは驚いたものの、何も聞かずに通してくれた。
「レイロットさんっ!」
「ああ、アキラ。もう出番だぞ、オレたち」
すでに舞台用の派手な衣装に着替えた褐色肌の翼持ちが二人。
レイロットは羽飾りが特徴の帽子、レースとフリルたっぷりの薄青のコート。胸元には二重に蝶々結びしたリボン、黒のかっちりしたベストだ。靴は紐で編み上げる形態の高いヒールの革靴、折り返しは青と濃紺、白の格子縞になっている。
隣の女性は今日レイロットが直していたドレスを纏っている。二人並ぶとお揃いに仕立て上げられていることがよく分かる。女性の方を大幅に手直しし、リボンを追加したのは見ていたので、今お揃いに見えるということは自分の衣装にも知らぬ間に手を加えていたのだろう。
「あら、あなた、レイロットに弟子入りしたっていう子ね? ふふ、私はユフィーナ、よろしくね」
「姉さん、弟子じゃないし動かないで。結ってるんだから」
ふわふわと花が咲くような笑顔でアキラに挨拶したユフィーナは即座に前を向かされる。腰ほどもある白髪をレイロットが丁寧に巻き、耳の上あたりの髪を分け取ってまとめる。それをくるりと内側に回し、残りの髪に櫛を通して軽く膨らませた。最後にリボンで括って完成らしい。
「ほら、姉さん、立って。皺伸ばすから」
「うん、よろしくね、レイロット」
椅子の前に周り、レイロットが姉の手を取って立たせる。その手で支えたまま、後ろの皺を伸ばしたりリボンの形を直したりする。ドレスの前部分の軽く叩いて、半歩引いて見てみる。
「よし。今日もきれいだ、姉さん」
「ふふ、ありがとう」
ユフィーナがその場でくるりと回ってみせれば、レイロットは満足げに頷く。
衣装作りだけではなく、着せるのも彼がやっているのか、とアキラは感嘆するばかりである。あんなにぼろぼろにしたドレスの面影はかけらもない。来ているところを見るとなお分かる。
「さ、姉さん。そろそろ行こうか」
「ええ、そうね。そうしましょうか」
「アキラ、これから出るけど戻ってきたらまた手伝ってくれ。それまでは……そうだな、姉さんの舞台でも見ていてくれ」
「はい、あの、がんばって、ください……!」
レイロットは軽く手を振り、横笛を持つ。反対の手で姉の手を引き、テントを出て行く。
出て行きざまにユフィーナが振り返り、「最高の舞台にするから楽しみにしていてね」と指先で口付を贈ってきた。言われずとも、楽しみだ。
公演テントの裏方側にこっそり入れてもらい、檀上がよく見える天井付近に通してもらった。客席側にある角灯をつけるための通路で、幅は人一人立てるくらいだ。見る分には支障ない。
席に空きはなく、立ち見までいる。夏の夜に密閉した中でこの人数、上の方に限らず熱気がすごい。じっとり汗が肌を濡らし、数分と経たないうちに額から滴ってきた。目に入る前に拭う。
狭い客席の合間を縫って、団員が飲み物を配っているようだ。何かもらってきた方がよかっただろうか。下に一度戻ることも考えたが、舞台のカーテンが開き、その考えは絶たれる。
広い舞台に二人きり。ユフィーナは豪奢な椅子に腰かけ、銀色の横笛を膝に乗せている。その一歩前にレイロットが立つ。
初日は二人とも立っていた。あれは、外だったからだろうか。
レイロットがゆるやかに翼を広げると、視線が集まる。ひそひそとその姿について話す声が聞こえれば、何度も聞いた客なのか期待に歓声をあげもする。
――けれど。
ユフィーナが唇を横笛に当て、最初の音が零れ出ると途端に水を打ったように静まり返った。話し声も、食べる音も、息遣い、衣擦れの音すら消えたような――静寂。
三小節程度の旋律が過ぎるころにはすでに彼女の舞台は出来上がった。褐色の指が銀色をすらすらと撫でるように伝い、柔らかい笛の音が空間を支配する。
暑さなど忘れる。汗すら消える。――ここがテントの中であることも忘れる。ただ呆けて、耳を傾けるしかできない。
彼女の全てに視線が集まり、預けた、その時。
ひびく、うたごえ。
「――――――――――――――――――――それは、とおい、おはなし」
長い睫毛に縁取られた目を伏せたまま。
一歩前に出て、カツンとヒールが鳴る。
「みずに、しずんだ――ちいさな、まち」
語り口調で歌う形式らしいことはわかる。笛の音に乗せて、普通に話す時のようにしっとりと耳に浸透する。ちがう、そうじゃない。
笛の音が空間を満たす音だとすれば、この歌は耳元に歩いてくるような音だ。
一人一人の耳に、鼓膜に、直接、そこだけに向かって歩いてくるような音だ。
まるで、耳元で囁かれているのかと錯覚する、奇妙な感覚。
歌は続く。レイロットはふっと目線をあげ、同時に声がさらに通るようになる。舞台のぎりぎりに踏み込だかと思えば、すっと腰を落としてしゃがみ、最善席にいる客に視線をくれてやる。舞台に立っているというのに、笑みの一つも浮かべていないのだが。
歌は――続く。
通路から下を眺めるアキラには、観客がどんどん惹かれていくのがひしひしと伝わる。釘付けになって、離せない。耳を塞げない。零れ落ちる涙を拭くことさえできない。
とおい、はなし。
むかしのはなし。
ある小さな教会の、ある小さなゆめの日に。
それはふったの、それはおちたの、それはきえたの。
しっている? ねえ、しっていて?
こおりをはむより、ひをのむより、それはいたいの。
とおい、はなし。
だれもしらない、あるゆめのひの、はなし。
ハッと気づくと、歌は終わっていた。レイロットが恭しく礼をしていて、観客がそれに惜しみない拍手を贈っている。ぱたぱたと落ちてとどまることを知らない涙をようやく拭い、袖をぐしゃぐしゃにしてアキラは立つ。
レイロットの出番はもう終わる。下がり際にアキラを見て顎で「降りて来い」と示していた。レイロットが観客に手を振ることもなくカーテンの裏へ消えると、ユフィーナが椅子から立ち上がり、舞台の中央でくるりと回る。青いドレスがふわりと広がり、同時に躍動感溢れる音色が強く現れたが――目もくれなかった。
「どうだった、オレの歌」
たったあれだけの歌にも関わらず、レイロットはひどく汗をかいている。裏方の少年に厚手の布巾を貰って拭いつつ、アキラに投げかけた言葉は誇らしげでもなんでもなく、ただ平淡で、普段喋る方が愛想がいいくらいだった。
「す、ごかったです。涙がとまらなくて」
正直に述べる。目に焼き付くほど凝視したのに思い起こされるのは歌声だけだ。力強く、佳麗に歌うレイロットの姿も見ていたはずなのに、印象に残らないほど、彼の歌は特別だった。
今も鼓膜の奥で反響しているような気がして、ぼろぼろ涙が落ちている。止めようにも、止まる気配すらない。
「そうか、そんなものか」
だから、感じたままを伝えたのだが、レイロットの反応は存外淡白だった。
機嫌を損ねたとか、なぜ感動していないとかアキラの感想に不服があるわけではなさそうだ。手応えを感じられない歌だったわけでもなさそうで、とにかくこの話が長引くこともないまま、手伝いの指示を受ける。
その夜はレイロットの衣装を洗濯し、ユフィーナの舞台が終わるのを待たずに帰る運びとなった。
雑技団付近の喧騒から離れると、夜風がいやに冷たく感じる。汗をかなりかいていたこともあって、水を被ってきたのも一因だ。
部屋へ入る直前、下を見遣る。眠気など忘れているように、活気溢れる広場。
この部屋があるのは中腹くらいだ。公演テントの屋根はいっそ近いくらいなのだが――しかし。広場にいる時に比べて、ひどい疎外感を感じる。遠い喧騒、肌を撫ぜる夜風。みんな下で楽しくしているのに、自分だけひとり、離れたところから眺めている。
その疎外感は、部屋に入るとなお大きくなった。
月明かりしか入らない、誰もいない部屋。秋もいない。誰もいない。隣の部屋にも今夜は誰もいないようだ。下の煙草屋でさえ空だった。
――ああ、これは、だめなやつだ。こんな寂しい部屋に一人きりでいるのはおかしくなる。狂ってしまう、そんな予感。
秋が帰るのはまだ先。夜明けまであと三時間程度、それまでたったひとりでこの部屋で眠る――ああ、出来ない。
夜は眠れるはずなのに。
秋がいないのを耐えられないから、眠ってやり過ごしていたのに。
あんなにもたくさんのひとの熱を知り、火照る頬が冷めない今は――むりだ。
「秋、あき、秋。秋……ッ!」
胸の奥のざわめく衝動に突き動かされるまま、部屋を飛び出した。秋に迷惑はかけられない。でも、ひとりで過ごすのもむりだ。秋は呼べば気付いてくれる、でもだめだ。秋は今も仕事中だから、だからだめだ。
秋のもとへまっすぐ走ってしまいそうな足を抑え、呼びそうになる声を口を塞いで耐え、向かった先は――テント。今出てきたばかりの、ユフィーナとレイロットのテントだ。




