第二十五話 「好奇心に誘われて」
雑技団が来てから二日が経った。
日が落ちるにもまだ時間があるが、アキラははやくに目が覚めてしまった。秋もまだ眠っている。夕食にもまだ早い。
そろそろ雑技団は準備を始める頃だろうか。
この二日、秋に連れられて雑技団の中の見学をよくさせてもらった。自分の姿や能力を活かしきり、見る人々をわかせる公演にはひどく興奮したのを覚えている。
アキラの中で、人と違うことは悪いことではないという認識はきちんと築かれている。秋が繰り返し、念入りに教えてくれたからそこに違和感はない。
しかし、こと自分のことについては例外だった。アキラの刃は自分でうまく扱えない。出すこともままならなければ満足にしまっておくこともできない。それはつまり、誰かを危険に晒すことと直結する。
だから、アキラは自分の力を押さえつけることだけを学び、それに尽くすことだけに必死だった。苦労の甲斐あって刃を出してしまうことは減ったものの、まだ先日の真黒の男にしてしまったように制御できているとは言い難い。
自分の力を人を楽しませることに使っている人々がいることは、それだけで随分な衝撃だったのだ。
団員たちはおおよそ気さくで、人見知りの激しいアキラも馴染むことができた。話す全てが新鮮で、感じるすべてがアキラには考えられなかったものばかりだった。
あるヒトは「楽しませることこそ、許されたこと」と。
あるヒトは「誰かの笑顔を作ることこそ生きがい」と。
あるヒトは「こんな醜い力にも笑ってほしいから」と。
この雑技団の団員たちはおよそ口を揃えてこんな話をする。中にはアキラの話を聞いて、「白刃? それ、上手く扱えたら奇麗そうだなあ」と感想を言うものがいたことも驚きで、なんだか胸の奥がくすぐられるような気持になった。
秋はまだ寝ていて、しばらくは起きないだろう。少しだけ、雑技団に遊びに行ってみることにする。
彼らはただでさえ手放しで迎えてくれる上に、アキラの知らないことをたくさん知っている。島を探検し尽くす勢いだったアキラにはうってつけの知識庫となっていた。
テントは広場に大きく陣取り、公演前は公演テントもきっちり閉まっている。公演や腹ごしらえの準備は各テントでされていて、広場に降り立つ頃には賄の良い匂いが漂っていた。
大鍋を混ぜる下半身が馬の男の横を取り過ぎ、衣装を繕う半透明の女性に座長の居場所を訊く。
「やあ、アキラくん、座長なら起きたばかりだよ」
「ありがとう」
起きたばかりということは、顔を洗っているのだろう。水汲み場だ。
水汲み場は桶屋が貸し出している水瓶と井戸がある。顔を洗うなら水瓶で事足りるだろうが、たぶん、蓮月は井戸の方にいる。井戸は広場から少し離れているから、忙しい団員たちは水瓶で済ませているのだ。蓮月は島内を勝手知ったる様子なので、混雑を避けられる。
秋もよく利用している井戸だ。テントの間を抜けつつ、人気の少なくなったあたりで井戸につく。案の定、顔を洗う蓮月がいた。桶に並々張った水に顔を突っ込むから、長い髪もかなり水を含んでいる。
「……おや、おはようございます。アキラくん」
「あ、はい、おはよう、です」
相変わらず目を閉じたまま、蓮月は腰に引っかけていた厚手の布で水分を拭い取る。濡れた髪は軽く拭き、かろうじて滴らなくした程度だ。
「今日は秋と一緒じゃないんですね、どうしました?」
「あ、秋はまだ、寝ていて……その、今朝も寝たの、お昼くらいだったから」
鴻衆や犲衆はもちろん、秋も忙しそうだ。切れた提灯も見かければ火を足すし、酔い潰れた人らを介抱し、喧嘩を仲裁し、店同士の問題も和解させに行く。大抵は夜明けとともに眠りにつくが、その後の片付けも鴻衆たちだけでは人手不足らしく、秋一人で半分くらいの仕事をしている。
秋は、アキラに自分の仕事を手伝わせることはほとんどない。だから先に帰され、秋のいない部屋でひとり起きているのはひどく心細くて、落ち着かなくて先に眠ってしまう。
帰ってくるとわかる。秋は静かに入って来るけれど、秋はそこにいるだけで水の匂いがする。意識がない時には足音さえ水の音を纏ってくるから、それに覚醒を促される。秋に言うと、部屋に帰ってこなくなるから言わない。
今朝も帰ってきたのはすでに日が高くなっていて、部屋は明るかった。そのあと秋が布団に入ってからアキラも二度寝したが、結局早く目が覚めてしまったのだ。
起きたまま部屋にいると、秋はたぶんちゃんと寝られない。眠りも浅いし、そもそも眠ることもなくても影響ないらしい。起こすと、そのまま起きていてしまうから、それは嫌だ。
「なるほど、それで、また手伝いに来てくれたんですね」
「はい、あの、迷惑でなければ……」
蓮月は桶に残った水を地面に零し、石造りの井戸に立てかけた。
「いえ、手伝ってくれると言うなら助かりますよ、ありがとうございます」
「あ……よかった」
この二日で何度か手伝いはしているとしても、役に立つかどうかまで自信はなかった。断られなくて、よかった。
「何をそんなに怖がっているんですか、興味がある子を追い返さないのがワタシたちの流儀ですよ」
「そ、うなんですか」
「ええ」
髪を一束括り、光沢のある太めのリボンで縛った。歩きながら、蓮月は語る。
「ワタシの雑技団はね、世界の各地でこの島にいるような子たちを探して、掬い上げているんだよ」
彼らのおおよそが居場所を持たず、虐げられているのが世界の現状だという。親に見捨てられるのはまだましだ。その特徴を見世物にされることも、希望も尊厳も全て踏み潰されることも、そのまま心を壊してしまうのが大半だ。
この雑技団において、蓮月はそんな彼らの傷を癒すことを第一の目標にしているという。痛ましい、根深い傷跡はそう簡単には消えない。総勢二百人程度の団員の中には未だに回復せず、人形と変わりない生活をしている。砕けた心のまま命を終える者もいる。
「島は良くも悪くも干渉し合うことはさしてないですから、島へおいていくことはないのですよ」
「島へおいて、く?」
「ああ、そのほうがいい子は、やはりいますからね」
そのために、何年かに一度島へ来るのだという。
人前へ立つことを好まない者、静かに生きていたい者、――島に、会いたい人がいる者。本来沙月が蓮月を送り出したのは自力で島に辿り着けない異形たちを連れて帰らせたいからだった。
「沙月様は優しいヒトです。世界に取り残されたワタシたちにとてもやさしい、大事にしてくれるまさしくワタシたちの神のような御人なんです」
蓮月はにこにこと朗らかに言う。アキラは沙月に会ったのは数えるほどで、個人的な感覚を覚えたことはない。こんなに言うほどいい印象がないのは確かだ。――秋が、沙月を良く言うことがないから。
広場に着く。テントの準備はそれぞれできているらしく、今はもう練習の準備に入っているようだ。ひとまず、蓮月のテントへ通される。
「秋と一緒なら分かりやすくていいのですが、アナタ一人では部外者と思われて大変でしょうから、これをお貸しします」
渡されたのは紫色の石がはめ込まれた首飾りだった。造りは粗末だが、鎖は銀だ。石も葡萄の実程度の大きさなのに深く透き通っている。部外者ではない目印にするには地味、かと思える。
「誰かに何か言われたらそれを見せて私の名前を出すといいですよ。ワタシたちが滞在する間、見学も手伝いもなんでも好きにしてください」
「あ、はい、ありがとうございます」
と、言われても。秋を起こさないために出てきただけで、今はどこまでどんなふうに興味があるともいえない。雑用くらいは、と思ってきたのだが。
「じゃあ、そうですね。――ああ、ちょうどよかった、アナタに頼みましょう、レイロット」
「……オレはちょうどよくないです、蓮月さん」
入口に苦い顔をした白髪褐色の男がいた。初日、来たばかりに一際目立っていた二人組の、歌っていた方だ。白い翼を器用に体の前に出し、ため息を隠すように前に出す。
「レイロット、この子を使ってあげてください。秋のところの子だから、丁寧に扱って下さいね」
「終末の魔術師の……?」
長い睫毛に縁取られた朱が細められる。品定めでもするような視線は居心地が悪い。口数も多くなさそうだ、この人に預けられるなら外のゴミ拾いでもしていたい。
いっそこの人が断ってくれれば――と思った矢先、彼はそれまでの仏頂面が嘘のように、柔和な笑みを浮かべて見せた。
「分かりました、オレが預かります。よろしく、少年」
「名前はアキラくんです、レイロット。アキラくん、レイロットはこの雑技団の中でも随一の実力者です、退屈はしないと思いますよ」
とんとんと話が進んでしまった。これでは秋が起きたから帰る、とはとても言い辛い。いや、実際、雑用一人帰ろうと関係ないだろうしそんなことは想定済みだろうが、アキラにそんな判断が出来るはずもなく。
アキラはレイロットについて、雑技団の雑用をすることになった。




