第二十四話 「宣戦布告」
「おい、キリギリス。おまえ、また抜け出したろ」
面倒くさいやつに捕まった、と内心舌打ちする。
左側だけ長い横髪を三つ編みにした男もまた、舌打ちしそうな凶悪な面で睨んでくる。あと寝起きなのだろう。なので、あからさまにげんなりしてみせる。
「その顔、やめろ。わざとやってんだろ」
「そうですケド。なに?」
言いたいことは分かっている。さっき、水辺に出掛けたことを咎めたいのだ。
許可か、メグムの同行がなければ外へ出てはいけない精霊器なのだが、キリギリスはよく抜け出す。回数は二、三週に一度くらいの頻度ではあるものの、外で何をしているかわからないのはだめだ。そんなふうに思われているのは、知っている。
最近はそんなにうるさくないイノリにも「やるんならばれないようにやんな、メグムはあれで怒ったらえらいおっかないからな?」と忠告を賜るほどになってしまった。だが、やめるつもりはないのだ。
「スミマセンデシタ。今日もわるいことはなにもシテマセン」
「その棒読みやめろ、ばか。なにかすりゃ俺にはわかるからな、どうせまた弾いてただけだろ」
実際その通りなのだが、頷くのもなんだか癪なので、目を逸らすことを答えとした。ばれないように、といわれたって、動き回る魔力をメグムから貰っている以上こちらの行動はおおよそ筒抜けだ。
場所はあそこじゃなくても構わない。この同族の多い場所で、何よりも、この屋敷の中では弾きたくはなかった。こっそり、メグムが睡眠で意識を落とし込むのを狙って外へ出る理由なんてそれだけだった。
メグムはその理由は聞かないし、咎めこそするが、強く止めはしない。だからこのやりとりももう形骸化しているような気さえする。
「まあいい、だが今日から二月くらいは控えろ。島に客が来ている」
「客? いつもはそんなこと言わねえのに」
「島を上げた大事な客だ。だけど俺たちは関わらないことにしてんだ、俺と精霊器たちはな」
「そうなのか?」
大事な客に、関わらないことを決め込むのは不自然だ。純粋に疑問に思って、首を傾げる。
「特段の理由はないけど、な。おまえも例外じゃない、わかったな」
「分かりやすい嘘つくね、あんた」
「返事は」
「はいよ、しかたねえ」
ぎろっと睨んでくるメグムに、肩を竦ませてみせる。関わらない理由を、キリギリスが気にする理由こそない。そうしろと言うならそうするまでだ。気が変わらないうちは。
「あと、そうだ。今夜もたぶん客が来るから、日が変わる頃はちゃんと部屋にいろよ。沙月様への客だからな」
それには素直に頷いておく。
沙月への客となると、当然あの終末の魔術師が連れてくる。キリギリスが彼の魔術師の首を狙っているのは周囲に知れ渡っている。来た当初に無茶をし過ぎたせいで、錠と鍵にはもちろん、キリギリスを出して怒られたイノリにも、客が来るときは目を付けられている。
声はかけないが、扉の向こうにイノリが待機しているから、言われるまでもないのだ。
もう日が落ちる。今夜はもう、部屋で過ごすことになりそうだ。
◆
静かな、夜――とは言い難かった。
確かに、広場から遠い屋敷にいても喧騒が聞こえる。大事な客であるというのは、島にとっても、ということだったらしい。
部屋の灯りは既に落とし、遠い提灯の赤がうっすら部屋にあるのみだ。
窓辺に座って、外を眺める。ああいう喧騒は知らないものだ。エマといた頃はエマとふたり、静かな空間しか知らないのだ。いや、エマはひとりで騒がしいやつではあった。
あの頃は、外の世界なんて知ることも興味もなかった。エマがいることが当然で、エマがいるだけでよかった。
こうして外に出てみた今、エマに見せたいもの、エマとやりたいことが溢れている。エマはなんでも見たがるし、なんでも知りたがる知識欲の塊であったから、あの森の外にこんな世界があると知れば――どれほど、喜ぶことだろう。
そればかり、そればかりを考えてしまう。
心にはエマがいる。心どころではない、この身、この記憶、すべてをエマに貰って、エマで象られている。――エマが、すべてなのは変わらない。
精霊器でもなんでもないエマが生きていることはないだろう。わかっていて、奏でる。誰も聞いていない、エマ以外に聞かせることのない時間に。
そういえば。
今日会ったあの少年は初めて見た。真っ白で、怯えた様子の白刃の少年。
あの時間に誰かに会うことの方が珍しくて、つい声を掛けてしまったが。エマへの曲を聞かれたのは初めてである。あの場所は、もう、使えないなと思う。だれもいない静けさが、あの森に近いようで、よかったというのに。
――そこで、気付いた。部屋の周りも静かだ。イノリの気配がない。
イノリは引け目だか何だか知らないが、外にいる時はそれはもういるぞと主張してくる。こっそり客を見に行こうなんてするんじゃないぞ、と。キリギリスだって今終末の魔術師に会ったところでどうにも出来ないのは学んだので、考えなしに行く気はない。
今夜に限って、なぜ、イノリは来ていないのか。
「――……これは」
ふむ。興味はない、知る気もない、まだ手に掛ける気もない――しかし。どうせいないのなら、少しくらいはいいだろうか。
よし。決断は早く。こんな日は次あるかどうかもわからない。
音を立てないように戸をあけ、誰もいないことを確認して廊下へ出る。一度屋敷を出れば誰が出たかなどあっさり分かるが、屋敷の中ではそう判別もつくまい。
廊下はいやに静かだ。精霊器の連中はメグムと人一倍近しいものを除いて、軒並みメグムに従順だ。寝ていろと言われれば疑うこともなくそうしているはずだから、今はみんな寝ていることだろう。
メグムの部屋とは反対方向に足を進める。沙月の間は屋敷の中央だ。大きな窓が一つしかない、いくつかの部屋をぶち抜いたくらいの広さを持つ。
沙月はなんでも見通す魔眼を持つという。であれば、自分がこうしているのも筒抜けなのだろうか。それとも、何でも見える奴はいちいち細かいことは見えても気にしないのだろうか。
まあ、知ったこっちゃない。
沙月の間の近くには女中が待機している。キリギリスは彼女らがあまり好きではなかった。表情は能面みたいで何を考えているか分からないし、手加減もしないから触られるのも嫌だ。たぶん、あのくらい心が死んでいないと、魔眼の世話は出来ないのだろう。彼女らではなく、魔眼の方が容量超過を引き起こすから。
この日も例によって、沙月の間の前には二人の女中が構えていた。あれを突破していくつもりは毛頭ない。まだ客とは歓談中か、あるいは来ていないか。帰ってしまったことはないだろう、日付は変わってそう経たない。
ここで張っていても何も得られるものはなさそうだ。終末の魔術師に見つかるのも困るし、どうせ何も聞こえない場所なら、玄関の方がまだ何か聞けそうだ。そちらに行くことにする。
玄関もなかなかどうして広く、身を隠す場所には困らなかった。ひっそりと棚の陰に潜み、息を殺す。幸いキリギリスは真暗の闇に溶ける容姿をしているから、気配さえ殺せば凌げると考えた。
そうして待つこと数十分。
終末の魔術師は深くフードを被り、大男と二人ばかりの若者を連れて奥からやってきた。大男の方は濃紺の髪を垂らしながら身を屈めて歩いて来ている。その大男が大事そうに手を添えているのが、若い二人組だ。
髪は真っ白、肌は褐色。腰からは大きな純白の翼。女の方は物静かそうな顔立ちで、大男といくつか言葉を交わしては笑っている。柔和な印象だ。
反面、男の方はぴりぴりとした雰囲気を隠しもしない。大男と話す素振りも見せず、唇を引き結んだ険しい表情。右目は眼帯。いかにも訳ありだ。
男の方の鋭い視線の先にいるのは――終末の魔術師だ。
ああ、なるほど。彼は同類か。
終末の魔術師を恨む、かつての生き残りだと、直感した。
正体までは分からないが、まあ、とりあえず精霊器ではないことだけは確かだ。精霊器であれば感じるし、メグムが一緒にいない。
しかし、あの翼だ。白い。鴻衆やらカラスやらの黒い翼は見たことがあるが、白か。カラスたちの肌の色は確か褐色ではないし、であれば、鳥の獣人だろうか。――いや、すべてが流された大洪水を獣人程度が生き残れるとも思えない。
翼、つばさ。なんだったか。どこかで聞いたような気がするが、思い出せない。つばさ、ツバサ、翼。褐色肌に白髪の翼持ち。
「――またあとで、テントのほうには顔を出すよ、蓮月」
「ええ、ぜひ。お待ちしてますよ、秋」
終末の魔術師と、大男がそんな別れの挨拶を交わす。既知の仲らしい。
蓮月と呼ばれた大男は長くぶらぶらさせた袖で口元を隠し、「秋はまだ沙月様が苦手なんですねえ」とくすくす笑っている。あの魔術師、沙月が苦手なのか。
キリギリスは屋敷に住んでいながら、沙月に会ったのは片手で数えられる程度だ。他の精霊器も似たようなものらしいからさして気にしていなかったものの、彼が苦手とするなら接触を図ってみるのもいいかもしれない。
「さ、ふたりとも。秋にはちゃんと改めて自己紹介しておきなさい。この島で困ったことがあれば大抵秋が助けてくれるからね」
とん、と翼持ちの二人の背を押す。女の方は柔和な笑みのまま、ひとつ頷き返している。
「はい、ユフィーナと言います。以後、お見知りおきを、秋さん」
女がドレスの裾を持ち、恭しく礼をする。素直に挨拶した女と違い、男のほうはあからさまに嫌そうな顔を示した。
「こら、レイロット。挨拶は大事よ、ちゃんとしなさい」
「……姉さんが言うなら」
どうも姉弟らしい。弟がぼそりと呟いたかと思うと、眉間に皺の寄った厳めしいまま魔術師を見おろして口を開いた。
「レイロットだ、よろしく」
「もう、レイロット。だめよ、そんな無愛想、かわいくないわ」
「オレは可愛くなくていいんだよ、姉さん」
隠すつもりは微塵もないらしい殺気に、魔術師は頭巾を深く被り直した。
ユフィーナは弟の態度に苦言を呈すと、背伸びして手刀を食らわせた。弟はそれを払わず、自分の手で包みこんで優しく撫でる。ほっそりした指を掬うと、それに口づけて優しく笑って見せた。
「姉さんがかわいくしてろ、って言うなら考えるけど」
と、視線だけで殺す殺気を完全に隠し、姉にはひどく整った顔を最大限活用した笑みを向けているあたりに背筋が寒くなる。なんだあれ。
ユフィーナも「かわいいほうがいいわ」と穏やかに答えているあたりに姉弟だけの閉鎖的なものを感じるが――まあ、そんなことはどうでもいいか。
終末の魔術師はそのどちらを見ることもなく、さっさと玄関を出て行った。蓮月がふたりの世界に没頭する翼持ちを促し、そうしてまた静寂が満ちた。
足音が遠退いたことを確認し、立ち上がる。特に大事な話も聞けなかった。とりあえず部屋に戻って、考えよう。メグムに見つかると面倒だ。来るときのメグムがどこにいるのか知らないから、なるべく早く、そっと戻らなくては。
「――おい、おまえ。今話聞いていただろう」
と。
完全に閉まったはずの玄関が開いていて、冷ややかな目で睨めつける――薄青の燕尾服。予期していない接触に、即座に後ろへ跳び、距離を置く。左手を弓に右足を弦に変え、音を出す寸前に止めた。
「なんだ、なんで戻ってきた」
「いいや、理由は特に。ここはたくさん精霊器がいるんだな」
なんだ、急に。盗み聞きする性根の方に文句を付けられるのか、あるいは何か都合の悪い落とし物を拾いに来たか。どちらにせよ、揉めればメグムかイノリは飛んでくる。何もしかけてこなければいいが。
レイロットは屋敷の奥をじっと見透かすように目を細める。沙月ではないのだ、本当に見透かせてはいない。沙月の魔眼は二つとない代物だ。
だから、いるであろう精霊器たちに目を向けているのだろうか。
「でも、おまえは違うな。他の精霊器と違う」
「は……?」
「覗いているのが他の精霊器だったら別に放っておいている。おまえは、懐かしい匂いがするから、気になった」
懐かしい匂い? そんなわけがあるか。
キリギリスは最初で最後の主、エマしか知らない。エマ以外に会ったこともないし、この島に来る前も来てからもこいつに覚えはない。懐かしいと言われる関わりがない。
「見て分かった。おまえ、弦楽器だな? どおりで、懐かしいわけだ」
「おれはおまえに会ったことはない、人違いだろ」
「違う、初対面じゃあない。こんな口悪い奴が入っていたなんて、オレは悲しいが……まあいい」
何を――言っているのか。
初対面じゃない、なんて嘘だ。会ったことない、記憶にない。
しかし、レイロットはキリギリスの動揺など気づきもしない。細いヒールを廊下の板に足を突き立て、がつんと鋭い音が静かな廊下に響く。掛けた足に体重を乗せ、キリギリスの首襟を掴んで引き寄せる。
朱の瞳が細められて、息のかかる距離で見定められる。
「おまえ、ここにいるってことは――終末の魔術師への復讐が理由だな?」
「――ッ!」
歌うようなささやかな声で、レイロットは告げる。
なぜ知っている、いや、精霊器なんてみんなそんなものだろう、キリギリス(おれ)が特別なわけじゃあない。だから特別身を固くする理由なんてない。ならば、あえてそれを言う意図はなんだ?
わざわざ姉たちを先に行かせて戻ってきた意図は、なんだ。
「今更おまえに干渉するつもりはねえんだけど、おまえ、終末の魔術師殺しなんてやめな」
「な、いや、おまえにそんなこと言われる筋合いは……!」
「いいや、ある。そしてそれはおまえの仕事じゃないよ、弦楽器」
ぱ、と襟を軽く離し、その指をキリギリスの唇に押し当て、それ以上の言葉を封じる。続く言葉は、やはり、知っていた言葉。
「あれは、あの終末の魔術師はオレが殺すよ」
――と。
白髪褐色翼持ちのその男は、凄惨な笑みを浮かべて言い放った。




