第二十三話 「サーカス団"月夜ノ怪物"」
夜がとっぷりと島を包み、月も高く昇った頃。
騒がしい夜が、いつにもまして騒がしい。いつもなら中央広場には多くの屋台が出ているが、今日は一つも出ておらず、広く感じる。その割に人が多く集まっている。騒がしさの一因だ。
秋と共に駅の出口で客を待つ。浮足立つ住民たちの熱に充てられて、アキラもそわそわと落ち着かない。
「秋、ねえ、秋。今日は屋台、なんで出てないの」
「ああ、もうすぐわかる。言ったろ、今日の客は特別なんだ」
段差に腰かけ、屋台飯を食べつつ、秋は答える。あまり食べない秋が、どうしてだか大量に食べているのも珍しい。秋がくれた果実飴は美味しい。
何が来る、とは言わない。もうこうして小一時間は経つのだが。
すぐ分かるなら、まあ、訊かなくてもいいけれど気になるのだ。
釈然としないまま、色の付いた飴をかみ砕く。
「ああ――ほら、来たぞ、アキラ」
秋が振り向き、それに倣って振り向く。そこには――
暗い暗い、駅構内の、そのさらに向こう。
黒い黒い、湖の上を走る、見慣れた電車ではないもの。
電車に比べるといくらか球状に近い車体は数々の角灯に彩られ、軽快な音楽を纏って進んでくる。歪な形は左右に大きく揺れている。今にもどちらかに重心を取られて倒れてしまいそうなのに、しっかりと島に向かっている。
その窓から顔を出し、音楽を奏でているのは派手な化粧を施した異形。島に住む皆々と同じ――獣の耳、色の違う姿、形の歪な身体。
だから、アキラは息を呑んだ。
あんなにも派手に、あんなにも多い人数で、この島を訪れるものを見たのは初めてだ。秋が珍しい、と言ったことにも納得がいく。色鮮やかなそれは軽やかに島へ上がり、それに気づいた一部の住民たちが騒ぎ出す。その発見はすぐさま島中へ広がり、島全体が燃えるように震えた。
「アキラ、笛を吹いて。犲と鴻に知らせてくれ」
「あ……うん、わかった」
呆けていると肩をたたかれ、首に下げた二つの笛を指さされる。細い吹き口を二本とも咥えて、一息吹き込んだ。甲高い笛の音が喧騒の中をまっすぐに突き抜ける。
これで両衆に秋の意図は伝わった。
「こっちにおいで、アキラ。雑技団『月夜ノ怪物』のお通りだ」
「さー、かす……?」
駅の壁際に寄り、秋が頭巾を取る。じきに目の前を車体が通っていき――島の中がいっとう盛り上がる。
線路が終わると車輪ががこんと持ち上がり、線路を下りてゆっくりと地面を進む。太鼓に管楽器、弦楽器に笛が重なる陽気な音楽とともに、
「さあて」「紳士淑女の皆々様!」「久方ぶりの来訪、久方ぶりの夢の時間!」「さあさあ、よってらっしゃい、見てらっしゃァい!」「ご存知の方はお久しぶり! 知らぬ方は覚えて朝を迎えな!」
「――雑技団『月夜ノ怪物』のおでましだぜェ!」
明朗快活、大胆不敵な前口上が轟いた。
「あっ、秋、あき! あれ、あれなに?」
どうやら驚きや訳の分からなさを好奇心と興奮が上回ったらしい。白い頬を真っ赤にして秋の袖口を引っ張っている。
少々面食らう秋。アキラがこうも前向きな反応を見せるとは予想外だ。いつものように萎縮して秋の後ろへ隠れてしまうものと踏んでいた。だがまあ、前向きであるならそのほうが好都合だ。
「行こうか、アキラ。あれをおまえに見せたかったんだ。おまえの手がかりもあるかもしれないからな」
「あれ、見にいくの? ほんとうに?」
「そうだよ。どうした、怖くなったか?」
ぶんぶんと首を横に振るアキラ。いつになく好奇心を表に出すアキラに口元を綻ばせる秋と、めったにない光景に誰が気付くということもなかった。
車体は中央に停車し、展開されていた。紫と黄色の派手なとんがり屋根、それを取り囲む同色のテントたち。それだけでいつもの広場が広場に見えない。
広く取ったとんがりの前では早速十数人が芸を披露している。三つ重ねた大玉に乗る華奢な少年、全身の毛を逆立てて吠える狼男、表面積の少ない衣装を纏った扇情的な女は細剣をたずさえて華麗に舞っている。
一際目立つのは、褐色の肌に真っ白な髪の二人組だった。薄青のドレスに身を包み、白い髪を結いあげた女性が横笛を演奏している。その隣で歌っているのは、同色の燕尾服を着た男だ。このがやがやとした空間でもきりっと響く歌と横笛はどこか冷たさを感じる。
今日は音楽に触れる機会が多いな、とアキラは思う。
――あ、翼だ。
二人の腰辺りから、翼が生えている。鴻衆やカラスと似ているが、純白だった。鴻衆やカラスたちの翼が黒いのはいろいろ混ざってしまったからだ、と聞く。では、あの白い翼は彼らとは違う経緯であるものなのだろうか。
そんなふうに二人を眺めていると、男の方と目があった気がした。鋭い、朱の眼光。歌声にも負けず劣らず冷ややかな視線。
背筋がぞっと寒くなるのを感じた。何かしたか、いや、してない。してないから、もう見ない。怖いから、見ないことにして目線を落とした。
そうでなくても、見目の良い二人組の舞台はあっという間に囲まれ、小さなアキラには見えなくなってしまった。
どこかで芸が素晴らしく決まったのか、ざあっと湧く住民。この島は人の出入りが少ないながらも毎晩お祭り騒ぎだが、こんな夜は初めてだ。
「この雑技団は数年に一回しか来ないし、普段見られないものが見られるしで、なんだかんだ皆楽しみにしてるんだ。長いこと生きてるやつなんかはけっこう友人だったりしてね」
そう言う秋自身、通りかかる団員に「よお、秋! 相変わらずちいせえな!」などと声を掛けられ、適当にあしらっている。体当たりにも似た挨拶をかましてくるやつもいて、秋がここでも慕われていることを知る。
秋は団員の間をすり抜け、するすると進む。アキラが上手くついていけないと、器用にかばい、気付けば周囲よりも幾分上質そうな布でできたテントの前にいた。
入口の見張りに軽く声を掛け、出入り口の布をめくって入る。
「おい、いるか」
「――これはこれは、久しいですね、秋」
テントの奥で書き物をしていた人物が、秋を見るなり手帳を脇に置いて駆け寄ってきた。その身長の高さに、アキラは小さく悲鳴を上げた。
秋に比べると大抵の人物は大きいのだが、ことこの人物については次元が違った。くゆりや弦楽器の男よりもはるかに大きい。若干屈んでいるから天井に頭がつかないでいるようなものだ。
その男は、ぬっと秋の肩越しにアキラを覗き込む。大きいと言うよりは長い体を半分に折るようで、その異様さに腰が引ける。
「初めて見る子ですね。それもアナタが連れているとは珍しい」
「何年か前に来たんだ。おまえたちが前回旅立ってすぐだったかな、覚えてないけど」
「なるほど」
まじまじと。いや、瞼は両方とも閉じられているから、直接見られているわけではない。その分奇妙な不快感があって、秋の袖をつかむ手に力が入る。
じッと顔が近い。長い髪が頬をくすぐり、目をそらせば食べられてしまいそうで、目もそらせない。
「おい、近い。興味深いのは分かるが、繊細なんだ。気遣え」
「おや、それは失敬。あまりに珍しかったので、ついね」
男はぱっと離れ、いたずらっぽく笑う。頭が天井につかないように、身をかがめたままだが、慣れているのだろう。二、三歩軽く下がり、くるりと体を反転させて陶器のティーカップを籠から取り出す。
「ささ、座って下さい。先日仕入れたばかりの香りのいい紅茶があります、今淹れましょう」
秋がそのへんの木箱に腰を下ろすので、アキラもその隣に座った。
男は、目を瞑ったまま正確に紅茶を準備する。テントの中にある灯りはひとつきり、それも硝子が曇ってしまっていて灯りとしては心許ない。むしろ外の方が明るいせいで、テント内はいっそう暗い気がする。そんな中で瞼が閉じているかいないかなど、些末なことなのだろうか。
もしかしたら、目が見えなくなって長いのかもしれない。目が見えないことも珍しくはないから、別段気に掛けることでもないけれど。
紅茶を渡される。この暑い夏の夜に熱い紅茶とは、いささか場違いに思えた。出されたからには文句などあるはずもないから、言わない。ただカップを持っているだけで汗が滲んできてしまう。
反面、秋は汗一つなく紅茶を飲んでいる。
「それで、その子はどうしたのですか?」
男が意匠の凝った机に肘をつき、尋ねる。
「名前はアキラだ」
秋はここ数年、恐らく前回雑技団が来てからのことを簡潔に話していく。あらかた話し終えたかと思うと、アキラを秋が連れまわしている理由だ。呪い持ちでも精霊器でもなく、けれど白い刃を生やす不思議な存在。その正体も、未だに分からないと話したところで。
「その名は、あなたの命名ですか?」
「そうだけど、なんだ」
仏頂面のまま答える秋に、男が「いえいえ」と口元を隠して笑う。
「アナタでも、かわいいことするんですねえ。初めてですよ、アナタが正体がわからない幼子を自分で預かっているのを見るのは」
どういう風の吹き回しですか? と尋ねる男に秋は「しらん」とそっけなく答えた。
それは初耳だった。秋は優しいから、アキラの前にも預かる子がいたものだと思っていた。六百年もあれば正体が分からない子どもなんているだろう。
単に、この男が知らないだけかもしれないが、秋も否定しないところを見るとそうでもなさそうだ。正体を探るのは、きっと今までもやっていた。
なら、秋はなぜ、アキラを傍に置くのだろう。
「俺の話はどっちだっていいんだ。おまえ、生える白刃に聞き覚えはないか」
「さあ、ワタシもすぐには。……なるほど、そういうことなんですね」
秋の陰に隠れようと画策しているアキラにす、と視線を落とされる。瞼の向こうの眼光が、ひどく明確に感じられるような気がして、肌が粟立った。
「わかりました。滞在中に探しておきましょう」
「ああ、頼む」
「あ、秋……?」
男の謎に満ちた雰囲気に圧倒されるのと、秋と彼の間に交わされた話の内容が見えないのとで、不安になる。わからないことは、単純に怖い。秋の袖を引き、見上げる。
「大丈夫だ、アキラが怖がることはないよ」
「ほんとうに……?」
ああ、ほんとうだ、と秋は表情を柔くして、頭を撫でられた。秋が、大丈夫だと言うなら大丈夫だ。それは、知っている。
秋の用事はそれだけだったらしく、残った紅茶を飲み干すと席を立った。適当に挨拶をして、早々にテントを出た。
アキラも置いて行かれるわけにはいかない。急いでついていこうと立ったとき――「そうだ、アキラくん」
「ワタシは蓮月と申します。どうぞ、以後よろしく」
と、うっすら目を開けて、そう、名乗った。その――深い夜のような色の目に、ぞくりと寒くなった。




