第十九話 「眠る楽器のそばで」
意識を落とした精霊器の首襟を掴んでずるずると部屋へ戻ってきた。運びかたが雑になってしまったのは体格差を鑑みて許してほしいところである。
錠に二、三声を掛けて、中へ入ると、布団の上に精霊器を寝かせる。かなり強制的に断ち切ったから、記憶やらなんやらに悪い影響がないといい。あると後々面倒だ。内心肝が冷える。
イノリは布団の枕元にどっと腰を下ろした。依代たる銀の鋏をするりと取り出す。
昨日から、少し使い過ぎた。基本的にイノリが切れないものは数えるほどもないが、使うのに制限はある。明確な回数ではないものの、切れ味が悪くなるのだ。
今回は久しぶりだったこと、連続で使ってしまったため、少し刃毀れしている。依代の破損は精霊の不調でもある。精霊が本調子であるのなら、壊れないし、本調子になれば依代ももとに戻るものだ。
不調というほどではないにしろ、メグムにはあと何度か切ってやる必要があるだろう。それを考えると、やはり休息がいるかもしれない。
精霊器と秋の邂逅は想定の範囲内であるものの、それもかなり悪いほうのものだ。秋が素直に殴られるわけもないから、当然といえば当然の帰結なのだが。
そもそも秋は精霊器との相性がすこぶる悪い。世界を静めた魔術師はつまり、すべての精霊器から主を奪ったと言ってもなんら相違ないのだ。あの洪水は一流の魔術師であっても生き残ることが不可能な、そんな呪いだった。そのことを深く自覚している秋は、精霊器に関わらない。
メグムがここで精霊器を扱うようになって、数百年は経つ。異形と言えど寿命は逆らえないもので、必然的に長く生きるもの同士の仲は深まる。メグムの唯一の友人が秋であるのなら、メグムの精霊器も付き合いは長くなる。中でもイノリやトモリは、元の主に執着がなかったから、よくよく話をする。
話してみれば、そう悪い奴ではないことくらいすぐにわかる。イノリからすれば、メグムも秋もさして変わらないこどもだ。いくら年を重ねていようと、どんな修羅場を越えていようと、ある一定の成長が出来ずにいる。そしてそれが出来ない限りはどうしたってこどもだ。
幼いまま、世界を滅ぼすなんて業を背負ってしまったが故に、あれはたいそう難儀だ。自分を責めることですべてを近づけず、何も内側に入れない。イノリがそうはいっても秋と親交を深められているとすれば、イノリが洪水を責めたてないからだ。
傷つきたくないから、傷つけるものには近づかない。当然の自己防衛だ。
洪水の真相を沙月に聞かされてからは、多少なり思うところがあるらしいメグムも、新しい精霊器が来るたびにその事実を語って聞かせる。だけれど、主を亡くした精霊器にとってそれは関係ないことらしい。
みな一様に、秋を見れば憤慨するし、恨みをぶつける。そうするしか、できないらしい。
まあ、それも致し方ない。秋が傷つきたくなくて距離を置く幼さがあるのなら、精霊器はそもそもどんな感情も初めて持つのだ。持て余して何も不思議ではない。
さて、それよりも、今のイノリにとって重要なのはメグムが怒り心頭になっていないか否かだ。勝手に出して秋と接触させたとあればさぞ怒っていることだろう。精霊器の感情の揺れは全部伝わるから、意識を切り落としたこともばれているだろう。正直とても怖い。
「イノリ、いる?」
一瞬、憤怒のメグムかと身を固くしたが、違う。これはメイだ。
「ああ、どうした。ドア越しに」
もともとこの部屋はメイとツバメの部屋だ。錠も承知の上だから、入れないなんてこともない。するとメイは、
「いや、下手にあけてまた逃がしたくないしね、おれ」
と、苦笑交じりに皮肉を言う。メグムに言われてここへ来たことが明らかになってしまった。メグム本人ではないことを喜ぶべきか、説教の機会が二回に分かれたことを嘆くべきか、悩みどころだ。
今は意識がないことを伝え、メイを部屋に入れる。メイは意外にも一人だ。
「今日はツバメのお嬢と一緒じゃあないんだな」
「うん。ツバメはメグムのところに残ったの。新しい子が結構危ない子だから、こっちに連れてきたかったんだけどね」
じろりと睨まれる。墓穴を掘ってしまった。
ツバメは島にいることがまず少ない。その中で、いる間はメグムにほとんどついて回る。勤勉なのはいいことだ。メグムも弟子がかわいいらしく、妙にはりきるから見ていて楽しいくらいだ。
「だからはやく戻りたいのよ、おれ。どこかの誰かが外に出したりしなかったらそもそも離れずに済んだんだけどね」
「悪かった。俺だってあんなに強引に出ていくとは思わなかったんだよ」
メイの機嫌は当然最下層だ。延々とツバメのそばを離れたくないのにとか言われ続けることになりそうで面倒だ。メグムが怒っていることを伝えに来ただけならさっさと戻ってほしい。いや原因を作ったやつが偉そうに言えたことではないが。
だが、新しい子の話は聞いておきたい。
「新しい子ってのは、秋が連れてきた白い子だよな」
「そうだね。けっこう怖がりだから、イトエが大活躍」
と、いうことは、つまり、器の制御ができていないということか。器の制御はその器に落とし込まれた時点で学習するものだが、何事も例外というものがある。魔術師の腕が想像を絶するほどのへたくそで、精霊器として完璧ではないのだろう。
そういう、いわゆる失敗作は作った当人にしか扱えないことが多い。それを知った秋の顔が妙に想像できてしまって、その白い子の先を案じる。
メイはこの世界でツバメと出会い、きっと彼女の終の器になるのだろう。ほかの精霊器であってもそういう出会いは、確率は恐ろしく低いけれど、そういう出会いに恵まれるかもしれない。だが、失敗作にはない。
「――そういえば、メイ」
この精霊器が秋のことをどう思っているかは、聞いたことがなかった。答えるまでもないし聞くまでもないとは思いつつ、なんとなく聞いてみたくなった。
唯一の主を見つけられない失敗作に同情でもしたのか、それとも強烈に焦がれる精霊器にあてられたのか、自分を作ったあの女のことを懐かしく思ってしまったのかはわからない。
「……おれは、洪水以前にもう最愛の主は失くした。それも、主に裏切られる形でさ。だから終末の魔術師も正直どうでもいいっていうのが、本音だ」
なるほど、それはたしかにそうだ。イノリが秋に対して固執しないのと同じだ。イノリと違って、メイには気にかけるべき存在がある、というだけの話。
メグムはイノリにとっても、ちゃんと主だ。重宝してくれるし、大切に扱ってくれるよき主だ。だけれど、彼が唯一で、彼の唯一だとは口が裂けても言えないのだ。それはトモリ(いもうと)も同じだ。ほかの精霊器たちも。
メグムを唯一の主として尊敬し、愛しているのは彼の愛刀と、せいぜいイトエくらいのものだ。
「いや、それはさすがにメグムがかわいそうだし、極端だと思うけど。イノリの兄弟たちは作り手の影響だろうけど、ほかの子らはメグムっていう主がいるから心を壊さずにいられていると思う」
「そうかね……にしても、おまえ、普段いないのに詳しいな」
「サザにきいた」
サザ。常々屋敷のどこにいるのかもわからないようなやつと、どういう経緯で話をしたのか気になる。あの男はメグムに一番大事にされているくせに、屋敷でメグムのそばにいることはまずない。
まあ、それについてとやかく訊いたところで、メイの機嫌が悪くなる一方だ。やめておくのが賢明である。
「引き留めてすまんな。主にもすまん、あんまり怒らないでくれと伝えておいてくれ」
「あいあい。じゃあね」
部屋を出てすぐに早足で去っていく。足音が遠退くと、部屋には元通りの静けさが降りたつ。精霊器の寝息は規則正しく穏やかだ。
最愛の主を失くした傷は新しい出会いでしか埋められない。それは、まあ、非情だが、真理だろう。その出会いは、メグムではない。
それは幸福なのか、それとも不幸なのか。メグムはいい主だけれど、やはり、一人の人だから、傷を癒せるほど向き合うには精霊器だけに絞らなくてはいけない。だから、この精霊器にとって、メグムに心酔しないのは救いであってほしいと思う。
メグムがいるから精霊器としてこころが壊れずにいられるとか、そんな様子ではない。契約するくらいならいっそ体なんてなくてもいいと考えている。
そうであるのなら、新しい主と出会うか、メグムとこのまま仮契約がずっとつづくということもあり得る。ツバメともうまく行かなかったことを考えると、前者の可能性はないに等しい。後者はメグムの命に関わってくるから、あまり考えたくない。
いっそ望むまま、契約せずに保管してやるほうがよいのではいか。
「………………ぅ」
心なんてあるだけしんどい。人と違って、そう簡単に成長できないのだから――と考えている間に精霊器が唸る。どうやら目を醒ましたらしい。
「起きたかい? あんまり暴れられても俺じゃあ止められないんでな、意識を切らせてもらったぜ。すまんな」
「いしき……」
ツバメが土産に買ってきたらしい茶葉を勝手に開け、ぬるめのお茶を淹れてやる。卓袱台に自分の分と一緒に置いて、精霊器が起きるのを待つ。
寝起きの掠れた声で、彼は呟く。
「ゆ、め――――を、見た」
「夢? なんの夢だ?」
「エマと過ごしていた頃の……エマとの最期の、夢」
声に覇気がない。起き上がる気力もないらしく、そのままぽつぽつと喋る。
「あんたが、エマの夢を見るように、させたのか」
「俺がかい? 俺は切るしか能のない鋏だ、夢を見させるなんて芸当できねえなあ」
その言葉に嘘はない。ないが、しかし。
メグムや秋に関する感情だけを選んで切る余裕はなかったのが現実だ。たぶん、憤り以外もごっそり切り落としてしまった。知識こそあるものの、そのあたりに対する感情はほぼ切れたといってもいいくらいだ。
おそらく、精霊器の記憶を強く形成していたのがその二つと、エマという魔術師のものだったのだ。その直近のふたつが急に鳴りを潜めたせいで、エマと記憶が表に出てきたと見てよさそうだ。
「精霊器も、夢って、見るんだな」
どんな夢だったのか、イノリにはわからない。悲しいものだったかもしれないし、とても幸せなものだったかもしれない。精霊器自身の自責や望んだものが見られたかもしれない。イノリにわかるただひとつのことは、その夢が彼を泣かせている、ということだけだった。
精霊器は眠らなくても大丈夫だし、その眠りは大抵浅い。言ってしまえば足の裏を少し濡らす程度の水溜りに足を入れているようなものだから、夢なんてほとんど見ない・
ただ、見ないだけで、見られないわけではないのだ。それを、イノリは言ってやる。いつだか自分を作ったさみしい女が、イノリに言ったことを。
「そりゃあ見るさ。心があれば、夢くらい見るよ」




