第十六話 「イノリとキリギリス」
秋が来た、しかもどうも長引きそうな案件を持って来ているようだとすると、この沈黙が長引くことにいささかの覚悟が要るだろう。
まあ、待つのも静かなのもそう苦手ではない。これがイトエあたりだと、早々に音を上げて茶菓子の一つ、話の一つでも差し出さねばいられず、相手によってはイトエ一人の宴会になると予測される。だがイノリは生憎と、そうした手間は渋る性質だ。無言が嫌ならば適当に話を振るにとどめるし、応じてこないのならばそれでもかまわない。
と、長期戦を覚悟したのも束の間、精霊器と視線が合った。
「どうした」
「……あんたは、あんたも精霊器なんだろう。あの週末の話を聞いて、その魔術師の名に平然としていられるのか」
なぜ、と問う。なるほど、自分の感情の整理に付き合えということか。
その手の話はまあ、やぶさかではない。暇つぶしにはちょうどいいので、答えてやることにする。
「結論から言えば、そうだな。さして興味が無い、ってところか」
「な……?」
「俺はさ、その、おまえみたいに誰にとっても終の器になれなかったんだよ」
終の器。唯一の主に唯一の精霊器として必要とされた精霊器を指す。その主は様々な人の手を転々とする中で出会ったものも含むけれど、最高峰は呼び出した主のそれとなり、その最期をともに過ごした精霊器だ。そう、この弦楽器のように。
そんなふうに在れることは、精霊器にとってとてつもなく幸せな事だ。同時にそれはとても難しいことで、そう在れないものもひどく多い。子に譲られるのはまだ良くて、正式に譲られることもなく、必要としてくれる人を見つけて貰えず、何年も放置されることだって珍しくはない。
あとは何らかの原因によって、壊されてしまったり――売られてしまったり。
「それであったとして、基本的に終の器は一人の主につき、一つだ。人の心はたくさんのものに平等に深く砕けるようには出来ていないからな」
一人の魔術師は一つの精霊器としか心を通わせられないというといささか暴言ではあろうが、事実だ。その存在の貴さが分かるというものだ。
そもそも、複数の精霊器を扱えるものが、本来ならばそうはいないのだ。精霊器を維持する魔力も精神力も、上級の魔術師であってもひとり一つが限度。そういうものなのだ。
「ほら、言ったろ。俺は薬箱の鋏だ」
「それが……どういう……」
「俺の創り主はね、手当たり次第にガラクタを器にして精霊器を創り続けた。それを売り払って生きていたんだが、まあ、俺みたいなのは売れ残るわな」
痛みを切り離せるだけで、実際の傷は何にも治せやしない。『彼女』の作品にしては出来損ないの部類であり、失敗作であると強く自覚している。結局終ぞ買い手はつかず、製作者のもとへ最期の時まで残ってしまったが、『彼女』自身に精霊器など必要なかった。
ほんとうに必要とされて創られたわけではなく。
ほんとうに必要としてくれる人にも出会えなかった。
イノリはそんな精霊器だ。だから――世界の終わりなど些末なことに過ぎなかった。
「……それ、は」
何といえば良いのか分からないという顔をして、精霊器は押し黙る。ずっと一人の主とふたりきり、世界の終わりまでそのほかをなんにも知らなかったようだから、ほかの精霊器が皆自分と同じだと思っていたのだろう。
その認識の差異に、別段憤ることもない。メグムや古参の精霊器たちしか知らないような話だ、最近精霊器について学んでいるツバメも知らなかっただろう。あれの精霊器はツバメに対して過保護だ。知らなくてもいいことをわざわざ教えていまい。
「いや、おまえは幸せな精霊器だ。それに別に気負うこたないし、気負う気もないだろう。それでいい。で、それが先の質問だ」
そんな顔をされたら調子が狂う、とイノリはあっけらかんと続ける。
――どうも、精霊器の反応を見るかぎり、よほど前の主の心が優しかったらしい。
「だからな、おまえのその気持ちは大事にしてくれ。それとは別にだな――主の、メグムのことをあんまりいじめないでくれると、助かる」
「――――」
「あれで馬鹿正直なお人好しなやつでな。命に関わりがありそうでも精霊器に応えてくれる。おまえさんから取られる魔力の激痛にも耐えて毅然としている」
今はまだイノリが切り離している効果が続いているから、実際のところ、聖痕付近に若干の違和感があるくらいだろう。再び痛みが顔を出すのは日が沈んでからだ。
そんな嘘を交えて、会話を続ける。
「俺は痛みを切り離すだけの精霊器だけど、あの御仁はそれを望まん」
イノリの能力を明かした今、疑いを受ける前に釘を刺すことも忘れない。こうしておけば、性根の甘い精霊器は絆されてくれるだろう、と確信に似た期待が胸中にあった。
精霊器というのは主から心を分け与えられて、自分の心を形成するものだ。垣間見える甘さは彼を呼んだ女の性質だろう。イノリとて、呼んだその人しか知らずにいたがゆえに形成している自我はその女から受け取った心が占めているはずだ。
戸越に錠前に合図を送る。もうそう気張らなくても、たぶん暴れることはないだろう。それはここで一晩彼を出さずにいたことに対する労いであり、慎重さと真面目を極めている彼らの負担を少しでも下ろしてやるためのものだった。
「イノリ――だった、か」
「ああ、イノリだが」
「あんたが言いたいこと分かったし、あの男から搾り取るのはやめる」
目線を落としたままなのが気になったが、声音ははっきりしている。うまく行ったか、と内心息を吐く――その瞬間。
「だけど、水の魔術師を一発ぶん殴ってからだ。でないと腹の虫はおさまらねえし、そんな余裕はねえんだ」
ゆらと腕が動いたと思うと、腕は弓に足は弦になっていた。弦楽器とは思えない、荒々しい音――そんな音が出るものなのか。鼓膜を貫き、脳に浸透する。一秒遅れて脳が震わされる。
「あ、ぐ――――、おい、にいさん……ッ!」
「悪いな、ちょっと行かせてくれ」
言葉と顔と裏腹に粗雑さのない手つきで、戸の前のイノリを抱え飛ばし、戸に手を掛ける。動揺したのはイノリだけでなく、当然錠も真価を発揮できなかった。がくんっと鈍い音を出し、戸が開いてしまう。錠の抵抗も虚しく、次の瞬間には精霊器は走り出していた
完全に混乱状態に陥る錠。イノリはしかし、いち早く落ち着きを取り戻した。
「悪かったな、俺が気を抜かせたばかりに。……まあ、俺がちゃんと捕まえてくるから、待っていてくれ」
ひとつ謝罪をし、銀の鋏をしゃきんと切り鳴らす。錠の意識から混乱が切り離された。意識の大部分をそれが占めていたせいか、気を失ったようだ。混乱は返すつもりがなかったから、完全に切り離した。メグムの痛みとは違う切り方だ。
さて。
追いかけなくては。




