第十五話 「かつての世界のこと」
この世界が水に沈んだ、というのは、この話をする上で最初に語っておくべきことであり、同時に誰もが知っているが故に省いたとしても何も問題は無いことだった。メグムも例によって、そこから話を始めるかに思えたが。
「おまえの知りたい世界の終末の理由だが、その前に。そもそも沈んだ世界の前にはもう一つ世界があってね、そこには七つの種族がいた」
妖精族、巨人族、翼人族、人魚族に、聖竜族――そして長耳族。
それぞれがそれぞれの縄張りを持って、そこそこに関わり合いながら暮らしていた。一種族の中でもそう数は多くなくて、全体でもとても少ない、小さな世界だった。
彼らの世界は穏やかに、争いも諍いもなく、平和だった。――ある時までは。
その戦いは、唐突に始まった。
聖竜族を除いて、彼らは総じて魔法というものを扱った。今は秋くらいしか使い手がいない魔術の上位互換が、魔法だった。その中でも長耳族が突出して扱いが上手かった。その長耳族が得意だったのは、『平行世界への干渉』だった。
彼らは自分たちの魔法でそれができることを知り、ひっそり、こっそりと、他の種族にはひた隠しにして、大きな魔法の準備をした。何年も、何年も。
初めは小さなものから他所の世界から持ってきて、あるいは送り込み、いつかは恒常的に出入りが出来る門を作ろうと目指した。そうすればこの世界はもっと豊かになるだろうし、もっと長く長く存在していられるかもしれないと、寂しがり屋だった長耳族たちは考えた。
あと少し、あと一歩でその門は完成する――その直前のこと。
彼らがひた隠しにしていた森の奥の洞窟の、さらにその奥にあった工房は巨人族によって暴かれる。巨人族は怒り狂い、工房の長耳族をすべて外へ引きづりだした。
――「なぜ、相談もなくこんなことをしたのか」
――「我らに隠して何をするつもりだったのか」
情に厚く、けれど賢くなかった巨人族はそう叫び猛った。だから長耳族も返した。泣かせるつもりはなどない。あるはずがない。むしろずっと共に在るためにこうしているのだと。
――「だって、この世界の命もいつかは尽きるわ」
――「尽きる前に補充しないと、消えてしまうわ」
それを聞いた巨人族は慟哭した。なぜ、なぜ、と問うその叫びは、ただひたすら悲痛だった。我らは消えるとしても、皆一緒ならば怖くはなかった。そう在れる終わりならば受け入れた。皆一緒ならば、寂しいことなどなにもないだろうと。
そこで、二つの種族が互いのすれ違いに泣き、その体を抱きしめることができていれば、一度目の終わりは来なかったのかもしれない。
巨人族の一人が、感情のままに投げてしまった石が工房を崩す一撃となり、洞窟が塞がった。その中に大量に溜め込まれていた魔力は一気に暴発し、辺り一帯を吹き飛ばした。そこにいた長耳族も巨人族も、すべて、塵となった。
その後の崩壊は早く、そして止まることが出来なかった。
その場にいなかった双方の仲間たちは互いが互いに殺されたと思い込み、二つの種族間で大きな戦争が起こった。素早さと多彩な魔法で戦う長耳族と、魔法は得意ではないが、膂力において長耳族を大きく上回る巨人族。どちらの力も強力で、どちらも譲らなかった。
唐突に始まった戦いに、他の種族は困惑した。
止められないと早々に悟った人魚族は海の底へと身を隠し。
どちらも大切で味方などできないと泣いた臆病な聖竜族は傍観し。
どちらをも止めようと割って入った妖精族もろとも三種族は滅んだ。
すべてが何もなくなった荒れ野にて、何も知らないまますべてが終わっていた翼人族は、すでに涙すら出なかった。だって、何もできなかった。涙を流す権利すら、自分達にはないものだと思えた。
ひたすらに後悔を重ね、自責の念が彼らの心を砕き、それでも苦しさを抱えて、彼らは贖罪をする。
巨人族が作った土を捏ね、妖精族の翅の粉を振り、自らと、あるいは死した仲間たちと同じカタチをしたヒトを作ったのだ。最後に長耳族の血と自らの血を以て、命を与えた。翼人族は、新しいヒトといういとおしい現身に世界を預け、それを最後に、世界への干渉はしなくなった。
――世界を創った自分たちが、もう壊してしまわないように。
「――ここまでが、最初の世界の話。おまえたち精霊器はヒトが創りだしたものだって聞いている」
「ああ、それは、知っている。最初の世界の話も、たぶん、聞いたことがある」
歯切れが悪いのは、たぶんほんとうに記憶が怪しいのだろう。精霊器を造るのは魔術師で、魔術師たるものおおよそ世界の歴史などの原点には好奇心旺盛なものだ。そうであるなら、聞かされる機会もあったことだろう。ただ、本人の興味関心を引かず、結局忘れ去られているだけで。
とはいえ、イノリの造り主はそういうものに興味が薄かった。あれこそは例外だと、あらゆる精霊器と出会った今ならばわかるが、あんな魔術師もそうはいまい。
「それで? 二度目の世界ってのが、おれたちが造られて水に沈んじまった世界なんだろう」
「そうだ。翼人族の作った人には魔力がまばらだったり、妖精族や巨人族の影響を大幅に受けて生まれた魔人族がいたり、途中で獣人族がつくられたりはしたらしいけど、そのへんはおまえのほうが詳しいだろうから省こう」
次の世界はたいそう栄えた。時間にしてみれば、最初の世界の三倍は長く続き、たくさんのヒトが生まれた。
最初に彼らを創った翼人族こそ姿を見せなかったが、かつての仲間の影を見た人魚族の少女はひっそりと小さな国を新しい世界に持った。もう亡くすことも寂しいのも嫌だった聖竜族は世界の転機となるひとのもとに現れ、手助けをするようになった。
そうして、世界は長い目で見ても平和に、当然あるべき姿になっていった。
最初で最後とも言える、その異変が起き始めたのは、終末から遡って四百年ほど前だった。ある女が、 歴史の各地に姿を見せるようになる。翼人族はヒトに永遠の命は与えなかった。にも関わらず、その女は寿命を軽々と越え、あらゆる歴史に干渉していた。どの地点においても彼女は白い髪の美しい女、と言われ、ある種の崇拝や信仰すらも集めていた。
その女の名前は、シャルム・フィラフト。
その正体は――生き残ってしまった最後の長耳族。
彼女或る願いを抱え、企みの駒を少しずつ進めているところだった。歴史への干渉はその過程でしかなく、準備でしかなかった。
シャルムはかつて失敗した方法を成功させるために、あらゆる手段を講じ、試しては失敗し、だが、最後には成功した。
「これも、やっぱり、成功してしまった、というべきだと思っている。俺は」
「……最初に失敗した方法てのは、あれか? 平行世界への干渉……ってやつ」
いまいち平行世界、というものに実感がわかないらしい精霊器は顎に手をやり、思案顔をする。
まあ、その長耳族という種族以外にその魔法は成功しなかったらしいから、今真偽を確かめる手段は無いと言える。話しているメグムも実感なんてないのだろうから、そこは議論するだけ無駄だ。
「とりあえず聞け。シャルム・フィラフトは成功したんだ、平行世界とを繋ぐ門を完成させた。それが正しく門だったかは定かじゃあないがな」
――そこで、彼女は出会う。まだたかだか十五、六の少年と。
シャルムの考えていた願いの叶え方に、かつてのやり方は合わなかった。まず工房を作る場所が無かったし、魔力も彼女一人分では到底足りなかった。そこで彼女は呪いを依代の身体に植え付けることにした。
その呪いは体内の魔力を食って成長し、膨らみ、大きくなるものだったという。ただ、そこらの魔術師の身体では目的を達するに至るまでには出来そうも、なかった。それに、もともと魔力を持つ身体では上手く根付かない可能性すらあった。手当たり次第にできるほど安価なものでもなかったので、彼女は慎重に依代を選ぶ。
「その依代に選ばれたのが、その平行世界から連れてこられた少年だった」
対象となった平行世界に魔法だとか、魔力だとか、そうした概念を持たない。そこから連れてこられた少年にもそうした、不純物がなかった。すぐに呪いの種を植え付け――そこで、誤算に気付く。それも、嬉しい誤算だった。
よその世界から連れて来た少年は年を取らなかった。その分、魔力が馴染みやすく、そして呪いを大きくしやすいものだった。
少年は自分でもそうと知らずに呪いを大きくしながら、着々とシャルムの計画は進んで行く。何度か間違えて帰してしまったりもしたものの、おおよそ計算に狂いはなかった。
少年は、シャルムのことなど知らないまま、一人の少女と出会った。
少女の名前はリーゼロッテ。水の魔術が得意な、自分の国を追われた少女。
少年とリーゼロッテはすぐさま仲良くなり、常に共にいるようになったが、シャルムには関係なかった。彼女は目的さえ果たせればよかったから。
何度か調節を行って、少年は大きく呪いを育て終えた。少年がそれに気づいた時にはすでに止められず、少年は呪いを解き放つほかはなかった。
――シャルムの狙いは、世界の破滅だった。
ひとりで生き残ってしまった彼女は、やはり寂しがり屋で、それゆえに滅んだ長耳族だった。同胞や古い友のいない世界は亡くなってしまえばよかったし、そこにまた古い自分達だけの世界を創りたかった。
故の破滅。
故の破壊。
少年はその命と引き換えにすべてを滅ぼす呪いを解き放った――はずだった。
結果として、少年の命は助かった。傷一つなく、年を取らない身体のまま。
少年を救ったのは、リーゼロッテだった。彼女の得意な水魔術の本質は、シャルムら古代の魔法と匹敵するものであり、そしてシャルムの呪いの余波をおおいに受けて、いなし、自分の力としてしまっていた。
それこそが、シャルムの最大の誤算。
世界は水に沈み、壊れたけれど、その支配権は少年のもとにあるままだった。本来であれば、一度世界を壊し、依代すら破壊し、最後にシャルムが世界を修復する、という術式の魔法だった。だが、リーゼロッテが呪いの半分以上を請け負ってしまったことで、世界の崩壊は中途半端となる。すべて壊し尽さなかったがために、修復するという術式が発動せず、世界の支配権は少年が持ったままとなった――
「まあ、察しているだろうが、その少年がまさしく、おまえが探している終末の魔術師だよ」
長らく喋って渇いた喉を、お茶で湿らせた。半ばごろでイノリが淹れたものであるため、少しぬるくなっている。
「……」
精霊器は黙りこくっている。これだけの長い話、一度聞いてすべてを理解するにはいささか内容が濃い。イノリがそっと彼の前に押し出したお茶を手に取ることもなく、黙る。
イノリとて、この話を聞くのは久しぶりだった。精霊器を集め始めた頃は聞きたがるものも多かったけれど、今となっては新しい精霊器を迎えることすら少ない。メグムは聞きたがる精霊器のために、とその辺の知識は一通り仕入れ、語れるようにしている。――メグム自身が、それをどんな話だと思っているのか、終末の魔術師のことをどう考えているのかは、イノリも知らないが。
「…………おれの」
精霊器がゆっくりと口を開く。
「おれの、エマはそんな理由にしんだのか」
愕然と、やるせなさを滲ませた声音に最初のような威勢はない。掴みかかってくるかとの警戒は無用となってしまった。それでもイノリは、肩の力は抜かず、すぐに立てるように体重をすこし浮かせることにする。
――彼の悲痛を、絶望を、イノリは推し量ることができない。
「まあ、その長耳族の女にとっちゃあ、新しいものすべてが要らなかったんだろう」
メグムが頭をがしがしと掻き、気休めを言う。それが何の気休めにもならないことは、主とて知っている。黙りこくるイトエも、おおむね同じ意見だろう。イトエも幾分、気を使いすぎるきらいがある。
「おれはさあ、見てのとおり、弦楽器なんだけど」
そんなふうに、黒の精霊器はぼんやりと、話し始めた。声は静かで、しかし震えているのが分かる。話すことなどないと言っていた、そのうちのなにかだろう。
「おれを呼び出した魔術師はすっげえ幼いこどもでさ、まだおれの本体だってちゃんと持てないような、ちびだった」
このくらいだ、と座った自分の胸元くらいを手で示す。
「それが出会いで、ずっと、世界が終わるそのときまで一緒だったんだ」
幼かった少女が、美人な魔術師になって、他の何者の介入もない時の止まった森の奥で、二人で生きていたのだと。何の前触れもなく、外の世界の介入など一切受けないはずの森は一瞬ですべてが水に沈んだ。木も花も、僅かにいた動物たちも――小さな木の小屋でさえ、ぜんぶ。
別れを覚悟する暇も、告げる暇も与えられず、気付けば愛しい魔術師はどこにもいなくて、精霊器の存在すら知らないような人間に拾われた。魔術師がすでにこの世に居ないことを悟るのに時間は要らず、世界を呪って、意識を深く落とし込んだ。もう、会えない、弾いてもらえない、触れてもらえない、喜んでもらえない、そんな事実から目を逸らしたくて。
「世界を水に沈めた魔術師がいるって聞いたのは、あのツバメとかいう女からだ。ここへ向かう最中にさ」
「それまではずっと知らなかったのか」
「起きてりゃ魔力だって使うしな。どこぞの蔵の奥深くで、価値の高い美術品みたいに仕舞い込まれたのをいいことに、ずっと眠っていた」
それを起こしたのが、今回ツバメが向かった先のご息女、というわけだ。あまりにも搾取される魔力量が多かったせいで後回しになったが、その報告もあとで聞きにいかなくてはならない。
黒の精霊器は語る。
そういう天災はいつだって人の都合など考えてなどくれない。山の大噴火だって、地響き轟く地震だって、――すべてを流し尽くす洪水だって。だから、あの終末の洪水も、きっとそうだったと思ったから、何も考えずにただ世界を呪ったのだ。
それが、世界の仕方ない天災などではなく、たったひとりの魔術師によって引き起こされたものだと知れば、諦観を含んでいた憎悪が諦観をも飲み込んで、どろどろと黒い感情を作り出す。至極、当然のことだった。
「今でも憎い。いくら黒幕がいて、その被害者であったとしても、おれのエマはその魔術師にころされたから。……けど」
精霊器の言葉はそのまま発せられることもなく、ただしとやかに沈黙が降りた。ただ、今度はその表情から感情を察するには余りあるくらいであった。
――そんな話を聞いて、それでもいままでのような殺意を向けるのは不可能だろう、と。概ねそんなようなことを思っているのだと、見るからに分かる。
「……さて。おまえの話はまた夜、聞きに来よう」
イトエを解き、メグムは立ち上がる。人型に立ち戻ったイトエは、ふらふらと覚束ない足取りの主の手を取り、支える。錠前へ声をかけて、廊下へ出ようとすると、小さな灯りと鉢合わせた。
「トモリ」
「あのね、お客さん、秋が来てる。秋と、ちいさくて白い男の子」
「男の子?」
メグムの部屋で留守番をしていたトモリだ。もともと口数の少ない彼女は言うだけ言って、さっさと引き返していく。
秋が来たのか。世間話をしに来ることは間々あるが、同伴者がいるとは珍しい。秋は大抵、ひとりでいる。イノリも島で暮らして長いが、秋が誰かと生活していることは聞いたことがないくらいだ。
「イノリ、ちょっとここで精霊器といてやってくれ。頼んだ」
「ああ、任せてくれ」
ぱたん、と戸が閉まり、しんと静まる。二つ分の気配が消えただけ、部屋の静けさがずしりと重い。イノリは戸に背を預ける形に移動する。




