第十四話 「話をしよう、拳ではなく言葉で」
メグムが目を覚ましたのは結局東の空が白んですぐだった。腕の聖痕から持っていかれる魔力の量が一気に増え、その痛みで意識が覚醒してしまったのだ。
痛みは絶っていたとはいえ、汗がひどい。眠っていたはずなのに疲労はむしろ増したようだ。
「イノリ」
「なんだい、主」
「イトエを呼んできておいてくれ。風呂行ってくる」
「あいよ、わかった」
メグムが風呂場へ行く世話はトモリがするので、イノリは早々に主の部屋を出た。トモリは角灯で、火を扱う。たぶん、楽器とは相性がいい。へたにメグムの愛刀を呼ばずともいいだろう。
イノリはメグムの部屋から見て右手へ進む。メグムの管理する精霊器はある程度の自由が与えられており、特にこの屋敷の中では沙月の間に近寄りすぎなければあとはほとんどどこにいてもよい。秋はメグムが屋敷の一部を縄張りにしているといっているが、実際はその一部の境界はかなり曖昧である。
必然的に特定の精霊を探すのはその気配を追うことになる。イノリは従来の性分が大雑把であるために、探すのは苦手なのだが――
「……おい、絃衣、おまえさん、なんだってこんなところに寝てるんだ」
今日はどうやら運がよかったらしい。
廊下の行き当たりに白いものがひとつ。布団だ。わざわざ重い冬用の布団をこんなところへ持ってきて眠っているようなやつには心当たりは一つしかない。
その布団を無遠慮に剥がす。茶色と赤が混在する独特の髪が零れる。よし、あたりだ。しゃがみ、さらに解体を進める。ごろんと布団からずり落ちる体は受け止めずに避けたので、ごとんと頭蓋骨を打つ音が振動となって足に伝わる。
「あだッ」
「おはよう、イトエ」
むくりと体を起こしたイトエは赤くなった額を指で擦り、それでも未だ寝ぼけた顔をしている。「イノリさん?」
「おまえさん、へんにこんなところで寝てると今に痛い目見そうだ」
「はあ……それで、どうしたんです」
「主が呼んでる。新入りが夜中に来たんだが、どうにも厄介そうでな」
頷きながら欠伸をするイトエ。のそのそと布団から這いずり出る。あちこち跳ねたり絡まったり忙しい髪に手櫛を通そうとして、うまくいかずに諦める。肌蹴た襟を合わせるのもそこそこに、「よっこらせ」と布団を抱えた。
「ボクが呼ばれるの、最近はあんまりなかったなあ」
「そうだなあ。主が自分で集めているときはおまえさんにさんざん世話になったもんだが、主もなにせ、今は隠居の身だ」
メグムが汗を流し終わるのにそう時間はかからないだろう。あまり待たせるのもよくないので、歩きながら話をする。
イトエもイノリやトモリまでとはいかないまでも、ここへ来てずいぶん長くなる。隠居生活はツバメがここへ来てからであり、初めてそんなに経っていないが、イトエや愛刀はめっきり会う機会が減った。こうしてイトエと会うのも何時ぶりだったか――
「そんなこと言っても、今更一年二年会わなくても久しぶりなんて思わないですけどね」
「そりゃあそうだ」
ツバメが来て数年。メグムの隠居生活も数年、言ってみればまだ始まってばかりだ。ツバメはメグムのように人の寿命を超えてまで生きることはないだろうから、その隠居もいつまで続くかわからないが。
メグムの自室へと着くころには、とうに風呂から上がったメグムがトモリに髪を乾かしてもらっているところだった。半分うつらうつらしている、というよりは気を失いそうだ。
「イノリ、キリギリスがね、すごい容赦なくて。痛くてまともに起きてもられないみたい」
「そうか、それじゃあ話もできねえな……」
前にも似たようなことはあった。その時は痛さを頑として離さない主にずいぶん苦労させられたのだが、これは不可抗力だろう。この優しい主のいうことは聞いてやりたいが、話もできない状態では文字通り話にならない。
イノリは自身の本体を取り出し、しゃきんと切り鳴らす。見えないとはいえ、何かを切る、という行為であることには変わらない。切る手応えというのは手に残るのだが、やはり今のは少しばかり重たかった。これは芳しくないな、と眉を潜める。
切り離しづらいものほど手応えが重くなるのは何にしろ同じだ。精霊器に関するものであれば、その重みはそのまま繋がりの深さを意味する。つまるところ、キリギリスがメグムを殺しつくさん勢いで魔力を吸い上げていると同義だ。
メグムの魔力はそれこそ底なしであるので、吸われ続けたところで死に至ることはほぼないだろう。だが、死にかけることはある。現在のメグムを見てのとおりだ。痛さで意識が飛ぶことは、人には間々あるのだ。
痛覚を遮断したため、汗が少しばかり引いた。呼吸が穏やかになった頃、うっすらと目を明けた。かすれた声で呼ぶ。「――イトエ」
イトエはメグムの手を取ることを答えとした。イトエの体が淡く光に解け、メグムが着ていた甚平は懐かしい衣服へと変貌を遂げる。それはどちらかというとこの世界ではあまり見かけなくなったもので、かつての世界に例えるなら騎士のそれに近い。黒を基調としており、ボタンや装飾は金だ。畳の部屋にも、顔色の悪さもまったくかみ合っていないが、それはそれだ。
イトエは衣の精霊器だった。同じ精霊器でなければ――同じ精霊器をもってしても傷をつけられない、主人の肉体を守護することに長けた精霊器。数ある精霊器の中でも、最も主に寄り添う器、それがイトエだった。事実メグムの手に渡ってからもよくメグムを護り、メグムの愛刀とともに精霊器を集める旅の双璧を担ったのだ。その性能の高さは、イノリもよく知るところだ。
イトエを呼んできたのは、つまりそういうことだ。目には目を、幸い相手は本来に武力を持たない故にイトエのみで十分話はできるだろう。
「だいじょうぶかい、主」
「……ああ、へいきだ。行こう、おまえも来てくれ、イノリ」
トモリはそこへ残し、イトエを纏ったメグムに連れ立って、イノリは件の弦楽器の元へと向かった。
部屋に近づくに連れて、流麗な音色が肌を擽る。耳ではなく肌。やはり懐かしさ――魔力の残滓を感じる。ほう、と息を吐いた。仲間意識のようなものだろうか、心の奥が浮き足立つ。ほかの精霊器に会うときはいつもこうだ。
反面、メグムがはあと重いため息を吐く。イトエが心配するように呼び、イノリが背を強く叩いた。重いため息は心も重くする。人ならざるものを相手にするのに、こころはもっとも強く保つべきだ。
「さ、しっかりしてくれよ、主」
「言われんでも」
そういうと、部屋の戸に手を翳し、一言二言声をかける。ここの鍵と錠も精霊器であり、中にいるものを出さないことを言付かっていたのだ。泣きそうな錠の声を聞く限り、よほど暴れたようだ。暴れるだけ暴れて、何もすることがなくなって、憂さ晴らしに、または嫌がらせのつもりで奏でていたのだろう。
そうした悪い感情が、音色に乗っていなかったのはさすがというべきか。
戸が開くと同時に、音が途切れた。楽器を構えたまま、その精霊器はじろりと睨めつけた。当然、メグムのことを。メグムは素早く入ると、イノリも引き入れてすぐに鍵を掛け直した。
「なんのようだ」
弓の先をメグムへ突きつけ、低く唸るように問う。音を鳴らすための弓だというのに、ある種凶器のような存在感を発揮する。先程までの柔らかく流れる音を出していたとは思えない。
「なんのようもなにも。話をしに来たんだよ」
すとんと腰を落とす。メグムはいつもこうだ。まず自分が座って見せ、待つ。
精霊器はあからさまに不機嫌を滲ませる。かろうじて攻撃を仕掛けてこないのは、この部屋でこの男に手を出したところで分が悪いと、いい加減分かったのだろう。やりたいことが彼を突き動かし、そのために今は大人しくしているほかはない。……まあ、こういう場面で理性が勝らない精霊器もいるから、ここで思いとどまるだけまだ賢い。
「話すことがあると思うのか」
「あるね。なくても話そう、そこからだ」
「意味が分からない」
「分からなくていい。いいから――座れ」
座れと、強く言う。ぐ、とキリギリスは唸る。メグムがそうとしない限り、言葉はただの言葉だし、今は回路の繋がり方が不完全だから、そこまでの拘束力はないが――それでも、キリギリスは大人しく、ベッドに腰を下ろした。
メグムがイノリにも座るよう指示し、イノリはすぐ後ろに控える。
「話をしに来たっていうのに、ちゃっかり武装してんのはどういうことかね」
「武装じゃねえ、最低限平等であるためにいるだろう。俺はただの人だからな」
何の準備もせずに敵意を向けてくる相手の前に立つことは勇敢でも果敢でもなんでもなく、それはただの無謀という。少なくとも、話をするために、相手を牽制する必要があるというのは、至極まっとうなことだ。
最初はそのあたりの機微も理解せず、精霊器の人にはあまりある力を身を持って知るまでは、知ってからもしばらくは、それはそれは頑なだったのが、いい思い出だ。懐かしさに、口元が緩む。
「おい、何笑ってんだ、チビ」
「ああ、いや、悪いな。主の成長が嬉しくてな」
素直に謝罪するイノリに、今度はメグムの視線が深々と刺さる。余計な事を言うなとばかりの視線と、主を宥めようとしているイトエの慌てている気配がじっとりと伝わってくる。
「それに俺は武器じゃないよ。ただの鋏だ、薬箱のな。気にするな」
掌に収まってしまうくらいの小さな銀鋏をちらと見せると、舌打ちこそしたものの、一応納得してくれたようだ。
最初の頃はもっとメグムを認めようとしない精霊器が多かったな――と思考がまた思い出めぐりを始めようとし、いかんいかんと振り払う。
「さて」メグムがす、と表情を正し、改めて言う。「何の話しからしようか」
「そんなもの、おまえが決めるべきじゃあないのか。おれは話すことなんてないんだから」
「それもそうか。――じゃあ、まずはおまえのことを教えてほしいんだが」
話すことなんてない、との言葉の次にそれを持ってくるのだから、やはり性根の面倒臭がりなところは隠しきれていない。優しいのはほんとうだが、これで反応が悪ければどうしたものか。
精霊器はハッと鼻を鳴らし、冷めた目をする。
「なんだ、結局そういう話か」
「いや、なに。俺はおまえのことを何もしらないからな。知らないなら、知るところからだろう。おまえが知りたいことでもいいぞ」
しん、と沈黙が降りる。ああいう言い方をして乗ってくるようなやつは寂しがり屋で、口ではどんなことを言っていたとしても、聞いてほしいし知ってほしいと思っている者だが――
「じゃあ、そうだ。あんたの知っている世界の終わりについて、教えろ」
素直に喋るやつではないのは、まあ、知っていた。
精霊器の質問は、少し意外だった。質問を許せば、真っ先にするのが終末の魔術師のことだろうと思っていたからだ。実際最初に来た時はそれを他の何よりも聞きたがっていたし、そこまでこじらせたものが数日部屋を出してもらえなかった程度で消え失せるものではないだろう。
「意外だな、終末の魔術師の居所はいいのか」
「いい。今聞いてもここを出られる気はしないし、だったら他のことでも知りたいことはいくらでもある」
それに、あの魔術師はこの島から出ることはないみたいだ、と精霊器は窓の外を見てため息を吐いた。この部屋の入り口に精霊器の錠と鍵がいるが、彼らは『その部屋から中のものを何一つ外へ出さない』という能力を持ち、入り口のドア以外からも、彼らの許可なくは出られないのである。
「おれ、あんまり知らないんだよね。気づいたら水の中にいて、エマはいなくて、また気づいたら魔力の欠片もないような人間どもの蔵に押し込まれていたし」
「なるほど――よし。いいよ、話そう。俺はこの世界に生まれた側の人間だから、聞いた話でしかないけどね」




