第六話 Killing moon
西部の山は、造物主が定規とカッターのみを使って破壊衝動に任せて生み出したような造形であった。陽が落ちるにつれ、空を切り取るシルエットは死をイメージさせ始める。
ラトルとラーズにも、この死のイメージが降りかかり始めた。ラトルは危険を察知するために、舌を出しっ放しにし過ぎて大量の砂を飲み込んでしまっていた。シャドウ・チェイサーは二人を乗せて荒野を無作為に歩き続けていた。
ガラガラヘビは見つからなかった。ラーズは自分たちも見つけてもらえない立場にいることを理解し始めた。
悪魔の子を探しに来る物好きがいたとしても、自分たちの居場所は分からないだろう。
そう考えるとラーズは俯いて後ろへ流れていく砂を見つめざるを得なかった。
するとラーズはとあるものを発見した。
「おい、おいラトル! これ……足跡だよ」
ラトルはシャドウ・チェイサーを音で止め、ラーズの指先を確認した。
「何だよ、シャドウの足跡じゃんか。そんなのあって当たり前だよ」
がっかりして眩しそうに後ろのラーズを見るラトル。
「そうだよ! チェイサーの足跡なんだ! 全く同じだろこれ!」
ラーズはしゃがみこんで、向きの違う二つの足跡が同一のものであることを確かめた。
「こいつ、同じとこに戻ってきたんだ!」
ラーズの発見の意味が、ラトルには分からなかった。
「それじゃあおれたち、一日中グルグルしてただけってことかよ……」
ラーズは何も分かっていないラトルに説明を続ける。
「そうなんだ! チェイサーに任せておけば、多分必ず同じところをグルグルするんだぜ!」
「やめろよ、余計がっかりするだけだよ」
ラーズはラトルの理解を待つことをやめた。
「こいつは多分気に入った場所を動きたがらないに違いないんだよ……じゃあ何でこいつは今朝俺たちの方へあんなに急いで走ってたんだ?ヘビがいたんじゃないか?」
ヘビかどうかはともかく、ラトルは改めてラーズの機転を尊敬した。
陽が落ち始め、スーキーは焦りと砂埃を巻き上げて荒野を走り抜けていた。
「子供の足ではそう遠くへは行けないはずだ!なのにまだ見つけられんとは!」
間も無く視界は最悪になり、荒野に眠る死の乾燥と寒さや、肉食獣が一斉に目覚める。
厄介な落し物を探し、スーキーは途方に暮れるのだった。
月が東の空に輝き始めた。空の色はオレンジに向かって青を薄めていく。
ラトルとラーズは、朝にシャドウ・チェイサーが駆けてきた方向へ彼を走らせていた。
彼の速度は凄まじいものであり、二人はたてがみにしがみつくのがやっとだった。
そんな彼らを気遣ってか、この黒い馬が足を止めた。その時二人は今朝の彼が何から逃げてきたのかがうっすらと分かった。
「う……!」
あまりの光景に、二人は空っぽの胃の中を吐き出しそうになった。
ハゲタカが何かに群がっていた。その何かについて分かることは、赤黒い色であること、ズボンとブーツを履いていること、左手だけが伸びていることだった。
このおぞましい荒野の生ゴミを、ハゲタカはその嘴で細切れにして掃除しているところだった。
ラトルとラーズは今日だけで何度死を感じたことだろう。
羽根と血飛沫と鳴き声が舞い散る光景を、ラトルは見ていた。
普通ならラーズのように目を背けて早く帰ろうと促すものだが、ラトルは何故か目を離すことが出来なかった。
その訳はラトルにも分からなかったが、とにかくこの光景にカメラは固定されてしまった。
ラーズは喚き立て、もう一度あの生ゴミを見た。そして再び発見した。
ハゲタカはこの人体模型の右側にしか集まっていなかった。
その左手には、あるものが握られていた。ガラガラヘビの抜け殻だった。
「おい!ラトル!!」
ラーズは叫んだ。抜け殻の発見報告をするためではない。突然ハゲタカの群れに向かってゆっくり歩き出したラトルを止めるためだった。
獲物を横取りされまいと、荒野の掃除屋は生ゴミをもう一つ増やそうとした。
ラトルは骨盤をひと擦りし、熱心な掃除屋に轟音を浴びせ、タイムカードを押させ退社させた。
荒野の掃除屋の海を割り悠然と死体へ向かって歩くラトルを、ラーズが少し恐れたのも無理はない。
ラトルは無言で人体解剖図を漁り、何かを思い出しそうになった。
「おい……ラトルおまえどうしちゃったんだよ!?」
「…………この人は………」
ラトルのリハビリはすぐに中止となった。ラーズには彼が思い出すまでここにいることが耐えられそうもないからだ。
「おい! ラトル! もういいよ!もういいからここから離れようぜ!」
ラトルはこの死体で唯一無傷の左手を解き、ガラガラヘビの抜け殻を手にとって見つめた。
一見普通の抜け殻だったが、腹の側に六角形の空洞があった。
ラーズはラトルを引っ叩き、シャドウ・チェイサーに彼を乗せ、その場を後にしようとした。
その時、ラトルの舌は人間の存在を感知した。右斜め後ろから、冷たい鉄を構えている。舌を半日中出していたため、能力は敏感になっていた。銃だ! 長い銃で誰かが狙っている!
「!シャドウ!!」
ラトルはシャドウに音で指示し、どこかからの銃声と弾痕をはるか後ろへ置き去りにした。
「何だよ今の!?」
突然発進したチェイサーに必死にしがみつき、ラーズは叫んだ。
「分かんない! まだ追ってるぞ!」
ラトルの舌は後ろから迫り来る馬と人と鉄を感知していた。
この銃声を聞いた男がもう一人いた。保安官としての使命かラトルを心配してか、その男はその音の元へ駆けつけざるを得なかった。
ラトルとラーズは、スーキーが待つ方向と知らずシャドウ・チェイサーを飛ばした。彼らはお互いがもうすぐ見えるほどの距離にいたが、もう一人の男も視界に入るほどの距離にいた。
スーキーが生きて会うのは、どちらになるか分からなかった。蹄の音が入り混じる。ラトルはこの緊張感により、威嚇音を強めてしまった。この音に驚き、シャドウは二人を振り落としてしまった。
「ぐあ……! がッ!」
バウンドして荒野に叩きつけられる二人。景色を塗り潰す馬のシルエットと砂煙が、月の光を遮っていた。
謎の男は馬を止めた。暗く煙たい中、男のテンガロンハットとライフルの反射光が二人の少年の影を踏み潰した。
男はゆっくりと馬を降り、ラトルの元へ歩み寄った。ラーズは少し離れた所に落ちており、全身に響く痛みと焦りで這いつくばっていた。
ラトルは痛みに震え、ジタバタしながら男を睨みつけ、必死に威嚇音を鳴らした。男は喚き暴れる羊を押さえ毛を刈るように慣れた手つきで、ラトルを引っ張り起こした。
男はナイフでラトルのシャツを引き裂いた。幼くも引き締まりつつある少年の汚れた肌は、この時少し切れて血が出てしまった。
威嚇音の出どころが明らかになった。ラトルのヘソは、何やら六角形の膜が張られており、そこが振動して音が出ていたのだ。
ラトルのヘソを確認した男は、強く握手を求めた。手首を締め上げられ、ラトルは先ほどの抜け殻を離してしまった。男はそれを拾い上げ、腹の六角形を見慣れたように確認した。
「まさかこんな所に来ていたとはな……」
男がそう呟いた気がした。そこへラーズが、男の脚に飛びついて来た。この熱烈な脚の支持者に、男はよろめいた。その隙にラトルは少し離れ、男は抜け殻を落としてしまった。
ちょうどこの時に、この場所にスーキー保安官の馬が駆けてきた。男は地平線上の小さなスーキーを見ると、すぐさま馬に乗った。
「保安官バッジはまずい……とにかく報告だ」
そう言い残し、男は一目散に逃げていった。ラーズは男から貰った強烈なブーツの跡を抱きしめていた。血を吐くほど嬉しかったのだろうか、激しく咳き込み血を舞わせていた。
ラトルは半裸のまま、茫然と座り込んでいた。男の残した抜け殻を手に取り、自分のヘソと照らし合わせていた。
スーキーは何も言わず何も聞かず、ただラトルを抱きしめ、ラーズを馬に乗せた。
月明かりの下、三人の影は溶け合っていた。
こうして二人の悪ガキの、悪魔と神の祝福に満ちた荒野の旅は終わったのだった。