第五話 Shadows and dust
ラトルとラーズ。この12歳やそこらの二人の少年は、今西部の荒野を歩いていた。朝日を背に、西へ西へと歩いていた。自分の影は、追っても追っても捕まらなかった。
それを悲しんでか、二人とも一言も口をきかなかった。
一方、昨日までラトルとラーズの住む町だったディストリー・タウンでは、ようやく朝が始まっていた。
ただ一人、秘密を背負って町に残った義兄弟の片割れは、井戸へ向かった。
井戸には早くも人だかりができ、ラトルとラーズ・トウェインの悪行について評議会の意見がまとめられていた。
ディストリー井戸端評議会のモットーは、誇張と神秘である。これに従い、優秀な議員達がラトルとラーズに魔力と大罪を与えていた。
うちの牛が背骨を抜かれた、うちの奥さまにギックリ腰を与えた、二人がコウモリの生き血を飲むのを見た、時折舌を出していたのはガラガラヘビの霊を纏っていたからだ、決議は次々になされ、二人の悪魔の子に関する資料は山積みとなった。
そこへ、トウェイン家に仕える奴隷のリタが来たのだからひとたまりもなかった。リタは弾劾を求められ、ラーズを極悪な悪魔の子に仕立て上げるよう求められた。
「大人しい子」のリタは責務を怠った。
「ラーズ坊ちゃんはそんな人じゃない!!坊ちゃんは……ラトルも……!」
普段のリタからは想像もつかない大声と涙で、評議会は静まり返った。
これ以上は一言もいうわけにいかず、リタは何人かの議席を踏み越えて水を汲んで帰ってしまった。
その背中が小さくなるにつれ、リタに乗り移ったラーズの呪いについて議論がなされた。
リタは、家に着いてからも質問攻めにあった。
ラーズの父、ニール・トウェインとその妻、シャナイア・トウェインからラーズの行方を尋ねられた。リタに出来ることは、声を振り絞り、涙を押し殺して、
「ぼ、坊ちゃんなら……ヘビの抜け殻を掘り返して預かってもらう……って言ってました……」
と、ラーズの指令通りに言うことだけだった。
その真向かい、ディストリー・タウン保安官事務所兼スーキー宅では、珍しくウェンディが黙りこくっていた。スーキーは酒に潰れ眠りこけていた。この家が朝からこんなに静かになったことはなかった。
以上のように、二人の亡霊に悩まされるディストリー・タウンの西方では、ラーズとラトルが岩陰に座り込んでいた。
「…………そろそろガラガラヘビの抜け殻を探そう」
今日初めてラーズが言葉を発した。
町の善良な人たちの不安を拭い、ラトルの秘密を守るためには、どうしてもそれをやらなければならなかった。
「…………うん。でもどこにあるのかな」
ラトルはこの提案に乗った。何かをしなくては落ち着かなかったのだ。
「舌を出してみろよ。匂いで分かるんじゃねえか?」
ラトルは言われるがままに、ラーズの見出したラトルの能力、異常嗅覚と赤外線感知を使った。
するとラトルはすぐに、この場所に迫りつつある危機を察知した。
「……何か来る!!凄い速さで!!」
ラーズは咄嗟に身を屈めた。
地獄に堕ちた二人に対し、早くも悪魔の試練が始まっていた。
すっかり上り終わった太陽は、巻き上げられた砂塵に霞んだ。その砂塵の元には、真っ黒な蹄があった。
夜よりも黒いたてがみを地面スレスレに逆立たせ、影よりも黒い脚が次々と地面を蹴り飛ばしていた。
真っ黒な馬が、自身の影を追い立てるように、一直線に二人の元へ駆け込んでいた。
この悪魔の遣わした馬は、その進路に二人がいる事に気付いていないようだった。
「危ない!!踏み殺されるぞッ!!」
「ラトル!音だ!とびきりでかく鳴らせぇ!」
ラトルは、すぐさま骨盤をかき鳴らした。重く歪んだ音が荒野に鳴り響く。
砂塵、威嚇音、蹄の音。
「止まれッ!この野郎ォーーッ!!」
ラーズの恐怖がラトルに伝わり、一層音は大きく、おぞましくなった。
ラトルは知らずのうちに、左肩を前に出し、両腕を胴体に巻きつけるように構えていた。
腰を落とし、肩の一直線上に左足を這わせ、右足は重心を預かり鋭く曲がった。無意識のうちにとった、ヘビの威嚇の構えだった。
この構えと威嚇音からか、砂塵の発生源は、大きく反り返りいなないた後、ラトルの前で止まった。
遅れて来た砂嵐にむせ返りながら、二人は目の前に現れた死の恐怖を見つめていた。
この漆黒の馬は、自身の興奮状態を鎮めるようにグルグルと歩いた後、ブルルッと鼻を鳴らし、ラトルの前に立ちはだかった。
下手に動くと、いつ蹴り殺されてもおかしくない。
ラトルの威嚇音は緊張と共に強まり、この馬の首を垂れさせることに成功した。
ようやく緊張が解け、二人は黒馬と共にへたり込んだ。ついでに、町を出たことへの緊張も解けたようだった。
「は……ハハハッ……アハハハハ!」
「死ぬかと思った〜〜!」
最初の悪魔の試練に打ち勝った二人は、誇らしげに、また自身の興奮状態を鎮めるように、笑い声を高らかに上げるのだった。
この砂塵から東に、ディストリーの町も昼を迎えていた。二日酔いと寝不足の頭痛を抱え、スーキーは保安官補佐、トム・ジョンストンの元を尋ねていた。
「おいトム、お前何か無くさなかったか?」
今起きたばかりといった風貌のトム補佐官は、バンジョーを片手にスーキーを迎えた。
「俺が?何も……ふあああ。無くしてねえぜ」
「とぼけるなよ!町から西の方に何か落としたとか言ってただろうが!!」
家の壁をブーツで蹴られ、トムもようやく目が覚めてきた。
「ど、どうしたんだよぉ。何か変だぜスーキー!何も無くしてねえのによ!」
「いいや無くした!お前は確かに町から西の方に落し物をしただろうが!?」
「全然思い当たらねえよ!いつの話だ!?」
トムはバンジョーをかき鳴らした。相手に冷静さを求める合図である。
「今だよ!」
「今!?俺が今落し物したのか!?」
「その通りだ!」
「町の外に!?ずっと部屋にいたのに!?おかしいぜスーキー!何言ってんだよ!?」
「トウェインさんはまだ届け出て来ねえって事だよ!」
ここまで言われて、ようやくトムは落し物をした。
「あ、……ああ!そうだ思い出した落としたんだった!」
「やっぱりか!仕方ねえな!探してきてやる!その間事務所を任せたぞ!」
トム・ジョンストン補佐官は珍しくバンジョーを置き、敬礼をした。
「はっ!ご命令賜りました!お気をつけて!」
スーキーは馬に乗り、トムに告げた。
「すっかり寝不足だよ。目を閉じるとラトルが死ぬんでな。……ところで何を落とした?」
トムはスーキーの馬の鞍から、里親募集の紙を取り出し、破り捨てて言った。
「孤児の里親募集の記事だよ。隣町に持って行く途中で落としちまった。」
スーキーは馬に鞭を入れながら叫んだ。
「そりゃ多分見つからんぞ!」
スーキーの馬が向かう方向には、先ほどの漆黒の馬がいた。
ラトルはこの馬をすっかり手懐けてしまった。威嚇音には思わぬ効果もあったらしい。
西部の人間にとっては、素晴らしい馬を手懐けることは、三人目の妻を見つけるより難しく、有り難いことだ。
西部の男の子を50人ほど凝縮したようなラーズが、この至宝を前に平然としていられる訳がなかった。
「おいラトル!こいつすっげえぞ!多分西部で最高の名馬だぜ!そいつを従えちゃったんだぜ俺たち!」
「このガラガラのおかげだよな多分……」
背中にしがみつきながら、ラトルは再びガラガラ音を鳴らした。
するとこの黒塗りの名馬はすぐさまラトルを振り落としてしまった。
「いってえ〜ッ!何でだよこいつ!」
「落ち着けよ!……多分おまえの気持ちの問題だぜ。さっきまでと音が違ったからな」
ラーズは、特に根拠のない仮説をもっともらしく信じることが得意だ。信じさせることはもっと得意だった。
何度も功を奏してきた実績のために、ラトルはこれを信じ、気持ちを鎮めて、この馬を撫でる時を想像しながら自身の骨盤を撫でた。
馬は言われた通りにラトルに撫でられやすいように首を垂れた。
「ほらやっぱり!それでいいんだよ」
「仲良くならなきゃな!せっかくの馬だもんな」
「何だかしまらねえなあ。"馬だもん"かよ。こいつには名馬に相応しい名前が必要だぜ」
こうして、あらん限りの名札がつけられては外されていった。
「ブラックアイズ・ブラック!」
「ダメだ!サンドストーム・ブリンガーだ!」
前者がラトル、後者がラーズである。
2人のネーミングセンスは徐々に差が開き、悪ガキ歴の差で、最終的にラーズが名付けた。
「……よし、じゃあこいつの名前は "シャドウ・チェイサー" で文句ないな?」
「うん…… "ダーカー・ザン・ブラック" じゃなくていいよ」
ラーズはシャドウ・チェイサーを撫でて言った。
「それでは今日からお前は"シャドウ・チェイサー"だ!愛称は……」
「シャドウ!」
「チェイサー!」
再び激論が交わされたが、ラトルはシャドウ、ラーズはチェイサーと呼ぶことに決まった。
陽は東から西へ進む。影はその逆へ伸びる。西部劇の男も同様だ。
今、スーキーは太陽となり西を目指した。既に空を進んでいた太陽に追いつくためだ。
ラトルとラーズを乗せた馬の影は、東へ伸びていた。
今朝は西を目指した二人の影は、陽が落ちる頃には東のディストリー・タウンへ伸びていた。この影は明らかに町へ帰りたがっていた。
しかし西部の男は太陽であり、西から東へ進むことは許されていなかった。
二人の西部の男の子は、どちらも町へ帰ろうとは言わなかった。
砂埃の中を、ただただ二人の影が東へ伸びるだけであった。