第四話 I'll go to hell with you
ガラガラヘビ少年ラトルがディストリー・タウンに来てから二週間が過ぎた。この頃には、ラトルにとって最大の難事が二つ発生した。
一つは、迷子欄に名前が載って10日間が経ったため、ラトルは孤児として扱われ、その引き取り手を探す決まりとなっていること。
そしてもう一つは、ラトルとその親友、ラーズの引き起こした自業自得であった。町中に、町中の大人に仕掛けた悪戯、ラトルの威嚇音が問題視され、どこかにいるであろうガラガラヘビ駆除作戦が決行されることとなったのだ。
この日の朝は、ラトルにとって天国の裁きを受ける日であった。駆除作戦の決行日と、孤児欄の記事を投稿する日が、まさにこの日であった。
その日のラトルは、いつもより早く目が覚めていた。しかしいつもより長くベッドにいた。
やっと新しいお父さんとお姉ちゃんに馴染み、新しい友達と新しい町で楽しくやっているのに、今更どこへ引き取られてしまうのだろう。
そしてガラガラヘビなんて町中探したっていやしないのに、皆が探しちゃうとどうなってしまうだろう。この能力がバレたら、迷子から孤児になったラトルは、極悪非道な化け物にまでなってしまうのだろうか。
これらのことを交互に考えていると、新しいお姉ちゃんによる警報が鳴った。
「ブラウニー!! いつまで寝てんのあんた!さっさと水汲みに行っといで!」
ラトルを違う名で呼ぶ新しいお姉ちゃんの甲高い声は、隣の部屋の新しいお父さんまでも叩き起こしてしまった。
ディストリー井戸端評議会の新人議員は、初めて遅刻をしてしまった。会議は、もはや遅れて来た議員には挨拶すら許さないほど白熱していた。
「あっ! ラトルじゃないかい! 遅いよ!」
老練の黒人議員が一喝すると、ラトル新人議員は申し訳なさそうに議席についた。
本日の議題は、当然ガラガラヘビについてである。この議席はラトルにとっては、針のむしろであった。同じく針のむしろ席についているリタと挨拶を交わす。
二人はひそひそ声で別の議題について話し始めた。
「どうしようリタ、バレたらどうなっちゃうんだろう」
「う〜ん……とにかくあたしはずっと話を逸らしてたけど……」
「裏柵の誓い」に基づいて、ラトルの秘密を守る義務のあるリタは、長い間苦しんでいたようだ。
「もうダメよ。ここの皆は少なくとも500匹はいると思ってるもん」
いかにもこの評議会らしい見積もりであった。
「とにかく何か作戦を考えないと。適当にヘビを捕まえちゃおうか。」
「そんなぁ、危ないよ! それに、ミサ中の教会でまでガラガラやっちゃったから、悪魔の使いに違いないって皆が……」
「そんな、どうしよう……」
いかにもこの評議会らしい決議だった。
怪しまれることを嫌い、二人は早々と会議を切り上げ水を汲み終わると、何かを詮索される前に退席した。
リタ。現在ラトルを追い詰めているこの状況は、この年下の少女が生み出したと言えるかもしれない。ラトルがこの少女へ悪戯さえ仕掛けなければ。
しかしこの責任はラトルよりも、リタの虐め甲斐のある可憐さにこそ求められるべきである。西部の男の子には、彼女の誘惑は耐え難い。
事実、こんな日でさえラトルはリタと一緒に帰ることが楽しくて仕方なかった。ラトルは、リタのご奉公先であるトウェイン宅にまでついて行こうとした。
それを呼び止めたのは、珍しく早く起きてしまった、新しいお父さんこと、スーキー保安官だった。
「ラトル、お前はよくラーズと遊んでたよな? あいつは友達だろう」
スーキーはラトルに問いかけた。
「うん、ラーズは本当にいい奴なんだよ」
ラトルは聞かれたこと以上のことを答えてしまった。他でもないラーズの、輝かしい名声を称えてのことである。
「フン、あのクソガキがな……。まあいい。ラトル、お前からラーズに伝えといてくれ」
クソガキのラーズにスーキー保安官が伝えることがあるという。ラトルは驚き、最悪の事態を想像した。
「待ってよ! ラーズはいい奴なんだよ! お願いだから逮捕しないで!」
他でもないラーズの、おぞましい悪名を恐れての発言である。
スーキーは笑って続けた
「逮捕なんかせんよ! ……まだな。その内しちまいそうだが……。実はな、町の悪ガキ連中を集めて欲しいんだ」
予想より穏便な用件だったのでラトルは安堵のため息をついた。
「ガラガラヘビについて悪ガキ共に聞きたいんだ。可能な限り全員を連れて10時にここに来るよう伝えてくれ」
ラトルは先ほどのため息をすぐさま飲み込んだ。
かくして、午前10時、ディストリー・タウン保安官事務所兼スーキー宅に、将来の投獄候補生たちが集められた。
悪ガキ全員が思い当たる節を持ち、室内には凄まじい緊張感が漂っていた。これを見てクスクス笑い続けているのは、ラトルの新しいお姉ちゃんのウェンディである。
「集まったなガキ共。今からお前たちに聞きたいことがある!」
「包み隠さず正直に答えるように! ハキハキとよ! キッパリと! それから……」
「ええい黙ってろ!」
偉そうに事務用の机にふんぞり返るウェンディを一喝し、スーキーは続ける。
「他でもない、ガラガラヘビのことだ。ガラガラヘビの出没報告があった所は、不思議とお前たちの悪戯の犯行現場と一致している」
「そうなの!? そうなんだ! じゃあつまりあんたらの中にガラガラヘビ事件の犯人がいる!」
「うるせぇ! コーヒーでも淹れとけこの!」
スーキーがウェンディに怒鳴りつけるたび、悪ガキの間にも緊張が走る。この銃声のような正義の怒号は、いつ自分達に飛んできてもおかしくないのだ。
「俺の辞書にはな、"ウソつき" は永遠に呪われた者と書かれている! お前らのようなクソガキでも、天国で家族に会いたいだろう」
スーキーは、表紙に「ガンマン辞典」と手書きで書かれた白紙の手帳を懐から取り出して言った。
「知ってることは隠さずに言え。地獄に堕ちたければウソをつくがいい」
「地獄行きぃーー!!」
「うるせぇ!」
この日のウェンディは本当にうるさかった。
西部の町は、かなり保守的で敬虔なキリスト教の下にある。毎週日曜日には必ずミサが開かれ、正装をして長い時間座る必要があった。
それはこの西部の町社会のはみ出し者達である悪ガキ達も同じだ。鼻水をくっつけ合い、入って来た虫を捕まえて、前後の席のガキを叩いていても、ミサには参加していた。牧師さんのありがたいお話を毎週聞かされていた。
彼らの母親は、彼らを叱る時はいつも天国と地獄の話を持ち出し、彼らの悪戯が発覚した時は、子供が地獄へ行かぬよう泣きながらお祈りをするのだった。
このような価値観は、日常レベルでこの悪ガキ達の無意識に刷り込まれていた。悪魔や魔女の存在を楽しげに語る彼らでさえ、地獄行きのリスクは非常に重かったのだ。
全員が右手を上げ、ウソをつかぬことを神の御名にかけて誓うことを強制された。
ラトルは、とうとう自分が地獄の化け物へ堕とされる時が来たと感じた。神様をごまかせるわけはなかった。
秘密が死す時我らも死なんと誓い合った義兄弟、ラーズへ別れの視線をやった。するとラーズは、真っ青になって震えて俯いていた。
「それでは訊いていくぞ。お前からだ」
黒人奴隷ながら悪ガキの称号を戴く、飛びガエルのジムから尋問が始まった。ラトルとラーズは、立ち位置的に最後に訊かれることとなった。
ラーズは自他共に認めるガキ大将である。厳格な父と寛大な母に育てられた彼は、頭の回転が速く、多少のピンチはその機転で乗り越えて来た。
そして彼が最も嫌うことが、ウソをつくことであった。事実を使いこなし、口先で相手を丸め込むことはあっても、ウソをついたことだけはただの一度もなかった。
まだ事実となっていないことを口走っても、その後で必ず実現させ、ウソつきの汚名を被ることはなかった。ウソをついていると自覚しながら喋ることは、生まれてこの方、ただの一度もなかったのだ。
今、彼が真っ青になっているのはこういう訳だった。
ラトルは大切な親友だが、ウソをつけば地獄行きが決定し、悪ガキの称号を返上しなければならなかった。
しかしラトルの秘密を喋れば、ラトル、ラーズ、リタの三人は死ぬ運命にあった。
かくして順番はラーズへ回って来た。現時点では、終始騒ぎ立てるウェンディを除く全員が、「分かりません」「知りません」「本当です」以外の言葉を発してはいなかった。
「よし次、お前なら何か知ってるんじゃないのか?ラーズ」
スーキーは正義と神の御名の下に尋ねた。
俯いた顔をゆっくりと上げるラーズ。彼のそばかすを、一筋の汗が横切る。
ラトルとラーズはお互いの心臓の音が聞こえてくるような気がした。
しかし突然彼はその目に輝きを戻し、誰よりもキッパリと断言した。
「ごめんなさい。本当は俺の仕業なんです。ガラガラヘビの尻尾で作ったお宝でやりました」
ラーズを除く全員が、可能な限り目を見開いた。誰もが驚いたが、ラトルはこの世で一番驚いていた。
どうして? ラーズ! おまえ地獄へ堕ちてしまうんだぞ!
誓いを守って死んでも、天国で待ってれば皆にまた会えるのに!?
ウソつきになることは、お前があんなに嫌ってたことじゃないか!
ラーズ! おまえはおれのために……!?
スーキーがラーズを怒鳴りつけ、平手で引っ叩くのを庇うのも忘れて、ラトルはこの衝撃を受け止めていた。
午前10時25分、こうしてラーズは地獄へ堕ち、ラトルへの追及は免れたのだった。
ラーズの罪状が明らかになり、罰が確定し、悪ガキたちは散り散りに帰っていった。何人かはラーズの偉業を宣伝し、何人かはウェンディの暇つぶしの生贄として捕えられた。
ラトルは呆然としたまま座り込んでいた。
そこへスーキーがやって来て、ラトルを立たせ、右手を上げさせた。
「ラトル、もう一度誓え。決してウソをつくなよ」
「え? ……うん、分かったよ」
言われるがまま、ラトルは再び神の御名に誓った。
「……ラーズの言っていたことは本当だな? 何かを隠してる訳じゃないんだな?」
スーキーは、紆余曲折あってこの田舎町の保安官になった。昔はかなり危ない橋をいくつも渡って来た。それが如実に分かるほどの迫力で、ラトルは尋ねられた。
「…………」
ラトルは思わず黙ってしまった。スーキーは続ける。
「俺も西部の男だ。ああいう目を何回か見てきた」
「目……?」
「ラーズのことだ。男の"覚悟"ってやつを決めた目だ。ああいう目をした奴にはな、こっちも相応の覚悟を決めなきゃならん」
ラーズはそれほどの目をしていたらしい。
「怒鳴りつけても引っ叩いてもあの目を引っ込ませはしなかった。お前と変わらんぐらいの年のガキとはとても思えねえ」
ラトルは次第に分かり始めた。それ故に、
「ラトル!!」
と、いきなり声を凄めたスーキーにも驚かなかった。
「……お前たち、何を隠してる?」
ラトルにはラーズの気持ちが分かり始めた。
「かなり重大なことを隠してるな?」
神様は全部お見通しに違いない。仮にこの場をごまかせても、神様だけは絶対にごまかせないだろう。
「話してくれ。お前に地獄へ行ってほしくねえ」
だから、僕なんか、いや、おれなんかが、どれだけ自分をごまかして、ラーズを売り渡しても、
「ラトル!!どうして黙ってる!」
神様はごまかせない。天国よりラーズを大事に思う悪ガキのおれを、簡単に見抜いてしまうんだ。
「何も隠してないよ」
よし分かったぜラーズ。おれも行くよ。
「……本当だな?」
おれも地獄に行く。天国より地獄の方が、ガラガラ音は似合ってるもんな。
「うん。おれもあのお宝を使ったよ」
それからというもの、その日中ずっとラーズは家を出ることが許されず、父と母が順番に叱りつけるのだった。
ラトルも同様で、スーキーが一言怒鳴る度に、ウェンディが5倍ほどにして怒鳴るのだった。
ラーズがでっち上げたガラガラヘビの尻尾で作ったガラクタは、とある所に埋めてあるということになった。不思議とラトルも同じことを言った。
ひとつウソをつけば、後は幾つついても同じことである。
その日は、二人とも夜中まで家を出ることが許されなかった。
スーキーとウェンディが寝静まったのを見計らって、ラトルはこっそり家を出た。
そして真向かいのトウェイン宅へ忍び込み、奴隷小屋のリタを起こそうとした。
しかし、そのリタはラーズと共に何かを話しているところだった。リタの顔は涙でぐちゃぐちゃだった。
ラーズは思わぬ訪問客を、小声で迎えた。
「どうしたんだよラトル! 何でお前がここに?」
ラトルも思わぬ訪問相手に、小声で挨拶した。
「お前こそ何でここに?」
ラーズは計画を話した。
「実はな、しばらくこの家を出ようと思うんだよ。そんでリタにお別れと、口止めをさ」
リタは涙と鼻水の出るままに任せていた。
「おれは地獄に堕ちたからな。悪魔の手に落ちちまったんだ。でも皆まで巻き込むことはねえだろ。そこで悪魔の力をしばらく確かめるのさ」
「じゃあずっと帰れないかもしれないじゃんか!?」
ラトルは驚き、再びリタの前で失言を犯した。リタは堰を切ったように泣き出し、静寂を好む二人の手を口いっぱいに頬張るハメになった。
「そうかもな。でもよ、でっち上げのガラガラヘビの尻尾ぐらいは皆に見せに帰ってくるつもりだぜ。どっかに埋めたって言っちまったからよ」
ラトルは、ラーズと同じウソをついたことを知り、誇らしくなった。そして、ラーズに本来の目的を告げた。
「ラーズ、おれも行くよ!もともとそのつもりだったんだ」
ラーズは驚き、リタは一層泣き出したので、鼻までつままれる始末となった。
ラーズはラトルに問い質した。
「何言ってんだよ!お前は地獄に堕ちた訳じゃ……」
「おれもウソをついたよ」
ラーズは驚いた。自分のウソが無駄になったような気がして、思わずラトルに掴みかかってしまった。
「何でだ!? せっかくおれが……!」
「おまえと一緒に行くよ。おれが先に訊かれても行くつもりだったさ」
ラトルは落ち着き払っていた。
「おれがここに来たのは、町を出るからラーズによろしく、他の皆には言うなよってリタに言うためさ」
ラーズは事態を飲み込むのにしばらくかかり、その間にラトルが続けた。
「おまえとなら地獄にだって行けるさ。おれはガラガラヘビ人間だぜ? 地獄がもともと似合ってんのさ!」
ラーズは、やっぱり神様はごまかせないということを痛感した。それみろ、おれにこの親友が裏切れる訳がなかったんだ。
こうして二人の家出計画は練られた。リタは泣き疲れて寝てしまった。もしかしたら、二人の手がリタの呼吸を止め過ぎたのかもしれない。
出発は来たる明朝と決まった。明日の出発に備え、また家の者に怪しまれぬように、それぞれ一旦家に帰ることに決まった。
ラトルは急いで家に駆けた。裏口から入るためには、スーキーの部屋の机の真ん前の窓を通らなければならない。
息を殺し、足音を殺して裏口へ進むラトル。彼は今まさに、ヘビの潜伏能力を発揮していた。無意識下でこれを使いこなせたのは、地獄へ堕ちた者への、悪魔の祝福だったのだろうか。
翌朝、ひんやりとした西部の風が、町に朝を運んだ。
スーキーの部屋の窓からは、明かりが漏れていた。酒の匂いも漏れていた。何よりも、スーキーの言葉が漏れて朝の砂塵を押さえつけていた。
「うっうっ……。おお神様よう、頼むからラトルを地獄に堕とさんでくれ……」
こっそりと抜け出す途中のラトルの足が止まった。
ラトルは、突然体が重くなった。先程進めた右足と、今から進める左足とでは、明らかに意味が違った。
自分が背を向けた所を、善良な人たちの世界を、改めて、いや初めて知ったのだ。
あれほど見事な覚悟を決めたにも関わらず、ラトルは歩みを止めたままだった。リタの泣き顔にそれを感じるべきだったのだ。
部屋にはウェンディもいるらしかった。
「父さん、もう起きてたの?」
「荒野によぅ……ラトルの奴が転がってる夢を見ちまってなぁ……うっうっ」
スーキーは泣き上戸であった。こう言えば、涙の理由はそれになった。
「ウェンディ……やっぱり俺には子育ての才能がねえのかなぁ……うっうっ。お前も本当はもっといい子なのにそんなんでよう……」
「どういう意味よ! あたしはいい子! ブラウニーもいい子よ! 多分……いや絶対!」
ウェンディが、父の泥酔を止めるためにこう言ったのか、思わぬ自分への非難への反発のためか、本当にそう思っていたのかは定かではない。
ラトルの身には一層重く善良な人々がのしかかった。
まだ12歳やそこらの子どもが背を向けるには、あまりに重く美しい人々だった。その時、ラトルの意志に反して、威嚇音が鳴り響いた。
アンプのディストーションつまみを、思い切り右へ回したギターのような音がこだました。
スーキーとウェンディは近くのこの音に驚き、銃を持って外へ駆け出した。もうラトルには、無我夢中で駆け出すしかなかった。
表の戸を蹴破ったスーキーとウェンディが見たものは、一目散に町の門へ走るラトルだった。
乾燥した西部の地面には、僅かな水分の跡もくっきりと残る。ラトルの足音のすぐ横には、ラトルの目から止めどなく溢れる水の跡があった。
異常な音の主に驚きながら、酒の勢いもありスーキーは叫んだ。
「ラトルよう!! 帰ってきてくれぇぇ!!」
ラトルは振り返るわけにはいかなかった。もう威嚇音は止んでいた。
「ごめん……! ごめんなさい……!」
ラトルは、誰にも聞こえない声で誰かに必死に謝っていた。
西の門には、ラーズが待っていた。
まだ低い朝日を浴びて、西部の荒野に二人の影が伸びた。
今、二人はあの太陽に背を向け、自分の影を目指して歩き出すのだった。