活動記録 0頁目 『最初の1ページ』
「今日は私の番だね!」
現在は既に使用されていない、廃墟と化した旧校舎の一室。そこから、そのような声が高らかと響いた。
それは「放課後になると、旧校舎から女子生徒の声が聞こえる」といった怪談や七不思議の類では決してなくーーとは言っても、それが面白可笑しく学校中で語られているのもまた事実なのだがーー実際は何の面白みもない、唯のとある“部室”から漏れる声であった。
だがそれならば、ちょっとした疑問が浮かぶことだろう。一体どうして、この学校にはそういった怪奇的な浮説が流行しているのだろうか。その片隅の教室が部室として利用されているのならば、別段奇天烈な現象でもない上に、それを奇妙と感じる事も無いだろう。声が窓の隙を通り抜けて漏れ出していても、それは至って当然なのだから。しかし、それが本校舎内では奇怪だとして扱われている。
だが、それに関しては本当は大した理由では無いのかもしれない。如実、噂なんてそんなものだ。誰かがつまらない話に諧謔を弄し、尾鰭どころか翼を与えられて完成するような馬鹿話だ。そこに信憑性などを求める方がどうかしている。真実か虚実か分からないからこそ、“噂”というのは人へ人へと伝言ゲームのように伝染していくのだ。
だが、火の無い処に煙は立たぬ。やはり本来の理由は別にあった。
実はその部の存在は、教職員や生徒を問わず“全く認知されていない”のである。どうして、と問い返したくなるが、それもその筈だった。
“新入生歓迎会”という名の部員確保競争会場にも、どういう訳かその部は闇に伏せて登場はせず。それどころか、年に一度の活動や結果を自慢気に喧伝できる“部活動発表会”にも、その部名は式次第には並んでいなかった。故に瞭然ながら、生徒達の話題にも上がらない。そんな部活の存在を既知しているのは、この高校に通う生徒の中でも恐らくたったの一桁という少人数だけだろう。どちらかといえば、先程のような噂やでっち上げの方がまだ知名度は高かった。ここまで来れば、マイナーなどというレベルでは無い。最早“無名”だ。
きっと要人の謀殺を企む秘密結社のように、息を潜めてひっそりと活動する怪しい倶楽部なのだろう……。
……と、この話を聞いた者は、恐らくそんな事を想像するだろう。オカルト同好会やUFO研究会よりもよほど危ないサークルなのではないか、とタチの悪い妄想をする事だろう。それは誰であろうと、そのような印象を抱くに違い無かった。寧ろそうだと断言すらできる。
しかしそれもまた、羽根の生えた一つの噂話に過ぎない。事実、当人達にその様なつもりは一切無いらしい。その証拠に、部室として利用している追いやられたような小隅の教室の扉には、この様な襤褸けた紙が貼りつけられていた。
ーー 『異世界旅行部』 部員募集中 ーー
明らかにスケッチブックから一枚紙を乱雑にちぎった形跡があり、その勧誘ポスターは少々控えめで質素なものだった。文章も、『いつ』『どこで』『何を』という最重要な項目が見事に抜け落ち、新入部員を受け入れる気が無いのではないかと疑いたくなる。しかし、それらの文字には明度の高い色のマーカーが使用され、妙に目立つという事だけが唯一の救いだった。
だが、旧校舎など滅多な事が無ければ誰も足を踏み入れようとはしない、言わば秘境の地だ。本校舎の裏手にある山の麓に、現世から忘れ去られたようにぽつりと虚しく建っている。既に老朽化が進み、壁には無数の蔦が纏わり付いていた。その様な外観をした木造の校舎は、まるで不気味な幽霊屋敷だ。「旧校舎に足を踏み入れると帰ってこれなくなる」という逸話を過去に生み出した事にも納得が出来る風貌だった。本当にこんな場所が校舎として使用されていたのかと疑いたくなるレベルだ。
何が言いたいのかというと、つまるところ、そのような誰も通らない無人の場で幾ら異光を放とうとも、それを目撃する人がいないのならばそもそも勧誘の意味が無いという事だ。ストリートパフォーマーが人目を忍んで、滅多に通行人が現れないような裏路地で芸を披露するのと同じことだ。それでは誰も拍手はくれないし、それどころか誰も見物すらしない。極論してしまえば“無駄”なのだ。当然そのように勧誘を意図した貼り紙も、ほぼ彼らの自己満足として終わってしまっていた。
そんなベールに包まれた部活動が占領する教室の中では、中央に置かれた長机を囲うように五人の男女が座っていた。
机の上には、皆それぞれが持参した袋菓子やジュースが大半を占めるように置かれている。その周りにはよく分からない宗教的な燭台や、見た事も無いような植物、更には用途もまるでない民族的な仮面など、様々な物が教室内に飾られていた。一体このような物を何処で集めてきたのか、風変わりで統一感のない物ばかりだ。一言で言えば、まるで整理整頓がなっていない部屋だった。
そんな雑然とした教室の中、元気の良い一人の少女ーーー琴歌彩葉は意気揚々と挙手をし、その場に音を立てて立ち上がった。起立した際、彩葉の青みがかった髪が柔らかく揺れる。そして、一言こう言った。「今日は私の番だね」と。
彼女の浮かべる自信に満ち満ちた笑みに、中司翔は腕を組みながら眉を顰めた。色素が抜けたような茶髪を掻き、少しズレた黒縁の眼鏡を人差し指でかけ直した。
「そうか……。今日はお前なのか……。」
不満と不安に表情を曇らせる翔に、彩葉は不服そうに頬を膨らませた。
「……何よ。その反応。」
心外だと言いたげな彼女の表情に、翔は独特の冷めたニヒルな笑いを浮かべ、「別に」と冷淡に述べた。そのような翔の態度にむっとする彩葉に白咲玲羅はやや申し訳なさそうに、そして容赦なく切り捨てるように言い放った。
「彩葉ちゃんの立てた計画はいつも色々と酷いからねぇ……。」
その鋭い意見は彩葉を抉るように突き刺さったのか、彼女は大袈裟に倒れるリアクションを取って机に両手を着いた。その仕草を見兼ねて、玲羅は詫びるように一言付け加えた。
「あ、勿論いい意味で。」
「……玲羅ちゃん。それフォローになってないよ?」
そう言われた玲羅は不思議そうに首を傾げ、屈託のない笑顔で返答した。
「心配しないで、フォローはしてないから。」
そのような天然な物言いに、彩葉は言い返すことができなかった。間抜けのように口を半分開けたまま項垂れた。
「えぇー………。」
ただそんな情けない声を漏らし、彩葉は両腕を枕にしてその中に顔を埋めた。そんな二人のやりとりを楽しそうに眺める少女ーーー夜桜紫音は、顔に柔かな笑みを浮かべていた。彼女はまだ高校生とは思えないほど、淑女のように大人びた性格をしている。彼女はこの部活メンバーの母親のような存在だ。その朗らかな表情もまるで、危なっかしい子供を遠くから見守っているかのように優しいものだった。
そして幼稚園児のように無邪気な二人を「まぁまぁ」と吾妻流星は宥めていた。仔犬のような円らな目に温和な性格をしている。彼は生徒や先生からの信頼は厚く、また、他人を厚く信頼する立派な人間だ。本人は把握していないようだが、その性格や容姿から、一部の女子からは高い人気を誇っていた。
そんな凹凸の激しく、個性と個性が殴り合うような女子三名と男子二名。総勢五名の愉快な仲間たちで、この謎多き部活動『異世界旅行部』は形成されている。
「……とにかく、今日は私が提案させていただきます!」
彩葉はホワイトボードに、文字を乱雑に殴り書きした。それでもある程度読めるのは、もともと字が綺麗である女子の特権だろうか。彩葉は一通り書き終えると、マーカーのキャップを締めて、ボードを掌で力強く二回叩いた。それは、ドラマで見た会議室のシーンを実際にやってみたいという理由で、彩葉が毎度行っている行為だ。小学生などによく見る、テレビドラマやゲームに憧れて、という単純な動機だ。「怒っているのか」という野暮な質問は誰もしない。
彩葉が激しく主張したホワイトボードには、『私が行きたい世界』と大きく書かれていた。おまけに左端には、何かよく分からない奇妙なイラストも描かれていた。
「さて、ここで問題です! 私が行きたい世界は一体何処でしょうか⁉︎」
彩葉はまるで講堂の端と端で会話をするような大声で、四人に質問を投げかけた。中には思わず耳を塞ぐ者もいた。これだから「放課後になれば旧校舎から女子生徒の声が聞こえる。」という神妙な怪談話が蔓延してしまうのだ。
「……うるせぇ。」
翔は反射的に耳に当てた手を外し、大きく溜息をついた。流星も同様に耳穴に詰めた指を抜いて、困惑した表情で呟いた。
「何処って言われてもなぁ…。」
「……前回に『お化けに会いたい』とか変な理由で、奇妙な洋館に飛ばされたことは一生根に持つからね。ほんっとに怖かったんだから。」
玲羅は若干身震いしながら、彩葉に強く訴えた。彼女の口から「絶交だからね」といつ飛び出てもおかしくない状態だ。玲羅の冷ややかな視線が、一直線に彩葉に注がれる。
そんな玲羅を見兼ねて、彩葉は引き攣った笑みを浮かべながら「ごめんごめん」と軽く平謝りした。
「……丁度良い機会だ。一度天国にでも行ってこい。」
流星が黙って真面目に思案する中、玲羅はそう遠くない過去のトラウマを想起し、翔は若干面倒くさそうに吐き捨てた。だが玲羅の冷え切った目線にも、翔の皮肉にもまるで堪える様子もなく、彩葉は悪びれない笑顔で返した。
「うーん……惜しいね!『天国』というのはあながち間違ってないかもね。」
そんな彩葉のあやふやなヒントに、紫音は読んでいた小説に栞を挟み、腕を組んで考える姿勢をとった。
「彩葉ちゃんが言う天国ねぇ…。あ、『猫の国』とかはどうかしら?」
「お、いいね! 順番が一周したら次はそうしようかな。」
紫音の解答はどうやら不正解だったらしく、次回の提案に採用されてしまった。それと同時に、流星は何かを閃いたように顔を上げた。
「お? 流星くん。その顔は何か思いついたねー?」
彩葉に食い気味に問われ、流星は少し自信なさげに「うん」と答えた。
「この前に彩葉さ、『ケーキを死ぬ程食べたい‼︎』って言ってたでしょ? だから、そういう系の世界じゃないかなー………と思って。」
流星の返答に、彩葉はどこから取り出したのか丸の描かれた小道具を目の前に掲げ、これ以上無いくらい目を輝かせた。その彩葉の持つ玩具から、流星に向けて大きく正解音が鳴り響いた。どうやらスイッチを押せば音が鳴る仕組みらしい。
「ピンポーン! 大正解!」
彩葉にしては比較的まともな立案だったお蔭で、玲羅や翔は安堵のため息を漏らした。そんな反応をとる被害者組に比べて、紫音は温かな笑みを浮かべて拍手し、流星は正解を言い当てる事が出来たという喜びに浸っていた。
そんな様々な感情が入り乱れた空間を統一するべく、彩葉は二回ほど大きく手を叩いた。その音に反応した四人は、前に立つ彩葉に注目の視線を集めた。
「ということで改めて、私が今回提案するのはーー」
彩葉はそう言うとくるりと背を向け、上機嫌に鼻歌を口遊みながら再びホワイトボードに何かを書き始めた。今回は丁寧にペンを持つ手を動かし、時間をかけて綺麗に文字を書いた。その後ろ姿はとても愉しげだった。
そして彩葉は、遠足を楽しみに待つ子供のように無邪気に宣言した。
「『お菓子の世界』です!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
事の発端は、一つの“扉”だった。
それはつい一ヶ月前の話だ。
その日は、長期間降り続けた雨がようやく止み、爽快感の溢れる久々の快晴となった。まだ道路には水たまりが幾つか乾かずに残り、彩葉はそれを子供っぽく飛び越しながら歩いていた。赤い水玉模様の傘を片手に持ち、肩から掛けた鞄が飛び跳ねる度に軽やかに揺れる。いつもとは少し変わった帰り道の風景だ。
そんな下校途中。何の意図もないただの偶然だったのだが、とある立ち入り禁止を示す黄色いバリケードが彩葉の目に留まった。年季が入っているようで随分と色が煤けている。そのバリケードの先には、薄暗く細い通路が只管奥へと続いているのが見えた。まだ明るいというのに光が遮られている所為か、深部は異様なまでの黒闇に包まれていた。その通路の持つ空気は独特で、凄涼な雰囲気が蔓延するように立ち込めている。まるで“近寄るな”と言いたげな闇が、窮屈な通路を塞いでいた。
ただの立て看板ならば、気には留める事ない。何も気にすることなく、視界にも移ることなく通過するだけだっただろう。だが、今日の彩葉はこの場に足を止めた。何かに誘われるように、呼び止められるように自然に立ち止まった。彩葉は思わず首を傾げた。
「ここに、こんな道あったっけ……?」
高校に通い始めてもう一年以上が経つ。その間、この道は数え切れないほど彩葉は歩いてきた。そんな彩葉の記憶が正しければ、この場所に“こんな通路は無かった”筈だった。
殆ど役に立っていないバリケードはおろか、この細い路地裏すら元は存在していなかった筈なのだ。一日や二日で新たに通路が出来るものでは無いだろう。況してや勝手に湧き出てくるものでもない。ならばこの路地は何なのか。
……彩葉は俄然興味が湧いた。勿論、不信感を抱いていない訳ではない。彩葉も当然、不気味だと少なからず感じていた。しかし、人の好奇心という物は恐怖を圧倒して凌駕する。それに、立ち入り禁止と言われれば何としてでも立ち入りたくなるのは、抗いようのない人間の性だ。
それは仕方がない事だ、と彩葉は自分自身を説得し、抑えられぬ好奇心に身を任せてバリケードを乗り越えた。何の苦もなく中へと侵入すると、彩葉は奥方へと目を凝らした。道は狭い上に延々と続いており、何とも言えない湿気が肌に纏わりついて気味が悪い。道中には踝あたりまでの草が蒼々と生い茂っている。それぞれ均等の高さまで伸びていて、靴で踏まれて折れ曲がった形跡などは一切ない。それは、長きに渡って誰も中へ入っていないという証拠だった。雑草が処理される事なく放置されている事から、管理する者もいないのだろう。裏を返せば、入ったところで誰にも怒られる心配はないという事だ。
振り返る事なく彩葉は奥へ奥へと進んでいく。恐れる様子も怯える様子もなく、ただひたすらに好奇心に突き動かされるままに足を動かした。今の彩葉は好奇心の奴隷だ。一体この奥には何があるのだろうか。それを確かめたくて仕方がなかった。
それから暫く歩き続けると、途中に仄暗い路地に眩い光が差し込んだ。自然の織り成す明と暗のコントラストは、思わず感嘆をあげてしまう程に神秘的なものだった。そんな蠱惑的な光に吸い寄せられるように、彩葉はゆっくりと走り出した。自然とその足取りは、枷が外れたかのように軽かった。
数秒も満たない内に、彩葉はとある茫洋な空間へと飛び出した。そこはただただ広く、そして何もない白っぽい空間だ。
この部分だけ現世から切り離されたような違和感があり、非現実的で目を奪われる情景だった。彩葉は思わず息を呑んだ。先程何もないと言ったが、端の方には美しい繊細な装飾が施された柱が無数に立ち並び、光源は無いにも関わらず淡く青白い光によってこの一室は照らされている。まるでいつか写真で見た、海外の神殿のようだった。言い方は悪いが、貧相な都市の路地裏にあってもいいような空間ではなかった。
そんな現と幻の釁隙の端には、神々しさとは不釣り合いなほど古ぼけた木製の扉があった。その開き戸は時代に取り残されたように、周囲の景色から浮いていた。どこか寂しいようで、悲しいようで。彩葉はその扉に対して、そんな感情を抱いた。だが、彩葉の視線はすぐに隣へと移ることになる。
傷んだ木扉の隣には、これまた不釣り合いな小さな石板が設置されていた。これではまるでRPGのダンジョンの入り口だ。現実世界でこのような世界観を拝めるとは思ってもみなかった。これには彩葉の興奮も高まり、無意識の内に胸も踊っていた。
その古寂びた石板には、こう刻まれていた。
【新たな世界を望む者よ。汝の望む世界へとその扉は繋げん。】
この明らさまで在り来たりな文章は、更に彩葉の興味を掻き立てた。興味の無い人からすれば、ただの安っぽく稚拙な文章だろう。この扉が繋がる先も、扉が繋げてくれる世界の先も、きっと何も気にならない事だろう。しかし彩葉の冒険心は無性に燻られた。最早抑えようが無い。小さかった好奇心の炎に大量の薪が投下され、鎮静しようのない大きな豪火となった。もう彩葉を誰も止められない。冷たい汗が背を撫でるように伝い落ちる。鼓動も更に速さを増す。身体と共に、心も駿馬の如く前へ前へと逸り出す。
ーーこれは、もう行くしかない。
彩葉は遂にその扉のドアノブに手をかけると、ゆっくりと捻った。すると木扉は軋み音を立てながら、少しずつ、少しずつ開いていったーー。
この彩葉の第一歩が、『異世界旅行部』の活動の“始まり”だった。
どうも、ほんわか八咫烏です。
ここでの異世界は、かの超絶人気作品のようにシリアスだったり、冒険物語だったり、ハーレムだったり。
なんて事は『一切ありません(多分)』!
この『異世界旅行部』では、私の“子供の頃の願望”や“やってみたい、見てみたいといった夢”なんかをただひたすら登場人物に乗せて書いていく物語です。
もしかすると、皆様にも当てはまるものがあるかもしれません。
ちょっと昔を思い出しながら読んでいただけると幸いです。
長くなりました。これからもどうぞ、よろしくお願いします。