4 一〇三号室、夕柳一家、失血死
夕柳正彦は退屈していた。
正彦は二八の時に結婚した。妻の多香子とは同い年だった。大学の同級で、長い交際の末、結婚したのだ。
不満があるわけではない。
多香子は大人しい性格であまり自己主張をしない。夫の決めることに従うのが妻の務めだと考えている節がある。
古風なのだ。
傍から見れば貞淑な女に見えるだろうし、事実、間違っているわけでもない。
今時こんな女性はいないなどと、同僚から羨ましがられたりする。
しかし、と思う。
お互いにもう三〇代で、子供もいる。考えたくないことではあるが、例えば、病気か何かで自分が働けなくなったら。もし死んでしまったりしたら。
多香子は一人で生きていけるだろうか。
大人であることを考えると、少々頼りないと感じてしまう。
男女平等という考えかたが浸透した現代において、多香子のような性格ではかえって生きづらいのではないか。
ふと、夜に目を覚ました時などに、そんなことを考えてしまう。
その日も正彦は、夜中に目を覚ました。
一度覚醒すると、いらぬことをあれこれと考えてしまう。
悪い癖だ。
寝なくては明日に差し支える。
正彦はトイレに立った。用を足したとき、身体がぶるりと震えた。排尿の際に熱が身体から奪われることによる現象であると聞いたことがあったが、こんな夏に、なぜこれほどまでに身体が震えるのか。
布団に戻ってきた時、正彦はゾクリとした。隣の多香子の布団がもぬけの殻になっていた。息子の祐樹もいなくなっていた。
背後で誰かの吐息を感じた。
「祐樹か?」
正彦は振り返ろうとしたが、頭に衝撃が走り、そのまま意識を失った。
*
正彦たちは、椅子に縛り付けられていた。いつも食事をとるテーブル。家族団欒の象徴。そのテーブルにガムテープで手足が固定されている。
「三人いたから心配したわ」
ヒスイが言った。
「本当だよ。一人起きるなんて思ってなかったからね。それも一番力が強い、大人の男の人だもの。ヒヤッとしたよ」
メノウは口元に笑みを湛えている。
「家族団欒だね。喋れないけど」
メノウは正彦たちを見る。彼らの口はガムテープで塞いである。
「これからゲームを始めるよ。楽しいゲーム。家族の素晴らしさが味わえる、とっても素敵なゲームだよ」
テーブルには包丁が置かれている。その横にはサイコロが一つ。
「順番を決めよう。一番がお父さん、二番がお母さん、そして三番が男の子。良い?」
三人は答えない。怯えていた。自分たちの置かれている状況が理解できていなかった。
「説明よりも、実際にやってみようか」
メノウはサイコロを振った。
四。
「お父さんからスタートだよ。四だから……」
正彦、多香子、祐樹、正彦とメノウは順番に指さす。
「お父さんだね」
ヒスイが包丁を手にして正彦に近寄る。正彦は身体をよじるが、ガムテープが剥がれる気配はない。
「こうするのよ」
ヒスイは正彦の右腕に包丁を突き立てた。くぐもった叫び声が響く。
「こんな感じで、サイコロを振って、当たった人を一回ずつ刺していくの。どこを刺すかは私が決めるわ。最後まで生きていた人は、特別に許してあげる。じゃあ次ね」
メノウはサイコロを振る。
二。
「お父さんの次からスタートして二だから、男の子ね」
「やめろ!」正彦は必死で叫んだ。しかし唸り声のような音しか発することができなかった。言葉にならなかったが、ヒスイは正彦の考えを察したらしい。
「分かっているわ。そこで特別ルールよ。刺される立場の人が拒否すれば、その次の人を刺すことになるわ。ねえ、坊や。あなた刺されたい?」
祐樹は首を強く横に振った。当然の反応だ。
「じゃあ、拒否する?」
祐樹は迷ったような表情になる。刺されたくはない。しかし拒否すれば、祐樹の次、つまり父親の正彦が刺されることになる。
しかし、祐樹は拒否した。
正彦の左腕に、包丁が突き立てられた。正彦は激痛にあえぐ。両腕が燃えるようだった。
「次ね」
今度はヒスイがサイコロを振る。
五。
正彦、多香子、祐樹、正彦、多香子。
多香子の顔が青ざめた。
「どうする? 拒否する?」
多香子は……頷いた。
明確な意思表示だった。
正彦は、信じられないという顔で多香子を見た。
多香子はこちらを見なかった。祐樹とも目を合わせなかった。天井を見ている。誰とも目を合わせようともしない。
叫びだしたかった。多香子は息子を守る気は無いのか。自分だけ助かろうとしているのではないだろうか。
自己主張の弱い多香子がこれほどはっきりと意思表示をするのを、初めて見た。
よりにもよって、息子を犠牲にして自分が助かろうとするとは。
「拒否ね。お母さんに見捨てられちゃったわよ、可哀そう」
祐樹の顔は涙と鼻水でグチャグチャになっていた。包丁を手にしたメノウが祐樹の左脚、太もものあたりに包丁を刺した。子供の、高い叫び声がガムテープ越しに聞こえた。直視は出来なかった。祐樹が泣いているのが聞こえた。
痛みから来る涙か、母親に裏切られたことによる涙かは、分からなかった。
「さあ、ゲームを続けましょう」
ヒスイがにっこりと笑った。
*
まず、祐樹が死んだ。
子供の小さな体では、痛みと大量の出血に耐えられなかった。
次に多香子が死んだ。
正彦は、拒否し続けた。拒否すれば、多香子が刺される。多香子の身体は穴だらけになっていった。
多香子も拒否し続けた。しかし多香子が拒否した場合に刺されるのは多香子の次、つまりは祐樹だった。死んだ後も、二人の不気味な子供たちは、祐樹の死体に刃を突き立て続けた。
つまり、祐樹が死んだ時点で、正彦は安全になった。
「お父さんの勝ちね」
ヒスイはそう言うと、正彦の身体を固定しているガムテープを包丁で乱暴に切った。皮膚に刃先が喰い込んだが、もはや痛みを感じる余裕もなかった。
身体は自由になったが、正彦は動けなかった。ぼんやりと、妻と息子の死体を眺めている。思考が現実に追いつかなかった。
「私たち、行くわ。次は?」
「次は二〇一号だよ、ヒスイ」
二人の死神は一〇三号室を後にした。
正彦はゆらりと立ち上がった。




