3 一〇二号室、山村高尾、縊死
山本高尾は、もう何年も引きこもっていた。
いや、もしかしたら一〇年くらいたっているのかもしれない。それとも二〇年か。
時間の感覚が定かではなかった。
昼も夜も分からない。
目が覚めた時、閉め切ったカーテンから陽光が差し込んでいれば、ああ昼なのだ、と分かる。陽光が差し込んでいなければ夜なのだろう、と考えた。だが、ただ曇っているだけかもしれない。それならば昼でも暗いはずだ。しかし、カーテンを開けて確かめる気もなかった。時計など、部屋のどこにあるのかも覚えていない。
引きこもり始めたきっかけなど、既に忘れてしまった。大したことではなかったような、大事だったような、なんとも記憶が不確かなのだった。
昔のことは、どんどん忘れていく。
山本高尾は、年末の二日間だけ、家を空ける。深夜になると、人目を忍んで外に出て、その足で少し離れた公園へと足を運んだ。
年末年始には、そこで炊き出しがある。
家を失った者、炊き出しに頼らなくてはならなくなったものが、温かい食事を求めて集まる。
ボランティアの人から受け取る飯は、本当にうまかった。
山本は親からの仕送りで暮らしている。
しかしその親もすでに七〇代であり、仕送りは年金と両親の貯金を切り崩したものだ。
もし両親が死んだら俺は生きていけるだろうか。そんな心配が頭をよぎることも多い。だが、できるだけ考えないようにしていた。
山本は必要なものは全てネットを介して購入している。だから、外に出なくともよい。
だから、本来であれば炊き出しを貰う必要などない。
むしろ自分が炊き出しを食べることにより、本当に必要としている一人があぶれてしまうのではないか。そんな罪悪感もある。
しかしそれでも、温かい食事を温かい笑顔で渡されるのは、なんとも心安らぐ体験だった。
その欲求に抗うことなどできなかった。
相手は別に、自分に好意を抱いているわけではない。そんなことは分かっている。しかし少なくとも、気の毒だと同情くらいはしてくれているはずだった。そんな同情ですら嬉しかった。
人は、人との関係を絶って生きることなどできないのだと、思い知らされた。
時々ひどく空しい気持ちになる。
いったい何のために生まれてきたのだ。
生まれてきたときは少なくとも、希望に満ち溢れていた。
夢。
希望。
そんなものにあふれていた。
しかしあふれたものは器に戻ることもなく、そして器に残った分はすぐに蒸発して干からびてしまった。
抜け殻。
空っぽ。
今の自分を現すのに、ふさわしい言葉だ。
もう、死んでしまおうか。
そんなことを考えてみる。
だが、そんなことを考えながら死になどしないことは、山本自身が一番知っている。
たとえ人類が滅びようとも、自分だけは生きていたい。
そんな生き意地汚い自分が、嫌になる。
天井から、物音が聞こえた。山本は天井を見上げる。ガタゴトと音が移動している。上の部屋はたしか、七〇代くらいの老婆が暮らしているはずだ。
山本は舌打ちをした。
なにをしているのだ、一体。山本は一度だけ、姿を見たことがある。陰気な雰囲気をまとった、不気味な老婆だった。何でも昔はこの一〇二号室で暮らしていたこともあるらしい。なぜ部屋を移ったのかは知らない。どうせ隣人がうるさいだなんだと文句をつけたのだろう。
文句を言いたかったが我慢した。クレーマーとは関わり合いたくなかったし、そもそも引きこもっているので、外に出るのも嫌だった。
もう寝ようか。
布団に入ろうと立ち上がりかけた時、山本は、背後に気配を感じた。
自分しかいないこの部屋に、自分以外の気配があることなどありえない。虫か、いや、これほどはっきりとした気配ならネズミでもいるのかもしれない。
山本は正体を振り返った。
そして、気配の正体が虫でもネズミでもないことを知った。
*
「どうやって殺しましょうか」
ヒスイはメノウの方を見た。
「どうやって殺したい?」
メノウは山本を見下ろしている。山本は意識を失っていた。あと三〇分くらいはこのままだろう。どの道、山本が目覚めることは二度とない。
「吊りましょうか」
メノウの提案により、山本は縊死させることになった。
ロープが見つからなかったので、パソコンのコードで代用した。山本の首にコードを巻きつけた。
「行くよ」
「いいわよ」
メノウとヒスイは首に巻いたコードの両端をそれぞれ持った。全体重をかけ、それを引っ張った。山本の首が持ち上がり、身体が痙攣した。それは吊りあげた魚を連想させた。ビクリビクリと身体を震わせていた山本は、すぐに反応しなくなった。
顔は鬱血し、紫色になっている。膨張した顔を見て、メノウは腐ったトマトを連想した。
「もう終わり?」
ヒスイが言った。
「人間って、本当にあっけなく死ぬわね。なんだかつまらないわ」
「大丈夫だよ」
メノウが答える。
「次は三人だ。殺し甲斐があるよ、きっと」




