2 一〇一号室、扇田龍、溺死
二人は一〇一号室のドアの前に立った。
ここの住人は、扇田龍。五〇台の男性。
メノウの記憶が正しければ、彼は会社勤めをしているはずだった。朝の七時半ごろにいつも家を出る。帰宅はおおよそ午後八時。土日は休み。
機械のように正確な生活をしている。
もしかして本当に機械なのではないか? などとメノウは冗談半分に考えたことがある。まあいい、殺してみれば分かることだ。
*
扇田龍は酒が好きだった。
毎夜、大量のアルコールを摂取し続けていた。
酒の種類は問わない。重要なのはアルコールが入っているかどうかだ。アルコールが体内に入りさえすれば、扇田は満足だった。
扇田の部屋には、大量の酒が備蓄されている。何よりも、酒が無くなることが扇田に取って恐怖だった。
自分はアルコール依存症なのだろか。
そんなことを、扇田は時々考える。
だが、病院には行かなかった。病院にさえいかなければ、たとえ自分の身体を病魔が巣食っていたとしても、問題なく生きていけるのだ。
その考えが間違っていると分かっていた。だが、どうしようもなかった。
その日も、扇田は大量の酒を飲み、眠りについていた。
酒が入ると眠りが浅くなるのか、よく夢を見た。それも悪夢が多い。うなされ深夜に目が覚めることも珍しくなかった。
嫌な夢を見ていた。
目を覚ました時、扇野は夢の内容を思い出せなかった。
ただ、嫌な気持ちが残っていた。
扇野は身体を起こす。万年床である薄い布団が大量の汗で湿っている。
強い気配を感じた。
扇野は顔を上げた。闇の中に、何かが佇んでいた。
最初、影が立っているのだと思った。悪夢の続きを見ているのかもしれない。
そんなことを思った。
その影は急激に大きくなると、扇田は身体を押さえつけられてしまった。布を口に押し込まれたところで、ようやく扇田は自分がすでに覚醒していることを悟った。
なんなのだ、こいつらは。
叫ぼうとしたが、声が出せなかった。
*
「メノウは本当に手際が良いわね」ヒスイが感心したように言った。
「慣れているからね」メノウは扇田を縛り上げながら答えた。ヒスイに褒められたのが嬉しくて仕方がないというようににっこりと笑う。
「それにしても、お酒臭いよ、こいつ」
「そうね。お酒の飲みすぎね。身体によくないわ」
「そうだね。でも関係ないよね。これから死ぬんだしさ」
メノウは扇田を見下ろすと、口を開いた。
「これから殺すけど、良いよね?」
扇田は目を見開いて怯えた様子を見せた。首を慌てたように横に振る。
「死にたくないの?」メノウは不思議そうに聞く。扇田はメノウから視線を外さなかった。今度は必死で首を縦に振る。
「すごいお酒の量ね」ヒスイがメノウの横にひょっこりと顔を出した。両手には大量の酒を抱えている。
ヒスイはそれを扇田の前に順番に並べていく。ビールからカクテル、ウィスキーの瓶、日本酒に焼酎など、様々な酒が並ぶ。
「大人って不思議ね、なんでこんなものを飲みたがるのかしら。美味しいの?」
「さあね。でも、飲まない方が良いよ。身体に悪いんだって」
「まあ、そうなの? じゃあこんなにお酒を持っているなんて異常だわ」
メノウは扇田を見た。
「ねえ、おじさん。助かりたい?」
扇田は弾けるように首を縦に振った。
「じゃあさ、ここにあるお酒、全部飲み干してよ。そうしたら助けてあげる」
面白がるような表情で、メノウが言った。
*
扇田は、いまだに自体が呑み込めずにいた。
目を覚ました途端、まだ小学生くらいにしか見えない子供二人に押さえつけられ、縛り上げられてしまった。
これが夢ではないと気が付いた扇田は強い恐怖を感じた。たかが子供だ、人を殺すことなどできない、などとも思った。しかし、目の前にいる彼らの発している狂気とも表現するべき異様な雰囲気が、少年の言葉に真実味を与えていた。
殺される。
殺されないためにはどうしたらいい?
この少年はなんと言った?
目の前に並べられた酒、それを全部呑めば、俺は助かるのか?
扇田は大量の酒に視線を落とす。確かに酒は好きだったが、これほど大量の酒を一度に呑んだことなどなかった。
これだけの量を一度に呑んでしまったら、死んでしまうのではないか?
しかし、もし呑まなければ……。
口に詰められた布が乱暴に引き抜かれる。
「ほら、召し上がれ」
クスクスと笑いながらヒスイがビールの缶を開ける。
「こぼしたら殺してしまうから、気を付けてね」
ヒスイが缶ビールを傾ける。暗くてよく見えなかったが、缶から液体が流れ出るのが気配で分かった。扇田はそれを必死で口で受け止めた。
こんな状況であるにも関わらず、扇田はビールをうまいと感じた。命の危機であるにも関わらず、身体は新たなアルコールに歓喜していた。
あっという間にビールを飲み干した。
「すごいわね、次よ、はい」
ヒスイはウィスキーの瓶を手にしている。アルコール度数は約四〇パーセント。七五〇ミリリットル。扇田はぞっとした。あれを全部飲まなければならないのか。
そんな扇田に向かってヒスイは容赦なくウィスキーを垂らし始めた。扇田は慌ててウィスキーの瓶に口を付けた。そのまま、瓶から直接ウィスキーを胃袋に入れ始めた。
思考が急激に鈍化していくのが分かった。こみ上げる吐き気に耐え続け、扇田はウィスキーを喉を鳴らして飲み続けた。
*
「動かなくなっちゃったね」
メノウが残念そうに言った。彼の足元には、大量の空き瓶や空き缶が転がっている。
「そうね。お酒って怖いわね。まるで毒だわ」
それで……とヒスイは続ける。
「どうしましょう、このおじさん」
「時間の問題だと思うけれど、まだ生きているみたいだ。一応確実に殺しておこうよ」
「それはいいけれど、一体どうするの?」
「もう用意はしてあるよ」
メノウはヒスイを浴室へと誘う。明かりがついており浴槽にはお湯が張ってある。
「ここに沈めておこう。溺死させれば、間違いない」
「分かったわ。では、一緒に運びましょう」
メノウとヒスイは協力して、扇田の死体を運んだ。メノウが右手を、ヒスイが左手を持ち、ズリズリと扇田を引きずっていく。
頭を完全に水中に沈めても、扇田は反応を示さなかった。
「もう死んじゃったみたいだね」
「そうね」
ヒスイはもう扇田に興味を失ったようだった。
「では、次に行きましょう」
「そうだね」
二人は扇田の部屋から出る。空を見上げると、月がメノウとヒスイを煌々と照らしている。
「次は……一〇二号室ね」
「そうだよ」
名前は確か……と考えるメノウに「山村高尾よ」とヒスイが答えた。
「そうだったね。じゃあ、開けるよ」
メノウがポケットから鍵の束を取り出す。その中から一〇二と書かれた鍵を見つけると、鍵穴に差し込んだ。
カチャリと小さな音がした。新たな惨劇が始まることを告げる音だった。
メノウとヒスイはドアを少しだけ開けると、身体を滑り込ませた。




