星幽の世界
プラモデルを巡って一騒動を終えた後、二人はプレーンワールドへとダイブするべく準備を始めた。
ASの世界にダイブする為の道具はたった二つである。一つはイヤフォンやヘッドホン、もう一つはSFS(ShiftFrequencySound)と呼ばれる、特殊な周波数が記録された音声ファイルである。この音声ファイルに記録されたデータ内容で接続先のサーバーが決定される。
今回接続するプレーンワールドへの音声ファイルはインターネットや市役所などで無料配布されているものである。
楓は高級なヘッドホンを手に、一方仁は……
「いい加減もっと立派なものを使ったらどうっすか?」
仁が手に持っていたのは見るからに安そうなイヤフォンであった。
「いいじゃないですか、別にヘッドホンの性能でアストラル体の能力が変わる、なんてことはないんですし」
「だからって100均はないっすよ。ダイブ中に壊れたらどうするんっすか」
「大丈夫ですよ、一度ダイブに成功したら自分の意志で戻ろうとしない限り物質世界には戻りませんし」
「というか、単純に自分の上司が100均のイヤフォンを使っていることが恥ずかしいっす……」
楓はばつが悪そうに
「これじゃ友達に自慢できないじゃないっすか」
と呟いた。
「? 何か言いましたか?」
「何でもないっす!! 早く行くっすよ!」
楓が急かし、ようやく二人はプレーンワールドへとダイブした。
プレーンワールドの景色は物質世界と何ら変わることはない(アバターたるアストラル体の外見を弄ることはでき、楓は髪色を銀にしているが)。しかし、物質世界とASの世界を分ける決定的な要素がある。
「んっ!」
仁はバールが手に馴染む感触をイメージしながら右手を振った。すると、先程までは空だった右手にはバールが一本握られていた。
PbM(ParanormalbyMind)、精神による超常現象と呼ばれる特殊な能力。これこそが物質世界とASサーバーの世界を分ける最大の要素である。
PbMとは名前の通り、念じることで思い通りの現象を起こす技能である。
しかし、大半の人間は単純に念じただけでPbMを行うのは困難である。故に例えば今仁が行った手を振るという行為をPbMの発動キーとして補助している。
また、普段使い慣れないものや複雑な機構で動くものを創り出すのは通常よりも難度が高いとされる。
「仁のおやびん、いつも思うんですが、どうしてバールを使ってるんっすか?」
楓は問いかける。
「いや、僕の趣味は解体ですし。最高に僕らしいでしょう?」
仁はどこか誇らしげにバールを両手で持ち、斜めに構える。
「それは自虐っすか?」
「それと、ASサーバーもインターネットの一種です。身バレ防止の為に一応こちらではハンドルネームで会話しましょう、モクカゼさん」
「私たちは物質世界とほぼ同じ外見ですしあまり意味はないと思うっすけどね、ジンおやびん」
「それと、僕のバールのことを言うなら貴女は何故剣を? 現代社会で西洋剣なんて使わないでしょう。よく創りだせますね」
「私はほら、天才っすから。それに魂のランクも高いっす」
平然と天才だとか魂のランクだとかのたまっているが、(天才はともかく)魂のランクが人よりも高いことは誰が見ても明らかであった。
彼女の身体には、普通の人は持っていない器官が付いている。それはまるでアニメの巨大ロボットが付けているスラスターのようで、スラスターを付けた少女という外見は非常に異質であった。
これこそが彼女の魂のランクが他の大多数と分かつ証拠である。
「その、天才の精神体様がどうして亜物質体なんかにやられてたんでしょうかねえ」
「そ、それは……あの時はまだ精神体になったばかりで、それに相手も沢山いたっすから!」
精神体、亜物質体とは、ASサーバーに接続した魂のランクを指す言葉である。
亜物質体であるジンを代表する大多数の人間の魂はASサーバーにとって非常に軽く、故に大半のASサーバーは多人数の同時接続が容易である。
これを利用した多人数同時接続型ゲーム、通称ASMMOも現在では無数に存在する。
しかし、何らかの経験によって魂のランクが昇華し精神体となった魂の質量は重くなり、能力も飛躍的に上昇する。また、精神体は外見的特徴として、元々備わっていない器官が身体に現れるという特徴がある。
「ともあれ、万が一リンクスと関わってしまった際の対策を考えておきましょうか」
ジンは棚から過去に収容されたAS犯罪者のファイルを取り出し、その中からリンクス、本名渋谷樹津菜のデータを開く。
渋谷樹津菜、ASの研究者で、とりわけ魂のランクを人為的に昇華させる研究をしていた。しかし、そのやり方は非常に過激で非道な人体実験も厭わなかった。
最終的にASサーバー内で児童の魂を誘拐、昏睡状態にしてログアウト不能にし、人体実験の材料にしようとした罪で逮捕。脱獄まではAS犯罪者専用の刑務所に入れられていた。
「収容当時は亜物質体だったそうですが、今は違うでしょうね」
「過酷な環境に置かれて精神体に昇華っていうのはAS犯罪者の刑務所でよくあるパターンっすからね」
「あとは彼女のシンパですね。いくら精神体になったからとて脱獄が彼女一人でできたとは思えませんし、彼女と関わるならば一緒に手下もついてくるでしょうね」
「シンパの能力までは流石に分からないっすけど、リンクスはPbMで物質を他のものに変換させていたらしいっす」
用が済んだのか、ジンは犯罪者ファイルを閉じ、事務所の出口へ歩き出す。扉まで辿り着くと振り返り、
「僕は地上を探します。モクカゼさん、貴女は飛行能力が高いですから空から探して下さい」
「了解っす! 万が一リンクスを見かけた時は……?」
「その時は念話アプリで連絡をお願いします。その後、報告時点の場所を記憶し事務所に帰還してください」
「分かったっす! では、モクカゼ、行きます!」
そう言って、モクカゼはスラスターを吹かせて元気に窓から飛び出していった。