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QUEST  作者: 市尾弘那
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第2部第2章第3話 秘めた魔力(1)

 飛び込んだ斜面を一気に滑り降りる。本当は自分でその速度をちゃんと制御したいのだが、傾斜の上の草と土で、滑った足に引き摺られていると言うのが正しいような気がする。

 傾斜は結構キツく、滑り降りる体はほぼ後傾だ。変な風に突き出して生い茂っている木々の枝で目を突かれないよう左腕で顔を庇い、右手は地面にいつでも付けるよう後方に差し出しているような姿勢になっている。

 木々と草がかなり密生しているので、飛び出している枝が腕といい頭といい体といい、当たりまくってバキバキと折れていった。ぶつかりあって揺れる木と木、葉と葉が立てる音だけが聞こえる。

 踵を地面に押し付けてスピードが出過ぎるのを何とか押さえながら、それでもこの勢いで止まろうと思ったら尻餅をつくのは必至だろう。

 それほど長い斜面ではなかったらしく、ややして前方、木々が途切れたその隙間から月明かりを落とした麦畑が広がっているのが見えた。そのままの勢いで放り出されてはたまらないので、後傾になったままで踵に一層力を込める。後方へ出した手を傾斜の表面をなぞるように引き摺って何とか減速を図った俺は、放り出されることなくガルシアに聞いたあぜ道に出ることが出来た。

 途端キグナスがぽんと放り出された。減速に失敗したらしい。

「うわぁ」

 べしゃっと地面に放り出されるのには見向きもせず、左右を確認する。右も左も、草木の生い茂った斜面と麦畑に挟まれて延々と続いていた。人影はない。

「何遊んでるんだよ、行くぞ」

 声を潜めてキグナスを振り返る。ガルシアに言われたのは、左。

「遊んでるんじゃねえよッ」

 小声で怒鳴りながらキグナスが立ち上がると、俺たちはあぜ道を走り出した。

 のろのろしていて追いつかれたら、わざわざ足止めをしているシサーたちに申し訳ない。

 道は、緩やかに波打ってカーブしている。そのせいで、ずっと先はどうなっているのかが良くわからない。

 走る左手にはずっと俺たちが下ってきた傾斜が見えているが、次第にそれは林と言えそうな感じになっていった。つまり傾斜はどんどん奥に引っ込んでいき、こちら側は多分傾斜とはもう言えないだろう。

 夜道、そして『魔の山』のそば。

 何か出てもおかしくない。

 そう考えた俺は、抜き身の剣を握って走ることにした。こっちが駆けていると言うことは、突如踊り出た魔物との距離が一気に縮まってしまう可能性がある。剣を抜き出す暇さえ惜しい状態にならないとは言えない。

「どこまで続くんだ、この道……」

「さあな。どっかにファーラの祭壇があるって言ってたけど……」

 そこまで来たら道を逸れろって言われてるんだから、多分右手に麦畑が続いている以上はまだまだ先だろう。まさか麦畑を突っ切れってことじゃないような気がするし。

 そう思ったその時、左手の林から踊り出た影があった。さっき俺が杞憂したほど近い距離ではない。ぱっと見てまだ10数メートルの距離がある。俺とキグナスは咄嗟に足を止めた。4本足の、獣。真っ黒に見えるその全身を硬そうな毛が覆っているのが、月明かりで見て取れる。グルルル……と喉を鳴らしているような低い唸りが聞こえた。

「ウォーウルフ……ッ」

 遭遇するのは、久々だ。

 シャインカルクから放り出され、『浄化の森』を抜けた時以来だった。

「キグナス、下がって」

 言いながら、剣を構える。ウォーウルフは唸りを上げながら、微かな爪音を響かせて、こちらへゆっくりと近付いてきた。

「援護、よろしく」

「ゲヌイト・オムニア・フォルトゥーナ・カウサエ・マナ、ダビト・デウス・ヒース・クォクェ・フィーネム、『風壁』」

 下がったキグナスが、後ろから防御魔法をかけてくれるのが聞こえた。その間も、ウォーウルフは確実に近付いて来る。

 ……怖い、と言う気持ちは、起こらなかった。

 振り返ってみれば、おかしくさえある。

 最初にコイツに遭遇した時は、怖くて全身が震えたっけ。逃げたかった、嫌だった、死にたくないと思った。

 今は、そんな感情が湧き起こらない。

「カズキッ」

 キグナスが注意を喚起する声が聞こえた時には、ウォーウルフの足が地面を蹴っていた。鋭い牙の並ぶ巨大な口を開き、真っ赤な舌が見え隠れする。

 恐怖心の湧き起こらない俺は、ウォーウルフが射程距離に入るのを剣を構えたままで待った。

 人の身体能力は、意外と侮れるものじゃない。そりゃあ力とかそう言うのには限度あるし、反射神経だとかそう言うのも個人差は凄くあるのは確かだろうが、それでも相手の動きをちゃんと見ていれば避けられるものは多いし、逆に反撃もいくらでも出来る。……ま、相手の身体能力が人間を圧倒的に越えちゃってる場合や魔法なんかの場合は、その限りでもないけれど。

 それが出来なくなるのは、恐怖心に振り回されるからだ。

 見えるはずのものをちゃんと見ていなければ、避けられるものも避けられなくなる。だから、負ける。

 『怖い』とさえ思わなければ、相手の動きをつぶさに冷静に見ていることが出来るから、人間の肉眼で認識出来る範囲の動きだったらそれに対応することはかなり可能になってくる。――そして、今の俺は『怖く』ない。

「ギャン!!」

 ちッ……。

 鋭い鉤爪を避けながら薙いだ剣は、ウォーウルフの胴部を掠ったに過ぎなかった。前よりましになっているとは言っても、別に大して強くなっているわけでもない。一撃必殺と言うわけにはなかなかいかない。

 俺を飛び越えて背後に着地したウォーウルフは、唸りと土煙を巻き上げながら着地したその勢いで、そのままバウンドするようにこちらに向かって再び跳躍した。

「ゲヌイト・オムニア・フォルトゥーナ・カウサエ・マナ、ナートゥーラー・ドゥーケ・ヌンクァム・アベッラービムス。『風の刃』!!」

 キグナスの魔法が疾び、一瞬遅れて俺の射程範囲内に飛び込んできたウォーウルフに剣を叩き込む。奴の前足より俺の剣の方が長い。今度は、鋭い爪が俺に届く前に俺の剣がその首筋に届く。

「ギャイン!!」

 悲痛な悲鳴を上げ、ウォーウルフの体が横へと吹っ飛んだ。麦穂を薙ぎ倒す音と共に、麦畑へとその体が投げ込まれる。軌跡を描くように、血の跡が追った。

「やったか?」

 キグナスの声を背中に受けながら、顔をウォーウルフが倒れ込んだ麦畑に向ける。青々と茂った背の高い穂影に隠れて、姿は見えない。

「どうかな……」

 剣を振って、べっとりとついた血を払う。俺の一撃だけならともかく、同時に『風の刃』が襲っているし、これだけ夥しい血が出ていると言うことは死んでるか、そうじゃなくてもかなりの致命傷になったんじゃないだろうか。

 がさ、がさ、と2,3度麦穂が揺れるのが見えたが、ややしてそれきり静かになった。どうやら片付いたようだ。

「行こう」

 剣を拭うこともせず、キグナスを促す。再び駆け出した俺に、キグナスも黙って従った。

 駆けながら、思い出す。……前にウォーウルフと戦闘した時は、吐いたんだ、俺。

――この手で生命を奪うのが……怖い

 ……笑いが、零れた。

 俺の、変化。

(考えちゃいけない……)

 心の奥に封じられた何かが、頭痛を引き起こした。


          ◆ ◇ ◆


 しばらく駆けていくと、右手の麦畑が不意に途切れた。一際高い位置に草叢が広がったかと思うと、そのままなだらかに平地へと変わっていく。それと合わせるように左手の林も不意に途切れ、平地になった。

 左右に草地が広がり、粗い、剥き出しの地面もその幅を少しずつ広げていく。

 月の明るい夜だ。おかげで視界に困ることはない。逆に言えば、追う人間がいたとしたらこちらの姿も丸見えだ。

 ただ、幸いにして追っ手がいる様子はなかった。

「祭壇ってのは……はぁ、はぁ、ドコにあんだよ……」

 キグナスの息が切れ始めている。そういう俺だって人のことは言えない。体力値にさして差があるわけじゃない。

「はぁ……はぁ……」

 答える声を、荒くつく息に変えて走る速度を緩めた。ガルシアの家の裏手からは、結構距離を広げたはずだ。そろそろ速度を緩めておかないと、先ほどのように突如魔物に飛び出された時に戦えない。

「歩こう……」

「……そだな」

 ぜぇぜぇ、と肩で息をしながらキグナスが頷く。走るのをやめて数歩歩き出した俺は、すぐにその足を止めた。

「キグナス」

「ん」

「人がいる」

 顰めた声さえ響いていそうで怖い。俺の言葉にキグナスが、視線を追った。まだ、距離がある。遥か先に見える野営の火。

「ホントだ」

 答えるキグナスの声に、安堵が含まれたのを感じて俺は危機感を覚えた。

「……道を逸れよう」

「え?何でだよ?」

「人には、会わない方が良い」

 言いながら、緩く左手に向かってカーブしていくその道を右方向へと逸れる。慌てて俺の後を追って来たキグナスが、訝しげな声を出した。

「何?何だよ、人に会わない方が良いって。大体道を逸れるには早い……」

 言われた場所に辿り着いていないのに、そもそも言われた通りにしてさえちゃんと辿り着けるかさえ定かじゃないのに、危険なことはわかっている。けれど多分、人に遭遇するよりずっと良いような気がした。

「何で俺たちに追っ手がかかってると思うんだよ」

「何でって……『青の魔術師』だろ」

「そういうことじゃなくて」

 走るのはやめたものの、早足で草原に足を踏み入れる。目印となるはずのファリマ・ドビトークさえ、闇に吸い込まれてしまって良くは見えない。が、どうせ南東を目指さなきゃなんないってことは、左側に逸れておけば何とかなるだろう。星の見えない真っ暗がりが山だろうし。

「衛兵たちが俺たちの足取りを追えたのは、人との接触があったからだろ」

「……あ」

 ようやく気づいたらしい。

「確かに『青の魔術師』は、俺たちの手配書をバラ撒いて捕らえるつもりはないんだろう。でも、衛兵を使って確実に探してる。誰かと接触すれば、そこから俺たちの足取りがバレる」

 多分、ファリマ・ドビトークに入ってしまうのが1番安全なんだろう。対ロドリス、と言う一点に関しては。

 今、人が、ほとんど近付かないんだから。

 尤も、違う意味での危険度は圧倒的に増すのだろうけど。

 それでも、ファリマ・ドビトークに行かざるを得ない以上、早く辿り着いてしまうにこしたことはないんじゃないだろうか。

 問題は、登山口に辿り着けるかどうか。

 まあ、敵が『山』と言うとかく巨大でどこからでもその姿を見ることが出来るんだから、果てしなく見当違いのところには出ないだろうとは思うけど、それでも逆に言えばでかいだけに、変なところに出てしまったら登山口に辿り着くまでに相当時間がかかりそうだ。

「この国で、もう人は信用出来ない。しちゃ、いけないと思う」

 少なくとも、ロドリスを脱出するまでは。

 ……多分まだ俺の首に、価値があるだろううちは。

 焚き火を遠くに見ながら音を立てないよう気をつけて、でも出来るだけ急いで俺とキグナスはその場を離れた。

 少なくとも道は緩やかに東に向かってカーブをしているんだし、こちらはファリマ・ドビトークを目指して南下しているのだから、そのうちまた道にぶつかってくるはずだ、多分。

 道にぶつかれば、そこからまた登山口を目指すのだって可能だろう。……だと、良いんだが。


 黙々と進んでいくうちに、頭上の月がどんどん移動していく。ので、結構時間が経っているんじゃないかってことくらいはわかる。

 ただ、まずいのが……焚き火から遠ざかろうと移動をすれば道から必然的に大幅に外れ、遥か前方に見える黒々とした影が目指す山なんだろうと言うことくらいはわかるが、ガルシアに言われた場所を目指せているのかが定かじゃない。……と、言うか、ヤバい気がする。

 いやでも……山裾にさえ辿り着ければ、あとはそこに沿って多分……東側へ行けば……。

「シサーたち、どうしただろな」

 ずっと黙って俺の隣を歩いていたキグナスが、ぼそっと言う。柔らかそうな白金の髪がふわふわと揺れるのをちらりと見て、俺は目を伏せた。

「……さあ」

 他に答えようがない。

「もう、ロナードを脱出してると良いけどね」

 俺たちなんかよりはよっぽど……要領も良いし、強いんだから、大丈夫だとは思うんだけど。

 ガルシアもいるんだし。

「そうだな」

 ……ここで彼らを失ったら、洒落にならないだろうな。

 ファリマ・ドビトークに何しに行くって、バルザック――ヴァルスの宮廷魔術師に匹敵する、もしかすると超えるかもしれない魔術師を追いかけてるってのに。

 シサーたちがいたってどうなるかわかったもんじゃないのに、俺とキグナスしかいなかったら無駄死は決定事項だ。

 ユリアの力になると決めてるんだから、死んでる場合じゃないんだけど。

「ともかく猟師小屋に辿り着かなきゃ話になんないよ」

 最悪の事態はそれから考えれば良いわけで。今から考えても疲れるだけだ。

 シサーたちとはぐれっ放しで、じゃあヴァルスに帰ろうったって、いずれにしてもファリマ・ドビトークは越えなきゃなんないんだろうと思うし。

 なぜなら『お尋ね者』の俺たちは、真っ当な道筋を通ってはロドリスを抜けることが出来ない。多分。

 ヴァルス領内に入っちゃえば、いやそこまで行かなくてもせめてロンバルトに入れれば安心なんだけどな。でも、ロンバルトの第2王子とそっくりさんな俺がロンバルトをうろうろしてるのもどうかとは思うよね……。

「方角はこれで合ってん……」

「キィィッ……」

 何を考えていたのか、顔を伏せていたキグナスがふいっと顔を上げて言いかけるのに被せるように、変な声がした。

「え?」

 風が、動く。

 ふわりと靡いた髪に振り返りかけた。

「何……」

「……ッ!!!!」

 俺の背中に衝撃が襲い掛かったのは、全く突然だった。いきなり背中から叩き付けるような激しい衝撃を受けて、わけのわからないまま体が前方へ吹っ飛ぶ。同時に襲った凄まじい痛みはつい先日経験したものと酷似していた。

「く……ッ」

 切り刻まれた痛みだ。……尤も、あの時ほどでもなさそうで、何が起きたのか全くわからない混乱状態ではあるけれど動けないわけじゃない。

「カズキ!?」

「キィィィッ……」

 投げ出された地面に叩きつけられた衝撃と、背中の痛みに耐えながら体を起こす。キグナスがこっちに駆け寄ろうとして、その姿勢のまま凍り付いていた。その後方、中空にふわふわと何かが浮かんでいる。月の光を背に浴びて陰になっているから良くは見えないけれど、似ているのはガーゴイル。でも別もんだ。

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