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QUEST  作者: 市尾弘那
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第2部第1章第20話 幻の王女(2)

「大丈夫だ。ユリア様は、お強い」

「そうか」

 それきりしばらく沈黙したシェインは、ややしてぽつりと呟いた。

「……ユリアが不憫でならぬな」

「……」

「己の伴侶さえも、選択の余地がない」

「……?」

 色事に疎いラウバルは、そっと首を傾げた。

「王族の身ゆえ致し方あるまい。それにお前も、他人のことは言えぬだろう」

 宮廷魔術師たる身分であれば、恋愛相手ひいては婚姻相手は誰でもと言うわけにはいかない。

 きょとんと告げたラウバルに、シェインは微かに笑った。

「まあな。だが、俺はユリアがいればそれで良い。婚姻相手などどうせ、有力貴族の娘だろう。ろくでもないのばかりに決まってる。貴族の娘など興味がない」

 その言い種に、思わず笑った。

「そういうお前も貴族だろう」

「だから言っている。支配階級の人間など、どっかいかれてて普通だ」

「溺愛するユリア様こそ、比類なき支配階級だぞ?」

「ユリアをその辺の貴族の娘と一緒にするな」

 顰め面で言い放ってから、短いため息を落とす。

「……俺は男だからな。ユリアとは窮屈さが違おう」

 言って遠くを見遣ったその視線の先に何が映っているのかは、ラウバルにはわからない。

「政略結婚に、疑問が?」

 短い問いに、シェインは軽く肩を竦めた。

「そうは言わんさ。レガードとの結婚をユリアが嫌がっているとは思わぬし、不遇に落とし込むとも思えぬ。相手として何の不足があろうはずもないし、大体国王の子息など生まれた時から政治の道具だと決まったようなものだしな。……レガードが生きていたとしての話だが」

「ああ」

「まあ、考えたところで詮無き話だ」

 小さく嘆息して、シェインが会話を打ち切ったところで微かな足音が聞こえた。揃って目を向けると、外務大臣ハイランドがテラスへと出てくるところだった。

「お揃いでこんなところにいらしたとは。……悪巧みですか?」

 柔らかい笑顔で冗談めいて言うが、その頬が硬さを残している。探し回ったかのような雰囲気に、静かな緊張が走った。

 2人の間近まで来たハイランドが、不意に低い声で静かに告げる。

「本日正午、ロンバルト沖にて先行していたヴァルス海軍とモナ海軍が、衝突しました」

「何……」

 思いがけず早いことに、息を飲む。ヴァルス海軍の進行速度が遅いことと、モナ海軍の動きが速いことが原因か。小型快速船主体の海軍は、やはりその迅速さを侮れない。

「結果は」

 シェインが結論を急かした。ハイランドが硬い表情のまま続ける。

「双方壊滅、生存者は不明です」

「なッ……!?」

「まさか魔物か?」

 つられたわけでもないだろうが、低く問い返すラウバルに、ハイランドは僅かに青い顔で頷いた。

「恐らくは。正体までは、わかりません。何せ生存者がいない」

「……」

 その言葉の持つ重要な意味に気づき、シェインの顔に緊張が走った。

「……フレデリク公は」

「もちろん、行方不明です」

 ではモナは、戴いたばかりの主を早くも失ってしまったこととなる。恐らくは国内の継承を巡って、混乱が巻き起こるだろう。……つまりモナはこれ以上、ヴァルスに介入しているどころではなくなる。

「これ幸い、と喜ぶ気にもなれんな」

 苦く呟いたシェインに、沈黙が訪れた。

 ヴァルスとてその損害は甚大なのだ。 42隻の大型船、砲撃船、小型快速船を失っている。そしてもちろん、それらに乗船していた兵士たち……。

「ギャヴァンが終息したと言うことは、モナへの制裁も決定せねばならないでしょうね」

 ハイランドが穏やかな顔に、僅かに苦悩を覗かせて呟いた。

 ヴァルスにとって、モナは薄汚い裏切り者である。

 ギャヴァン戦の決着が着き、モナの参戦はこれ以上は危ういとなれば、モナに対する結論は早急に突きつけることが必要だ。

 帝国として、モナに対する処遇は極めて厳しいものとなるだろう。経済制裁、管理官の派遣、多額の罰金、バーシェルダー家に累のある者の拘禁――ひいては、モナと言う国家そのものの存続すら危ういかもしれない。だがそれに抵抗するにも、フレデリクは行方どころか生死さえわからない。

 君主の行動の責は、国民が被ることになるのはいつの世も同じである。

 沈黙をさらうように、3人の間を夜風が流れた。月を背に、靡く髪をおさえることもせずにラウバルが低く呟く。

「明日の会議は紛糾するぞ」

 ロドリスとの開戦も、明日の報告で秒読みとなるだろう。


          ◆ ◇ ◆


 セラフィがハーディン王城へ帰還したのは、既に夜半を過ぎた頃だった。シサーの剣を受けた肩や胸元は着衣が切り裂かれ、夥しい血痕が付着している。

 端正な顔には屈辱と憎悪が交錯し、凄絶なまでの美しさを彩っていた。

 シェンブルグの館へと戻り、屋敷へ足を踏み入れたセラフィはロビーで軽く目を見張った。相手もこちら以上に驚いた顔をしている。

「グレン。こんなところで何を……」

「セラフィさんッッッッ!!!!!!」

 耳をつんざくような大声を上げられて、ついつい今し方までの怒りを忘れてぽかんとした。

「どうなさったんですかその姿はッ!?」

「ああ……」

「人間、それだけ血を流したらいつでも死ねますッ。大変ですどうしましょうセラフィさんが死んでしまいますッ。ああああ、そうですね、医師を、いや魔術師に魔法を……。宮廷魔術師を呼びましょうッッッッッ」

「……グレン」

「セラフィさん!!何をぼけっとそんなところに突っ立っているんです!?大怪我をしてるんですよ!?わかってるんですか!?さっさと横に……ああ、歩けないのですか?誰か人を呼びましょうッ」

 あたふたするグレンにどう口を挟んだものか、ついついセラフィは眉根を寄せてため息をついた。大体宮廷魔術師など、呼ばずともここにいる。

「グレン……」

「はいッ!?」

「いいから少し落ち着いてくれ。……僕の仕事が何だったか覚えてるかい」

「やだなあ、何当たり前のことをうわーおぅ」

 言いながら、さすがに自分の口走ったことがどれほど中身のないものだったのかに気がついたらしい。

「わかったら一旦、そのソファに腰を落ち着けてくれ。怪我は全部治療済みだ」

 疲労した表情で言いながら、ずたずたに切り裂かれたマントを外す。セラフィに言われた通りソファに腰を落ち着けたグレンは、再び立ち上がってマントを受け取りながらからからと高笑いをした。

「いやはや、少々動転してしまったようで」

「動転し過ぎだ」

 言いながらロビーを横切って奥へと向かっていくセラフィの後を、マントを抱えたままのグレンが追った。

「ところで……どうなさったんです」

「……グレンこそどうしたのさ。もう深夜だよ」

 つかつかと廊下を抜け、応接間にあたる部屋へと入ると、革張りのソファにどさりと身を投げ出した。

「私は明朝早くにフォグリアを発ってリトリアへ向かおうと思ってますのでね、今日のうちにセラフィさんにご挨拶を済ませてしまおうかと思ってお伺いしたのですが、いらっしゃらなかったようですので勝手に待たせていただいておりました」

 言いながら、ずたずたのマントを丁寧にハンガーにかけると、その足でお茶の用意を始める。乱れた髪をかきあげながら、その背中にあきれた声を投げつけた。

「帰って来ないかもしれないとは思わなかったのかい」

「帰って来なかったらここで待ってるふりで眠って、朝食までしっかりいただいてから……あわわわわ」

「グレン、間違えているようだから念の為に言っておくけれど、ここは民宿じゃないよ?」

「や、やだなあ。わかってますよ。民宿ならお金を払わなきゃ……いやいやいやいや。失言」

 失言が多い、と言うよりは、失言を除くと何も残らなくなってしまう。

「それより、セラフィさんこそどうされたんです」

 茶を注いだカップを2つ持って戻ってきたグレンは、1脚をセラフィの前に置くと自分は斜向かいにあたるソファに腰を下ろした。

「まさかバルザックさんですか」

「……」

 ……そうだ、大体バルザックはどこへ姿をくらましたのだろう。

 沈黙を肯定と受け止めたグレンが、顔色を変えて身を乗り出した。

「だから言ったじゃありませんかッ!!襲われますよと……げふッ」

 神技的な早業でテーブルの上の書物をグレンに投げつけたセラフィは、そのままゆっくりと足を組むと頬杖をついた。

「『レガード』に会ったよ」

「え」

「逃した」

「……」

「……いや、逃げたのはこちらか」

 自嘲気味に短く笑い、グレンに視線を向ける。

「グレン。リトリアはこの1回で必ず落とせ。それからその足で、レガードを追え」

「……良いのですか?」

 もはやヴァルスに繕うべき建前はどこにもない。

「ああ。ロドリスはヴァルスと開戦だ。いずれにしてもヴァルスは仕掛けてくる」

 言いながら、苦い顔をした。間違いなく自分の失態だ。カルランスに報告しなければならないだろう。

 そして、出撃だ。

「本物だろうが偽者だろうが……」

 もう、構わない。ヴァルスはレガードの行方を掴んでいない、それで十分だ。偽者であっても、ヴァルスとロンバルトへの牽制と動揺くらいには役立つだろう。どうせ奴が偽者だと知る人間など、さほど多くはないはずだ。

 顔が知られていないとは言え、全くの偽者をレガードと偽って首を曝すにはリスクが大きいが、あれだけ似ていれば十分曝し首にする価値もある。何も知らない、本物を知る誰かが「本物だ」と保証を与えてやれば、その打撃は大きいはずだ。

 いずれにしても、レドリックのヴァルス継承における危険因子は、排除しておくに越したことはない。

「エレナを連れて行くと良い。必ず首を持ち帰れ」

「はい……」

 頷きかけたグレンは、急にその身を震撼させた。青ざめた、強張った表情でセラフィを凝視する。

「……何だい」

「出発は明日ですよ!?今からエレナさんにそのお話を持って行くのかと思うと……ひぃぃぃぃ……」

「……いいよ。僕が話すから」

「是非」

「じゃあ呼んできてくれるかい」

「……ひぃぃぃぃぃぃ……」

 近衛警備隊は、城内に宿舎が班ごとに設けられている。非常時の召集は男女の差異なくかけられるし、情報の行き違いが生じては困るので、女性と言えども宿舎は同じ建物だ。ひとりひとりに個室が与えられるので、さしたる問題はない。

 よろよろとこの世の終わりのような蒼白さで応接室を出ていくグレンの背中を見送りながら、思わず小さな苦笑がこぼれた。もちろん、わざとである。

 えぐえぐと泣く声が通路を遠ざかって行くと、セラフィは物思いに沈み込んだ。

――ヴァルス攻略に躍起にならなくても、マーリアさんは……

 わかってはいるのだ。しかしそうしてやる以外に、してやれることがわからない。……それをマーリア本人が望んでいないのだとすれば、結局この行動の全ては自己満足、と言うやつなのだろう。

(あるいは逆恨みか)

 ヴァルス王女にとっては良い迷惑だろう。だがそれはマーリアとて同じこと――彼女の不幸は彼女が望んだわけではない。

 ……国になど、興味がない。国が自分の為に何をしてくれた?幼い体と心に無数の傷を受けた時に、救いの手を差し伸べてくれたか。

 答えは否、だ。ヴァルスの興亡もロドリスの繁栄も全て興味がない。滅びるなら、滅びてしまえ。けれど、これ以上マーリアから奪うのは許容出来ない。ヴァルス王女に偏ってもたらされた恵みを、これからはマーリアが受け取る番だ。

 ……そもそもは、彼女が正統な後継者たるはずだったのだから。

 馬鹿げているとしても、人は、人の為に生きている。

 国の為に生きる気など、さらさらない――。


 ヴァルスからその名を消された幻の王女の為に、帝国アルトガーデンは歴史の上に、深い傷跡を負うこととなる……。











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