第2部第1章第19話 ギャヴァン市街戦《後編4》(2)
「食ってないそうじゃないですか」
「ん?ああ……」
「駄目ですよ、ちゃんと食わなきゃ。また倒れでもしたらどーするんですか。俺がこうして運んで来たんだから、ちゃんと食うもん食うんすよ」
その、世話焼き女房のような口振りに苦笑した。ゲイトの隣でメアリも声を押し殺して笑っている。
「……何2人して笑ってるんです」
「いや……何でも……」
「メアリさんも言ってやって下さいよ。介護班の立場から」
ゲイトの視線を受けて、苦笑いをしていたメアリも頷いた。
「でも、ゲイトの言う通りだよ。元々大して体力ないんだから、ちゃんと食って蓄えるんだね」
その言い種に、眉を寄せてふてくされたような表情になる。
「そう、人を虚弱体質みたいに言うなよな」
「似たよーなもんでしょーが」
「言われたくなかったら、がっつり元気に食っとくことです。俺なんかメシ4杯もおかわりしちゃって」
「……物資が少ないんだから、あんたは少し遠慮しな」
「……ハイ」
ようやく、少しだけ気持ちが上向いてきた。決して晴れるわけではないが、この場を仕切っている手前、人前でふさぎ込むわけにはいかない。その反動でもないだろうが、ひとりでいると止めどなく気が塞ぐ。今は、自分をわかってくれる顔触れだけがここにいることに、感謝をした。
その時、短いノックの音が響いた。ジフリザーグの返答を待たずに扉が開かれる。入ってきた姿を見て、目を丸くしたジフリザーグは思わず立ち上がった。
「イグニス」
「すまない。失態だ」
何の説明もなく簡潔に言ったイグニスの謝罪が、何を意味するのかは聞かずともわかった。黙って首を横に振る。
「お前のせいじゃない。……無事で良かった」
「ルーズも、怪我を負ったが無事だ。ギルドでガーネットの治癒を受けてぴんぴんしている」
「そうか……」
こちらの怪我人たちにも手を貸して欲しいが、多分無理だろう。ガーネットは人前に姿を曝すことと、ギルドメンバー以外の前で魔法を使うことをひどく嫌がる。強要すれば、姿を消しかねない。
「……あれほど大規模の爆発が起こるとは思わなかった」
そう、小さく笑うと、イグニスも笑みを覗かせた。
「見縊ってもらっちゃ困る。言ったろう。他の手段も講じると」
「……ああ」
「石炭があることで起こせる爆発ってのは、まだある。……混合爆発ってのを起こしてやったんだよ。石炭から作れる物質に、俺の私物を混合してやった。緑礬を使って精製出来る液体に銀を混ぜてやった化合物ってのは繊細でな。混合したら、衝撃を与えた瞬間にどかーんだ」
やはりイグニスが適任だったようだ。他の者ではそんな手段は思いもかけないだろう。思いついたところで、そんな物質を持ち歩いているわけもない。
「ギルドは、問題ないんだな」
「ああ。こっちは気にするな。……さて。報告もしたしジフのへたれた様子も見たし、俺は戻るぞ」
へたれたって何だよ、と笑う。その言葉にはゲイトもメアリも、思わず笑った。
「気をつけて」
「どっちが」
苦笑しながら、報告を終えたイグニスが部屋を出て行くのを見送り、ジフリザーグは湿った髪をかき上げながら窓の外に目を向けた。雨が降っている間は仕掛けては来ないだろうが……そうと決まったものでもないから落ち着かない。
「モナは、どうしてる」
座ったままテーブルを引き寄せ、トレイに手を伸ばす。せっかく持ってきてくれたのだから、口にしておこう。
「動きはないみたいすね。モナにしてみても、良い言い訳になったんじゃないすか」
言いながら視線は窓の外に向いていた。スープの皿に手を伸ばしながら首を傾げる。
「言い訳?」
「だって、出ずっぱりなのは向こうだって同じでしょう。もう要塞軍も到着しちゃったんだから今更焦る理由もないし、雨が降ったことで出撃出来ない言い訳が自分に用意出来るじゃないすか。ゆっくり休憩出来るってもんですよ」
「はは。確かにな……」
くすくすと笑いながら、今度はパンに手を伸ばした。非常時の為、焼き立てとはいかない堅いパンだが、それでも胃に物を入れると多少落ち着いていくようだ。
「……今更焦る理由はない、か」
呟いて、口元に笑みが浮かぶ。その表情は、少々底意地の悪いものとなった。
そう思っていれば良い。
本当の脅威はこれから、現れる。
その時こそ、ギャヴァン奪還となるはずだ。
……ヴァルスの宮廷魔術師は、実に性格が悪い。そしてそれは、ヴァルス国民にとって、歓迎すべきことだった。
「もうひと頑張り、だな」
誰に言うともなく、ため息と共に呟いた。
多くの仲間の死を、痛みを、無駄にしない為にも……必ずこの街を取り返して見せよう。
◆ ◇ ◆
雨が上がったその日の3時過ぎ、両軍は再び激突した。市街中心部の広場に、双方中央の主力を左右翼で挟んだ基本陣形である。小細工なしの、正真正銘の総力戦となった。
だが、連戦に疲労するモナ軍に対するヴァルス軍は無傷の国軍が投入されたばかりである。兵力差は依然としてあるものの、ヴァルス軍は実力でその差を埋めていった。
「休んでいても構わないのだぞ」
主力後背、本陣にて控える国軍将官アーベントの言葉に、傍らに控えたジフリザーグは黙って首を横に振った。ギャヴァンに派遣された要塞軍の総指揮官である。
雨が上がる前に、到着した要塞軍への報告を請け負ったのは、ジフリザーグだった。
本来ならば自警軍隊長であるボードレーの職務であろうが、ボードレーは既に帰らぬ人となっている。ボードレーを置いて他に、ギャヴァンの現状を把握している人間は、ジフリザーグが適任と言えた。
要塞軍到着まで、ギャヴァンを護る為に奮闘したジフリザーグらの働きを、アーベントは思いがけず評価してくれた。身分重視の風潮の高いヴァルス貴族にしては、珍しい気質の持ち主である。
ギャヴァン市民軍及び自警軍は、ここを戦場とした総力戦を展開するにあたって、ジフリザーグの裁量での行動を認可された。もちろん、訓練された要塞軍と行動を共にすることは却って邪魔になることも大きな理由のひとつだろう。だが、市街戦である以上、最もこの街に詳しい彼らの働きは侮れないとの評価もある。
ヴァルス軍は、基本編成としては4分の1が騎兵で編成されている。帝国一の強軍たる所以である。しかし今回の戦陣において、騎兵は僅か500しか投入されていない。戦地が市街であることと、モナ軍にやはり騎兵がいないことが理由として挙げられる。稀少な馬は、主に本陣の護衛にあてられている。
歩兵、重装歩兵と弓箭兵で形成された全軍の後背、本陣を守る形でジフリザーグ率いる市民軍が待機していた。体の良い補欠組であるが、一応は遊撃部隊との建前をもらった市民軍も、形成する2000のうちギルドと自警軍から選び抜かれた250に馬が与えられている。しぶとい交渉の賜物である。
アーベントの言葉に、ジフリザーグは無言で顔を横に振ると、戦の喧騒に目を向けた。
ここまで来て手を引くわけにはいかない。恐らくこれがギャヴァンにおける決戦となるだろう。
「ザルフ!!」
アーベントの呼ぶ声に、将校ザルフが駆け寄る。
「左翼後陣、突撃だ。主力部隊はどうなっている」
「モナは中央一点突破の構えですね。真ん中を貫くように進軍してます」
「よし。左翼後陣を中央にぶつけよ。包囲で行け」
「はい」
主力部隊中央は苦戦しているものの、その左右は良く持ち堪えているようだ。左翼は、こちらの方が勢いがある。問題は……。
「アーベント殿」
しばしの思案の末、ジフリザーグは戦陣に注いでいた視線をアーベントに向けた。
「遊撃部隊を、動かします」
「何?どうする?」
「モナは右翼に砲撃隊と弓箭兵を配置している。そのせいで右翼は思うように前進出来ない。……市街から迂回して、側面から攻撃を仕掛ける」
アーベントがジフリザーグを無言で見返す。
「前面配置の砲撃隊と弓箭兵が散れば、後陣の歩兵は問題ないはずです」
「……良いだろう。許可しよう」
モナ軍の側面からの攻撃であれば、ヴァルス要塞軍の攻撃戦略の妨げにはならない。アーベントの許可を受けて、ジフリザーグはその場を離れた。グローバーを探す。
「ここを任せていーか」
「構わんが。お前はどうする?」
「騎兵だけ連れて、モナの側面から突っ込む。こっちの判断は、グローバーに任せた」
にやっと言ってその肩を叩くと、ジフリザーグは馬を与えられている者だけを召集した。
どうせ捨て駒――ならば、「ギャヴァンの勝利は市民ありき」と認めさせる動きをしてみせよう。
この街を護ったのは、誰よりもまず、市民たちの働きだ。
本陣の更に後背を抜け、一頭たりとも遅れることなく市街裏道を疾走する。見慣れた街並みを駆け抜け、いくつかの裏道を抜けてモナ軍右翼まで間近と言うところまで辿り着いた。時間にして、大してかかってはいないはずだ。戦況にさしたる変化はないだろう。
この道を一直線に駆け抜ければ、モナ軍右翼の側面だ。
「狙うは砲撃兵と弓箭兵だッ。歩兵には構うなッ。砲撃兵は砲台が破壊出来ればそれでもいい!!」
右手に抜き身の剣を構え、片手で馬を操りながら前方に視線を定めたままで怒鳴る。戦場の喧噪が、ここからでも見てとれた。
「繰り返すようだが、深追いはするな、いつでも退けるように右翼周辺から離れるな。生きて戻るぞッ……」
……もうすぐだ。
もうすぐ、決着が、つくはずなのだから。
「健闘を祈る!!」
その言葉と共に、250の騎兵が戦場へとなだれ込んだ。予想外の方角から突入して来たジフリザーグたちに、砲撃兵と弓箭兵が慌てて標的を変更するも、疾走する馬の勢いの前にあっては対応出来る者も限られる。
襲い来る砲弾を馬の手綱を捌いてかわし、飛来する弓矢を身を馬上に伏せてやり過ごしながら、砲台を操る砲撃兵を切り捨てた。
「撃ち込めえッ」
怒声が上がる。砲撃と射撃の標的が側面から現れた騎兵に分散したせいで、手薄になったヴァルス右翼が勢いに乗って突撃を開始した。
戦場を駆け抜け、砲撃兵や弓箭兵があらかたなりを潜めた辺りで、ジフリザーグは肩で息をつきながら馬上で剣を払った。従っていたカイル、ボードヴィルが倣って馬の歩みを止める。
「戦況は、どうなってる……?」
陽が、西へ傾こうとしている。状況を把握する為に中央へ目を向け、ジフリザーグは小さく呟いた。
「……嘘だろ」
アーベントは、中央突破のモナに主力左右の兵と左翼後陣の兵をぶつけるよう指示を出していたはずだ。
だが、ここから見える限り包囲は完成していない――左翼後陣が、対応出来ていない……!?
「どうしたんだ!?」
「予想より左翼の兵が強かったってことだな」
「くそ……」
主力左右も、モナを足止め出来ていない。このままでは本陣が危ない。
(どうする……!?)
今から戻って間に合うのだろうか。この僅かな人数が戻って、何が出来るだろう。どう動くことが、最も効果的なのか……。
(……)
腹を決めて、カイルとボードヴィルを振り返った。
「このまま駆け抜けて、モナの本陣を襲撃だ」
「本陣を!?」
勢いに乗っているモナは、ヴァルス陣営に食い込んでいる。言い換えれば、こちらは手薄になっている。
「頭を押さえれば1番早い。……総指揮官を、獲る」
馬首を返したジフリザーグの動きに、周囲に散っていた騎兵が従う。
想像通り、モナ陣営は手薄だった。とは言え戦闘を避けられるものでもないのだが、手綱を操り剣を捌くうちに、前方に本陣が姿を現す。
「ジフ」
真横を駈けるカイルが、剣を構えながら怒鳴った。
「お前は総指揮官に集中しろ。周囲はこちらで何とかする。気を散らすな」
「助かる」
目指す首はただひとり。――総指令官インプレス。
馬の上げる激しい土埃と馬蹄の響きに、インプレス周辺の兵がたちまち自分らのリーダーを守る厚い肉の障壁と化した。
馬上にあらばこそ、正規兵とは言え地上にある身をかわすことは困難ではない。時折モナ兵をこの世から叩き出しながら、目線は一直線にインプレスに注がれていた。
「来たか……」
奴の首だけは、自分で獲らねば気が済まない。ここまでジフリザーグが無事だったことは、インプレスにとって僥倖だった。
「良い。どけ」
真っ直ぐに己を目指して馬を駆る盗賊の頭に視線を定めたまま、大剣を抜き放った。
「しかし……」
「奴は俺が仕留める。お前たちは周辺の雑魚を始末しろ」
その言葉に、周囲の兵士たちがざっと散った。
突如開けた道に、ジフリザーグは両膝で馬を挟みつけ、半ば立ち上がった姿勢で剣を構える。勝てる理由がないのは承知の上だ。この状況下、この人数、モナを押さえるには総指揮官を獲る以外にない。
馬上から振り下ろされた剣を、インプレスの幅広の剣が弾き返した。戦場において馬に乗る者が圧倒的有利なのは鉄則とさえ言える。だがそのハンデさえものともしない剣技、度胸、そして体格の持ち主だった。
返す刃が、馬の胴を貫く。前身を上げ、悲痛な断末の悲鳴を上げる馬から叩きつけられる前に地面へ飛び降りたジフリザーグに、続けざまに白刃が振り下ろされた。
態勢を立て直す間もなく、右へ左へと襲い来る斬撃を受け続ける。まさに息をつく暇もない。
一際大きく振り被ったその隙を狙い、振り下ろされた瞬間の手元を正確に打ちつけたジフリザーグは、インプレスがたたらを踏んだのを見て後方へ跳んだ。距離を確保して態勢を立て直す。インプレスが小さく笑った。
「この前はもっとか弱いかと思ったぞ」
「寝不足だったんだ」
その言葉に、インプレスの口元が笑いを刻んだ。面白い男だ。つくづく興味をそそられる。思わず、惜しまずにいられなかった。戦陣の指揮を執るなど初めてだろうに、これだけ統率出来れば大したものである。と言って遠慮する気など、あろうはずもない。
「くッ……」
強く打ち込んだインプレスの剣を、盾代わりのトゥルスで受け止めたジフリザーグの口から呻きが漏れる。だが間髪入れずにジフリザーグの方も、右手から剣を叩き込んだ。インプレスの胸甲に僅かな亀裂が走る。その衝撃を物ともせずに振り被ったインプレスの剣が、ジフリザーグの腕を深く抉り取った。開いた肩の傷からも、どくどくと血が溢れ出しているのを感じる。
続けて放たれた刃が、今度はジフリザーグの太腿に切りつけられた。鮮血が舞うのを視界の隅で見遣りながら打ち込んだ長剣の切っ先が、インプレスの喉元に浅い傷を刻む。
ダメージが大きいのは、こちらだ。
体力値も圧倒的にあちらの方が有利だろう。
続けば、ジフリザーグの持久力が息切れを始めるのは目に見えている。
何とか、打開策を練らなければ……。
「そろそろ観念してはどうだ」
頭を巡らせるジフリザーグに真っ直ぐ剣先を向けて、嘲笑するように、あるいは挑発するようにインプレスが告げる。剣を構えたまま黙しているジフリザーグに、尚も続けた。
「お仲間は大変なことになっているようだぞ」
はっとして、顔を正面に固定したまま視線を周囲に這わせる。
見れば、250騎の騎兵はその大半が地に伏し、僅かなギルドメンバーが善戦しているに過ぎなかった。
「遊びが過ぎたか。そろそろしまいにしよう」
ジフリザーグに向けた剣を、ゆっくりと振り被った。踏み出す足下から土埃が舞う。ジフリザーグの、剣を握る手に汗が滲んだ。背筋を伝う冷たい滴と肩の放つ熱が、集中力を奪う。
高まる緊張の中、その一瞬を待つジフリザーグの視界でインプレスが駆け出そうとした同じその時、予期せぬ方角から砲撃が聞こえた。
そして……。
「何が起こった!?」
インプレスが驚愕の叫びを上げる。ヴァルス陣営に殺到していたはずのモナ兵が、総崩れとなって潰走し始めたのだ。
遠く、背中に感じるその喧噪を受け止め、にやりと笑ったジフリザーグの視線に、インプレスも顔を向けた。
街の南、青くたゆたう港に浮かぶ――軍船。
「まさか……」
ヴァルスの軍船は、モナへ進撃し沖合いへ出ているはず。あれほどの軍船が、残っているはずもない……!!
「ウチの宮廷魔術師は、少々ひねくれてるみてーだからな。モナ本土には、大して用事はないそうだ」
「何……」
では、そもそもの当初から嵌められていたと言うわけか……!?
モナ海軍は、幻のヴァルス船団を追って西海側から沖へと引き返し、ザウクラウド要塞付近の入り組んだ地形と視界を遮るキール島の陰に身を潜めたヴァルス軍はのうのうとこちらへ向かっていたと……?
とすると、あの船団に積んでいる乗員は、ザウクラウド要塞から流れ込んだ2万余の兵ということになりはしないか。
ドォォンッ。
旗艦らしき大型の船から空へ向けて噴き出したオレンジ色の炎が明滅し、地をも照らすその灯りを受けながら、ジフリザーグが真っ直ぐに剣を突きつけた。
「……俺たちの街から、撤退してもらおうか」
照らされたその軍旗――ヴァルス軍船であることは、もはや疑いようがなかった。