第2部第1章第19話 ギャヴァン市街戦《後編4》(1)
戦いの喧噪から離れた街の一角を、密やかに移動する2つの人影があった。共に大柄とは言えない。
「どうだ?」
「行け……そう……かな?」
前方のゲイトから返された頼りない返事に、シンは軽く息をついた。
「はっきりしろ」
「あ、待てやばい」
その言葉に耳を澄ませると、微かな物音が確かに聞こえるようだった。戦闘中とは言え、やはり防護壁付近の警戒に怠りはないようだ。
ヴァルス要塞軍到着の報が入ったのは、モナが再戦を挑んできてから半刻も経った頃だ。軍舎防衛に駆けずり回っているジフリザーグに代わり、シンとゲイトが誘導爆破の為に戦渦を抜け出したのだった。
若いながらも、長の信頼を勝ち得ている有能な2人である。
防戦準備段階でこの街にいなかったシンは、誘導爆破箇所を説明以上には知らない。
「まだ先か?」
その問いに、ゲイトが難しい顔をした。
「まだ先だ」
複数の足音が近づいてくる。身軽に塀を越えて木の上の人となったシンに続いて、ゲイトも葉陰に姿を隠した。眼下をモナ兵が足早に通り過ぎる。それと同時に、防護壁の向こう――ギャヴァン市外から、轟音が上がった。オレンジ色の光が一瞬、白み始めた空を焦がす。
「……来た」
要塞軍だ。
ぐずぐずしている暇はない。今頃モナは、ヴァルス軍のギャヴァン包囲に焦っているだろう。その焦燥に乗じて、要塞軍をぶつけたい。
「ちッ」
小さく舌打ちが漏れた。思うようにはいかないようだ。慌ただしい足音と共に複数のモナ兵が駆ける姿を確認する。こうも、爆破地点を徘徊されては身動きが取れない。
「爆破に大した手間は取らないんだな?」
懐を確かめながら念を押したシンに、ゲイトが頷いた。
「取らない」
良くもまあ爆破物が見つからなかったと思うが、イグニスと街人の思案の結果らしい。今後の街の修復、爆破物の作成にかかる費用や物資の面を考慮した結果、誘導爆破の為の発破は『防護壁内部』に設置されたのである。
一度、建築業者らが必要部分の壁を解体、イグニスが爆破に必要となる内部の空気容量及び爆破範囲に対する必要設置個所を計算し、内部に爆破物を埋め込んだ上で再構築したのだった。事前に市街戦が予想されてこそ行えた処置だ。
これにより、ヴァルス軍は市街侵入の為に必要以上の防護壁崩壊を招かずに済むし、砲弾及び修繕費の節約にもなる。強固な防護壁も内側から粉砕すればもろい。これを外側から本気で破壊しようとすれば、数倍の爆破物が必要となる。
更に、再構築されていることで倒壊しやすい造りにも出来る上に、モナの警戒を招かない。防護壁が破壊されていれば修繕してしまうだろうが、健在であれば必要以上に手を加えることはない。
後は、防護壁下方からツタを装って伸びている導火線から、接着されている『炎の種』を発火させてやれば良い。……のだが。
「ゲイト、爆破の方を頼んで良いか」
「え?うん……どうする……」
「こっちで引きつける」
ゲイトが目を剥いた。
「引きつけるって!?」
こういう能動的な緊張態勢の中なら、人は動きのある場所をめがけて殺到する傾向にある。対応しなければならないという強迫観念に駆られるからだ。
だとすれば、何か目を引く動きさえ起こせれば、この辺りをうろついている兵士たちはそちらに殺到する可能性が高い。もちろん全部と言うわけにはいかないだろうが、それでも多少は手薄になるだろう。ゲイトだってギルドなのだから、後は自分で対応してもらう。
「閃光弾がひとつと……煙幕が残りひとつ……か。何とかなるだろう……」
ダンジョンでふたつ見つけた閃光弾は、ひとつをジフリザーグにあげてしまっている。
「けど」
「逆に言えば、これが限界だ。こいつらを使いきる前に必ず何とかしてくれ」
ゲイトがふっとため息をついた。
「頭と兄弟だよな……考えることが似てる」
昨日モナ兵を引き摺りまわして閃光弾で逃亡したと言うジフリザーグの話を思い出してゲイトが言うと、その発言にシンは心の底から嫌な顔をした。尤も、ジフリザーグは引き付けたくて引き付けたわけではなかったが。
「あんな考えなしと一緒にするな」
「そっくりじゃん」
「血縁関係はない」
「育った環境の問題だろ」
ゲイトより更に幼くしてギルドで育てられたシンは、半ばジフリザーグに育てられたと言っても過言ではないのだから、望むと望まざるとジフリザーグの影響を多大に受けていることには間違いないだろう。
「……じゃあ頼んだ」
言って、シンは音も立てずに地面に降り立つ。『あんな考えなし』とは言ったが、シンとてこの行動に具体的な後先があるわけではない。ただ他に手段がなかっただけのことだ。
現状、起こせる騒動で思い浮かぶのは光と音。
(音……)
ジフリザーグがイグニスにやらせたように、何らかの爆発を起こすのが最も手っとり早いのだろう、とは思う。警戒心を呼び起こすには最適だ。だが爆破物など持っていないし、たったひとりで可能と言ったら、何があるだろう。
(この辺りには、何がある?)
街の中心部を少し外れた、と言って決して郊外ではないのだが、事業者や組合、寄り合いなどがこの辺りには集中している。
(……そうか)
当たりをつけて、物陰に身を潜めながら歩き出す。この先、家や建物が途切れて広場になっている。
気配を消したまま目的に到着したシンは、身を潜めて辺りの様子を伺った。喧騒があちこちから流れてくる。軍舎付近での戦闘音、防護壁外のヴァルス軍の威嚇、そしてそれに対応しようと走り回るモナ兵。
一見して、ただだだっ広く広がる空き地であるここには、モナ兵の姿はないようだった。見回りはもちろんしているのだろうが、逗留してまで見張る必要性がないと判断したのだろう。事実、こんなところに身を潜められる場所はさしてないし、僅かに身を隠せそうな場所でも人数の幅が限られる。空き地の最奥――加工前の木材がロープで束ねられて積まれているその裏だ。
シンがここを訪れた目的でもあった。
辺りに気を配りながら、空き地へ身を滑り込ませる。抜き出した数本のダガーが、空に立ち込める厚い雲の隙間を縫った僅かな日の光を受けてきらりと反射した。木材置き場に近付き、目を細める。曇天らしい空は、まだ明け方と言うことを除いても、暗い。が、狙いを定めるには十分すぎるほどだ。
「……」
どこを狙うのが効率的かしばし眺め、一瞬後にシンの手から立て続けに全てのダガーが放たれた。と同時に後方へと跳びながら閃光弾を叩き付ける。
ガラガラガラガラッ……!!!!
正確に跳んだダガーが、木材を繋ぎ止めるロープを切り裂いた。戒めを解かれた木材は、重力に従って己の重みでバランスを崩し、激しい物音と木屑、埃を舞い上げながら転落していく。それと重なるように、目も眩むような閃光が走った。
ドゥゥゥゥッ!!!!
上から次々とぶつかり合いながら転落していくその轟音は、予想以上のものだ。加えて走った閃光は、かなり目立ったものになったのではないだろうか。
駆けつけてくるモナ兵と遭遇してはたまらない。こちらはひとりだ。素早くその場から引き下がろうとして、舌打ちが零れた。空き地へ続く道の右からも左からも、複数の足音が聞こえてくる。
(挟まれたか……)
あれだけ盛大に轟音と閃光を放っていれば、道理と言うものだが。素早い対応に感謝する気にさえなれない。
通りへ戻るのは愚策と見なし、ダガーを数本抜き出して片手に構えながら踵を返した。まだもうもうと埃を舞い上げる木材の方へと駆けて行く。身を潜めてやり過ごせればそれで良しだが、そう甘くはないだろう。捜索をしないわけもない。
木材の陰へと飛び込みながら、目の前に立ちはだかる塀を見上げた。この裏は、木材の加工場だ。2.5エレ(4メートル)ほども高さがある塀が聳えている。いくら身軽とは言え、足場もなしに乗り越えられる高度でもない。
足音が接近してきた。耳で、人数を数える。――7、8……14……18人。
「何者だ!?」
「まだわからんッ」
「その辺に潜んでるかもしれない!!探せッ」
怒鳴りあう声が空き地の入り口から聞こえてくる。
腹を決めて、駆けて来る足音に立ち上がるシンの頬を、ぽつりと雫が濡らした。ふっと空を見上げると、ぽつり、ぽつりと、まだ間遠に雨が降り始めたところだった。親指で水滴を弾き、兵士たちに意識を戻す。物陰からダガーを飛ばし、先頭の兵が喉から血を噴き上げながら仰け反るのを視界の隅で認めてから改めて塀を見上げた。
『足場がなければ乗り越えられない』――逆に言えば『足場があれば乗り越えられる』。
そして足場は、ある。
反動をつけると、自分が先ほど崩壊させた木材に勢い良く足を掛けた。バランスの悪い足場が崩れる前に三角飛びの要領で塀に取り付き、更に蹴り上がる。塀の天辺に手を掛け、両腕で体を引き上げた。
「いたぞッ!!」
「逃すな!!」
その声と共に空を切り裂く羽鳴りが幾つも聞こえた。弓箭兵がいたらしい。矢が塀に突き立てられる硬い音が後を追うが、その時には既にシンは塀の裏側へと身軽に姿を消していた。
「反対側だッ」
伸び放題の草をかき分け、加工場の敷地を駆け抜ける。反対側の塀をも乗り越え、通りに降り立つと角を曲がったその出会い頭に兵士と遭遇した。軍舎付近で戦闘が起こっている関係から、こちらに手が回る人員がそれほどいるとは思えないが、それでもヴァルス要塞軍の到着に伴って増加しているようだ。
「あ……」
兵士が口を開くより早く、ダガーをその喉元に一閃させる。血飛沫が上がるその様子を視界の隅に留めて尚も駆け出しながら、ふとキサド山脈での出来事を思い出した。
『レガード』に良く似た容姿を持つ『お人好し』。
――シンッ……
――……人を殺すことが、俺は、本能的に許容できない……
シンが『銀狼の牙』の頭ヘルの首を掻き切った直後のことだ。
自分の命を餌にされ、それを知りながら「信じてくれてるんだと思う」と笑える神経がわからない。
あんなふうに考える奴には初めて会った。お人好しだと呆れる反面……あの、咎めるではない、悲しい眼差しが胸に刺さって消えない。
(だからって……)
駆ける前方から、また新たな足音が聞こえた。曲がるのを中止して分岐路を駆け抜ける。こちらはひとり、モナにとっては大した脅威ではない。「まあ、良い」と諦めてしまわない程度に、出来るだけ引きずり回さなければならないことを考えれば、完全に姿をくらますわけにもいかない。
通り抜けざまに、剣を翳して踊り掛かるモナ兵にチャクラムを叩き込んだ。弾け飛ぶ首。血濡れた投擲道具を片手で受け止める。
(殺らなければ、殺られる……)
この街の、今の有様を見たら……あいつは何と言うだろう。
また、悲しげな目をするのだろうか。
(しつこいな……)
後方から追う音は、まだ続いている。再び、ずしん、と重い地鳴りが響き、北の空にオレンジの火花が散った。ヴァルス軍の威嚇に、後を追うモナ兵の間を動揺が走る。戻るべきかシンを追うべきか、迷っているのだろう。
誘導爆破はまだ成功していない。今戻られては困る。と言って肉迫されても困るが。
(ゲイト……ッ)
急いでくれ……!!
内心祈りながら、前方からの新たな足音に気づき駆ける速度を緩める。完全に挟まれた。前方から現れた兵の数を見て、さすがに絶望的な気分に陥る。ざっと見て数える気が失せるほどの人数だ。一体『材木転落+閃光弾』でどれだけの人数がこちらに流れて来てしまったのだろうか。物には限度がある。
少しずつ本格的に降り始めていた雨は、路上にいくつもの濃い染みを滲ませていた。前髪がじっとりと湿り気を帯びていく。
足を止めて振り返ると、こちらの人数もいつの間にか増殖していた。襲い来る弓矢を避けながら、煙幕を取り出す。使うしかない。弓矢の攻撃は免れるし、煙幕が効いている間に姿をくらませば左右どちらへ行ったのかの判断がつかないだろう。少しは時間が稼げるはずだ。
ただ、もう逃げる手段がなくなるので標的になることは出来なくなる。
僅かな躊躇いが、シンの行動を鈍らせた。
「くッ……」
意識のそれた短い時間を縫って、飛来した矢がシンの左肩を貫く。その威力で体が微かに飛び、壁に叩きつけられた。痛みに顔を歪めながら、立て続けに襲う弓矢だけは辛うじて避けるが、その間に前後双方の兵士たちは剣を振りかざして間近に迫っていた。
(まずい…)
死ぬかもしれない。
「くそ…」
この勢いではもはや煙幕では気をそらすことは出来まい。腹を決めて最後の抵抗を試みようとダガーを両手に構えたその時だった。
――――――――ドオオオンッ!!
「何!?」
突如揺れた地面に、モナ兵の気が一挙にそれた。
見上げる視線の先、北の空に噴き上げる炎。そして、畳み掛けるような歓声と、続く地響き……。
「ヴァルス軍が侵入してきたぞーーーーッ!!」
遠い、叫び。
(間に合った……)
今なら、逃げられる……!!
肩の痛みを堪えながら煙幕を地面に叩き付けた。
巻き起こった視界を阻む煙に、モナ兵の動揺は一層深いものとなる。
雨音が激しくなるに従って掻き消えていく煙から視界が回復した頃には、そこにはただ、残された血痕を叩く雨の姿があるばかりだった。
◆ ◇ ◆
「……休まないの」
ヴァルス要塞軍が引き連れてきた激しい雨は、ギャヴァンで争いあう人間たちに思いがけず休養をもたらすこととなった。
ゲイトが防護壁を破壊し、ヴァルス軍がそこから殺到した当初こそ血みどろの戦闘が繰り広げられたが、地を穿たんばかりの勢いで叩きつけるその激しさに、視界と戦闘意欲を奪われた両軍は共に撤退、一時休戦状態へと入っている。
軍舎へと侵入していたモナ軍も、ジフリザーグ筆頭に軍舎内逗留兵の激しい抵抗の甲斐あってか、外の戦闘が退くにつれて撤退して行った。
当面のところは、防衛に成功したようである。
頭にタオルを被ったまま、顎を伝い落ちる雫を拭うこともせずにぼんやりと椅子に腰掛けているジフリザーグの背中に、声が投げ掛けられた。
肩の傷が、悲鳴を上げる。火照るような痛みは、熱でも引き起こしているようだ。再び流れ出した血が、ジフリザーグの肩口で雨の雫と混ざり合っていた。
「……ああ」
ぽつりと答える声は、外の雨音にさえかき消されてしまいそうだ。パタン、と扉を閉じる音が聞こえる。
「お疲れ様」
対するメアリの声も、悲しげなものだった。
「傷が、開いてる」
短く言って、メアリがそばによる。手際良く手当てをしなおしていくその間も、2人はずっと無言だった。
「……」
「……」
休戦に突入し、しばしの休養の後、市民軍及び自警軍は雨の中へと出て行った。先だっての戦闘で、命を落とした者たちを埋葬する為にだ。叩きつける雨の中、死体なのか何なのかさえわからないような有様の者まで可能な限りかき集め、軍舎の裏手に埋葬するという陰鬱な作業を今しがた終えたところである。
既に昼を回っているが、雨は一向におさまる気配を見せなかった。
「……何なんだろうな」
「え?」
「俺たちの、やっていることは」
身動きしないまま、ぽつりと漏らしたジフリザーグに返す言葉が浮かばず、メアリは沈黙を保った。
介護班と言う立場上、死者を嫌と言うほど見てきた。腕の中で息絶える者だっているのだ。自分の無力を感じずにいられない。ジフリザーグも、心許す者の死を立て続けに迎えているのだ。その気持ちがわかるだけに、掛けるべき言葉がわからなかった。
「ボードレーには、まだ幼い娘がいたな」
「……そうね」
「……」
それきり、しばらくの間ジフリザーグは口を閉ざした。何を思っているのかは、その背中からはわからない。
手当てを終えて、メアリはジフリザーグのそばに腰掛けたまま窓の外へと目を向けた。空を一面に覆う黒い雲は、まだ途切れそうにない。
雨音のみが支配する長い静寂を、再びジフリザーグが破った。
「……シンとゲイトは、どうしてる?」
誘導爆破に当てた2人は、その仕事をなしとげる代わりに共に重傷を負って戻って来た。介護班に手当てを受けさせ、休ませていた為に彼らは埋葬作業には参加していない。
「大丈夫だよ。2人とも、元気なもんだ」
答えられる問いが投げ掛けられたことにほっとしながらメアリが答えるのを聞いて、ジフリザーグは微かに顔を動かした。小さく微笑みを象る。
「そか」
「うん」
「頭ぁ〜」
噂をすれば、だ。ゲイトが呼ばれたことを嗅ぎつけたかのように、扉の向こうで声を上げた。返答を待つまでもなく扉を開ける。中にメアリの姿を見つけて、ずざっと後じさった。
「……その反応は何さ」
「う……。さっきはありがとうございました……」
「よし」
よほど恐ろしい介護を受けたのか、ゲイトのメアリを見る目つきが猛獣を見ているかのようだ。その様子に、ジフリザーグは思わず吹き出した。
「怪我の具合はどうだ?」
くるんと椅子の上で回転して、扉の方向へ向き直る。食事を届けに来たらしいゲイトは、足で手近なテーブルを引き寄せてその上にトレイを置きながら肩を竦めた。
「メアリさんのおかげで。俺はレイラちゃんの介護が受けたいって言ったんですが何でもないです」
ぎろりと睨まれて間髪入れずに翻しながら、ゲイトは気遣うように小さく首を傾げた。
「頭こそ、肩の傷、どうです?戦ったり埋葬作業やったりで、傷口開いちゃったんじゃないですか」
開くも何も、最初から塞がるような隙はろくにありはしない。
「ま、大丈夫だ」
だがこの程度で引っ込んでいたのでは、戦闘要員などひとりとしていなくなってしまうだろう。
「そうすか?……それより頭」
「あ?」
『頭ってゆーな』と言うクレームが出なくなったことに気づかず、ゲイトは唇をやや尖らせた。