表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
QUEST  作者: 市尾弘那
85/296

第2部第1章第17話 ギャヴァン市街戦《後編2》(2)

          ◆ ◇ ◆


「無事か!?」

 牛の暴走に紛れる形で北の資材倉庫への侵入を果たしたジフリザーグらの姿に、捕虜となっていた市民らの驚いた視線が集った。

「ジフ……ッ」

「頭……」

 やはりギルドメンバーもその中にいたらしい。

「時間がない。自力で動ける奴はどのくらいいる?」

 モナが牛にかき回されている間に脱出したい。

 自力で動けないほどの者は、思ったより多くはないようだった。助かる。これならば助け合えば何とかなりそうだ。

「動ける奴は動けない者の脱出に手を貸してやってくれ。必ずこの場にいる全員が一緒に抜け出すぞ」

 誰ひとり見捨てるような真似はしないと決めている。必ず、彼らのひとりひとりに無事な帰りを待っている人がいるのだから。

 ギルドメンバーが、次々と捕虜を捕らえている縄を切って回る。自由になった者が、更にそれを手伝った。

「今なら手薄になっている。軍舎へ向かえ。ヴァルス軍の到着も、そう遠くはないはずだ」

「手薄?」

「傭兵部隊だ」

 ジフリザーグの言葉に、密かな歓喜の声が上がった。

「モナ軍は今混乱に陥っている。多分、こちらの戦力そのものも、把握しきれていない状態だ。今なら軍舎に転がり込むことも可能だろう。怪我をしている者は、中で手当てを受けてくれ」

 了解を告げる声が、あちこちから上がる。早速周囲の者に気を配りながら、移動を開始しようとその場を立ち上がった者たちに、ジフリザーグは尚も呼びかけた。

「軍舎からボードレーの指揮に従って応戦してくれ。無理はしなくて良い。どうせ、勝てやしねーんだから」

 深紅の髪に手を突っ込んでかき混ぜながら、気楽な口調でにやりと笑うギルドの長に、疲れた顔をしていた市民らの顔に微笑みが戻った。ジフリザーグの言葉は、なぜか追い詰められそうになる心を軽くしてくれる。

「けどな、今は奴らを減らす絶好のチャンスなんだぜ」

 時は夜。兵士たちの士気が最も低くなるタイミングだ。加えてモナ兵は、多少引っ掻き回されたにしても兵力差で圧倒的優位に立っている――つまり、余裕があり、舐めている。城の間近に布陣しているのは、こちらを脆弱と判断した時の定石だ。

 ところが、そこへいつの間にか侵入したヴァルス軍の行軍だ。恐らく肝を冷やしただろう。モナ軍はギャヴァン防護壁に頼っていて、最初から正面きってことを構えるつもりがなかったのだから。

 しかし恐慌に陥った彼らの眼前に現われたのはヴァルス軍ではなく、牛。その瞬間、極限まで高まったはずの緊張は一気に弛緩する。無論、牛とは言え暴徒化している彼らの破壊力は並ではないし、事実その与えた損害たるや相当のものだろうが、「ヴァルス軍だ」と思ったものが実は違ったとくれば緊張の糸も切れる。

 緊張と弛緩を繰り返せば、人は最初の緊張感には決して戻れなくなるものだ。そこへ新たに投げられた報――『本物のヴァルス軍の到着』。

 ギルドメンバーが飛ばしているデマである。だが、その報と同時に傭兵軍が実戦投入されている上に、精神的に上下を繰り返したモナ兵は正常な判断能力を喪失している。集中力も、取り返すことが出来ずにいる。――今なら、戦える。

「この辺りは今、兵もまばらだ。わき目を振らずに軍舎を目指せ。襲って来る兵士は俺らが何とかする。いいな!?」

「わかった!!」

 ジフリザーグの言葉と共に、扉が開かれた。裏手にまで僅かに喧騒は及んでいるようだ。至るところに牛の巨体が横たわり、それより遥かに多くのモナ兵士が地に伏している。そして暴れまわる牛と逃げ惑うモナ兵の姿は、それを上回っていた。

「行け!!」

 最外をギルドメンバーが固める形で、捕虜たちは表へと駆け出した。歩けない者や立ち上がることすら叶わない者は、それぞれ何人かで抱え上げている。気づいたモナ兵たちがこちらへ来ようとするも、牛に襲われて間々ならない。こちらへ辿り着いたモナ兵は、ギルドメンバーが片っ端から切り捨てていく。

「振り返るな、真っ直ぐ軍舎を目指せッ」

 剣を振りかぶって踊りかかってきたモナ兵を切り捨てながら、ジフリザーグが怒鳴る。トゥルスを投げ付け、新たに襲ってきた兵士と切り結んだ。市民の中には、既に息のないモナ兵の得物を取り上げ、自ら戦闘に加わる者もいる。狼狽から抜け出せずにいるモナ兵は、さして恐るべき敵ではなかった。

「ジフッ」

「カイル!!グローバー!!」

 軍舎の方角から新たな足音がする。駆けつけてきたのは、ありがたいことにこちらの味方だった。カイルとグローバー、そして麾下の水夫たちだ。それぞれバスタード・ソードやカトラスを片手に、モナ兵を切り飛ばしながらこちらへ駆けて来る。

「無事だったか!!」

「心配かけたなー」

 言いながら、市民に踊りかかるモナ兵にトゥルスを投げ付ける。人懐こい笑顔とそぐってない行動に、グローバーは苦笑した。

「悪いんだが、捕虜だった者たちが軍舎まで無事に辿り着けるよう援護してくれないか?」

「無論だ」

「表はどうなってる?」

「傭兵軍とモナ軍の戦闘が始まってる。今のところは、こちらが優勢だな。相変らず、牛はまだ暴れまわってるぜ」

 困ったようなグローバーの言葉に、ジフリザーグも思わず笑った。牛は別にこちらの味方ではない。不意を突かれていない分被害が少ないだけで、先方にとってはモナだろうがギャヴァン市民だろうが、無関係だろう。

 先導をグローバー率いる水夫たちに預け、ジフリザーグはゲイトら数人を伴って後方支援へと回ることにした。時折自分の仕事を思い出したように駆け寄ってくるモナ兵を切り飛ばし、暴行と疲労で悲鳴を上げる体を押して前進する市民たちを励ます。

 捕虜となっていた者たちは、ざっと数えて500名前後。あとは……軍舎の方にどれほど逃げ込むことが出来ているのだろうか。

 幸い、裏手でありモナにとって重要な物資を置いているわけでもないこちら側は、兵士が少ない。混乱の只中にあり、表では傭兵軍との闘争が起こっているとなれば尚更だ。軍舎へと駆け抜けるのは、それほど困難なことではないように思われた。

「開門だ!!」

 裏から表へ曲がる方角から、グローバーの怒声が聞こえる。先頭は無事に辿り着いたようだった。そのことに安堵しかけたジフリザーグの耳に、不意に新たな物音が届く。通常では認知し得ない、僅かな物音――空気を切り裂く、羽鳴り!?

「何!?」

 咄嗟に周囲の人間を薙ぎ倒し、ジフリザーグは身を伏せた。ギルドメンバーは己の判断で身をかわしているが、市民たちの中には庇いきれなかった者が襲い来る矢を受けて倒れていく。

「走れッ!!そんなに距離はない!!」

 身を起こし、トゥルスを構えながら周囲の人間に向かって怒鳴る。わけもわからぬまま地に伏せていた市民たちは、その声に弾かれたように駆け出した。

「ゲイト、リグナードッ!!こっちについてくれッ。あとは援護しながら軍舎に転がり込めッ」

「はいッ」

「入ったらすぐ閉門しろッ。俺たちは気にしなくて良いからなッ」

「わかりましたッ」

 ギルドメンバーが命令に従い、なりふり構わず駆けて行く市民たちのフォローに入るのを視界の隅で認めながら、ジフリザーグは矢が飛んできた方向に視線を定めていた。フル装備のモナ兵が数人、遠くでまだ炎を噴き上げる資材倉庫を背景に近付いて来る。先頭に立つ巨漢には、見覚えがあった。

「また会ったな」

 手に持つのは、グレートソードの中でも更に大振りなように思えた。しかしその巨漢の手にあってはいっそショートソードにさえ見える。血塗られたその刃は、何者かの命を奪ってきたことを表わしていた。

「小細工をしたのは、やっぱりお前か。名を、聞こう」

「……ジフリザーグ」

 目線を定めたまま、低く答える。その体から沸き立つような殺意に、油断が出来ないことを感じていた。

「俺を、賞金首にしてくれたのはあんたか」

「私だ。ギャヴァン侵攻を、任されている。インプレスだ」

「何で俺の首に賞金かかっちゃってんだか、ちょーっと覚えがないんだよなあ……」

「ないか?」

 その背後に控えたモナ兵士たちも、剣を構えたまま油断なくこちらを見据えている。人数は、12人。あの混乱の中、踊らされることなくいち早く立ち直った者たちだろう。インプレスはまるで、咳き込むように喉の奥を震わせて笑った。

「盗賊ギルドの長だな?」

「盗賊に何か私怨でもあんのか?」

「市民軍を指揮していたのは、お前だろう」

「……」

 空気を読む力はあるようだ。ジフリザーグの行動、周囲の人間の雰囲気、それらを読んで統率しているのがジフリザーグだと判断したのだろう。

「お前を獲れば、制圧はぐんと楽になろう」

「そりゃーどうかな」

 トゥルスではどうにもなるまい。視線は定めたまま、トゥルスを腰に戻す。その動きにモナ兵たちが一瞬身構えたが、鞘に収めたのを見て沈黙を守った。片手に持っていた剣を持ち替える。

「ギャヴァンは既に、俺の指揮下を離れている。……わかってんだろ」

「ヴァルス軍か?」

「ああ」

 インプレスは尚も笑いを収めないまま、続けた。だがその視線に笑いはない。射るような鋭さだけがそこに宿っている。

「そうは思えんな。ギャヴァンに入り込んだヴァルス軍さえも、計画の一部としているのはお前だろう」

「……」

「牛の暴動、倉庫の爆破、兵力の投入。全てが連動しているからな。……ああ、そうだ」

 そこでふいっと、インプレスは顔を背けた。背後、己の陰になる位置にいた部下に顔を向ける。

「土産を見せてやろう」

「土産……?」

 インプレスの言葉に、兵士のひとりが何かを投げ出した。鈍い音をたて、僅かに液体を振り飛ばしながらボールのように地面を転がる。短いタイムラグを経てそれが何かを認知した瞬間、ジフリザーグの視界が一瞬完全に白くなった。心臓の音だけが、どくん、とやけに大きく響いたような気がする。

「……グランド……ッ……」

 呟いた声が、周囲の物音に掻き消される。血気逸ったリグナードがショートソードを構えて駆け出そうとするのを、制しながらインプレスに視線を戻した。

「お仲間だろう」

「……そうだな」

 イグニスとルーズはどうしたのだろう。無事、ギルドに戻ることが出来たのだろうか。胴を失ったグランドの頭部が、空虚な視線を無言でこちらに投げ掛けて来る。

 脳裏を、痺れに似た痛みが駆け上がった。肌が粟立つのを堪え、奥歯をきつく噛み締める。ここでジフリザーグが取り乱せば、この場に共に留まっているゲイトとリグナードも同じ目に遭わせかねないのだから。

 正規軍兵士、それを率いる将軍。正面から戦って勝てる相手ではない。考えるべきは、どうやってこの場から逃げ遂せるかだ。だが、生憎特殊な道具は既に品切れである。

「こちらがせっかく作成した攻城器が台無しになった。またいちから作り直さなければならないからな。破壊した人間に責任を取ってもらったのだよ」

 言って、インプレスは微かに顔を後方へと向けた。顎をしゃくるような動きに、背後に控えた部下たちが剣を構えて展開した。剣を握るジフリザーグの手が汗で滲む。ゲイトがダガーを構えたのが、気配でわかった。

「当然、指示を下した人間にも責任を取ってもらおう」

 その言葉が終わる前に、兵士たちが地を蹴った。襲い来る剣先を避け、巧みな剣捌きで相手取る。ゲイトのダガーが飛び、リグナードのショートソードが唸りを上げる。舞い上がる血飛沫に兵士が仰け反り、土埃が舞った。

 ジフリザーグの剣がひとりの喉を貫き、返すその手で斜めから踊りかかる男の腕を斬り飛ばす。同時に反対側から襲い掛かった白刃を、身を屈めてやり過ごして剣の柄をその顎に叩きつけた。その瞬間、足元がよろけた。

「くッ……」

「ジフッ……」

 その隙を狙って、モナ兵の剣がジフリザーグの肩を切り裂いた。鮮血が振り飛ぶのも省みず、ジフリザーグの剣が相手の首に叩き込まれる。それを見届けることなく、襲い来る眩暈。

 いい加減、体にきている。モナの襲撃からこっち、思案と緊張の中でずっと駆けずり回っているのだ。

 新たなモナ兵が踊りかかり、ぶんっと頭を掠める刀身を辛うじて避けるが、髪が舞い、額に傷が走った。咄嗟に掴んだ土を立ち上がりながらその顔面に叩きつけ、目晦ましを図る。よろけたその体を蹴りつけて距離を開けたところに、別の刃が割り込んだ。

「お前の首は俺がもらおうッ」

 インプレスが叩きつける幅広の剣身を、握るバスタード・ソードで受け止める。だがその斬撃の激しさに、指先が一瞬痺れた。手の平に伝わる振動に、握っていた剣が吹っ飛ぶ。舌打ちをしながら片膝を地について上半身を屈め、間髪入れず返された剣を、今度は後方に上体を逸らしてやり過ごした。そのまま地を蹴り後ろへ飛ぶ。手近に倒れて呻き声を上げるモナ兵を蹴りつけ、その手から剣を奪い取ることに成功した。

 既に、呼吸は荒くなっている。

 息をつくたびに、肩が大きく上下した。両手で諸刃の剣を構えながら、インプレスを見据える。その視界が、一瞬霞んだ。

(やべー……)

 もう、こちらの体力が持たない。

 ジフリザーグが疲労しきっていることを見て取ったのか、ゆったりとインプレスが近付いて来る。ゲイトもリグナードも、己が相手取っている兵士だけで手一杯だ。そうでなくても、こちらの方が人数が少ないのだから。何とか自分で片をつけなければなるまい。

 両足を開いて腰を落とし、しっかりと正面に剣を構えながら、体がぐらつきそうになるのは止められなかった。視界の中で、インプレスが一瞬ぶれて揺れる。形を取ったと思ったら、もう一度。……ぐらついた視界の中で、インプレスの顔が一瞬よそへ逸れた。

(――?)

 薄雲がかかったような頭の片の隅で、巻き起こる土煙を認識する。地面を揺るがすような振動。

「うわああ」

 モナ兵の悲鳴が聞こえる。インプレスが、忌々しげに舌打ちをした。

「邪魔なッ……」

 まだ興奮冷め遣らぬ牛が一頭、こちらへ向けて暴走してくる。既に松明の炎は消えているが、全身に切り傷を受けて尚、その大牛は怒り狂う元気を失わずにいた。

(避けらんねーよ……)

 立っているだけで、精一杯になってきている。波に揺られているような頭の中で、牛が雄叫びを上げるのが遠く聞こえた。突如進路を変える。重なるように、煙幕が広がった。

(煙幕!?)

 何かが起こったのだと気づいた時、ジフリザーグの腕を力強い手が掴んだ。久しぶりに聞く声が、ジフリザーグを現実に引き戻した。

「頼りない兄貴だ」

「――シンッ……」

「勝てない相手とは、戦わないことだな」

 シンの黒い瞳が、ジフリザーグを見つめた。

「この隙に、逃げるぞ」











評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ