第2部第1章第16話 ギャヴァン市街戦《後編1》(2)
「どうした?」
「攻城するらしい。それに先立って、捕虜を連れて来いって」
(何……?)
どうする気だ。
嫌な予感に、ジフリザーグの顔が強張った。
「捕虜を?」
市民軍リーダーの胸中を知る由もないモナ兵のひとりが、問い掛けた。のんびりとしたその声に、苛立たしささえ覚える余裕がない。
「どうするんだぁ?」
「餌にするんだろ。開城を呼びかけて、投降させるつもりなんだろうよ」
声が遠ざかって行く。間を置く為にその場で身動きせずにいるジフリザーグの隣に、偵察から戻って来たゲイトが身を滑り込ませた。ゲイトを伴って元来た道を辿り、人気のない辺りまで来ると、民家の陰に身を滑り込ませる。
「南の資材倉庫は、どうだった」
「あっちは捕虜収容に使ってるわけじゃなさそうです。作った攻城器をいったん収めてるみたいすね」
「守備は?」
「大して固めてる様子はありませんでした」
「そうか……」
それから、今しがた自分が耳にしたことをゲイトに告げる。話を聞きながら、ゲイトの顔が硬くなっていった。
「……どうするんすか」
硬い表情のままの頭に、ゲイトも強張った声を投げ掛けた。真剣な色味を帯びたダークグレーの瞳が、ゲイトに向けられる。
「開城させるわけにはいかないし、捕虜を放っておくわけにもいかない。……ゲイト、頼まれてくれないか」
「そりゃもちろん……。何すか」
「ひとっ走りギルドに行って、イグニスを呼んで来てくれ」
「……?はい……」
イグニス――ギルド専属の爆弾技師だ。本名は別にあるが、炎を意味する『イグニス』と言う愛称で呼ばれている。父親もギルドで爆弾技師をやっており、先代が亡くなった今、ジフリザーグと同年のイグニスが現役を務めていた。防護壁に難解な爆弾を仕掛けたのも、彼である。そして、ヴァルス軍誘導の為に本当に仕掛けた発破も、彼が仕込んだ。
ダミーは精巧であればあるほど、ダミーとしての意味をなす。難解であれば作成に手間がかかるし、撤去されるつもりであれほど凝ったものを仕掛けるとは思うまい。そして、本物はより見つかりにくくなる。
「どうするんです?北の資材倉庫爆破しちゃったら、捕虜も一緒に吹っ飛んじゃいますよ」
「んなこたぁ俺だってわかってるよ」
「それに大体、今、ありったけの材料で発破作っちゃってるから、もう作れるだけの素材が……」
その言葉に、ジフリザーグは口元に笑いを作った。年の割に幼く見えるその顔が、一層幼く見える。
「南の資材倉庫には、何がある」
「何って……使われてないガラクタの資材とか……」
「爆弾じゃなけりゃ爆発しないってわけじゃない」
「え?」
ジフリザーグの言葉に、困惑した顔を返したゲイトは、すぐに得心がいったように目を見開いた。
「あ、そうか……」
「ハンパな知識で出来ることじゃねーけどな。でも、イグニスなら何とか出来んだろ。……それから、俺たちは北だ」
「え、でも、今解放しちゃったら……」
「しょうがねえだろ。南の資材倉庫が爆破されたくらいじゃ、モナ軍を混乱には落とし込めない。捕虜の解放までは出来ねぇさ。他にやりようがない。けど、放っておくわけにもいかんだろ」
恐らく自分たちの仲間も、何人かは捕らえられている。
「いったん、『ガーネット』に集合だ。捕虜を解放する」
ジフリザーグが打ち上げた連絡用信号弾を受けて、『ガーネット』にギルド団員が集まって来た。イグニスの到着はまだだ。
「まず、朗報だ。ヴァルス軍が近づいてるらしい」
言葉の内容の割には硬い表情のまま告げる。小さな歓声が上がった。
「今、どこに?」
「さあーな。そこまではわからん。が、モナが慌ててるってことは、期待しても良さそうだぜ」
「……悪い方の話を聞こう」
グランドが、硬い表情のままで言った。朗報に踊らされはしなかったらしい。ジフリザーグも硬い表情のまま、それに応えた。
「モナは、ヴァルス軍到着の前に軍舎を陥としたい。……捕虜を斬首するつもりだ」
「何……!?」
「捕虜を、解放したい」
「どうやる?」
グランドが尚も尋ねる。そこへ、ひっそりとゲイトとイグニスが到着した。ジフリザーグを除く全員が、驚いたような視線を向ける。爆弾技師であるイグニスは戦闘には向いていない。
「イグニス、どうして……」
「カイル!?」
そしてその後ろから姿を現した人物の姿を見て、思わずジフリザーグも声をあげた。亡き父の友人とさえ言うべき、ギルドの古株。
金髪に指を突っ込みながら、イグニスが肩を竦めてみせた。
「俺が呼ばれたってことは、どっか爆破したい場所でも出来たか?」
「爆破!?」
正面からイグニスを見据え、黙って肯定するジフリザーグにどよめきが走った。
「どこを爆破する気だ?」
「材料がすっからかんなのは知ってるよな?」
尋ねたグランドにかぶせるように、イグニスが口を開いた。
「導線や火薬がなけりゃ爆破出来ない程度の爆弾技師なら、いらねーよ」
「辛辣なこって」
へらへらと舌を出すイグニスを軽く小突いて、要領を得ないギルドメンバーを見回す。
「爆破するのは軍舎裏手、南側の資材倉庫」
「あそこなら、粉塵爆発が起こせるかな」
あとを引き受けて、腕を組み石壁に寄りかかったイグニスが答えた。
「資材倉庫には石炭がある。かなりの量があったから、モナだって運び出しちゃいないだろ。綿密な計算と環境が必要だから難易度は高いが……何とかなっかな」
飄々と言って、それからふと真顔をジフリザーグに向けた。
「が、計算するには倉庫の正確な大きさが必要だ。それに中に入れなきゃ起こせる爆発も起こせない」
「図面だ」
言って、ジフリザーグはベストのポケットに突っ込まれたままだった倉庫の図面をテーブルに放り出した。イグニスが手を伸ばして広げる。
「用意が良い」
「当たり前だ。ここに来る前に持ち主の家に寄って拝借してきた」
「侵入はどうする?」
「南の倉庫は攻城器しか置かれていない。警備は手薄だ。……だよな?」
イグニスのすぐ後ろに控えたゲイトに問う。緊張した面持ちのまま、ゲイトがしっかりと頷いた。
「おっけぃ。念の為、別の爆破手段も講じておくとしよう」
「任せる。ついでだから、せっかく作った攻城器にも吹っ飛んでもらおう。何人かつける。イース、リグナード、ルーズ、グランド。イグニスの援護についてくれ。それから残った奴は俺と一緒に……」
「2人で良い。大人数はかえって目立つ」
「じゃあ、グランドとルーズに頼もう」
ジフリザーグの言葉を受けて、2人がイグニスのそばによる。
「すぐに計算にかかってくれ」
それから、ジフリザーグはカイルに視線を向けた。
「カイル。軍舎の方はどうした」
「抜けてきた。ジフが困っているのではないかと思ったのでな」
「勝手な行動を……」
ため息混じりに吐き出す。軍舎残留を決定したのは長であるジフリザーグであり、勝手に脱出するのは命令の変更……越権行為とさえ言える。
だが、こちらの手勢が増えるのは確かにありがたい。
「何人だ?」
「全員だ」
「ぜんいんだあ!?」
それではボードレーが困っているのではないだろうか。
「あーのーなああああ」
「外から援護してやれば同じことだろう。ボードレー殿より俺は、ジフの方が危なかしくて仕方がない」
「……」
返す言葉が見つからない。
「グローバーも、同意見だそうだ」
「な……!?いつ会った?」
「今さっき」
では、グローバーは、ひいては彼麾下の水夫たちは、まだギャヴァンに留まっているのだ……。
沈黙したジフリザーグを見遣って、カイルが続けた。
「軍舎を抜けてから一度、地下水路に行った。お前がどこにいるかわからんかったんでな」
「……」
「市民兵は誰一人、逃亡してないぞ」
その言葉に、顔を上げる。
「グローバーからの伝言だ。『市民軍はジフの指示を待っている。共に、闘おう』」
その言葉に、胸が鳴った。恐怖に晒されているのは皆同じだろうに……そして、逃げ出す手段も今ならばまだ、あると言うのに。
自分がギャヴァンを護っているような気になるのは、自意識過剰と言うことらしい。この街には、護る為に戦い抜く気持ちを持っている住人がまだまだいる。
「……くせぇ」
照れ隠しに小声で呟くジフリザーグの頭を、カイルがそのでかい手のひらで叩いた。頭を押さえて無言でうずくまる上から、更に声が降ってくる。
「もうひとつ伝言だ」
「今度は誰だよ」
「自警軍隊長殿だ」
「え!?」
「『生きて再会の酒場で飲み交わそう』と」
「……」
知らず、泣き笑いのような表情になった。このまま軍舎を放っておけば抵抗するにせよ投降するにせよ、隊長であるボードレーは命がないだろう。賞金首であるジフリザーグとて、人一倍死ぬ確率は高い。
ならば。
必ず死地を抜け出さなければ。
「はは……。俺は酒は飲めねーって……」
まったく……。
どいつもこいつも意地の悪い……。
「それから、朗報だ」
「? 何だ?」
「ジフ、計算完了だ。こっちはいつでもオッケーだぜ」
そこへ、イグニスの声が挟まる。
「じゃあすぐに取り掛かってくれ。爆破時刻は、そうだな……30分後。それ以上は待てない」
「30分後だな。了解」
ポケットから取り出した懐中時計を確認して、頷く。
「こちらはそれまでに、騒ぎを起こす。暴動に便乗してモナを襲撃、捕虜の解放を決行する。イグニスたちは爆破を起こしたらすぐ撤退してくれ。グランドとルーズはそのままギルドまで、イグニスを送り届けてくれるか。市民軍がまだ協力してくれるなら、ギルドしかいないよりは……」
「慌てるな、ジフ」
「え?」
「こちらの朗報をまだ告げていない」
そう言えばそうだった。
「何だ、朗報って」
「来たぞ。待ちわびていた援軍が」
「何?」
「地下水路に進入中だ」
黙って目を見開くジフリザーグに、カイルがにやりと笑いを刻んだ。
では、傭兵部隊が。
「ホントか!?」
やはり。
「だったら……」
先刻までとは、考えを変えても良いかもしれない。
市民軍に戦闘意欲があり、傭兵部隊が合流出来るとなれば、撹乱などと言う手緩い真似でなくても良い。……戦闘開始だ。
敵勢力は単純計算で2万弱、こちらは傭兵部隊5千と地下水路の市民軍千とで6千。まだまだ少ないが、それでも戦闘に持っていけるだけの兵力になる。傭兵部隊は、戦闘のプロだ。
加えて、モナの士気をくじいてやれば、戦力差はより縮まることになる……。
「カイル。地下水路とのパイプ役を引き受けてはくれないか」
「いいだろう。俺と共に軍舎から出てきた連中はどうする」
「こっちに回してくれ。ギルドメンバーは俺と一緒に北へ向かってもらおう。……タイミングはわかるな?」
「暴動を起こすんだろう?」
「ちと予定より早いけどな。他に手段がねえもん。……傭兵部隊と市民軍の突撃のタイミングは、カイルに任せる」
「わかった。では、すぐに出よう」
カイルが足早に出て行き、イグニスらもこちらにひらっと手を振って見せて出て行った。それを見送ったその瞬間、不意にジフリザーグの視界が一瞬霞んだ。
(……!?)
湧き起こる、眩暈。
「頭?」
「……なんでもない」
微かにぐらついたジフリザーグに気づいた構成員が、不審な声を上げた。気づかれないよう頭を振って、殊更何でもない表情を作り顔を上げる。ジフリザーグはその場に残ったメンバーを振り返り、にっと笑顔を浮かべた。
「やりたいよーにはやらせてられないからな。このまま放っておいたらギャヴァンギルドの名が廃る」
だが、これ以上仲間を失うわけにはいかない。
「……退き時だけを、間違えるな。深追いをするな」
モナが来る前と同じ注意を、けれど前よりも厳重に厳かに、告げる。
「これ以上、失わせないでくれ」
見回す面々が無言で頷いた。
注意など、どれほどの効果を発揮するのか知れたものではなく……失わずにいられようはずも、ないのだが。
負けているわけにはいかないのだから、やるしかない。
「――行くぞ」