第2部第1章第15話 Imposed Role(2)
「……会いたかった」
「……」
考えるより先に、口から出ていた。ユリアの動きが止まる。驚いたように見開かれた濡れた瞳が、真っ直ぐ俺を見つめていた。長い睫毛が、微かに震える。抱き締めたい衝動を押し殺し、代えた言葉が掠れた。
「ようやく、会えた……」
「カズ……」
俺のすぐそばにぺたんと座り込んでいたユリアが、その頭を俺の肩に凭せ掛けた。ふわりと俺の頬をその髪がくすぐる。両手で顔を覆うようにしながら、ユリアの肩が震えた。どうにも泣き止む気配がない。
「……カズキ、背が伸びたわ」
「え?……そう?」
「うん……。少し、髪も伸びたみたい」
「……うん。そうかもしれない」
「顔つきが、少し変わったわ」
「……」
冷血漢?
「知らない間に、男の子っぽくなってる。……会いたかった」
「……ユリア」
囁くように、小さく押さえた声で言った最後の言葉にどきり、と胸が疼く。
会えない間、ユリアも俺を想ってくれたような気がして。
早い鼓動。……痛みを感じるほどに。
至近距離で見つめる視線が、俺と同じ想いを錯覚させる……。
「……わたし……」
「カズキ、復活した?」
ユリアがたどたどしく何かを言いかけた時、ニーナの声がやや離れた場所から聞こえた。その言葉ではっと我に返る。すっかりユリアしか目に入っていなかったが、そう言えば今、何がどうなってんだろうか。
その言葉に続いて、どこへ行っていたのかシサーとニーナ、キグナスが部屋へ入って来る。気勢を削がれたのか、ユリアは困惑したような表情で顔を上げ、またも俯いてしまった。
「『青の魔術師』は……」
意外にも文句も言わずに黙って俺とユリアのそばに立っていたシェインに、顔を向ける。シェインは忌々しそうな表情で、出入り口に目を向けた。
「逃したな」
「……そう」
「ああ。シサーの剣を避けながらおぬしに魔法を叩きつけるとは器用な奴だ。……かなりの深手は、負ったはずだが」
視線の先の壁と床には、見て分かる程度の血痕が付着していた。そう言うからには『青の魔術師』なんだろう。数メートルの距離があるここから見て分かると言うことは、確かにそれなりの血量なんだろうけど……。
「屋内、しかも地下だからな。魔力のセーブをしないわけにいかぬゆえ……」
……あれで?十分、崩れる寸前じゃないだろうか。
「それは、奴も同じ条件だろうが」
端正な顔を歪めたままで、小さく呟く。そこに込められた意味までは、俺には推し量ることは出来ない。
「ゴーレムは……」
「『焔の霧』を立て続けに叩き込んでやったら再生しなくなったようだな。土も砂も焼けば死ぬものゆえ」
なるほど……。
ようやく体を起こし、ユリアに手を伸ばしてやる。一緒になって座り込んでいたユリアは、それに捉まって立ち上がった。そのまま寄り添うように、そっと俺の腕にかけたユリアの手の温もりが止められない愛しさを掻き立てる。ようやく収まった、けれどまだ目尻に残る涙を、ちょっと躊躇いながらそっと拭ってやるとユリアが顔を上げた。俺を見上げる。
「……泣き過ぎ」
少し笑うと、ユリアも小さく笑った。大きな瞳が細められる。ようやく見せてくれた、微笑み。ローレシアに来てからずっと……俺の背中を押してくれた笑顔。
離れた場所に立っていたクラリスがこちらへ近づいてきた。シサーらもこちらへ集まって来る。
「これでこの屋敷の全探索は終了だな。……バルザックは、この屋敷にはいねえよ」
俺が半意識不明状態の間に、地下の捜索に乗り出していたらしい。上の部屋も、ひょっとして見てきたんだろうか。腕組みをしながらシサーが、シェインに視線を向けた。
「で、どうすんだ」
「……陛下が崩御された」
「え……!?」
硬い表情で淡々と告げたシェインに、動揺が走る。――崩御!?
ユリアがびくりと体を震わせた。ヴァルス国王の崩御……ユリアの、お父さんが死んだことを意味する。
そして、国が大きな柱を本当に失ったことを。
「せっかく再会出来たところ申し訳ないが……ユリア様にはこのまま王城へとお戻り願いたく」
後半はユリア本人に向けて言う。俺のすぐ隣、体温が感じられるほど近くに立っていたユリアは、硬い表情のまま身動きをしない。
「ギャヴァンは、モナの占領下にある。……無論、取り返す算段はつけてあるが、現状そのような状態だ。……主なき状態では、ヴァルスは立ち往生ゆえ。陛下の代理を務められる人間が、必要だ」
『次は戦場で会おう』。
青髪の魔術師の言葉が蘇る。――宣戦、だ。
「こちらとしても、レガード襲撃の裏が取れ、王女にさえ手を掛けようとしたとあらば放っておくわけにはいかぬ。ロドリスとの開戦には、時間はかからぬだろう」
見回すように全員に向けて言ったシェインは、再びユリアに視線を戻した。
「……状況を、ご理解いただきたく」
「わかっています……」
視線を俯けて、けれどユリアはきっぱりと言った。
「戻りましょう、王城へ。……ヴァルスを、守る為に」
それに頷いてシェインは、再びシサーに顔を向けた。
「……おぬしらには、このままレガードの捜索とバルザックの行方を追ってもらいたい」
「一刻も早く、戴冠しなきゃなんなくなったってわけだな」
「ああ。現状ユリア様を戴いてロドリスに挑まざるを得ぬがな。だが、『王家の塔』があの状態ではユリア様の戴冠とてままならぬ。火急だ」
「出来る限り急ぎはするが、約束は出来ねぇな……」
ふうっと深いため息をついて、シサーが前髪をかきあげた。シェインもそれに応えて、微かに首を横に振る。
「それは承知の上だ。とりあえず、いずれかで良い。どちらかが良い結果が出れば……また違おう」
「了解」
「キグナス、このままカズキのフォローを頼んで良いか」
キグナスが無言で頷いた。それに笑顔を向け、シェインの視線が今度は俺に向く。妙に大人びた感じの顔つき。
「……カズキ」
「うん」
「もうしばらく、付き合ってはもらえぬだろうか」
「……それは……もちろん……」
「酷なことを頼んでいることはわかっている。……すまない」
……。
「どうしたの、シェイン」
「何がだ」
「何か良い人みたいだから」
「……見上げた態度だ」
人差し指を折ったその関節で眉間をぐりぐりやりながら、シェインが吐息をついた。
「……ちゃんと、レガード見つけるって約束したから」
だから。
「大丈夫」
まだ、やれる。
いつか、必ずユリアのそばから姿を消す俺が、彼女にしてあげられることはそれほど多くはない。
そうでなくたって、大したことが出来るわけでもないから……。だから、せめて。
……彼女のそばに、レガードを。
(……)
胸に、苦い痛みが走った。
「……あたしも戻るわ」
シサーの頭の上を椅子代わりにしていたレイアが、ふわりと飛んだ。こちらへ……彼女の、主の方へ。ユリアの視線が向けられ、それに応えるようにユリアが微笑む。
「レイア。心配かけたわ」
「ホントよ。ユリア様にはあたしがいなくっちゃね」
「どうやって戻るんだ?お前」
シサーがシェインに問う。ユリアとレイアを見るともなしに見ていたシェインが、その言葉に顔を向けた。
「召喚されたのでな。『遠見の鏡』の召喚で戻れる」
「……ユリアも?」
「ああ。一緒に連れて行く」
そう、なんだ。
ユリアが顔を上げた。俺を捉える大きな瞳が曇っている。
……やっと、会えたけど。
「ユリア」
……王女様だから、仕方がない。
ユリアの顔が、一瞬歪んだ。泣き出す寸前のように何かを押さえ込むような眼差し。きつく食い縛られた口元。
それが、笑顔に変えられる。涙を押し殺したような、切ない笑顔。
この表情は、見たことが、ある。……砂漠の街で。
「カズキ……」
掠れた声が俺を呼んだ。
「また、会えるわよね」
「うん」
約束なんか出来ないけど。
約束出来るほど……安全な旅ではないだろうけど。
……必ず、会いたいから。
頷いた俺に、堪えきれなくなったようにユリアの目から涙が零れ落ちた。けれど今度は自分でぐいっと拭い、毅然とシェインに顔を向ける。
「行きましょう」
「こっちも行くかあ」
シサーが頭に手を突っ込みながら、こっちを見た。応えて頷く。
「うん」
手がかりは――ファリマ・ドビトーク。
シェインに駆け寄ったユリアが振り向いた。一瞬だけ絡み合った視線。
今度は、ユリアの安否がわからない別離じゃない。
俺が生きている限りは。
「また」
会えるから。
シェインが口の中で呪文を唱える。床上にあった『遠見の鏡』から一瞬の光が立ち上り、間もなく3人の姿が掻き消えた。
「カズキ」
「うん」
ユリアの面影を追って視線を注いでいた俺は、シサーの声に振り返った。
ヴァルスとロドリスの戦争が間もなく始まる。共に国を背負うはずのレガードは、まだいない。
ユリアは……まだ、ほんの、俺と同い年の少女は、国の命運を懸けて苦しい戦いを強いられることになるんだろう。
助けになることが、出来るなら、俺は……。
「行こう」
……バルザックの行方を追って。