第2部第1章第12話 魔術師の館2(2)
戻ってみると、ちょうどシサーが階段を下りてくるところだった。蜘蛛の巣でも引っかかったのか、顰め面で前髪を弾いている。
「何かあった?」
「いや、別段。ぱっと見た限りは何も。そっちは」
「こっちも。部屋が幾つかあったけど、人が出入りするような気配じゃなかったな。もっとちゃんと見てみないと何とも言えないけど。……じゃあ、2階はどっかへ続いてるんだ?」
「ああ。扉があったが、こっちも開いてたな。問題なく入れた」
「廊下は途中で分かれてたよ」
「ふうん?……とりあえず、そっちから探ってみっか?」
「そうだね……」
開かない扉は、ロビー奥のあの小さな扉だけ……。
とくればますます怪しいんだが、開かない以上入れない。出来るところからあたるしかないだろう。
「光を与えしウィル・オー・ウィスプよ。閉ざされた世界に光を与えん。アウローラ」
ニーナがウィル・オー・ウィスプを召還し、とりあえず1階の両開きの扉から攻めることに決めて俺たちは歩き始めた。先ほどの部屋もざっと再度探ってみるが、やはり取り立ててめぼしいものは何もない。隠し扉や通路なんかも、ある気配がなかった。
「どう考えても、バルザックはいないよね?」
先ほどキグナスと2人で進んだ通路を、今度は全員で進みながら前を歩くシサーに向かって呟く。シサーは視線を前に向けたまま「ああ」と頷いた。頷きながら、片手に持ったままの剣をいきなりぶんっと振るう。
「……何?」
「蜘蛛だな」
ぱすっと微かな音がして、俺の足元に真っ二つになった蜘蛛の死体が転がった。さっきの拳大のやつよりもっとでかい。顔の大きさくらいはある。……嫌だな。
「やたら蜘蛛が多いよな……」
まだ微かにぴくぴくしているそれを、顰め面で見遣って通り過ぎながらぼそりと言う。
「廃屋ってこんなもん?」
「どうだかな……召喚してるかもしれねぇぜ」
「蜘蛛を?蜘蛛の魔物とかって、いるの」
「いるな。ジャイアント・スパイダーってのが」
「……でかい蜘蛛?」
「ご明察」
明察も何も、そのままだ。
「この屋敷のどっかに、いるのかもしれねぇ。大蜘蛛が巣食う場所には大小さまざまな蜘蛛がなぜか集まってくる。……奴は、召喚師だろう」
「……」
「……っと、分岐点だ」
ここまでは先ほど俺とキグナスで来ている。シサーがウィル・オ・−・ウィスプを少し先へと飛ばした。さっきは見えなかった前方が明らかになる。
「階段?」
「そっちはどうなってんだ?」
直進通路の方にも同様に灯りを飛ばすが、こちらはまだ先が長いらしくて良く見えない。
「上がってみるか?」
「さっきのとこに続いてるのかもしれないわね」
後ろで聞いていたニーナが腕組みしながら、階段を見据えた。さっきのところに続いていることが確認出来れば、まあ選択肢は減るわけだから……。
「そうだね、行ってみようか」
俺の言葉を受けて、シサーが歩き出した。階段を上る。木製のその階段にも埃は積もっていて、やっぱり人が往来したような気配はなかった。
時々すーっと降りてくる、それこそ大小とりどりの蜘蛛を払いながら2階を探索して回る。さほど複雑な造りにはなっていないようで、ぐるっと歩いていくとさっきのロビーのギャラリーに戻って来た。通路の左右には1階と違ってかなりの部屋数があったけれど、その全てが無意味と言えた。
部屋を片っ端から探索し、階段を見つけては上ったり降りたりをするが、どうにも成果がない。言えるのは、上に上がるにつれて蜘蛛の巣や落ちてくる蜘蛛そのものの数が減ったことくらいだろうか。
「なああんもねえな……」
最後尾で、キグナスがぼやくのが聞こえる。こうも、魔物もいない、謎めいたところもない、もちろんバルザックなんかバの字もないとくれば緊張感も失せてしまう。隊列なんか既にぐちゃぐちゃだ。最後尾と言っても、ほとんど俺の斜め後ろのような状態になっている。
「ハズレかぁ?」
「でも、ガーゴイルはやっぱり不自然だし」
「だよなあ?」
「やっぱり、あの開かない扉なんでしょうか」
「つったって開かねぇしなあ」
「……でもさ、まだ1階は全部見てないよね」
途中で通路をそれて階段を上って来ちゃったわけだし。1階に何かあるのかもしれない。あ、地下とか。
「ここまで来ちゃってんだから、上まで全部探索終えたら、1階ね。それでも何もないなら、あの扉を何とかして開ける手段を考えましょう」
「やってらんねえ。手分けしようぜ」
2階、3階、4階と余りにも何もないので警戒する気が失せたらしいシサーが、最上階らしい5階に辿り着くなり言った。手分け、と言ったって、基本的に回廊状の直進通路で左右に幾つか部屋がある程度だから……右手の部屋を探索するか、左手の部屋を探索するかの違いくらいだ。
「カズキとキグナス……クラリスもそっち、頼むわ。ニーナ、レイア、こっち付き合ってくれ」
「了解」
とりあえず、それぞれに分かれて部屋を片っ端から見ていく。大体の部屋には物らしい物はなくて、時折誰かが昔に使っていたのかなと言う形跡の部屋が、ないこともないと言う感じだ。
サーティスって人は、どこの部屋を使っていたんだろう。
放っておくと、すぐにユリアの安否に考えが行ってしまって焦るばかりなので、紛らわせる為にそんなことを考えた。
静養しに来てたくらいだから、5階まで上がるのはしんどかったりするんだろう。とすれば、1階だろうか。
部屋を探索しながら、ふっと窓の外に目を向ける。かけられたままのカーテンは半開きの状態で、月明かりが零れていた。窓の外、高く聳えた木が葉を揺らしている。
――ユリアは温室育ちだ。さぞ心細いと思う。心を砕いてやってくれ。
かつて、シェインが俺に向けて言った言葉を思い出した。
今、きっと心細い思いをしているだろう。泣いてないか、怯えてないか……気になる、心配になる。
シェインの魔法がユリアを守ると言っても、俺が見ている範囲でも発動しないことがあった。ってことはつまり、危険度によっては反応しない可能性があるんだと思う。切羽詰った危険が迫っているんじゃない限り、発動しないと言うか。
そりゃあ確かに、転んだくらいで発動されても鬱陶しいと言うか先に進めやしないわけで、危険度によると言うのは理に適っていると言えば言えるんだが。
でも……。
それに、別に魔法が封じられていない空間で危険に遭遇した場合にだって、シェインが召還されたわけじゃない。となればシェインのかけた魔法ってのは『危険度』によって発動される魔法が異なっているのかもしれない。
だとすると。
『召喚』の魔法は、『光の壁』が発動される時以上の危険状態にならなければ発動されないと言うことになるんじゃないだろうか。まさしく『切迫した』と言えるような、危険。
……シェインがああ言う以上、彼女の命に別状はないんだろう。それは、信用する。でも、『対恐怖』については何の対策も講じられないだろうし。
怖い思いをしているんじゃないかと思うと、気が焦る。焦っても仕方がないことはわかっているんだ。キグナスの言う通りで。
けれど、この屋敷にいるのではないかと思い、すぐそばにいるのだと思うのに、それを知らない彼女は今もどれほど心細いかと考えると……。
それで落ち着き払っていられるほど、俺にとって浅い存在じゃない……。
(焦っても、仕方ない……)
笑顔と泣き顔が交錯する。
それがまた、俺の気を焦らせる。
軽く唇を噛み締めて、気を落ち着かせるために短く息を吐いた。……出来ることからひとつひとつ潰していくのが、1番近道のはずなんだから。闇雲に駆け出したところで、どうなるものでも、ない。
「カズキ、次行こうぜ」
「うん」
ひとつひとつ巡っていくが、やはり何の収穫もなかった。シサーたちも同様のようだ。最後の部屋に手を掛ける。
「どぉせここも……」
やる気のなさそうな顔で、キグナスがドアを開ける。途端、ずざっと僅かに後退した。
「何だよ……?」
その動作に目を丸くして、部屋の中を覗き込む。これまでのがらんとした部屋と違い、僅かながら調度が残されていた。ベッド、箪笥、サイドテーブル。
「もしかして、サーティス……?」
ベッドの中、ぽつりと残された白骨……多分、前のここの主人のなれの果てなんだろう。わざわざ異国に健康を取り戻しに来て、見捨てられたその姿。
「ひでぇ……」
キグナスが、ぼやく。近づいて覗き込んでみると、既に綺麗に白骨化している状態で、腐乱を残しているような様子はどこにもなかった。布団が全体的に黄ばみ、部分部分に濃く染み付いたような跡があるくらいで。
ドルヴィスら使用人に殺害されたわけじゃ、ないのかな。この様子からでは、良くわからないけれど。5階にいると言うことは……もしかすると運び込まれて放置されたりしたのかもしれない。身動き出来ずに。
にしても、杜撰だよな。死体を放置したまま売る奴も売る奴なら買う奴も買う奴だが、住む奴に至っては何をか言わんや、だ。俺の世界では考えられない。……魔物なんかがいたりして死ぬ人も多いし、警察機構のようなものが整っているわけでもないから、どうしたって杜撰になるのかもしれないけれど。にしたって限度ってもんがないのだろーか。
そんなことをつらつら考えながら白骨を眺めていると、キグナスがドアから顰め面で声をかけた。
「おめー、よく平気だなあ」
「お前こそ魔物は平気なのにこういうのは駄目なのか?」
「そーゆー問題かッ!?」
「似たよーなもんだろ。こっちのが攻撃してこないぶんましなんじゃないか」
「……」
「どーした?何か……前の持ち主か?」
言葉を失ったままのキグナスの後ろから、他の部屋の探索を終えたらしいシサーたちが顔を覗かせた。中に俺がいるのを見て入って来る。キグナスもそれに従って、中に入ってきた。
「この様子じゃ、さすがにこのフロアは使ってないんじゃないの。探索終わった後に言うのも何だけど」
「……だろうな。下に戻るか」
言いながら、その白骨を見下ろす。次いで入ってきたクラリスが悲しい顔をした。
「ひどいことですね。人の助けを借りなければ生きられぬ人が、味方となってくれる人間を持たずに財産目的の人間に囲まれていたとあっては……さぞ、心細い日々を送られていたでしょう」
言って、祈りの言葉を唱える。伏せられた長い睫毛が微かに震えていた。サーティスの心を思って胸を痛めているのかもしれない。生憎と、今の俺の心には何の波紋も起こりはしないんだが。
「行こうぜ」
クラリスが短い祈りを終えると、シサーは扉に向き直りながら促した。
「1階を除いて探索はほぼ終えた。……行こう。夜明け前に、片をつけるぞ」