第2部第1章第11話 魔術師の館1(2)
ただ、もしそうだったら、今回のギャヴァン戦に巻き込まれて本当に死んじゃったら『おいおい』とゆーか……。
とは言え、いくら頭の中で気にかけたところで、ギャヴァンどころかヴァルスにさえいない俺に何が出来るわけでもないし、シサーの言う通り……ユリアを助けることが今の最優先事項ではある。
ユリアは、いるんだろうか。
バルザックに、勝てるんだろうか……。
もしかすると、ここで死ぬのかもしれない。そうは思うが、やっぱり不思議なほど、危機感は俺の中のどこにも、なかった。
かさかさと微かな音を立て、俺たちのいるそばの木が不意に葉を揺らした。どういう経路を回って来たのか、先程姿を消したのとは逆方向からシサーがひょこんと顔を覗かせる。
「よぉ」
よぉ、でなくて。
「……どうだった。何か、わかった?」
問うと、シサーは肩を竦めた。
「外に見張りはいねーな」
ふうん……見張りは特にいないのか。
バルザックは、魔術師であると同時に召喚師でもあると聞いている。けれど俺は召喚師と言うものが具体的にどういうものなのかが、未だに良くわからない。何となればその能力を目の前で使われたことがないので。
大体バルザック以外にはラウバルしか知らないんだ。そしてラウバルは、俺の前で召喚を行なったことはない。
命削られるって話なんだし、用もなくそうそうやることじゃないんだろうけどさ。
つまり、俺にはバルザックがどういう戦闘の仕方をするのかが正直言って良くわかってない。召喚を控える為に魔術を学んだって話なんだから、あんまり関係ないのかな、考えても……。
「行くか」
小走りにそばへ寄ったニーナに笑顔を向け、それからこっちに向かって言う。
「どこか、降りられるようなところ、あった?」
歩き出したシサーに従って尋ねる。顔だけ僅かに傾けるようにして、シサーが頷いた。
「まあな。けどここからじゃあちと回り道だな。屋敷の裏手の崖が少し緩やかになってるから、そっちから行こう。大した崖じゃない」
「降りんのは良いけどさあ」
足で草をかき分けながら、俺のすぐ後ろを歩くキグナスがひそめた声で尋ねた。
「塀は越えられんのか?どうせ門は鍵かかってるだろ」
「ああ。でもあの程度の鍵なら俺が開けられる」
……そういや風の砂漠のダンジョンでニーナが言ってたっけ。シサーは鍵開けが出来るって。
ふとそんなことを思い出した。まったく器用な人とゆーか便利な人とゆーか。さっき偵察に出た時の身のこなしと言い、いつでも盗賊に転職がききそうだ。
「では、正面突破で行くのですね」
クラリスが司祭らしい、妙に厳かな口調で言う。
シサーが無言で、それに頷いた。
◆ ◇ ◆
窓から差し込む薄い月明かり。
埃の細かな粒子が、ふわふわとその明かりに反射して空を舞うのが見える。鼻につく黴くさいような匂いの原因は多分これだろう。
「随分、不用心だな……」
誰に言うでもなく、ひとりごちる。それを聞き咎めて、キグナスが俺を仰いだ。
「誰もいなかったりして」
「……」
思わず頷いてしまいそうになるほど、人の気配がなかった。でも、ただの廃屋ではないとは思うんだが。
ところどころ、意図的にではないにせよ埃が払われている部分があるから、住んでるかどうかは置いといて人の出入りがあることは確かだと思うんだよな……。
言い遅れたが、屋敷の中である。
シサーの言う『少し緩やかになっているところ』は俺たちがいた場所からさほど遠くはなく、屋敷の裏手に出た俺たちは塀沿いに表に回り、正面へと出た。
門には確かに施錠されていたんだけど、本人の言う通りシサーには何の問題もなかったらしく、あっさり開錠し、続く屋敷の入り口に至っては施錠さえされていなかった。無用心極まりない。それとも、強力な魔術師であるがゆえに……必要ないんだろーか、そんなセキュリティ。
入り口から入ってすぐ、正面奥には幅広い階段があって、続く2階は体育館のギャラリーのように左右に広がる手摺り付きの廊下になっているのが見えた。
吹き抜けになっている遥か頭上の天井には、巨大なシャンデリアが吊り下げられている。もちろん灯りはついていない。あれってどうやって灯すんだろう。天井そのものはかなり高い位置にあるにも関わらず、シャンデリアは何本もの長い鎖で下まで吊り下ろされていて、ちょうど2階のギャラリーよりちょい上くらいの高さに見える。電気……じゃないだろうから、可動式、なのかな。
玄関ホールは広かった。その割に装飾品らしきものは何もないので、いやにがらんとして感じられる。バルザックが住んでいるんだとしたら、あんまり煌びやかでも何か気持ち悪いから、これで良いような気もしなくはない。
ここから移動出来るのはどうやら、正面に続く階段と右手の両開きの大きな扉、左隅にある小さな扉の3箇所のようだ。
月明かりだけが頼りの薄暗いホールをぐるりと見渡して、ふと、ぎくりとした。2階ギャラリーの床へ続くこちら側の壁……正面階段から少し距離を置いたその左右に、今しも躍動せんと見える青銅の彫像。突起した飾り柱の影に隠れ、しかも暗いせいで良く見ないと気がつかないかもしれない。
つるりとした感の頭部に尖った耳がついている。どこかゴブリンを連想させた。痩せた節くれだった手は何かを掴もうとしているようにやや前方へと伸ばされている。
そして、背中から威嚇するように広げられた羽。……あれは、まさか。
「どっから攻めるー?」
「何かいるなぁ」
天井を振り仰いで言うキグナスに、シサーがグラムドリングを示して言った。注意を喚起しようとシサーを振り返る。
「シサ……」
それより一足早く、視界の隅で捉えたままの彫像が壁から解き放たれるのが見えた。風を切る羽音。
「ガーゴイルッ」
ニーナが鋭く怒鳴った。その時には既に、シサーが剣を抜き放っている。
俺も咄嗟に剣を抜こうとして、思い止まった。ガーゴイルは魔法か魔力付与の武器しか効果がないんだ……空飛ぶ相手じゃ、リデルの時みたいに足止めにさえならない。彫像なんだから爆弾でもあれば効きそうなもんだが、あいにくそんな高価なもんは持ってない。後は俺に出来ることと言えば、魔法石での援護くらいのものだ。
「確定かな、こりゃ」
天井近くからこちらを見下ろし、攻撃のタイミングをうかがっているらしい2匹のガーゴイルに目を向けながら、シサーが呟いた。
「確定?」
「ああ。ナマモノの魔物じゃあるめーし、ガーゴイルが普通の廃墟に棲み付くわきゃねーだろ。意図的に配置してるに決まってるじゃねーか」
それもそーか。
「おまけに、数年前まで人が住んでいた屋敷。となればガーゴイルを置いたのは、古代の魔術師じゃありません」
同じく視線を天井に向けたまま、クラリスが補足する。……最近でガーゴイルを生み出せるエンチャンターは、『青の魔術師』ただひとり――繋がった。
じゃあユリアは、この屋敷のどこかに、いるんだろうか。
「しっかし、やる気が感じられねーなあ」
呆れたようにシサーがぼやく。ガーゴイルは降りてくる気配がない。
「放っとくか」
ありなの?それは。
「仕掛けちゃいましょ」
ニーナが微かに構える。
「軽やかに踊る風の精霊シルフよ、その姿を刃に変えよ!!ウォラト!!」
上空で風が渦巻いた。ここからでは良く見えないんだが、『風の刃』がガーゴイルの1匹に命中したようだ。
「カズキとクラリス、下がってろ。レイア、そっち2人の守り頼んだ。3人で何とかなんだろ。……何かあったら魔法石で援護してくれ」
攻撃を受けて、猛然と急降下をして来た1匹に剣を構えながらシサーが言う。対処の仕様のない俺を気遣ってくれたんだろう。……う。しかしレイアに守られる俺と言うのも何だか情けない。が、しょうがない。
いつでも援護出来るように紫の大石を片手に、遠慮なく見物に回らせてもらうことにして壁際に下がる。
降りて来てみると、それはやっぱりどう見ても彫像で、柔軟に動く羽や腕がその硬質な質感との違和感を醸し出す。けれど、本来ならあるはずのないちろちろと揺れる舌とか……どういう生き物なんだろーか。
襲い来る鋭い爪を僅かな動きでかわし、シサーの剣が閃く。横合いから叩き込まれたキグナスの『風の刃』が、ガーゴイルの飛翔能力を奪った。地に叩きつけられる。
「1匹終了〜」
気楽な声で言いながら、シサーの剣が止めを刺した。以前「大して強いわけでもない」と言っていたけれど、確かにシサーにとっては大した敵ではなさそうだ。これほどあっさり片付けられると、ぼけっと眺めていることに何の良心の呵責も感じずに済むのでありがたい。
ニーナが中空に浮かんだままのもう1匹に目線を向けて、毒づく。
「あれじゃあ門番の役に立たないじゃないのよ」
まったくだ。やる気のないことこの上ない。
「ゲヌイト・オムニア・フォルトゥーナ・カウサエ・マナ、ポスト・ヌービラ・ポエブス、『光の矢』!!」
キグナスが足の下で、砕けた彫像へと戻ったガーゴイルの破片を踏みしだきながら仕掛ける。だが、ひょいひょい避けて話にならない。
「本気で放ってくか?」
その言葉が届いたわけでもないだろうが、生き残ったガーゴイルが急降下して来た。シサーを避けて、ニーナに向かって爪を振り下ろす。
「ふざけないでよ何でわたしんトコ来るのよッ」
罵声を浴びせ、抜いたレイピアで爪を受け流すが、俺と同じで彼女の剣は普通の剣だ。シサーが地を蹴るが、馬鹿にするようにするりと再び高く舞い上がる。
「のやろぉ」
カチン、と顔に書いて、シサーがキグナスとニーナに怒鳴った。
「当たらなくて良い、魔法で牽制かけてくれ」
「え、わ、わかった」
「何する気?」
「迎えに行ってやるッッ」
何ぃ!?
唖然としている俺の目の前で、シサーは剣を構えたまま駆け出した。キグナスが仕方なく魔法を立て続けに叩き込むが、ニーナはそれどころではなく怒鳴る。
「何する気なのよッ」
その間もガーゴイルは、ひらひらと魔法攻撃を避け続けている。シサーは剣を構えたまま階段を駆け上って行った。……おいおい、まさか。
「光を与えしウィル・オー・ウィスプよ!!その身を裁きの矛と変えよ、ポエブス!!」
仕方なく、ニーナも言われた通りに魔法を唱える。ダブルの魔法攻撃を避けるのに精一杯で、ガーゴイルはシサーの動きにまで気がいっていない。2階に駆け上がり、通路をぐるっと回ったシサーはその手摺りに片手を添え、足を掛けた。……なんてめちゃくちゃな人なんだ。
「危ないッ……」
クラリスが切羽詰まった声を出すが、そんなもん、届いちゃいない。一気に勢いをつけて、剣を構えたまま手摺りを乗り越えた。
「馬鹿ッッ」
ニーナの呪文が悲鳴に変わる。
その目の前で、グラムドリングがガーゴイルに届いた。さすがにぎょっとしたような動きを見せるが間に合わない。
「ギャアアアアアッ」
輝く刀身を叩き付けられて、鋭い雄叫びを上げて落下する。けれど、そんなもんを見ている人間は誰もいなかった。
「シサー!!」
ガーゴイルを斬り飛ばしたシサーは勢いそのままに、天井から長く吊り下がるシャンデリアに飛び移った。が、その勢いを支えられるわけもない。ぐらぐらと大きく揺れてシサーを乗せたまま、鎖が切れる。地面目がけて一気に落下した。重たい物が風を切る低い唸り。
「ゲヌイト・オムニア・フォルトゥーナ・カウサエ・マナ、ダビト・デウス・ヒース・クォクェ・フィーネム、『風壁』!!」
ガシャーンッッッ。
シャンデリアの砕ける激しい物音が耳を劈く。聴覚の全てが、その音に一瞬飽和した。咄嗟に目を閉じた俺は飛散するガラスの礫を覚悟したが、どうやら大丈夫なようだ。目を開ける。
「シサー!?」
「シサーッ」
「おお」
ニーナとレイアの悲鳴に、何事もなかったかのように答える声があった。
床一面に広がるシャンデリアの破片。咄嗟にキグナスが張った防御魔法で、ガラスの破片を浴びずに済んだらしい。シサーはと言えば、ガラス避けに使ったのか、珍しく小振りの盾を片手に俺からやや離れたシャンデリアの残骸の反対側で、五体満足に立ち上がった。
「良く無事だなあ……」
キグナスが呆れた声を出す。
「途中までシャンデリアに乗って落下して、適当な高さで飛び降りた」
サーカスか?
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿ッ」
「倒せたんだから良いじゃねえか……」
罵声を浴びせまくるニーナに小声で反論し、シサーはグラムドリングを鞘に収めた。既に光は放っていない。
「そういう問題!?」
「猿じゃないんだから……」
怒鳴るニーナの声に隠れてぼそりと言うと、シサーがちろっと横目で俺を見た。
「……何か言ったか?」
「……何も?」
やっぱりこの人はいつでも盗賊に転職出来る。
「さってっと……いつまでも玄関ホールにいたってしゃーねーから、行くか」
「……変じゃないですか?」
ニーナを誤魔化すように歩き始めたシサーに、クラリスがひっそりと口を開いた。視線が集まる。
「変?」
「これだけ大騒ぎしているにも関わらず、誰も現れないなんて」
確かに。
2階以上の高さから、あれだけ巨大なシャンデリアを叩き落してるんだ。床に陥没してめり込んでるくらいだし、その音量はかなりのものだったと思う。
が、耳を澄ませてみても俺たち以外は静かなものだった。
「誰も、いねえのかな」
「って言ってもな。他に手掛かりがあるわけじゃねえし。バルザックがユリアをここに攫ってきたんじゃないとしたって、ここを捜索して次の手掛かり得るっきゃねえわけだし」
そんなシサーの言葉を聞きながら、俺は先ほどの考えが再び頭を過ぎった。
俺たちを釣る為の餌なのだとしたら、俺たちがおびき寄せられるのは『バルザックの館』以外に考えられない。……と、思う。だって俺たちはバルザックのことを知っているわけじゃないんだ。辿り着くのは当面この屋敷しかないことくらいバルザックにだって想像がつくだろう。
とすれば、この屋敷に何があるんだろう……?
「何か、あるはずだよ」
考え込んだ姿勢のまま、俺は口を開いた。
「ユリアがいるにしろいないにしろ……ここに俺たちが導かれた理由があるはずだ」
顔を上げる。
「……探そう。ユリアを」