第2部第1章第9話 ギャヴァン市街戦《前編3》(1)
幕僚のひとりであるスタルフが近づいてきた気配で、インプレスは顔を上げた。
「『トゥルス』はどうした」
深紅の髪の市民軍リーダー ――ジフリザーグを示す仮名は、その武器からそのまま『トゥルス』となった。インプレスの問いに、スタルフがやや力なく首を横に振る。
「あちこちで目撃はされているのですが。どうにものらりくらりと逃げる奴のようで」
さすがは盗賊団の長と言うわけか。そう簡単には捕まってくれないようだ。
「街の北西の崖に追い詰めたようなのですが、閃光を放つ魔法石で行方をくらましたようです」
「崖から?」
「はい」
となれば崖を下ったか海へ飛び込んだか。現場を見ていないのでいずれが可能なのかまでは判断がつかないが、まさか魔物でもあるまい。だとすれば空を飛んだり消えたりするわけがないのだ。
「先回り出来るような地形ではないか」
「は……崖下は、海です」
「どこへ降りていくのかの予測は」
「それが……かなり広い範囲でぐるりと海に囲まれている崖でして……一応、海に近接する陸地には兵を差し向けたのですが、引っ掛からなかったようです」
「まあ良い。自ら援護に走り回るような奴だ。どうせまた姿を現わす」
現在市民軍はそのなりを潜めている。モナ軍はようやく統制を取り戻し、街の北東にある軍舎を目指して行軍しているところだった。
だが、無人の人家や商店から略奪を行っているものの思うように物資が集まらない。どうやら事前に掻き集めているらしい。
とは言え、進軍した際に市民軍が生活を営んでいたのだ。外へ運び出したとは考えられない。街のどこかにあるはずだ。そして考えられるのはやはり、制圧に際して陥とさねばならない自警軍舎だった。報告では、見張りや防衛にあたっている兵もいると言う。
「軍舎を包囲して布陣し、明日の朝、日の出と共に総攻撃だ」
大した兵力はいるまい。市民軍もどこからか湧いて出るだろうが、大した数ではないことは先刻承知だ。
「は。……では、今日は」
「ヴァルス軍がこちらへ向かっているだろう」
インプレスの視線を受けて、スタルフが頷く。
「通常の籠城と違うのは、市民にとって籠城するのが我々敵兵で外から来るのが解放軍だと言うことだ」
「……はい」
「攻城は、中に外と連動する者がいれば、より容易になる。……当然だな。閉めた鍵を内から開錠してやれば盗人だって正面玄関から侵入出来よう」
「ええ」
「市民は当然、外から来る軍と連動している。ヴァルス軍の到着と共に、事前に仕掛けておいた発破を使って正面門と塀を破壊するぞ」
明確に場所と手段を告げた上司に、スタルフは目を丸くした。
「それは……そのような情報が……?」
「ああ。ヴァルスには間諜が入り込んでいる。市民軍は、正面門左右の外壁と内壁に発破を5発ずつ仕掛けている。正面門は破壊されやすいよう、細工が施してある。……閉められないよう壊してしまえば、ヴァルス軍の到着前に我々が補修してしまうのを危ぶんだのだろうな。一見、防衛に十分と思わせて放置させることを期待したんだろうが」
「では」
スタルフが興奮したように、顔を紅潮させた。
「正面門の補修及び発破の撤去、加えて防護壁の補強だ。幾つかの部隊には市民兵の捜索。残りは軍舎の包囲と攻城器の補修、作成にあたらせろ」
「は、はいッ」
これで、ヴァルス軍は到着したとて予定通りには街へ侵入出来ない。作戦を変更せざるを得なくなる。となればその分時間は稼げるし、その間に軍舎を押さえ、市民軍を駆逐あるいは捕虜とすれば、一般市民のいない今のこの街で内部から連動する者がいなくなる。……容易に侵入出来なくなると言うことだ。
最初の混乱でギャヴァン制圧に不安を覚えていたスタルフの胸に、光が射した。この戦争で勝利を納め、ギャヴァンの富を手に入れて国間交渉でモナが裕福になれば、貧困に喘ぐ仲間を見ないで済む。
すぐさま指示を伝えようと勢い込むスタルフに、インプレスが言葉を追加した。
「ギャヴァンには確か、地下水路があるだろう」
「地下水路……」
モナには設備投資するだけの資金が不足している為、ほとんどの街に地下水路の設置はなされていない。その為、その発想に至らなかった。
「捜索はしたか」
「あ、いえ、まだ……」
「あたれ。潜った市民軍と隠し物資が出てくるやもしれんぞ」
◆ ◇ ◆
「ジフッ」
「頭ッ」
ジフリザーグが集合場所『ガーネット』へ辿り着いたのは、既に日も落ちた頃だった。ワイン色の柔らかな髪には葉や小枝が絡まり、日に焼けた人の良さそうな顔には細かな擦り傷や切り傷がついている。腕や足も同様だ。
「お待たせえ……」
ひらりと手を振り、頼りない笑顔を浮かべる。既に集まっていた団員たちが駆け寄った。
「よく、無事で……」
「おお〜同感だあ〜……。俺、よく無事だったなあ〜……」
言いながら、くた……と入り口に両膝をつく。決して体力勝負とは言えないジフリザーグにしてみれば、3時間にも及ぶ全力での戦闘及び逃走劇と言うのは決して楽なものではない。
おまけに……。
「水……」
床に座り込んだまま言うと、手近にいたゲイトと言う年若い団員が洞穴の奥へと駆けていった。キサド山脈から流れ出るリー川の水脈の一部が、岩山を伝ってこの洞穴の奥に湧き水を作り出している。ギャヴァン市民の生活を支える水脈でもあった。
「頭……サバイバルでもしてきたんすか」
「……まあな」
頷きかけて「頭ってゆーな」としつこく付け足してから、ゲイトの運んできた水のグラスを受け取る。一気に水を飲み干した。
「ここまで、どうやって?」
「裏の崖下って来た」
「崖ぇッ!?」
ジフリザーグは閃光弾でモナ兵の目眩ましを図った後、特殊鉤爪付ロープを崖から迫り出している木に引っ掛けて崖下へと下りた。崖から数エレ下には、内側に穿たれるように岩棚がある。幅は狭いし、そこまでに続く壁面がやや隆起状になっている為、上からはほとんどその存在が見えない。
一旦そこに降り立ったジフリザーグは、十分時間をとって閃光弾と西陽で視界の覚束ないモナ兵の視察をやり過ごし、それから改めて鉤爪を木々に引っ掛けながらゆっくりと斜めに崖を下ったのだ。途中から木々が密集して上からの視界を妨げてくれるし、足場がましになったところで方向転換し、1度上って海岸を迂回すればモナの捜索網にも引っ掛からない。
その崖へ辿り着いたのは、決して偶然ではない。モナ兵を引き離し、尚見付からないよう『ガーネット』へ向かうにはそれが最適と判断し、日没の頃合を計算しながら目指して来たのである。
だが、小さい頃からこの辺り一帯を根城とし、隅々まで……それこそ上から僅かに見えるだけの岩棚の存在まで熟知し、岩棚を越えた辺りから斜面が少しずつ緩やかになることを知っているとは言え、眼下に広がる海は荒く岩礁だらけだ。転落すれば骨が砕けるだろう。もちろん過去に命懸けで崖を下った経験などあるわけもない。ジフリザーグにしても、イチかバチかの賭けだったのだ。
ようやく安全地帯に辿り着いた今、ひそかに気にかかるのは閃光弾を使用してしまったことである。シンに怒られたら嫌だなあと内心軽くへこんでいると、側に仁王立ちになった団員グランドに怒鳴られた。
「やっぱりそんな無茶をするッ」
「他に方法がなかったんだよッ……シドは?」
答えてふと、団員が少ないことに気が付く。ジフリザーグに従って市民の援護に出た者は15名。ざっと見回して、今ここにいるのは10人だ。
「フェイルは?マーシーもいないな。ザクトとエスタシークも……。まだなのか?」
モナに狙われ崖まで下ったジフリザーグが、恐らく最もここまで……遠かったと思うのだが。
ジフリザーグの視線に耐えかねて、1番手近にいたグランドが痛みを堪えるような顔で目を伏せた。その仕草に、胸を突かれる。冷たい雫が背筋を滑り落ちた。
「何だよ?まだ来てないのか?」
「……」
「グランド!!」
ゲイトが唇を震わせて進み出る。
「シドさんは……俺を、助けて」
「……」
「他の、メンバーも……それぞれ……」
強く、唇を噛む。鉄のような味が口に広がった。握り締めた拳が震える。胸の奥に重たい石が沈んだ。仲間たちの笑顔が浮かぶ。温かい、温もりが。
こんな稼業だ。これまでにも仲間を失ったことがないわけではない。
とは言えやはり、堪える。
だが、個人の感傷に浸って良い状況でもなかった。重い沈黙を破る。
「……市民兵の避難は」
「今生き残ってるメンバーに関しては、無事例の……地下水路に」
「モナの動きは」
「市民兵の捜索をしながら、軍舎の包囲に取り掛かろうとしています。並行して、門の施錠と補強。それから……例の……発破の解除を」
ジェイクと言う団員が答える。ジフリザーグは目を上げた。
「……どこだった」
「正門横です」
「了解。……ラリー」
「はい」
「抜けられるか」
「はい」
「シャインカルクに通達してくれ。俺の名前を出せば入れてくれるはずだ。宰相か宮廷魔術師に。伝言は駄目だ。確実に本人に伝えろ。傭兵軍はどうした」
「まだです」
直ちに身を翻して駆けて行くラリーの背中を見遣ってから、その答えに鼻の頭に皺を寄せる。
「遅いな……何してやがんだ。じゃあもちろんヴァルス軍も」
「もちろんまだです」
そこまで聞いて、立ち上がる。全員に緊張が走った。
「行くぞ」
「頭、どこに」
踵を返しかけた足を止め、顔だけ振り返る。
「決まってる。軍舎の援護だ。市民軍と合流して、モナ軍の背後から襲う。闇が俺らを守ってくれるさ……」
「けど。頭、少し休んだ方が良い……」
「ばぁろ。休んでる暇なんかあっかよ。ボードレー、放っておくわけにゃいかんだろー」
言いながら、少しよろける。咄嗟に手を伸ばしてグランドが支えた。
「無茶っすよ」
「……シドを」
「え」
「シドを、フェイルを、マーシーを……ザクトを、エスタシークを……失ったんだぞ!?」
「……」
「黙ってられるかッ!!ヴァルス軍だって、俺たちの動きがなきゃどうにもなんねえんだ。……傭兵軍が到着したら……その時は、一休みさせてもらうさ」
拳を握り締めて、気合を入れる。己を叱咤して歩き出す長の背中に、他のメンバーも黙って従った。
市民兵の避難場所として利用している地下水路への入り口は街の至るところにあるが、いくつかを残して油紙や蝋を使って封鎖してある。『ガーネット』から最も近い入り口への移動は、暗闇も手伝ってさほど困難なことではなかった。元々、暗闇を得意とする盗賊団だ。
入り口を開き、錆びた鉄梯子を降りる。南の街であるとは言え、地下水を引き込んでいる地下水路の空気はしんと冷えていた。時折、天井から滴り落ちる水滴が静かに流れる地下水に吸い込まれる音が、反響を伴って響く。
誰もが無言だった。
「……気付いたな」
地下水路は、石壁で半円形に固められている。水路を挟んで左右には幅0.5エレ(約75センチ)ほどの細い石畳の通路が通っていた。街の下を複雑に入り組んだ幾つもの水路が走る形になっているので、その広さは半端なものではなく、複雑さも慣れた者でなければ地上に出るのが至難の業とさえなる。
先頭を歩くジフリザーグが、ぽつりと言った。すぐ後ろに続くグランドが、小さく頷く。
「の、ようですね」
どこか遠くで、金属的な足音が聞こえる。モナ兵の甲冑だろう。地下水路の存在に気付き、捜索を始めたらしい。
「まあ、好きなだけ探すが良いさ」
地下水路の存在に気づくことなど、最初からわかりきっている。それが遅いか早いかの違いだけだ。だが、それと並行する形で分岐して走る『もうひとつの地下水路』の存在には気付くまい。