第2部第1章第6話 砕けた心(2)
「お前ら、何者だ」
油断なく剣を構えた状態でゆっくりと近づく。……グラムドリングは、魔剣。彼女に攻撃を加えられるはずだ。
「……教えてあげないよ」
「まあ良い」
微かに苦い顔をして、ぶんっと剣を振る。尖端を突くような姿勢で両手に構え、腰を落とした。
「俺は今、機嫌が悪い。まだやる気なら、遠慮はしないぜ」
「知るかッ。あんたも死んじゃいなッ……」
言うが早いか、少女は地面に投げ出されたままの長槍に手をかけた。こちらも突くように尖端を先に掲げてシサーに向けて突進する。素早い動き。
だが、勝負がつくのはあっという間だった。
「悪ぃんだが、立て続けに負けてるわけにはいかねえんだよ」
苦く吐き捨てて、少女の殺意を避けようともせずに正面から剣を力強く払う。金切り声を上げて長槍が再び吹っ飛んだ。返す手で円を描くように胸元に引き寄せられた剣が、そのまま彼女の胸に突き立てられる。
「くぁッ……ふ……」
短い悲鳴は、黒い血が噴き上げる断末の叫びに掻き消された。まるでコールタールが溢れ出ているような、濃度の高そうな液体。……人間だ、と彼女は言ったけれど、普通の人間はあんな液体を体から出さないことになっている。
「自分のしたことの、報いだ」
どさりと、少女の体が地面に崩れた。黒い液体は尚も体から溢れ出して、地面に血溜りの染みを広げていく。
「グレン、フォードは……」
シサーが、無言で少女の体から抜き取った剣を払う。問うと、シサーはその視線を俺に向けた。
「……とにかく、ここから出よう」
「う、うん……」
言って歩き出した背中を、追う。ニーナが何か言いたげな視線をシサーの背中に向け、結局何も言わずにそれに従った。キグナスやクラリス、レイアも歩き出す。
村の出口はもうすぐそこだ。
「あれ……」
出入り口のところに繋いであったニーナの馬の姿がない。良く見れば、繋ぎ紐が引き千切られたように頼りなくそこに横たわっていた。
「……逃げたかなこりゃ」
キグナスが足先で紐を突付く。
「動物は自分の危機に敏感だからな。魔物の気配に怯えて、尽力を尽くして逃げたんだろう」
淡々とシサーがそれに答える。まあ、いずれにしても5人に対して1頭しかいなかったわけだから……今更それほど違いがあるわけでもない。
「サーティスの屋敷まで、それほど距離があるわけでもない。いずれにしても、明日には辿り着くだろう」
「……うん」
◆ ◇ ◆
立て続けにいろんなことがあったせいか誰もが言葉少なで、リデルから2時間ほど離れた場所で野営を敷くことにした。
シサーの雰囲気が何やらおかしいこととグレンフォードがどうしたのかが気にはなるんだが、何だか聞くに聞けず、結局何がどうしたのか良くわからないままでこうして寝袋にくるまってしまっている。
俺が『剣を教えてくれ』と言った日から、無理のない程度にシサーは稽古を続けてくれてはいるが、今日はそれもパスだ。俺も……そんな気分でもない。
グレンフォードにバレてしまったので、俺はようやく女装から解放された。
ずたずただったレガードの服はシャインカルクへ戻った時に新しく別の物に替えてもらってはいるが、こちらもずたずたになるのにそれほどの時間は必要なさそうだ。
(本当に狙われてるんだな、俺……)
わかってはいたことなんだが。
何だか、ようやく実感をしたような気がする。今更。
前にも『銀狼の牙』に襲われたりはしたけれど……今日のグレンフォードの豹変ぶりを見て何だかひどく実感した。俺が『レガード』じゃなかったら、グレンフォードはただの『変人』で終わっていたかもしれない。
ぼんやりと、ギルザードに戻った夜のことを思い出す。
初めて人を手に掛け、完全に恐慌状態だった俺は、夜になると錯乱に近い状態となったりもして……あの時も眠れなかった。そして……ユリアがいた時のように、ふらりとひとりで外に出た。
悲しいくらい月が綺麗に街を照らしていて、どこか薄ら青くほの照らされる人気のない街。時折、遠くでちらつく衛兵の姿までが同じに見えて、乾いた冷たい空気の中、ただユリアだけがいなかった。
血に染まった俺の、手のひら。
あの男の瞳が、まだ俺に何かを訴えかけてくる。
――その時はまだ、俺の中にためらいも迷いも恐れも……あったはずだった。
いやむしろ、それは前より遥かに増していたはず、だった。
もう、剣なんか持つのは、嫌だったんだ……。
物陰から人が飛び出して来たのはその時だった。ショートソードを地面と平行に構え、俺を目がけて一直線に駆ける……暗殺者。
(もう、嫌だ……)
命を狙われるのも、奪うのも。
どうでも良いような気がした。死ぬんなら死ねば良いような気がして、俺はぼんやりと男が駆けて来るのを眺めた。
そして――背筋に、戦慄。
(嘘だろ……ッ!?)
月明かりに照らされた、暗殺者の顔。それは、俺が風の砂漠で手にかけた男と酷似していた。
「仇だッ……」
どうして自分にそんなことが出来たのかは、わからない。小さく叫んで俺に剣をつき立てようとするその男の突進を俺はかわし、つんのめったその頬に肘鉄を食らわせていた。男が取り落としたショートソードを足で弾き、拾い上げる。
――ユリアを……。
(もう、嫌だ!!全部嫌だッ……やめてくれッ……帰してくれ……ッ)
――助けなきゃ……。
(剣を持つのは、もう、嫌だ―――――――……ッ)
――……ユリア……。
俺にかわされて、男はやや前のめりにバランスを崩した。どこか幼さを残す首筋。そこに、俺の手は自動的に剣を叩き付けていた。
浴びる、返り血。
(――嫌なんだ……)
心の中に残る躊躇いが、砕け散った。……もう、良い。どうでも。
何かを感じれば、心が砕けていく。
ならば、もういっそ……。
(……助けて)
ユリアへの恋着だけが、心の中で同じ場所に大切に残されている。
彼女を、守ってあげたいと思ったんだ。
けれど、いなくなって気がつく。守られていたのが、俺の方だと言うことに。
ユリアが背後にいると思わなければ、俺は多分とっくにこんなこと嫌になって弱音を吐いていた。
守りたいと、そう思わせてくれるユリアがいたから、逃げ出したくない自分でいられた。
そして今も、死んでる場合じゃないと、反撃する自分がいた。
そうじゃなければ、あの男のショート・ソードは容易く俺の命を奪っただろう。
そして、それが。
(――ユリア……)
守りたいと、強くなりたいと、思えば思うほどに俺の手を染め上げていく。
(――……会いたいよ……)
無事で……。
「……」
まざまざと思い返し、薄暗がりの中に手の平を翳してみた。ただ、真っ黒。血塗れては見えないことに、心のどこかで安心する。
あの後、衛兵たちが駆けつけ、あの男がタチの悪い盗賊であったらしいことと騒ぎに起き出したシサーたちがフォローしてくれたことで、とりあえずはしょっぴかれるようなことにはならずに済んだ。『銀狼の牙』のメンバーだったのかどうかは俺にはわからないけれど、「仇」と言っていたことと顔が酷似していたことから……多分、身内だったんだろう。
きっとあの時、俺の心は徹底的に砕けたんだ。
同じ男を2度も手にかけた、その時に。
そして俺は一度は見るのも嫌になった剣を再び握ることが出来るようになり、どころか振るうことに何の躊躇いも迷いも……何の心の襞が震えることもなくなった。
(シサー、どうしたのかな……)
火の爆ぜる、ぱちぱちと言う音が聞こえる。
時折、見張りをしているシサーが立てる僅かな物音。誰かの小さな寝息。
シサーが火番をしているのと反対側は、ただただ暗闇が広がっていた。月明かりでさえ頼りない。それほどの深遠の闇。
(……眠れない)
ため息をひとつ、その場に残してそっと起き上がる。抜け出して焚き火に近づくと、シサーが静かに顔を上げた。
「眠れないか」
静かな声で問われ、無言で頷いた。焚き火を挟んで斜めの位置に座り込む。
「何か、あったの」
ぱきんと枝を折ってシサーが火の中に放り込んだ。勢いのある炎に飲まれ、か細い小枝はあっと言う間に燃えていく。
「今のままじゃあ、俺はあいつには勝てない」
短い沈黙の後、シサーがぽつりと言った。またぱきん、と枝を折る。
「ほぼ互角に、見えたけど」
シサーが小さく笑った。
「……さんきゅ」
「……」
「が、到底勝ち目はねーな」
「でも、じゃあ……」
俺の疑問を読んで、シサーは答えるように続けた。
「横合いから邪魔が入ったもんでな……。とんずらした」
苦く、言葉を押し出す。悔しそうな横顔が、揺らめく炎に合わせて明暗に揺れた。
「邪魔?」
「ああ……。お前たちを襲ったやつと同類に見えたな。グレンフォードにご執心のようだったぜ」
こんなシサーを見るのは多分、知り合ってから初めてのことだろう。かける言葉がわからない。
――立て続けに負けてるわけにはいかねえんだよ
さっきの少女に屈辱的に告げた言葉が思い出された。
「……次は、絶対……」
その言葉の続きは飲み込まれ、吐き出されることはなかった。
背後のみんなが寝ている岩陰の窪みから、「うーん……」と誰かが小さく呻くのが微かに聞こえる。
「グレンフォードに執着って……」
問うと、シサーは僅かに顔を顰めて横に振った。
「俺にも良く、わかんねーんだが。……同じ匂いがするとか何とかって言ってたな」
「同じ匂い?」
「ああ。『お兄ちゃん』とかって」
お兄ちゃん!?
ぎょっとして目を見張っていると、シサーはひらひらと手を振った。
「本当に血を分けた兄貴ってわけじゃないと思うぜ。どう見たって初対面って感じだったしな。何らかの比喩だなありゃ」
同じ匂いって……何なんだ……?
あの肌の色、噴き出た血、魔法しか効果がないこと……どう見たって人間じゃない。けれどあの仕草や話し方なんかは、人間らしいと言えなくもなかった。
何より。
「……人間だって、言ってたよ」
「え?誰が」
「あのコ」
俺の言葉に、シサーはどこがだよッ……と吐き捨てるように言う。
「さっきのはまだマシだったけどな。こっちに現れたのは半分が溶解してたぜ」
「溶解?」
「ああ。どろどろだ。マグマの魔物みてーな状態だぜ。目玉なんか落ちかけてて口なんかもぐずぐずで。あれが人間なわけねえだろが」
マグマの魔物と言うものを見たことがないんだが……溶解して平然と戦っていたのだとすると、やはり人間とは思いにくい。
それとさっきの少女が同種なのだと仮定すると……じゃあ、彼女の意味する「人間だよ」と言うのは、何なんだろう?嘘をつくことに何のメリットがあるんだ?嘘じゃなくて何か別の意味が……。
……別の意味?
「あと、気になることも言ってたな」
「気になること?」
シサーが長い棒で炎を突くと、ぱちんと何かが弾ける音と木炭が擦れ合う軽い音が聞こえた。線香花火を思わせる、細かな火の粉がふわりと舞う。
「『出来損ない』……」
呟くと、考え込むように視線を炎に定める。シルバーの瞳の中、オレンジの光がちらちらと揺れる。
「『出来損ない』?」
「ああ。グレンフォードが、そいつに向かって呟いた」
「何の……」
「さあな……」
出来損ない……。
『同じ匂い』。
『お兄ちゃん』。
「気に、なるね……」
言いながら、俺も枝に手を伸ばす。手頃な大きさのものを選び、火の中に放り込んだ。
「ああ……」
グレンフォードは、どこか異質なあの少女に比べて遥かに『人間』に見えた。と言うか、疑いもしなかった。
……彼女は自分を、『人間』だと……。
(何だ?)
待て待て……何か、繋がりそうだ。繋がりそうで繋がらない。グレンフォードが何者なのかがわかれば、もしかするとまた狙われた時の対策が立てられるかもしれないのに。
キーワードが足りない。……落ち着いて、考えろ。
ヒントは、散らばってるんだ……。
……まず、『出来損ない』だ。
出来損ないが意味するものは何だ?決まってる。作成されたものだ。
誰かが作成した何かが失敗作だった、通常はその場合に使う言葉のはずだ。もちろん人間を揶揄する時に使う言葉でもある。『あいつは出来損ないだ』などと言う場合、意味することは『使えない人間』『能力がない人間』。
この、意味なんだろうか。状況的に考えにくくないか?だってグレンフォードはその……もうひとりの少女と初対面のようだったわけだろう?
……一旦、保留だ。
次は『同じ匂い』。
考えるまでもない。そのバケモノじみた少女は、グレンフォードを自分と同種の何かだと感じたんだ。それが何かまでは、今の段階ではわからない。
(でも、それなら……)
グレンフォードが何者にせよ、普通の剣じゃあ攻撃は無意味……?
(それでなのか……)
ひとりで1個中隊くらい壊滅すると言うのは。魔剣はそうごろごろ誰でも持っているわけじゃない。あれだけの剣技があり、敵の攻撃を受け付けないんであれば、奴にとって軍隊なんか連立する木と一緒だ……。
じゃあ『お兄ちゃん』は?
普通は、血をわけた兄弟を差すだろう。が、初対面なのであれば、これは却下だ。それ以外とすれば、単に年長の男性に親しみを込めて使う呼称ではあるが、それより……。
――?
(……嘘だろ)
突如、風の砂漠のダンジョンでの出来事が脳裏に蘇った。正確には出来事と言うよりは、シサーの話が。
(まさか、そんなことがありうるものなのか?)
思い浮かんだ考えに、茫然と顔を上げる。
キーワードだ。
……でも、まさか。
いや、でも……。
――そして、『あの時』のクラリスの言葉。
「……カズキ?」
黙りこくって考え込んでいたと思ったら、はっと顔を上げて凝固した俺にシサーが不審な声を上げる。
(だとすれば……)
グレンフォードには、クラリスの魔法が何らかの形で有効になるんじゃないのか?いや、わからない……わからないけど。
「まだ、わからないけど」
前置きをしてから俺はシサーを見つめた。視界の隅に揺れる、炎。
「グレンフォードは……もしかすると……」