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QUEST  作者: 市尾弘那
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第2部第1章第5話 血臭の夜 後編

 村を奥まで進んで行くほどに、血の匂いが濃くなっていく。

 既に鼻も慣れてきてしまって、気持ち悪くなるようなことはないが、視界が赤く染まっていくような錯覚を覚えた。

「何があったのかしらね」

 グレンフォードに嫌気が差したのか、後ろに下がって来たニーナが不安げな顔をした。その肩で、レイアがうつらうつらしている。大した度胸だ。

「……あれは?」

「集会場ですね」

 村の入り口から道路を直進し続けて来ている俺たちは、どうやら村の中心部に辿り着いたらしい。やや円形に広くなったスペースの左手奥に、これまでの掘建て小屋みたいな家屋とは少々趣の異なる建物があった。大した大きさがあるわけでもないが、それでも小さな自治会館程度のスペースはありそうだ。こちらは木造らしい。

「集会場?」

 キグナスが頓狂な声を上げる。

「ええ。村の人たちが何かを相談して決めたりする時にこちらを使うわけですね。私の知る限りでは、月に1度集会していたはずですよ、この村は」

「……今日は、まさか」

「……可能性は、否定しません」

 月に1度の集会、その現場に何者かが?

「気持ち悪い」

 ニーナが、青い顔をして口元を手で押さえた。

 知らず、誰もが口を閉ざして集会場へ近付いて行く。扉は、閉められていた。

 建物の側壁にいくつか樽が置いてあるのは……何だろう。

 不意に興味をそそられて、みんなから離れて近付いてみる。……松明やカンテラ用の油だろうか。危ないだろう、それはやっぱり。危機管理がなってない。それともあまりに平和だと、例えば放火するような馬鹿がいなかったりすると平気なものなのだろうか。

「開けるぜ」

 扉に手をかけ、シサーがその上方を睨み上げながら誰にともなく言う。グレンフォードが一歩、後ろに下がった。

「私を戦力に入れちゃ嫌ですよ」

「……」

 この人って……。

 シサーが扉を引く。

 瞬間、溢れ出てきた血の匂いは、まさにむせ返るような、と言うやつだった。その濃度だけで窒息しそうだ。思わず息が詰まる。嗅覚の全てが一瞬で飽和した。

 ……その臭いに、嗅覚だけじゃなくて、感情が麻痺していくのが自分でわかった。何かの危険信号のように、耳鳴り。しんと冷えた心のどこかで、目の前の惨状がまるで遠いどこかの出来事のように……他人事のように、感じた。

「何だこれ……」

 目の前に広がるのは、夥しい血の海だった。

 テニスコート1枚分くらいの空間ががらんと広がり、薄暗いせいでその床に濃い色の奇怪な模様が描かれているように見える。壁と言い床と言い……ペンキで所構わず塗りたくって挙げ句バケツをぶちまけたかのような。

 奇妙なのは、その中に食い散らかされた人の部品のようなオブジェが無造作に転がっていることだった。……リデルの村の人たちだろう。

 部屋の壁際にはカンテラではなく、いくつか松明が掲げられているのが貧しい感じだった。殺戮が行われてから、どれほどの時間なんだろうか。松明はまだ、晧々と燃えている。窓が僅かに開いているのか、微かにカーテンらしき薄布が寒々しくはためいた。

「こりゃまた凄いことになってますねえ……」

「ひでぇ……」

 呆然と立ち竦んだまま、シサーが呟いた。不意にキグナスが、口元を手で押さえて身を翻す。吐き気がこみ上げたんだろう。俺も後を追って外に出ると、集会場出入り口付近の貧相な植え込みに顔を突っ込んで、キグナスが嘔吐していた。

 戦争に行っているシサーやニーナと違って、キグナスはシャインカルクにいたのだから……多分、あんなものを見るのは初めてだろう。それもあれだけ大量に、そのほとんどがずたずたと来れば……これは仕方ない。

「大丈夫か」

 背中をさすってやる。……いや、俺自身だって初めてなんだけれど。ダンジョンで見たギルドのシーフだってあそこまでじゃない。

 ひとしきりキグナスが吐瀉としゃし終え、顔を上げると涙目のまま俺を見上げた。

「ありがと……お前、平気なのか?」

「……うん。俺は大丈夫」

 淡々と答えたところで、クラリスがやはり青い顔をして出て来た。両手で口元を押さえている。レイアが心配そうに、その後をふわりと追って来た。

「クラリス、大丈夫?」

「……ええ」

 返事を最小限に抑えたのは、多分キグナスと同じで吐き気を堪えているからだろう。

「じゃあ……見張りを兼ねて、ここで休んでて」

「カズキ、戻るのか?」

 まだ青い顔をしているキグナスが、問う。俺は頷いて、小さな笑みを口元に作った。

「シサーたちに任せっぱなしってわけにはいかないよ。俺は別に、大丈夫だから」

「……」

「レイア、宜しく」

「あ、うん」

 言い置いて、中へ戻る。村の中も血の匂いが溢れていたと思ったけれど、この集会場と比べたら話にならない。澄んだ空気のようにさえ感じる。建物の中に足を踏み入れると、空気そのものの濃度が変わったように感じた。肌にまとわりつく。

 シサーたちは歩を進めて、部屋の中央部の方まで行っていた。そちらへ向かう。

 足元にいくつも赤黒い血溜りが出来ていて、足を滑らせないよう気をつけながら、俺は辺りに目をやった。時折びちゃ、と言う音が上がる。

 ……にしても、ひどい。子供の頃に見た地獄絵図も、ここまでじゃない。

「おう。あいつら、平気か?」

 近付いた俺に気付いて、シサーが振り返った。必要以上に、ウィル・オー・ウィスプがシサーのそばに張り付いている。何か調べてたんだろうか。

 キグナスたちほどじゃないとは言え、その顔はやはり青い。

 グレンフォードに疑念を抱かれたくないので、俺は黙って頷いた。

「お前は平気なのか?」

 その問いにも、俺は声を出さずに首肯で応じた。

「ここに魔物が留まっている様子は、なさそうですよぉ」

 この人だけが、通常通りだ。……何でこの光景の中でこれほど普通にいられるんだろう。

「そうみたいだな」

「……こんなこと、前にもなかった?」

 ニーナがぶるっと体を微かに震わせ、頼るように、珍しく体にしっかりと巻きつけられたシサーのマントをそっと掴みながら呟く。

「前にも?」

「何です?」

「聞いた話だけど。何年か前に、ロドリスのどこかの村が魔物に襲われて全滅したんじゃなかった?一面血の海だったって。……グロダールより後よ」

「……」

 その言葉に、グレンフォードは沈黙で応じた。シサーが小首を傾げる。

「ああ、そういやそんな話聞いたことがあるな……。どこだった?」

「良くは、知らないけれど」

「あんた、ハーディンの人間だろ。何か知ってるんじゃねーか?」

 シサーがグレンフォードに振る。

 ……気のせいか?一瞬だけ、その飄々とした表情が姿を隠したように見えたのは。

「さてはて。よくわかりませんねえ……」

「そうか?同じ魔物かな」

「それは違うと思いますけど」

「……何で?」

「私の冴え渡り研ぎ澄まされた勘です」

 左手を腰に当て、右手で眼鏡のフレームを掴みながらグレンフォードが体を反らせた。あてにならない。

「出よう」

 やれやれと首を振って、シサーが歩き出した。それに従って、俺たちも外へ向けて歩き出す。

「お嬢さんは気丈ですねえ」

 俺の後ろをついて来たグレンフォードが、話しかけて来た。僅かに顔だけで、ちらりと振り返る。

「こんな惨状見ても顔色ひとつ変えないとは。いやはや。驚きました私。はい。女性が強くなったと言うのは本当ですねえ。いえね、私も常々実感してはいるんですが。ほら先ほども申しました私の直属の上司ってのがですね、女性なんですけどね、もう鬼と言うか何と言うか……いやいや。褒めてるんですよ?」

「……」

 好きにしゃべらせておこうと思い、前に向き直る。もう出入り口はすぐそこだ。小走りに前方のシサーたちに駆け寄りかけた背中に、やや後方で足を止めたグレンフォードからその一言が投げつけられた。

 低く、ひっそりと。

 ……多分、俺にだけ聞こえるように。

「バルザックさんは、お元気でしたか?」

「――!?」

 何……!?

 ぎょっとして思わず振り返る。まともに顔と顔が向き合った。その瞬間のグレンフォードの表情を見て、しまったと思う。……こいつやっぱり、レガードの顔を知ってたんだ……!!

 得心のいった表情に次ぎ、あり得ない速度で抜き放った双刀を翳したその足が地面を蹴った。

 咄嗟に何をすべきか、頭の中がホワイトアウトして、俺に出来たのは反射的に首を竦めて目を閉じることだけだった。

――キンッ!!

 その俺の耳に、風と共に金属的な刃鳴りが飛び込む。

「悪ぃな」

「……素早い対応ですね」

「シサー……」

 俺とグレンフォードの間に剣を翳して滑り込んでいるのは、シサーだった。グラムドリングが白い輝きを放っている。クロスの形に振り下ろされていた双刀を、輝く白刃が一身に受け止めていた。

「途中からこいつが危ねぇってうるさくってな。あんたの目から隠すのに苦労したぜ」

 あ……やたらマントを巻き付けてたのも、ウィル・オー・ウィスプをすぐ脇に置いてたのも、グラムドリングの警告光を遮る為だったのか。

 一際高い金属音がして、グレンフォードが後方へと跳び退った。それに伴って、シサーも態勢を直す。

「魔剣、ですか。珍しいですね」

「ああ。……魔物かあんたかは、迷うところだったんだがな。両方警戒しとくに越したことはないだろう?」

「全くです」

 言いながら、グレンフォードが両手をだらりと下ろす。口元に浮かんだままの軽薄な笑みは、今となっては酷薄なものと映った。

「あんたの仕事は、おっさんの相手じゃなかったのか?」

 言いながらシサーが、後ろ手でちょいちょいと親指を立てて動かした。下がれ、と言うことらしい。それを受けて、じりじりと刺激しないように後退を試みる。

「与えられた仕事しかこなせないようじゃあ、出世ってのは出来ないんですよ。だからこの年になっても警備隊員止まりでしてですねえ……まあ、上司の意向がわかっている以上は出来ることには、果敢にチャレンジしないといけませんしね」

「ご立派な向上心だな」

 正面を向いたまま、血溜りの床に足を滑らせるようにして少しずつ後退していくと誰かにぶつかった。

「……ニーナ」

「……」

 ニーナが、言葉もなくシサーとグレンフォードを見つめている。その唇が微かに震えているのが見えた。……そうだった。ニーナはかつて、戦場でグレンフォードの戦闘を目にしているんだった。

 それきり、シサーもグレンフォードも沈黙する。

 俺たちも、言葉を発することが出来ずに、黙ってその場を見守っていた。

 グレンフォードが、剣を構える。シサーもそれを見据えながら、腰を低く落とした。

 緊迫した沈黙が続く。一瞬でも空気を乱せば、その集中を妨げてしまいそうで、呼吸さえもが煩わしく感じられる。多分、他のみんなも同じ気持ちでいるんだろう。誰も……それこそ魔法での援護さえ躊躇っているようだった。

 見合ったまま、2人は動かない。能動的な戦闘の仕方を好むシサーにしては、珍しいと言える。

 動かないままの空気の中、緊張感だけが高まっていった。空気の粒子のひとつひとつが肌に刺さるように、沈黙が痛い。

 が。

「……キグナス、いるか」

 ざわりと空気が変わる同じタイミングで、シサーが押し殺した硬い声を静かに発した。爆発的に高まる、殺気。グレンフォードの体から、黒い空気が噴き出して巨大になったような錯覚を覚える。琥珀色の瞳が、魔性の色合いを帯びて煌めいた。

「う、うん」

 出入口のところにいるらしい。俺の背後から強張った返事が返る。グレンフォードが、一瞬前までいた場所から姿を消した。

「カズキ引き摺ってこの場を離れろッ」

 そのセリフが終わるか終わらないかの内に、3つの剣が烈しい悲鳴を上げた。薄暗がりに咲いた火花が、その一瞬の生命を散らす。

 2本の剣を自在に操り、右から左から上から下からとシサー目がけて繰り出される殺戮の刃は、その速さも鋭さも、見ているだけで鳥肌が立つほどだった。

 と言うよりは、打ち付けられるその瞬間を視覚でとらえることが出来ない。立て続けに発せられる金属音と一瞬の残像で、辛うじてわかる。浴びせる方も並大抵じゃないけど、それを剣で受け返す方も尋常じゃない。

 あそこでシサーが滑り込んで来てくれなかったら、俺は今頃、ここにバラバラに転がる村人の仲間入りだ。

「カズキッ……」

 キグナスが小声で叫ぶ。同時に、腕を引っ張られた。

「見てたって仕方ねえだろッ……」

 それはまったくその通りだけど。

 見れば、刃鳴りの音は相変わらずでも、少しずつ……じりじりとシサーの方が押されていくのがわかった。グレンフォードの殺戮を受け止めるので多分精一杯、攻撃に転じる余裕がない。

 対するグレンフォードは、まだ余力を残しているような感じさえある。避けているとは言っても、グレンフォードの剣は僅かに、けれど確実にシサーの腕や頬を細かく切り刻んでいた。細かな血筋や切り離された髪が、時折舞う。

「狙われてんのは、お前だ」

 言ってキグナスは、まさに俺を引き摺るようにして集会場から外へと連れ出した。レイアがそれについて来る。

「この場をって……」

 どこへ行けば良いんだろう。

「とにかく村から出よう。行く場所は、わかってるんだ。リシア方面に……」

「けど、置いていくわけには」

 いかないだろう、やっぱり。俺を助けてくれたわけだし。

 俺ってこんなに危機感のない奴だったろうかと思いながら淡々と反論してみると、正面から思い切り怒鳴られた。

「あのなッ……お前はレガード様なんだよッ。その首を掲げてロドリスに攻め込まれたら、ヴァルスもロンバルトも戦う前から総崩れになりかねないんだぞッ!?」

 そういうものだろうか。クレメンス国王がいるのに。

 不満の表情を読んで、キグナスがずるずると俺を引っ張りながら尚も小声で怒鳴った。

「病床の国王がいたって跡継ぎが曝し首じゃ先は見えてんじゃねえかッ。おめえの首ひとつでロドリスの士気は俄然上がるし、こっちの士気は地に落ちるんだよッ。片や上がって片や下がるんじゃ、戦力差は開くばっかりじゃねえかッ。さっさと走れッ」

「カズキを守る為にシサーが盾になってるんじゃないのッぼやっとしてたってしょうがないでしょ!?」

 俺の首を曝すだの曝さないだのと言うことが話題となるのも、複雑な心境だ。なかなか体験出来ることじゃない。

 月明かりだけを頼りに、薄暗い、人気のない村を駆ける。ニーナやクラリスはどうしただろう。……シサーは。

(考えても仕方がないことはわかっているけど……)

 リデルの村の付近は、ローレシアの他の街や村と同様近接した集落がない。

 村中にさえ灯りや人の気配がないとなると、これはなかなか薄ら寒いものがある。増して、さっきあれほどの大量殺戮の現場を見た後だ。

「……なッ……!?」

 不意に、キグナスが驚愕の声を上げた。異変を感じた俺も、ほぼ同時に足を止める。

 もうじき、村の出入り口が見えてくると言う辺りまで駆けて来た頃だ。遥か後方で爆音と共に紅蓮の炎が闇を染め上げた。

「やだ、何ッ……!?」

 振り返った後方で、立ち昇る炎の柱。夜を焦がす黒煙。

 激しい炎を噴き上げて炎上しているのは、先ほどまで俺たちがいた……。

「何があったんだ……」

 ……そして、今もシサーやニーナたちがいるはずの、集会場だった。











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